80話『八の王』2
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風を受けながら、黒い眼で静かに『王』を見据える。
手に持つナイフからは鮮血がぽたぽたと滴り下り、風が吹くたびに枯れ木がかさかさ音を立てる。実に不気味と言う言葉が良く似あう情景。
その中でアドニスは僅かに眼を細めた。
「意外だな。避けられるとは思わなかった」
素直に感じたままの言葉を口に出す。それは勿論アマンダに向け放った言葉だ。
先ほどの一撃、アドニスは手加減していたとはいえ、彼女の首を撥ねる気でその一振りを加えたつもりであった。
ソレが如何だ。標的は今無様ながら地に転げ、頬と豪奢なドレスを犠牲にしてもピンピンと生きている。
感――。と言う奴なのか。紙一重でかわされた。
ドレスの裾を破り捨て、頬に一筋の傷を作ったぐらいだ。
それだけでも十分な情報を得られもしたが。
アドニスの視線に、アマンダの敗れたドレスの内側が見える。
中に履いていたのであろう濃いピンク色のハーフパンツ。白い長い足とブーツが取り敢えず目に入る。
そしてピンク色の生地、細い針金で造られた張りぼての向こう。その針金に括りつけられているのは間違いない。
ナイフ、拳銃、ライフル、手榴弾――。武器と言う武器。
先程は気が付かなかった。なるほどと思う、女であるが故、彼女達にしか使えない隠し場所だ。通りで、参加者達は無駄にドレスを纏っていた訳だ。合点が行く。
「う、ああああああああ!!!」
耳障りな金切り音がする。
『六の王』の女――。もう彼女は新たに『六の王』としよう。
彼女は蒼いドレスの裾を捲し上げ、中からあの時と同じように拳銃を手に取る。それも今度は無駄にドでかい一物を。
彼女は引き金に中途なく手を伸ばすと、凄まじい轟音と共に銃弾を発射した。黒いナイフが宙を切る。
今度は避けもしない。叩き切るだけだ。轟音を醸し出しながら発射される弾をいとも簡単に、ナイフで弾き返す様に切り落としていく。
その中で見るのは女の持つ銃。
威力、細腕の女が軽々と扱える様を見て何処の誰が作った物か直ぐに理解する。
あれはオーガニスト産なんかじゃない。
元からドトールも含め彼女の事は嫌でも知っていたし、コレは遊びの一環か。
あの方の遊び好きも此処まで来ると、病的な何かを感じアドニスは僅かに溜息を付く。
――そんな事よりも、銃弾をはじき返しながらアドニスは直ぐにアマンダを捕らえた。
先の通り、標的は決まっているし変える気も無い。この殺気に気が付いたのだろう。
今まで尻餅をついていたアマンダは、両腕を地に付けると身軽な動きで身体を飛び起こした。
そのまま彼女は敗れたドレスの内から、拳銃を二丁取り出して此方へと構える。
それを確認すると同時に、アマンダが引き金を引くと同時に高く跳び上がり空中へ銃弾の雨をかわす。
「ヒュプノス」
「ふむ、来た!」
名を一つ。
今までアドニスの背に浮きながらも抱き付いていたシーアはふわりと体勢を変え、真上へ。
手を構えると同時、アドニスは彼女の掌を足場に蹴り上げ、一気に標的へと急降下したのである。
突然で、瞬きも無い行動に流石に誰もついては来れない。
ただ直感が働き、アマンダは後ろに倒れるように飛び下がる。
アドニスの一撃は地に降りた途端に空を切り、しかし体制は直ぐに変わり後ろへと飛び下がったアマンダを狙いナイフを振り上げる。
目の端でアマンダが拳銃を落とし、今度はナイフを取り出すと同時に構えたのが見た。
鉄と鉄がぶつかり合う音が響く。――これは予想外だ。アドニスはニヤッと笑みを浮かべた。
「良くかわしたな」
「――っ」
眉を吊り上げ、冷や汗を流す少女を前に小さく鼻で笑う。
目に見えて分るが、彼女の腕は先程から小刻みに震えている。今、受け止めるだけで精一杯らしい。
それでもだ。僅かに憤りやら、恐怖を見せていた少女の薄紅色の瞳に強い色が戻ったのは刹那の瞬きであった。
「なめるなぁ!」
