『鍋』
おまけ話
たまに増えていきます
ソレは。
シーアと言う女が。アドニスの元に暮らし始めて2週間ばかり経った、ある日の出来事である。
「く、ふふふ……。ふふふふふ」
おんぼろアパートの中でシーアは怪しく笑う。
整った口元を吊り上げ、赤い瞳を細める。
アドニスも出かけてしまい、誰も居ない部屋の中で、その中心で。
ようやくこの時が来たかと、高笑いを零す。
「さて、さてさて」
暫く笑った彼女は、口元に手を当て。その視線をベッドに注ぐ。
正確に記せば、ベッドの上。
硬いその上で、ごろごろ此方を見ている、くりくり目の可愛い仔。
つい先日「ねこ太」と、アドニスによって命名された子猫。
シーアはにたりと笑う。
「遂にこの日が来てしまったなぁ。ねこ太」
笑いながら、彼に近づくと。その細い指は、ねこ太の首を転がす。
ごろごろ、ごろごろ。気持ちよさそうな声。
だが、その和やかな彼の日々は今日、この日の終わるのだ。
シーアが終わらせる。
「おいで、ねこ太」
細い手が、軽々と、小さくか弱い子猫の身体を持ち上げた。
女の身体が、クルリと踵を返す。
彼女の視線は、部屋の中心。
そこに、ポツンと置かれているのは。
嗚呼、コンロと、白菜と、豆腐。
――そして、昆布の入った鍋。
ねこ太なんて、すっぽり収まってしまいそうな、鍋。
「君の為に用意したんだぞ?――おいしくなりたまえ」
彼女は口元を吊り上げて笑う。
ああ、そう。彼女は悪魔だ。
今日、この日、彼女は猫鍋を作る気でいるのだから。
ねこ太が「にー」となく。
無邪気のままに、今から自分がどんな目に合うかも知らず。
お構いなしとシーアは、ねこ太の顔を覗き込みながら笑った。
彼女には彼の命乞いなど聞こえやしないし、そもそも彼が何を言っているかも分からないのだ。
シーアは笑う。彼女の手が、コンロに伸びる。
笑って、鍋の側に座り込む。彼女の目には、からの鍋。
少しでも楽に……。なんて慈悲はありやしない。
もっとも最低な方法で、楽しむ。
――これは、アドニスにも絶対に内緒。
彼女が唯一求めていた楽しみなのだから。
彼女は、最後まで笑いながら。
その愛らしくて小さい子猫を、鍋の中に入れるのだ――……
◇
「ふにゃぁぁぁぁぁぁ!!!かわいい!!!かわいいぞ!!にゃんだこれはぁ!!」
部屋の中にシーアの絶叫が響き渡った。。
床に転がって、ばんばん。悶絶。
それを見つめるのは、くりくりの瞳。
何処か呆れかえっているような、まん丸おめめ。
「ねこ鍋」に化したねこ太は、転げまわるシーアを無言で見つめているのである。
シーアは顔を上げた。キラッキラの目でねこ太を見上げる。
彼女の目に映るのは、コンロ(段ボール製)の上で、鍋(拾ってきた)のなか。
クルリと身体を器用に丸め、綺麗に収まっている、可愛い「ねこちゃん」の姿だ。
意外にも気に入ったのか、ねこ太は動こうとはしない。
鍋底に敷いた。ふわふわの昆布のおかげなのは違いない。
ほんとうに、なんて愛らしいのだろう。
「にぁああ!!!ネコ鍋!しょんにゃに可愛くなるなんて!お、おいしい!美味しいよコレは!」
シーア、テンションMax。言葉使いがあれになっているのも気が付かない。
表情をとろけさせて、ねこ太の身体に顔を埋めるのである。
「にゃんて事だ!雑巾の匂いがする!明日にでもシャワーを浴びせよう!」
ただ、ねこ太はちょっと臭かった。
シーア、一度顔を上げる。
こうなれば、すぐにでも猫用のシャンプーとリンスを買ってこなくては。
少年に頼もう。満面の笑顔。
まあ、シャンプーの件は置いといて、今はネコ鍋を楽しもう。
シーアの手が白菜と言う名のタオルに伸びる。
いや、この色見つけるの、大変だったのだ。本当に。
それを迷わず、ねこ太の上へ。なんと白菜鍋の完成。
「にゃぁぁぁぁ!!!」
黄緑色のタオル……じゃない。白菜に包まれたねこ太の何と愛らしい事か。
シーアは歓声を上げる。
まだだ!まだ、まだ!
シーアは丸めたティッシュに手を伸ばす。
それを、鍋の隙間に詰め込んでいるのである。
「……に!」
「――!」
いや、詰め込められなかった。
一個詰め込もうとしたら、ねこ太のねこパンチがさく裂。
手からはポロリとティッシュが零れ落ちる。
シーアは無言になった。
まさか、この自分に物理で物申す相手が居るのは。
アドニスだって、まだ一太刀浴びせられてないのに。
くりくりの目がシーアを非難する。
シーアは。――……シーアは!
「か、可愛い!爪を出さない、にゃんて良い仔なんでしょう!ネコ缶を特盛にしましょう!」
やっぱり、満面の笑みを浮かべて。
やはりその愛らしさから、地面を転がり悶絶するのであった。
◇
「……」
――……と、まあ。それをアドニスが見ている訳なのだが。
何時から?最初からだ。最初からずっと見ていたとも。
部屋の入口、扉を開けて、こっそり、ずっと見ているのだから。
なんだったら。録画しているから。最初から最後まで。
いや。最近、ゴミばかり拾ってきて、何かやっているなとは気が付いていたのだが。
今日、まさか。この日。この現場に居合わせる事が出来るとは思いもしなかった。
忘れ物を取りに来たかいがあったと言うモノだ。
何か、そわそわしているなと思ったら、まさかこんな。
今の彼女が、素だか、作り物だか分からないが。コレは良い画が撮れた。
写真か、動画で迷ったが、後者で正解であったのは違いない。
画面の奥で、転がって「にゃあ、にゃあ」なくシーア。
後で見せれば、彼女は羞恥と苦悩のあまり悶絶するに違いない。見ていろ!だ、なんて。
「……」
しかしとも、アドニスは思う。
「ねこねこ♪にゃがんがにゃんにゃん♪ねこにゃんにゃん♪ねこねこ、にこにこ♪肉球ぷにぷに♪」
ついには歌い始めてしまった彼女を見て想う。
彼女の事だ、見せたら携帯端末を何が何でも壊すだろう。
なんというか、ソレは嫌だ。というか、コレは。
――……これは、誰にも見せずに保存しておこう、なんて。
アドニスは静かに、その光景を1から10まで。全て手中に収めたのであった。
余談だが。今、段ボールのコンロが壊れた。
アイツは最近太り過ぎだ。明日からねこ太のダイエットを始めようと思う。