『腕相撲大会』後
「……で、え?まさかの殴られる方を選んだわけ?」
「僕の精一杯の犠牲だよ!!土下座して感謝して欲しいね!」
と、言う事で『組織』内、その食堂。
エージェント達が集まれるだけ集まり賑わいを見せるその中で、サエキはガッツポーズをとるコイヌを信じられないモノを見る視線を送りながら言った。
そんなコイヌの後ろには険しい顔のまま額に筋を立てたままのアドニスが睨んでいるのだが。
心が痛くなるので、そんな犠牲は要らないのだが。
いや、別に心は痛くならないか。
ドウジマの腹痛の原因が増えるだけである。
現にサエキの後ろでは今の話を聞いた頭を抱えたドウジマが項垂れている訳だし。
「え?まって、何?この、お――僕死んじゃうの決定したような空気、え?」
「よく分かってるじゃねぇか……」
「え?一発殴られるだけだよね?ビンタだよね?アドニスだって流石に同僚を殺したりしないよね?ね!?」
ドウジマに泣きつく様にコイヌが詰め寄る。
どうせショタ好きのコイツがヘマをやらかしただけに違いない(正解)
尊い犠牲が決定したところで、サエキは漸く改めてアドニスに声を掛けた。
「よお、アドニス。まさか本当に来るとはなぁ。コイヌが連れて来るって言いだした時は絶対無理と思ったが、どんな風の吹き回しだ?」
群れるのは嫌いだろう?と、にやりと笑いながら問いかける。
そんなサエキを黒い眼はギロリと見上げながら、小さく息を付く。
「一発殴る為」
アドニス、迷い、無かった。
あまりの事に、サエキは思わずスンとする。
ただ其れも一瞬、腹立たしいライバル(自称)を見下ろしながらサエキは嫌味ったらしく言うのだ。
「お前コイヌを殴る為に参加したのかぁ?随分な自信だな?そいつぁ優勝賞品だろ?」
「お前達が俺に敵うとでも?」
また、スンなった。
しかも、何だろう。うん。
ぶっちゃけ、サエキも今のアドニスには絶対に勝てないと思う。
だって、毎日化け物に訓練されているから。
と言うか?つーか。
この腕相撲大会。
負けること覚悟でサエキが声掛けして開いた行事だし?
幼馴染が裏切り者で粛清する羽目になった、アドニスを励ますために開いたものだし?
元からアドニスが優勝する為だけに開いたようなものだし?
つまりアドニスの為だし!!
いや、リリスに頼まれて仕方が無くやっただけだから。
本当は嫌だったけど、ガチめに本心から吐き気がするほどに嫌だったけど!!!
つーかこの化け物が、幼馴染裏切ったぐらいで凹むとか無い!
「やっぱり腹立つ!!なんなんだよお前!!その自信何処から湧いて来るんだよ!」
やっぱり励ますとか出来ないサエキは声を荒げて理由もなくアドニスの胸蔵を掴みながら怒鳴りつけるのだ。
「後ろの女の一発より重い一撃を繰り出せたら勝てるかもな」
「だまれよ!そんなやついるかよ!人を怪物にするんじゃぇよ!!!」
「――。え、酷いな髭。それは私が怪物と言う事かい?……がおー!」
サエキの失言により、彼はシーアからは不満気な視線を浴びる破目となり(一瞬)、その結果何故か不機嫌になったアドニスには睨まれる事となった。
それは、まぁ、さて置き。
こうして『組織』による腕相撲大会が始まったのである。
◇
と言う事で、腕相撲大会が始まった訳だが、ここで簡単なルール説明としておこう。
ルールと言っても普通の腕相撲大会。単にAグループとBグループに分かれてトーナメント。
両グループで最後に勝った人物同士が決勝進出と言う実に簡単な物だ。
特殊なルールが有ると言うのなら、「参った」は許されないと言う事だろうか?
くじ引きの結果、アドニスはBグループ。サエキはAグループ。
ついでにコイヌはBグループで、初戦でアドニスと当たる羽目となった。
「……賞品は要らなくなったな」
「ねえ、この悪意のあるくじ引き誰が作ったの?僕、何かした?」
なんて会話が聞こえる中、サエキはほくそ笑む。
うまーくアドニスと別れる事が出来た!この時ばかりは自分の運に感謝しよう。
なにせ、ゲームとは言え、あの怪物と一線交える事が出来るのだ。
勝てないのは十分承知。だが、腕試しにはちょうど良いと言う奴!
