78話『黒塀』
「な、んだこれは」
高く佇む塀の前で、ジェラルドが言葉を零す。
話に聞いていたが、コレは――。
アマンダが当たりを見渡すが、何処を見ても抜け出せるような場所はない。
いや、あるにはあるのだ。
枯れ木の中に高く聳え立った塀。その中で今立つ小さな小道の向こう、普段であれば村の出入り口に当たる場所にポツンと開けられた小さな大きな門が。
ただ問題なのは、その前に人が数人立っていると言う事。間違いなく、アレは門番であるに違いないだろう。
今、其処に居るのは白髪の異様に白い女と、茶色のフワフワしたショートヘアーのドレスを纏った猫耳の少女。
彼らは誰で何故此処に居るのか。
誰もが怯え、緊張した面持ちで動けない中で、此方に気が付いたのだろう。白い女がニヤリと笑った。
「あ~。やっときた!たっく、遅いんだよなぁ」
一言零す。
寄り掛かっていた壁を押しのけ、彼女は猫耳の少女を連れて此方に歩いて来たのは直ぐの事。
大きな胸を揺らし、纏う白い着物をゆらゆら揺らしながら女は、『王』の前で止まる。
女の真っ赤な瞳に此方の様子が映り、彼女は挨拶するように手を振った。
「やっほー、こんちはー。僕はコイヌ。で、隣のこの子はタマね~」
手を振りながら、実に軽く自己紹介。
いや、自己紹介なのだろうか。名前とは思えない名を名乗る。
コイヌと名乗った女が示すと、タマと紹介された少女――。嫌、少年は小さく頭を下げた。
おずおずと、タマが口を開く
「こんにちはです。皆さんは『王』でいらっしゃいますですか?」
妙な言葉遣い。ニコニコと可愛らしく笑いながら、少年は不思議そうに此方を見据えていた。
少しの沈黙。彼の問いに答える様に頷いたのはアマンダだ。
これにコイヌと言う女が、大きく息を付く。
「だよねぇ。よかったぁ。いや、写真通りだったけど『違います』とか言われたらどうしようかなあって思っちったよ!」
「アドニスの獲物取っちゃうことになるです」
「後がこっわーい!」
「……後が怖いのは嫌われてるコイヌだけです。ボクは大丈夫なんです」
2人は顔を見合わせ合って、ケラケラ笑った。
この状況だと言うのに、この2人の反応は異様に妙なモノであるのは確かだ。
雰囲気も勿論の事、その口調。佇まい、その視線。アマンダには全てが異質に見える。
其々腰についている、小刀とナックルのせいだろうか。
そう、彼女らは先程の少年と同じ雰囲気を纏っている様に感じるのだ。
いや、この様子は間違いないだろう。
彼らはさっきの少年と同じだ。
だとするならこの2人は――。
「ああ、ごめんごめん」
此方の視線に気が付いたのだろう。コイヌがニヤッと笑う。
胸元で手を合わせながら小さく頭を下げる。そのままケラケラ笑いながら、彼女は自身に指差した。
「僕たち『世界』のにんげーん。今日は任務できたんだけどさ」
また本当に軽い自己紹介。彼女は次に此方に、正確に言うとアレクシスの後ろにいる20人ほどの村民を指す。
「で、そこの人たちが避難民?」
ごくりと、息を呑むが彼方此方から聞こえた。
アレクシスが庇う様に村民の前に立ちふさがる。
「ま、待ってください!この人たちは逃がしてあげてください!」
実に切実な声だった。そればかりか、コイヌに走り寄り彼は臆することなくその手を掴む。
その瞬間コイヌが驚いた声を上げたがお構え無し。
「どうか、逃がしてあげください!」
更に声を上げ、迫り寄った。
コイヌからすればこれ以上困ったモノでもなさそうだが。
パンと手を跳ね除けたのは秒の事。
