64話『二の王』終
『二の王』――。
『彼』は愛する孫を皇帝に差し出した。
息子を助けたい一心で『王』は、まだ幼い孫を皇帝に差し出した。
幼いながらも、自身より、一族の誰よりも才を芽吹かせていた愛おしい子だ。
それでも息子の方が大事で、「母」を求め泣き叫ぶあの子を差し出した。
その結果、一族には永遠とも呼べる安寧が与えられる。
今まで通り『世界』に貢献するのなら、犯した愚かしい行動も流し、そればかりか大抵の事は見逃すと言う。あまりにも大きな恩恵。差し出した子が余りに優秀過ぎたからこその褒美。
だから心優し過ぎた息子が死に。
義理娘が壊れ、亡くした夫の遺志を継いで国民に武器をばらまいても、皇帝は自分達を咎める処か。意図して自分達……「オーガニスト」の家を隠してくれた。
情報を隠したのは皇帝だ。
安全な家を用意してくれたのも皇帝だ。
心置きなく発明に没頭できる住み家を用意してくれたのも皇帝だ。
物資を集めるための金を用意してくれるのも皇帝。
街一つを寄越し、名を隠し、全ての痕跡を隠してくれたのも皇帝――。
「オーガニスト」と言う武器商人は、皇帝を表立って裏切りながら、皇帝の手によって守られる。
余りに不条理で、不可解で、腹立たしさと、同時に皇帝に対して感謝と恐怖を抱くには十二分な関係性。
『二の王』はこの状況に何も言えなかった。
口を閉ざし、壊れ切った家族を前に謝罪の言葉を口にするしか無かった。
捨ててしまった孫に、心からの後悔と共に自責の念を抱えるしか出来なかった。
――。そんな人生が10年ばかり過ぎた頃の事か。
何時ものように皇帝が作り上げた『組織』に物資を届けた時の事だ。
『二の王』は捨てた孫と再会を果たす。
一目見た瞬間に気が付いたさ。
息子と自分に良く似た瞳を持ち、母親にそっくりな顔立ちを持つ少年であったから。
孫は科学者として『組織』に在籍していた。
無垢な子供の眩い笑顔で、『二の王』が持ってきた『彼』の発明品をソレは楽しそうに見つめる。
実に己の家系の血が強く出ている男の子だ。
それから『二の王』は孫との細やかなひと時を楽しむようになる。
勿論、自分が祖父であることは言わない。
言えるはずが無いから、言わない。
でも、孫は賢い子だ。気が付いていただろう。
そんな彼が何も言わず、他人として『自分』に接するのは、捨てた『自分』を許していないからと考えて。
それでも『二の王』はこのつかの間のひと時を楽しむ。
孫は彼自身が発明した作品を毎回笑顔で見せてくれる。
それは最早『二の王』が度肝を抜かれるようなスピードで、考えもつかない発明品を。
自慢げに自信ありげに毎回、毎回。
そんな孫の笑顔が何より『二の王』にとって何より大切で、出来る限り見守っていきたいと身勝手に思う程に、唯一の宝物となるのは当たり前の事で。老いた『彼』には孫との時間が何よりもの幸福を感じる時間となったのだ。
ある日の事だった。
『二の王』は孫に問いただした。
駄目だと分かりながらも、我慢できずに問いただしてしまった。
――家族は何処だ?
――家族の元に帰りたいと、思わないのか?
――辛くは無いか?
