60話『二の王』12
アドニスは呆然と彼女の蛮行を目にしていた。
いや、シーアが自分から銃を奪い取った時点で嫌な予感はしていたが。唯一の武器であった銃は彼女の手の中で無残にも真二つ。更に彼女は手に持つソレを床に叩きつけるとガンガンと踏み壊す。
狙撃銃であったのはいとも簡単に「狙撃銃で合ったもの」に変貌し、木っ端微塵へと変わりはてる。
――なんて、酷い……。
「ば!何しているんだ!!」
「なにって、言っただろ?近距離で戦え……って!」
「馬鹿だろう!馬鹿め、この馬鹿女!!」
とりあえず思い浮かぶ言葉を並べて投げつける。
あまりにアドニスが「バカバカ」と言うモノだから、シーアも頬を膨らました。
「にゃにさ!酷いな!こっちは君の蛮行を止めてやったのに!」
「蛮行はどっちだ!」
シーアに対して、手にしていた小さな瓦礫屑を軽く投げつけながら、バラバラになった銃に手を伸ばす。
だが、見るも無残。組み立て式と言うが、もう破片と化した銃ではどうにもならない。
アドニスは唯一の武器を失った訳で、シーアを恨みがましく睨むのは仕方ない事だろう。
「何を考えている!」
吠えるように彼女に掴みかかる。
それでもシーアは平然とした面持ちだ。
いや、僅かに不服そうに頬を膨らましているが。
赤い瞳が真っすぐに黒い眼を見据え、胸倉を掴む手を振り払ったのは十秒も経たないうちだ。
細い指がアドニスに向けられ、シーアが呆れ口調で言い放つ。
「君が実力にも合わない武器を使うのを阻止してやったんだろ!負けるよ!負けたいの?君!」
「――う」
その一言で、アドニスの熱くなった頭は僅かに冷静さを取り戻した。
それでもシーアは止まらない。指で示しながら言い続ける。
「真っ向勝負はいいよ?被弾して腹が立って、受けて立ってやるつもりだったんだろ?暗殺者としてはどうかと思うけど、別にいいさ!」
「う、なあ……」
「それが男の子って物だって聞いているからね!」
次は、更にぐうの音も無い事実をぶつけられた。――バレていたのか。
「でもね、君さぁ。真っ向勝負を仕掛けたいのなら、そんな下手糞な物に頼らなくたっていいじゃないか」
「へた……!?」
「下手糞だとも!!!」
次は、はっきり、ばっさり、ぐっさり、言い切られた。コレでもかと言わんばかりに。
粉々となった、銃を指差して更に彼女は続ける。
「君はさ、接近戦の方が得意なんだよ。自分でもわかっているだろう?」
「そ、それは理解している」
そりゃ、アドニスは近距離、接近戦の方が得意だ。
銃は幼いころに叩き込まれたものに過ぎない。
正直、ちゃんと暗器として扱ったのも今日で二回目。
「君は人で言えば天才なんだろう。一週間もあれば、その銃だってプロ以上に扱えるさ」
……でも、と彼女は腕を組みながら言う。
その続きは言われずとも分かっているつもりだ。
「分かっている……」
だから遮る様に言う。
先ほどまで熱くなっていた頭は完全に冷めて、黒い眼が窓に向けられた。
「今の俺じゃ、今の相手には敵わない」
「――そうだ。相手の男は、今の君より射撃の腕が遥かに良い。今までの全て、無駄撃ちだ!」
再び、彼女はハッキリと言い切った。
この言葉にアドニスは俯く。
正直な所、最初から気が付いてはいた。
あまりに正確に自身の肩を射貫かれた時。そしてそれは自身が発砲した弾を見事なまでに撃ち落された時に確信へと変貌していたのだが。
「この短時間で追いつけると思っていたのだろう?」
まるでアドニスの心中を読み取ったかのようにシーアが言った。
これまた、ぐうの音も出ない……正論だ。
何も言わないアドニスにシーアはやれやれと手を上げる。