「ごっめーん。男の娘と18歳以上の男は無理なんだわ!」
「ボクも君、むりですから」
必死なアレクシスを小馬鹿し無視すらした様に見える口調。
手を振りながら、アレクシスから身を離す。
さてさてと声を漏らしながら、コイヌは再度村民を見た。
「言われなくたって、彼らは逃がすよ。この『ゲーム』関係ない人だしね」
次に出たのは意外としか言えない言葉だった。
こう言っては悪いが、アマンダもこのゲームの知らせを受けた時、開催場所はあの小さな屋敷では無くて、この村全てだと判断していた。その時、皇帝はこの村の住民を全て見殺しにする気なのかと思ったのだが、意外や意外。今の発言だけ聞くと慈悲は与えてくれるらしい。
一瞬嘘かと思ったが、コイヌの隣でタマが後ろの出入り口の向こうを指差す。
そこには大きな荷台が付いた機械仕掛けの馬車が用意されてあり、むしろ敵意すら村民には一ミリも向けていないようだった。
「あれに乗りな」
コイヌが言う。
「次の拠点地まで連れて行ってくれるからさ。此処よりもずっと過ごしやすい新しい村にね。そこで、皇帝陛下に今度こそ身を尽くすまで働くんだよ~」
彼女の目は全くと言って嘘は言っていないし、何か企んでもいない。
この様子にアレクシスも悟ったのは、ホッと胸を撫で下ろした。
最後の一言に気付くことなく、さも当然のように後ろにいる彼らへと手を差し伸べるのだ。
「さ、みんな。早く外へ」
実に自然な流れ、彼は本当に村民の事だけを想っての事だろう。
駆け出し、出入り口にその一歩を近づけた。その瞬間だ。
「おっとぉ。君は駄目」
コイヌが素早く小刀を腰から抜き、アレクシスにその切っ先を向けたのは。
あまりの事に、村の外に出ようとしていたアレクシスは脚を止め、驚いた様にコイヌを見る。
構わずコイヌは「ちっちっ」と舌を鳴らし指を左右へ振った。
「君、アレクシス。『王様』だろ?だったら逃げちゃダメじゃんか」
「いや、僕は――」
勿論と言うべきか、アレクシスは別に逃げようとしていた訳ではない。
逃げ出そうとしている村民たちの先導を切ろうとしていただけに過ぎない。
だが、タマが首を横に振り、何処までも明るい声で言い放つ。
「ダメですよ。何が有ろうと、外に出られるのは『王』が連れて来た、ここの村民だけ。『王』が外に出るときは死体か。其れとも敗者となり追われる存在になる時でーす」
無邪気な宣言。ソレは実質。先にアマンダが示した通りの考えと重なるモノであった。
つまりだが、簡単に言えば。
「逃げれば反逆者」執行対象となる――。そういう事だろう。
逃げるとはすなわち、村の外に一歩でも足を踏み出すと言う事。
予想は、予想はしていたが、コレは――。
アマンダは唇を噛む。何せ今彼らは言ったのだ。逃げ出せるのは「『王』が連れて来たここの村民だけ」だと。
其処まで調べ上げられていたなんて予想外に過ぎない。コレは文字通り命がけになる。そう判断せざるを得ない。
コイヌと目が合うと、彼女はニヤリと笑った。
「て、事で。君達外に出ちゃだめだから」
顔面蒼白となったのは、アマンダだけじゃない。
あわよくば外に出ようと思念していたマリアンナとジェラルドも同じだ。
2人は完全に逃げ場を失ったと、やっと判断できたらしくへなへなと腰を抜かす。
なんであれ、『王』である以上もう逃げられないのは確かなのである。
「わ、分かりました!他の人も連れてきます。ここで待っていてください!」
この沈黙の中、誰よりも最初に我に返ったのは意外にもアレクシスであった。