サエキだって毎日鍛えている。
何処まで通じ合えるかは分からないけど、腕相撲なら一分ぐらいは激闘をする自信が有ると言うモノ。
自分はアドニスのライバルなのだ!(自称)
相手の足元に今は及ばなくても食いついてやる!――と、言う意気込みである。
ついでにこの腕相撲大会優勝者には高額の賞金がでる。その準優勝者にも、値段は下がるが高額。
アドニスは子供であり、無趣味と言う事もあり出費は無いが。
大人なサエキは色々とやりたい事や欲しい物やら、行きたい場所が有るので金はあればある方が良い。
この大会。Bグループの優勝はアドニス。大会優勝者もアドニス。
でもAグループの中では確かに猛者はいるがアドニスほどじゃないし、サエキがAグループの優勝だって全然に可笑しくないと言うか自信が有る訳で。
ま、つまり準優勝を狙っている訳だ。
だからこの組分けは打って付け、願ったり叶ったり。
因みにくじはドウジマが作った。
残念ながら不正はなく公正で、コイヌは運が無かった。
「あ、でもアドニスきゅんと手を繋げるなら死んでもいいかも♡」
「……そうか」
――コイヌが空を飛ぶ。
それを尻目に、サエキは席に座り一回戦目の対戦相手を見据えるのである。
目に映るのは真っ赤な瞳。
滑らかな白い肌に艶やかな絹の様な黒い髪。
「よぉし!さあ、いこうか!!」
ニタリと笑う神様が笑みを湛え座っていた。
……。
…………。
………………。
――なぜぇ?
サエキは思わずと目をこすった。
目の前の現実が信じられなくて目をこすった。
顔を上げたら消えてくれたらいいな、なんて思いながら顔を上げる。
「なにしてる?さあ、早くやろう!」
ニッタニタの神様が笑顔で座っている。
サエキは再度目をこする。顔を上げる。
笑顔のシーアはやはりいる。
もう一度――。
「なんど目をこすっても私は居なくならんぞ?」
「分かってるよ!!」
現実は何処までも当否は出来なかった。
サエキは勢いよく立ち上がり、指を差す。
赤い瞳の美しい彼女を前に、ビシっ!!!!っと。
「なんでお前が参加してるんだよ!!」
最初の一言は際ももっともな一言であった。
いや、だってそうだろう。
この腕相撲大会。表向きはアドニスを励ますために行われた、みんなが騒いで悲しみを紛らわそうとする大会。
そんな大会にまさかの部外者であり、一番参加して欲しくない人物が当たり前の顔で存在しているのだから。
本当に、何でいるの?
「別に私が参加したってかまわんだろう!あいつは良いって言ったもん!」
サエキの視線に何か感じ取ったのか、シーアはリリスを指差し言う。
思わずと視線を飛ばせば、リリスは酷く申し訳なさそうに何度も手を合わせ、頭を下げている。
彼女には無理だろう、恐ろしい存在に「貴女は参加できません」なんて言えやしない。誰も言えやしない。
きっとリリスは渋ってはくれた筈だ。でも、シーアの我儘は押し通ってしまった。そして、その最初の相手がサエキだったと言う事だ。
なんていう事だろう。
運が良いと思っていたが、どうやらサエキは一番の貧乏くじを引いてしまったらしい。
今の状況をいち早く察知してサエキは頭を抱えた。
「何してるんだ!早くやろうよ!」
サエキの気持ちなど知りもしないまま、シーアは頬を膨らまして唇を尖がらせる。
気のせいだろうか、「やる」の字が「殺る」なのは気のせいだろうか?
サエキはシーアを見る。
もうこの際彼女が参加してしまった事は良い。
だが、そもそも何故、この化け物はこのゲームに参加したと言うのだ!
「お、おまえ、何の目的でこのゲームに参加したんだ!?」
「パフェが食べたいから!!」
――パフェが食べたいから。
予想だにもしなかった。
どうやら、神様。賞金狙いの様。
確かに今回の賞金が有ればパフェぐらいなら、30杯は食べられるだろう。
いや、神様――!
「あと、ねこ太に『にゃーる』をあげたい。『にゃーる』と言うだけで反応するぐらいまで、調教したい!」
『にゃーる』――!