まるで自身に呼びかけるような怒号と共に、アマンダは一気にアドニスを押し返す。
返されるままにアドニスは身を引き、後ろへと飛び下がった。
中々の威力だ。片手を付く土煙と共に、身を制す。
「しねぇぇぇ!!」
それとまた同時。『六の王』のがなり声。面倒な女だ。
忌々しげに女を睨んだ時。目の前のアマンダは誰よりも先に行動に移した。
「誰でも良い!――アレクシス!彼女を止めなさい!」
「え!?は、はい!」
名指しされアレクシスが跳び上がる。
勢いのままに、彼は抱き着く様に『六の女』を押しとめた。
「邪魔をするなぁ!!」
般若の装いで暴れまくる『六の王』
アレクシスはその迫力に怯えはしたものの、流石に今はこのままには出来ないと判断したのだろう。その手を離す事は無かった。
何故アマンダとアレクシスが『六の王』を全力で止めた理由は、目に見えて分る。
ソレは先程からまだ彼女達の後ろで、小さくなり怯えている村民たち。今のひと騒動で逃げ遅れ、震える事しか出来ない彼らの為だ。実にお優しい『王』と言う所か。
『六の王』の追撃が止み、彼方から攻撃してこないのを確認したのちアドニスはナイフを握る手を下ろした。
いつの間にか後ろに移動し今の行動を見守っていた、コイヌたちに声を掛ける。
「おい、其処の連中は全員対象者なんだな」
「そうだね~。名簿を見た限りそうだよ~」
確認を取れば、名簿を観ながらもコイヌが応えた。
それなら仕方が無い。「終わった」なんて報告しておきながら、この女は――。
溜息を付きながら、道を開けた。
「行きたいならいけ。邪魔だ」
皇帝からの命はアドニスも聞き及んでいる。だから、彼らには手を出す気は無い。むしろ邪魔なので、さっさと行って欲しい。それでも、怯えているのか動かない彼らにアドニスは最後の言葉をかける。
「今お前らは皇帝の命によって、守られている訳だが。そこの男の盾にでも成りたいのなら、別に良いさ。その他の対処は聞き及んでないから好きにさせて貰う」
この一言が決め手だった。アドニスの底知れない強さを目の当たりにしているアレクシスは尚更。顔を青ざめさせて怯え震える村民たちを見た。
「は、早く逃げてください!」
彼の震える声と共に、村民たちは漸く震える足を立たせて細い道を駆けだして行く。
20人――。その全員が黒塀の門を通り過ぎた頃だろうか。次にアドニスはアマンダを抜かした『王』を見た。
「お前達も逃げて良い」
ニヤリと笑って放つ。
その一言には嫌でも別の意味が込められており、嫌でも察する事が出来ただろう。
少女を抜かしたその場の『王』は全員、1人に視線を飛ばす。
ただ一人、アマンダだけが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるしかない。
アドニスは再度ナイフを握りしめた。
冗談なんかじゃない。
「――っ」
今この瞬間、アマンダに出来る事と言えばこの場から逃げる事しか無かっただろう。
彼女は敗れたドレスの裾を持ち上げると踵を返して、村までの小道を走りもどる。
他の『王達』を置いて、自分だけ一目散に。
だがそれは己可愛さからでは決してない。
今、狙われているのは自分自身。此処はあの村民たちがまだ近くにいるのだ。
この土地で死ぬ事を選ぶのではなく、「生きたい」と願い選んだモノ達が。そんな彼らを女王足る者見捨てられるか。
それに、今の状況を考えて、ほかの同盟者たちは足手まといにしかならない。
もっと安全に、誰も被害が及ばない場所に一先ず逃げる。――それが彼女の思惑だ。
「皆は準備を整えた後、村の東の廃村地域に来て下さい!」
最後に思いっきり、声を振り上げて。
それをアドニスが許すかなんて目に見えているのだが。
「……」
黒い眼は今までのやり取りを見ていたが、命令通り全ての村民が黒塀の外へと出たのを横目で確認して、一気に行動へと移した。
黒々としたナイフを握りしめ、地を蹴りあげる。途端、彼の身体は風を纏う。速さが一桁以上違う。そのまま、アマンダの後ろへと跳び寄り首を描き切ろうと思った正にその時。