彼はいち早く後ろの村民たちに声を掛けると、慌てたように元の村へと駆け出す。他の村民たちも連れ出そうと言う算段なのは違いない。彼も彼なりに、この場所が本当に戦場になると言うのが、今のコイヌたちの反応で察したのだろう。人命救助が先と言わんばかりに走り出す。
それを、慌てたようにタマが止めた。
「あ、待って欲しいです。無駄なのですよ。『一回切り』ですから」
にこやかに絶望の一言を打ち落とす。
アレクシスの足がもつれ、コケて止まる。その様子に、『組織』の2人は顔を見合わせて困ったように笑った。
「だから最初に言おうって言ったです!」
「えー。でも皇帝陛下からのお言葉だよ?いう必要ある?今から殺される奴らにさぁ」
「だからこそ言うべきなのですよ!唯一のお慈悲なのですからしっかり伝えてあげるべきなのです」
まるで子供の様に言い争い、子供の悪戯の様にコロコロと笑う。
だが、その言葉の端々には聞き捨てならない単語があったのは違いない。「皇帝陛下のお慈悲」。この言葉を無視は出来やしない。
「まちなさい。いまなんと?皇帝陛下の、お慈悲?」
「うんそう」
「聞こえちゃうよねぇ」
アマンダが問いかけると、タマが簡単に頷き。コイヌが相変わらずケラケラ笑う。
仕方が無いと言ったのはおそらくコイヌの方であった。
彼女は慣れていないのか、何処かぎこちなく優雅に頭を下げる。そして、口を開いた。
「では、皇帝陛下のお言葉です」
前置きを一つ。赤い眼が『王』と村民を映す。
コイヌはニヤリと笑って、口を開き、まるで愛すべき陛下を思わせるかのような口ぶりで声を高らかに発した。
「“慈悲を与える!『三の王』アレクシス。この者が連れてくる村民は一度だけ自由にしよう。逃げる事を一番に選んだ貴様らには生きる価値がある。だが――この寂れた村で生きたいと僅かでも願った奴は一人たりとも要らん。死ね”――以上となっりまーす!いやぁ、二十人もいてよかったねぇ」
最後はとびっきり明るく、心からの侮蔑を備えて。コイヌは確かにそう発した。
――。
「ま――!」
あまりに唐突で無慈悲な「お言葉」。
我慢ならず、アレクシスが声を上げるのは仕方が無い。
だが、彼が声を高らかに非難を上げる前に、コイヌは行動に移していた。
大きく開いた胸元から、携帯端末を取り出し、音を立てて何処かへ連絡する。
「しっもしー。アドニスくん?」
電話は3秒も経たないうちに繋がった。
彼女はニヤニヤ笑いながら、しかし無駄な事は言わない。
アレクシスがうるさくなる前に、ただ一言で用事を済ませる。
「“終わったよ”」
病的に赤い瞳に心からの企みを含ませて、心から面白可笑しそうに名一杯の笑みを張り付けて。
ただ、その一言を――。
「――!!」
刹那、凄まじいつむじ風と共に殺気が奔った。
アマンダが身体を捻らせ、地面に倒れ込みながらも避けたのは同時の事。
その瞬間にドレスは大きく切り裂かれ、頬に一本の赤い線が通る。
誰もかれもが、何が起こったかなんて分かりやしない。
目を覆い、砂煙に顔を背けていただけ。
ただ顔を上げた瞬間、誰もが戦慄する事となるだろう。
それもまた仕方が無い。
誰かが顔を上げて、小さな悲鳴を上げる。
その声を聞きながらアマンダも、痛む頬を抑えながら顔を上げた。
三mほど先。コイヌとタマの後ろ。
黒い髪が纏った風でゆらゆら揺らめく。
小さな舌打ちを一つ。
真っ黒なナイフを握りしめて、忌々しそうに黒い眼にアマンダを写し取って。
眉を顰めたままに、女を背に抱いた。イレギュラーの少年、アドニスと呼ばれていたか。
彼は静かに佇んでいた。