神様!神様無類の猫好きだった。
「ふさげるなよぉ!」
勿論サエキが頭を抱えるのには十分な理由である。
だってそうだろう。サエキはシーアを見る。
赤い瞳をキラキラさせて、にっこにこ。この笑顔は本気だ。本気で合参加する気だ。誰にでもわかる。
つまりは今この瞬間、サエキの準優勝の夢は潰えたと言う事。違う。
自分の命が風前の灯火に追いやられたと言う事!
「――おい!長官とアーサーが手を握り合ったまま微動だにしないぞ!」
そんな折、後ろから声が聞こえた。
思わずと振り向けば、別の机でドウジマとアーサーが腕相撲の体制のままお互いピクリとも動かずに固まっている。
しかも踏ん張っていると言う表情じゃなくて二人とも心から真剣そのものの険しい顔。
「おい、アーサー命令だ!勝って良い!俺は別に賞金は欲しくない」
「は?ここは年の功だろう。――譲ってあげますんで、どうぞ俺に勝ってください」
しかも醜い争いを繰り広げている。
そうだよね。今この瞬間に勝ったら次の相手は神様だもん。
丁寧に記せば、サエキかシーア。
でも勝者なんて決まっている様なモノだもの。
確かにサエキだって、かなりの剛腕だ。
鉄骨とか刀でバッサリ切り捨てられる。それだけだ。
じゃあシーアは?知らない。考えたくない。
パンチ1つで道場半壊させた化け物の事なんて知らない。
現に、Bグループの他の参加者は二人と同じような醜い争いをしている。
腕相撲大会なのに、誰一人として腕に力を籠めないと言う異常状態が起こっているのだ。
そして、今一番の被害者であるサエキは考える。必死に考える。
頭を抱えて「はやくー」と足をばたばたさせる神様を放っておいて考える。
「ひ、ヒュプノスさんよぉ」
「なんだ?」
「パフェなら俺がいくらでもおごってやるし『にゃーる』なら俺が勝ってやるから。負けてくれない?」
「やだ!自分が稼いだ金で食べたいんだ!少年の前でしたり顔でパフェを食べてやるんだ!」
必死に思いついた考えは神様に全力拒否。
なんでだよ!引き下がれよ!
そもそもお前はアドニスの教育係としてアドニスから給料をもらっている感じだろ!
パフェぐらいアドニスにおごって貰えよ!そもそも、なんでしたり顔でアドニスの前でパフェを食べたいと言うのだ!
神様と言う奴は考える事が良く分からない。
「そもそも、参った無しだろ?」
「そうでした!」
そして正論をぶつけるのは止めてくれ!
サエキは再び机に突っぱねるようにして頭を抱えた。
もうどうしようこれ。
いや、残念だ。どうにもならない。
腹を括るしかない。
「安心しろ。手加減はするぞ?大丈夫。力を抜いてくれれば、それに合わせて手加減する。骨に罅が入るぐらい!」
ああ、神様!(感謝)
サエキは今日生まれて初めて神様に感謝した。
こいつらちょっと怪我に対してズレている。
一週間もあれば治るんだから仕方が無い。
「本当だな!」
「ふむ。唯の人間相手に本気など微塵も出さんよ」
ともあれ、意図せず最悪の事態だけは免れたようだ。
シーアがサエキに興味のkの字も無いだけなのだが。
サエキもサエキで頭から準優勝のjの字は無くなったらしい。
心からホッとした面持ちで椅子に座り直し、漸くと右腕を彼女の細く小さな手に向けて差し出す。
しかし、と彼はその小さな掌を見て思う。
本当にこの小さな手にどれだけの未知数が秘められているのだろうか、と。
見てくれは少し力を籠めるだけで折れてしまいそうな、華の様な白い手。しかし、実際はこの場にいる誰よりも、嫌この世界の誰よりも強大な力を秘める怪物中の怪物。
白い手から次は彼女の顔を見る。
染みなど一つもない真雪の肌。小さな顔に完璧な造形で完璧な場所に収まったそれぞれのパーツ。
気の強そうな僅かに太い眉も、筋の通った小さな鼻も、ニタリと笑うふっくらとしたルビー色の唇も、何よりも大きく吊り上がった燃え上がる炎を思わせる真紅の瞳も。
そのどれもが見惚れてしまう程に美しい。
改めてまじまじと見つめると、思わず息を呑み、見惚れてしまうぐらいに。
心から思う。「美しい」「麗しい」「可憐」その言葉の全ては彼女の為に用意された言葉だろう――と。
この先の人生、彼女以上の。否、彼女ほどの美しきものは一生現れる事は無い。断言できる。
一度だけで良い。
――こんな女を抱けたら、さぞ幸福なのだろうなぁ。
「むぎゃぁぁぁぁあ!!!」
ドンガラガッシャーンと、サエキとシーアを挟んでいたテーブルが余りに情けない声と共に吹っ飛んだのは正にその刹那の出来事だ。
机が無くなった先で、サエキは一瞬何が起こったかを考える。
恐る恐ると、取り敢えずテーブルが吹っ飛んだ先を見つめれば、粉々に崩れ去った元テーブル……の破片が一つ。
そして、ものの見事に壁に埋まり込み目を回す。
ふわふわショートヘアー、猫耳カチューシャを付けた可愛らしい少年が一人。目に映る。
アレは誰だっけ?