本当に笑える問いだ。
『彼』が一番問いただしてはいけない言葉。
自分で捨てておいて、なんて……虫が良い言の葉だろう。
この問いに、孫は僅かにも顔を曇らせる事は無く。
息子に良く似た笑顔で言い放つ。
『辛くないよ?だって、今の家は此処だもん。口うるさい父親がいて沢山の兄弟がいる……。寂しくないよ』
……。
……この時に『二の王』は心から安堵する。
だから、『彼』は『王』となる事を決意した。
壊れた義娘が無くした我が子恋しさに、馬鹿げた《王の座》を狙う『ゲーム』に参加したのだ。
皇帝とは長い付き合いだ。かの王がそう簡単に《玉座》を受け渡す事はしない事は良く分かっていた。
『ゲーム』なんて名ばかり。皇帝は犬を潜り込ませるだろう。良く躾けられた、一番の猟犬を。
壊れた娘なんぞ一瞬のうちに食い殺されてしまう。
それにもし、猟犬を掻い潜り他の『王』を殺し《玉座》を手に入れた所で、彼女の欲しい物は手に入ってもソレが良い事だとは限らない。捨てた我が子を胸に抱いても、もう遅い。
少年はもう我々を家族とは見ていないのだから。
少年はもう別に新しい家族を作っているのだから。
我が子を胸に抱くと言う事は少年から家族を奪う事。
同じ苦しみを、悲しみを、再びあの子に課す事となる。
身勝手な大人の事情で、あの子に押し付ける事となる。
それだけは絶対にダメだ。
《家族》を失う事だけは、もう味わいたくない――。
『王』は思った。
少年を失いたくない。
娘を失いたくない。
何より大切な家族を、守りたい。
だからこそ、男は『二の王』を名乗ったのだ。
娘を押しのけ、無理矢理自ら『王』の名を賜った。
皇帝とは最初に話を付けてある。
面白い物を見せるから、これまで通り一族の安泰を。
あれでも昔からの友人だ。最後の老人の願いぐらいは叶えて欲しい物だ。
『二の王』は本心を隠してゲームに参加する。
掲げる者なんて幼いころの夢で良い。馬鹿げた夢で良い。
負ける前提で挑むゲームだ。全力は尽くすが、自分は確実に死ぬ。
それでも「オーガニスト」と少年が無事であるならば、それだけで良いと切に願おう。
『まってよ、爺さん。僕にも手伝うよ』
だが、唯一の想定外と言うなら、何よりも助けるべき少年が当たり前に自分の味方をしてきた事。
『二の王』は気が付かなかったのだ。
少年が、自分に似て誰よりも『家族思いの心』を持っていた事に。
彼が、いつも会いに来てくれている老人の正体に気が付いていた事も。
『僕も見てみたいんだ。人間が化け物に勝つところ』
気が付かなかったからこそ、必死に食い下がって引こうとしない少年が零した言葉を鵜吞みにして。決して自身の正体を悟られないと言う約束の元、手伝いを頼んだ。
少年が自分の適当に上げた《夢》を本気にしていた事にも全く気が付かず。
どうして彼が危険を冒してまで自分の手助けをしてくれたかも分からず。
少年の真意に気が付いたのは最後の瞬間。
震える声が問いただしてきた時。『二の王』の本当の願いを聞きたいと少年が子供の様にせがんできた時。
もう既に覚悟を決め、裏切り者と言うレッテルを背負っていくと――少年は受け入れた上で、こんな馬鹿げた老人の意地に付き合ってくれたのだと、あの瞬間に初めて『二の王』は理解した。
自分もまた、少年からすれば大事な家族であったのだと……。
間違えた。気が付いても、もう遅い。
だから『二の王』は掲げていた本当の願いを口にする。
――家族を守りたかった。
本当に、ただそれだけだった。
間違えたと後悔をする老人の前で、愛する孫は言う。
――ありがとう。爺さん……と。
最初で最後の家族に対しての感謝の言葉を贈る。
後悔なんて言葉はもう通り過ぎた。
もっとちゃんと彼と話をしておくべきだったと。全ては彼の為だったのに。
もう二度と彼の安否を知ることも出来なくなるから。もう、その未来は無いから。絶望にも似た感情が溢れた。
――それでも、
愚かしくも絶望と同じほどの喜びが身体を包んだ。
単純に送られた言葉が、心の底から嬉しくて。
嗚呼、本当に自分は身勝手だ。『王』は自分自身に呆れかえる。
――アドニスは其処まで甘くも、弱くも無いよ……。
最後に、消えゆく意識の中で、戦いの最中孫が感情を露わにした言葉を思い出す。
ぼんやり浮かぶのは黒い怪物としか言えない少年。
全くだ。彼は実に、素晴らしい才能であった。
人生最後で巡り合えた怪物に心からの賛美を送ろう。
それでもと、願う……。
心の無い怪物。
最愛の孫の大事な兄弟。
彼に願う。
ほんの少しで良い、《兄弟》には甘さを見せてあげて欲しい。
どうか、どうか……。
家族を助けてくれますように――。
先の見えない未来を、大切な宝物を想いながら、男は。
『二の王』アルバ・オーガニストは静かに最後を迎えた。