「いまだ!撃て!」
「――」
何処からともなく銃声が一発。
アドニスの頭を狙い誰かが射撃をしてきた。それも上手く、アドニスが進む道に合わせ彼の通り道、スピードを計算したのちベストのタイミングとポジションで。
思わずとアドニスは立ち止まりナイフを振り上げる。金属がぶつかり合う音がして、ぽとりと音を立てるように潰れた銃弾が地に落ちた。
いったい誰が狙撃して来たと言うのか。正直、誰までは分かりやしないが、アドニスは銃弾が飛んで来た方角を睨み見る。
一寸のずれも無く、枯れ木の中に必死に身を隠す数人の人影。間違いなく狙撃手は彼らだろう。
――殺気が有ったので気が付いてはいたが、アレではまるでアマンダを守ったかのような動きではないか。何か思考する様にアドニスは眼を細める。
「レベッカ!アマンダが逃げやすい様に援護しなさい!」
思考を巡らせていると、次はマリアンナの声が突如として響く。
それは彼女なりの思いやりだったのか、それとも同盟の主を失わないための行動だったのか。
「えー。あたしぃ?」
名指しされたレベッカは肩眉を上げて反論する。
しかし、その口調は嫌々そのものだが表情は読み取れない。
「しっかたがないなぁ」
ニヤァと笑って、レベッカは腰のタガーを二本抜く。
地面すれすれに腰を屈め、その金の眼は標的を定める。
凄まじい殺気が辺りを包み、突き刺さる様な眼光。
「は?」
それが全てコイヌに向けられていた。
音も無く消えるレベッカの姿。
アドニスの横を疾風が走り、黒い髪が揺らめく。
目で追うが、レベッカと言う女。一ミリも此方を見すらしていなかった。
「は!?うそでしょ!」
コイヌが小刀を抜いたと同時、鉄と鉄がぶつかり合う。
腕利きのエージェントであるはずのコイヌがギリギリ反応できるスピード。
コイヌの額に冷や汗が伝い、口元を食いしばる。がちがちと音を鳴らし、互いの獲物が振動する。
どうやらスピードだけじゃなく、威力も互角。嫌、レベッカの一撃の威力はコイヌ以上である事は間違いないだろう。
「なにコイツ!」
「何をしているのレベッカ!狙う敵が違うでしょう!」
堪らずコイヌが叫んだ。
この一連を見ていたマリアンナも同じく苛立ちと共に、声を上げる破目となった。
だがレベッカはケタリと笑うばかり。細く鋭い瞳孔がコイヌを捕らえて離しやしない。
「こいつらぁ。『組織』の人間なんでしょぉ?だったら、皆殺しじゃん?で、普通に考えたら弱い奴から狙うよねぇ!!!!」
子供のような無邪気な声色で、狂気じみた威圧を醸し出す。
被害者となったコイヌが肩眉を上げたのは仕方が無い事だろう。
彼女の視線がアドニスへ。助けを求めているのは確かだ。しかし、アドニスは小さく首を振る。
「『ゲーム』に参加したなら、お前達も巻き込まれるのを覚悟しておくべきだったな」
「人でなし!」
黒いナイフを握りしめて、興味も無くなったのか後ろの乱闘から目を逸らす。
何か言われた気がするが、気にも留めない。
この様子に気が付けば、アマンダの姿はなく、林の中にいたスナイパーの姿も無い。
大丈夫。逃げた先は確認済みだ。追えばよい。
レベッカの奇行に、マリアンナも呆れたのか諦めたのか、悔しげな表情を浮かべレベッカを一睨みしたのち、ジェラルドと共に走り去って行くのが見えた。走り去った場所を見て、どうやらあの二人は元の寂れた屋敷に戻るようだ。なるほど、あの二人か。だが最初から追う気は無い。アドニスは視線を外した。
残る問題は1つ。
「しね!しねぇ!!」
その残りの問題も動き出したよう。
押さえていたアレクシスの腕を振り払い『六の王』が拳銃を手に再び、アドニスに襲い掛かって来たのだ。
拳銃を構えて、迷いなく引き金を引く。飛び出した銃弾は実に遅く、軽く身をかわせば今度はナイフを手に今度は自ら襲い掛かって来た。
両手でナイフの柄を握りしめ、勢いのままに襲い掛かってくる。少しだけ、シーアの言った言葉が理解できる。
これは確かに面倒くさい。
最初に殺しておくべきか――?