「………………タマ?」
静まり返った空間の中、誰かがその少年の名を呼んだ。
ああ、そうだ。アレはエージェントの一人である。タマだ。
次の瞬間には、その場にいた全員がタマから目を離して、彼が吹っ飛んできた方角を見る。
正確に言えば、タマが先ほどまで相手していた最悪の腕相撲相手。優勝候補であった少年を。
サエキの眼に真っ黒な眼が映る。
真っ黒な、真っ黒な、常闇よりも深くてグルグルと怒りと怒りと怒りが苛立ちと苛立ちが渦巻く暗黒な黒曜石。
殺気と言う殺気が込められた深淵の奥底を映し撮った鋭い眼光。
額には青筋を立てに立てた、15歳の少年には到底思えない、「恐ろしい」の一言で表すしかないアドニス。
そんな眼で、殺気で。
アドニスはサエキを捉えていた。
「あど……」
「いまので最後の一人だ。そっちもさっさと終わらせろ」
名前を呼ぶ暇さえない。
まわりが「ひえ」と声を漏らすのが分かる。
禍々しい空気の中、サエキもごくりと息を呑み、何とか無理矢理に笑う。
「おい、アドニス。お前、何を怒って――」
「おい、ヒュプノス。そんな猿の相手を何時までしている」
「さ――」
「手加減なんてしなくて良いから、手加減せずに終わらせろ」
「は!?」
「むしろそいつには手加減なんていらない。美人と見るや鼻の下を伸ばす唯の猿だ。顔を見るだけで食あたりを起こすから、食い物にもならん。実に役立たずの猿。そんな畜生の相手をして何が楽しい?」
「いや、あの――」
「いいから、さっさと仕留めて終わらせろ」
「――え?殺せって?」
――いや、死ねと?
アドニス様、ご立腹。
良く分からないが(笑)、サエキはアドニスの逆燐に触れた。ソレは間違いなかった。
いったい、なんで、こんな事に、なって、しまったのだろう。
サエキは硬直したまま、何も考えられないままにアドニスを見つめる。
この子供が此処まで怒ったのは実は彼は初めて見る。ナニコレ怖い。
そして、何故かシーアだけが全くアドニスの殺気に臆していないと言う。
「――いや、アドニス?おまえ」
「いいから早く終わらせたらどうだ?」
いや、そもそもとサエキは我に返る。
アドニスはさっさと殺れとシーアに命じている訳なのだが、その眼が語っている。
サエキにだけ分かる様に語っている。
『今度、彼女に触れたら殺す……』と。
いや、死ねと?
「あ、アドニスさん?」
「……」
一体何が悪かったのだろうか。
彼女をエロい目で見たのが悪かったと言う事は、その時のサエキには全く気が付きもしなかった。
その間にいつの間にかシーアが新しい机を用意していて、なんにせよ逃げ場が完全に無くなった事だけは気が付いた。
用意された机を前に、ライバル(自称)の真っ黒な眼に射貫かれながら思う。
『嫉妬するなんて。
あいつ、大きく成長したんだなぁ。』
意を決し、サエキはシーアを見据える。
震え声で「ファイ!」なんて声が聞こえたのは直ぐの事。
一番可哀想なのはタマであるのは違いない、それは確かな事実であろう。
因みに、腕相撲大会はシーアがぶっちぎり優勝した。
優勝試合で、アドニスは開始直後に両手を使って全力体重をかけ全力の力を込めたのに、彼女はビクともしなかった。
まさに赤子の手を捻って優勝。
なので彼女は念願のパフェをしたり顔でアドニスの前で食べて、ねこ太に『にゃーる』を買ったのである。
サエキは全治半年の大怪我で奇跡的に一命はとりとめたことだけは記しておこう