「ま、君なら出来ると思うけどね。――でもソレだと弾数……足りないんじゃない?」
彼女はどうしてこうも、正論で切り付けて来るのか。
全てシーアの言う通りだ。窓の外、向こうのビルを僅かに眼に映す。
敵、オーガニスト。彼は凄腕の狙撃手だ。これは間違いない。
自分は銃の扱いはヘタでありオーガニストの足元にも及ばない。コレも事実。
ソレを理解しながらもムキになって、彼に挑戦したのも、また事実。
そして、後手持ちの弾が30発もあれば、そんな彼に追いつけると言うことも、事実。
「相手は君の良い鍛錬相手なのかもしれない?でもね、今は違うだろう?」
シーアが言う。
「今はあの相手をどうやって殺すか……だ。――銃だと到底かなわない」
「……わかっている」
冷静になった頭でアドニスは大きく頷いた。
黒い眼がシーアを映し、一度だけ申し訳なさそうに目を逸らす。
「……悪かった……」
この言葉に、シーアがにたりと笑う。
何てことない。彼女は暴走した自分を止めてくれたのだ。
全てが彼女の言う通り、確かにアドニスはオーガニストより狙撃の腕は劣る。もう少しすればオーガニストを凌ぐ事が出来るだろうが、だがその前に弾切れでアウト。
最初から銃なんて意味も無い代物だった。
シーアは笑ったまま、いつの間に盗んだのだろうか、胸元にアドニスの何時ものナイフを取り出す。
いや、このナイフは最初に飛行体に投げ飛ばしたものだ。彼女が拾ったのだろう。ナイフの柄をアドニスに押し付ける。
「だったら話は早い。今から遠距離戦から近距離戦へと変更だ」
「――」
言われずとも、アドニスはナイフを手に取った。
冷静になった頭は切り替えが早い。
即座に壁際に寄り、鋭い眼で向こうのビルを睨み、肉眼でオーガニストの位置を把握。
距離三キロ弱。高さ40mちょい。移動したな?……13階、右から4番目の個室。
スコープで覗き見るよりもはっきり見えると言うのは皮肉だろうか。
ここからあの場所まで3分ほどか。
ビルの下まで一気に此処から飛び降りて、目標の建物まで一気に走る。
その間、敵は発砲してくるだろうが、心配はいらない。もう場所は割れているのだ。弾丸など無いに等しい。
計算する。
「……5分もあれば、仕留められる……」
――と。ナイフを握って、アドニスは身体に力を込めた。
「あー。まてまて、待ちなさい!」
そんなアドニスをシーアが慌てたように止めるのだが。
「……なんだ!」
やる気の所を止められたのだ。アドニスは苛立った様子でシーアを見た。
シーアは笑う。笑って、ナイフを指差す。
「言っておくけど、そのナイフは防御以外で使っちゃだめだよ?殺すなら素手でやりな」
「――は?」
「それから、走ってあのビルに向かうのは禁止~。つまんない事しないでよ」
「――はあ?」
硬直するアドニスに彼女はニタリと笑い言う。
「だから、此処の場所から『降りる事はせず』に『素手で』あの男を殺してみろ……ってこと!」
――なんて無茶振りだろうか。
◇
「――馬鹿じゃないのか!?」
勿論だが、シーアの無茶振りに対してアドニスの一言目はこれである。
いや、当たり前だ。シーアは頓智なんてレベルを軽く超えた難題をアドニスにぶつけて来たのだから。
『ここから降りずに、素手で殺してみろ』?
いったいどうやって熟せと言うのだ。
「お前の言っていることは、一秒の間に数キロ離れた2人の人間を同時に殺せと言っているものだぞ?」
「なんだ、そうだな。出来んのか?」
「出来ないから文句を言っているんだろう!!」
食いかかる様に怒鳴り込むもシーアは平然。
……この女、その顔は出来ると言う顔だ。――化け物め!