そう思った時。
「借りひとつですよ、アドニス!」
ぴょんと跳ね、2人の間にタマが押し入った。
両手にナックルを付けて、軽々と『六の王』の女の一撃を受け止め笑う。
「ミッシェル様ぁ。ちょっと落ち着いてくださいです!」
「退きなさい!退きなさい、汚い犬が!私に触れるなぁ!!」
暴れまくる女を一心に引き受けて宥めながら、タマは早く行けと目で諭していた。
まあ、彼は此方の思惑を尊重してくれたのだろう。ならば、ありがたく受け取るべきだ。
アドニスはアマンダが逃げた先を見る。風を切ってその場から彼が消えたのはこれまた瞬間の出来事。
疾を纏いながら、彼が向かうのは小道の反対側。
小さな寂れた民家が立ち並ぶ、村落。
間違いなく、アマンダは其処に逃げ込んだ。人ごみに紛れでもするつもりか。実に無駄な事だ。
このゲームを始まってしま他のだから、もうNPCは生きていようが死のうがお構いなし――。
「ふふ……」
上空で、今まで沈黙を保っていたシーアが小さく笑った。
風のように奔る少年の姿を写し取り、血のような真っ赤な瞳は酷く何処までも赤く。
ただ、ただ、彼らを見据える。
少ししてふわりと空中で一回転し、シーアはアレクシスの前に降り降り立つ。
「うわぁ!」
突然天女が如く空から女が降りて来たのだから、アレクシスは実に間抜けな声を上げた。
腰を抜かし、おずおずと言った様子で彼女を見上げ、ただその瞬間に彼女のあまりの神々しさに改めて気が付いたかのように息を呑む。
真っ赤な瞳がまじまじとアレクシスを見下ろす。
「追わなくていいのかい?」
ニタリ。笑って彼女が指し言う。
示された方角は村。アマンダと、それを追っていたアドニスが向かった場所だ。
シーアは続ける。
「たった今、本当の意味でゲームは始まったよ。ルール無し、犠牲有の壮大なゲームがさ。君はさ、行かなくていいの?」
黄色の目が赤い瞳を見つめる。
吸い込まれてしまいそうな、何処までも何処までも赤い瞳。赤い瞳。
ぼんやりと彼女に見とれていたアレクシスが我に返るのは何時だろうか。
「あのさぁ。気まぐれだけどさ。人の話は聞いた方が良いと私は思うぞ?」
「は……あ?」
「だから、行かなくていいの?――まだ、助けられるかもよ?」
それは目の前の神が「ニタリ」と実に不似合いな笑みを浮かべた時。
アレクシスはやっとのこさ、今この状況を思い出す。
「あ、ああああ!みんな!」
頭を抱え立ち上がり、擦れ上がった声を振り絞りながら彼は踵を返す。
向かう先は勿論、村落。
あの化け物。皇帝が遣わした猟犬は獲物を追って村へと入っていたのだ。ソレは不味い。
一番に被害にあうのはアマンダじゃない。彼らなのだ。
それは何が有っても阻止しなくてはならない。
だからこそ、アレクシスは脚を絡ませ今にも倒れそうになりながらも、必死になって走り出す。
唯一残ったシーアも同じだ。
彼女は何処までもニタリと笑うと、音も無く前振りも無く、その身体は常闇の中へと消え去っていくのであった。