そう思ってしまうのも仕方が無い。
思わずとアドニスは窓の外へ指を差し。
「見本!」
「ええ?」
「見本を見せろ!!お前が此処から素手であの男を殺せると言う判断が出来たらやってやる!!」
後で後悔しそうな一言。
この言葉に、シーアは溜息を付いた。
「仕方が無いなぁ」
そう、静かに笑みを湛えて。
「あ、しまった」と気付いたが襲い。
シーアは壁際から悠然と窓の側へ。まるで誘い込むように立ったのである。
誘う様に佇むと右腕を窓へと差し出す。
コレを見逃さない敵はいないだろう。
獲物がのこのこと姿を無防備な姿であらわしてくれたのだから。
数秒の間も無かった、破裂音が一つ――。
銀の弾丸は真っすぐにシーアを狙い飛ぶ。
標準は頭。狙いは外れていない。だが、
相手側のスコープの向こうでは、赤い瞳が糸のように細り、口元に避けるような笑みが映っていた。
シーアは指を跳ねらす。
表すならデコピン。ソレを一つ。
細い指先が、迫る小さな銀弾の先端に当たる――。
――。その瞬間に、音と言う音は全て掻き消された。
小さな爪先に鉛玉が当たった時、たんぱく質の塊とは到底思いも出来ない音が鳴り響き、弾き返す。
オーガニストの放った弾丸が鉄砲弾なら、彼女のカウンターはミサイル弾。正に流星。
銀弾は一本の白光を帯びて線を描き、宙を駆ける。
線を描いた一発は、翠の目に何とか映し撮る事が出来るぐらいの本当に一瞬の出来事。
光が男の額を撃ち抜くと同時。目もまともに開けられないほどの光を放ち包まれ、途轍もない爆音と共にビルごと……はじけ飛ぶのである――。
――。と、まあコレがシーアの理想。
「あれ?あっれぇえ!!?」
現実は残念。
爆発が起こる処か、弾も弾き返す事は出来ない。
シーアが窓を見るが、三キロ先。オーガニストはピンピンしている。
いや。……オーガニストは驚いた事に違いないだろうが……。
「なんでぇ!?絶対弾き返せると思ったのに!!」」
「……」
窓際に寄り、シーアはキャンキャンと叫んだ。
窓から身を乗り出し、なんで、どうして?叫んで地団駄を踏む。
本気で彼女は弾き返すつもりでいたのだ。
――と言うか、彼女……。見えていなかったと言うのか?
アドニスは唖然と彼女を見る。
この少年はハッキリ見えていたぞ。
飛んで来た弾丸の末路。
オーガニストが放った弾丸は、確実にシーアの頭を狙っていた。
ズレもなく、あのまま行けば彼女の頭は弾き飛んでいた事だろう。
その弾丸を、細く折れてしまいそうな指先が弾き返すまでは……。
そう、シーアの指先は確かに銃弾に命中していた。
ただしかし……。彼女の指先、端っこに僅かに触れた瞬間に弾丸には罅が入った。鉛玉に、だ。
あの鉄の弾に、細々とした罅が入り、次の瞬間に粉々に砕け散る。それが今の一瞬の出来事。
へしゃげた、潰れた、ならまだ分かるが。
鉛玉を粉々に粉砕する女は初めてだ。
そればかりか、アドニスは愕然と窓を覗き込む彼女を見据える。
ばん、ばん、ばん……と幾つもの発砲音。弾が空を飛び、全ての弾が狂うことなくシーアに当たっていた。
ソレを彼女は、今度は手で受け止めることも無く弾き返していくのだ。
白い柔肌に幾つも被弾しておきながら、全てを弾き。白い肌には僅かな傷さえも付けやしない。
アドニスは心から思い、口走る。
「……ゴリラと言うのは、指まで筋肉か……」
つい。ついだ、つい。
思わず本心が吐露してしまった。
瞬間、アドニスに向けられる赤い瞳。
びくりと震える肩。
しかし心配と裏腹にシーアは楽しそうに笑む。
「おお、実に面白い例えをするな、少年!」
信じられないかもしれないが、本当に心から興味が無い様な言い回しだ。
狙撃に関しては、無駄だと相手方も判断したらしく既に止んでいる。
シーアはクルリと身体をアドニスに向け、歩み寄り彼の前で止まると細い腕を彼へと伸ばす。
その身体が震えるのは仕方が無い事だ。反射的に防御に入った。
だがやはりそんな物、要らぬ心配。
とん……と本当に小さく僅かな衝撃がアドニスの額に響く。
彼女の人差し指と中指が突いた音。
黒い眼に笑顔を浮かべる彼女が映り、頬に冷や汗が流れ落ちる。
「そのゴリラに鍛えられたのが君だ。なあに、私の注文は別に頓智じゃない。今の君には至極簡単な事さ」
赤い瞳が妖艶と耀く。
その赤を見ながら、アドニスが何かを察したように顔を歪めていくのは数秒の事。
「できない。なんて言うなよ?一個の大陸を数時間で走り抜ける怪物だ。――それと比べたら、簡単だろう?」
此方が文句を言う前に、「ニタリ」。
彼女は口が裂ける程に笑って言い切った。




