57話『二の王』9
「――くそ!!」
銃弾が小型飛行機から飛び出した瞬間、アドニスは腰からナイフを抜くと迷いもなく一気に投げ飛ばす。ナイフは一寸のずれも無く飛び向かい。その切っ先は機械の大きな目玉に命中し、同時に鮮血が飛び散った。
『ひょ、おてき、か……かくにん、かく、かくに、ん』
壊れた言葉が紡がれバチバチ電気を弾き、からから回っていたプロペラが止まる。
何度も同じ言葉を流しながら、機械は音を立てながら床へと音を立てて落ち。レンズの隣にある小さな光は消え去ると、飛行物体は完全に停止した。
「っ――!」
険しい顔でアドニスは、止まったソレを睨み。そして右足に手を伸ばす。
太もも、黒いパンツには穴が開き。焼けるような激痛と共に、赤が滲み広がる。
――撃たれた。
その事実と実感を。
今まで怪我と無縁に近かった少年が受け止めるには、僅かに時間が掛かり。――いや、そもそも銃撃されたなんて誰が受け止められようか。
銃なんてモノは玩具と同じ、吐き出される弾は全て空飛ぶ蝶程度。そんな物に被弾するなんて――。初めて感じる焦りと痛みに、思わず苦悶を浮かべる。
その一瞬のスキを、狩人は見逃さず、
手にしていた狙撃銃の引き金を迷いなく引いた。
今までひた隠しに身を潜めていた意識が、スコープ越しに殺気となって膨れ上がり。誰も居らず、寂しい廃墟の街の色は一瞬にして氷点下まで下がり凍り付く。
言い表すなら鋭く切れ味の良い一本のナイフ。
「――!」
そんな殺気を、化け物と呼ばれる子供が気付かない筈が無い。
アドニスの眼は大きく開かれ、瞳孔が大きく広がる。
崩れ落ちた壁の先。遥か向こう、見える筈も無い相手を……。
違う。
――見えた。
ハッキリと。
距離、三キロ先。寂れ切った道路と沢山の建物を挟んだ先。
今現在いる廃墟よりも、数段高いビルの一部屋。黒光りする銃口。
白髪頭、整えられた髭。年齢60過ぎ。中老の、男。
口元に静かに笑みを湛えながらも、その眼光からは間違いなく殺気が溢れ出している。
――目に入ったのは男だけじゃない。
太陽の光で耀くのは銀色の銃弾。それが3つ。
避ける、なんて言葉が思い浮かぶ前に。
三発の銀の弾丸は、目の前まで迫っていた。
◇
身体が思い切り右に引き寄せられる。
アドニスの身体は傾き、倒れ込んだ。
その彼の隣を銃弾が飛び行く。
一発が頬を掠め、二発目が壁に。
そして、最後に今度は左肩に激痛。
「ぐ……ああ」
再び鮮血が飛び、足に感じた物と同じ痛み。
アドニスの口からは悶えるような苦痛の声が漏れた。
太ももから手を離し、肩に手を伸ばし傷口を抑え込めば、鈍い痛みと共に血が隙間から止めどなく流れ出る。
だが、痛みに身を丸めている暇なんてない。
アドニスは一瞬壊れた壁に視線を移すと、身体を起き上がらせ、痛む手足を無視し。側にあったケースを手に取ると同時に、盾に出来る壁がある僅かな隙間へと飛びのいた。その瞬間。彼がいた場所に再び弾が飛び、床に穴を開ける。
アドニスが身を隠せば、弾丸は止んだ。しかし向けられる殺気は一向に収まらない。壁にもたれ掛かりながら、少年の額には冷や汗が流れ伝う。歯をコレでもかと噛みしめ、壊れた壁の先を覗き込むように視線を巡らせた。
「おや、当たってしまった」
「――っ!」
直ぐ正面から声。
視線を前へと戻せば、シーアが顔を覗き込ませている。
その視線は、血が溢れでるアドニスの肩に向けられていた。
「君が呆気に取られていたからね、しっかり引っ張ったつもりだったんだが」
「――いや、良い。……礼を言う」
先程アドニスを引き寄せたのは彼女だ。
一発目の弾が頭に当たると言う直前に、シーアが彼の腕を引いた。結果、ヘッドショットだけは免れた訳だが――。彼女は首を傾げる。その謎に答えたのはアドニスだ。
「……一週間前のドウジマの銃撃を覚えているか?」
「ドウジマ……?」
「“おじさん”だよ。お前が『組織』を襲撃した時の事」
「ああ、はいはい。うん、覚えてるよ。私が掴み取ったアレね」
羽織っていたコートを脱ぎ、破る。
腕と足、傷口に縛りながら続けた。
「アレと同じだ。俺が避けるだろうと見越してわざと、ずらして撃ってきやがった」
「……にゃるほどー」
「……ああ、そうだったな。お前には無駄話だ」
一週間前、ドウジマの銃撃を真っ向正面から掴み取った彼女には実に無駄話。
だがシーアが助けたのにも関わらず、アドニスが銃弾を浴びたのは同じ理由だ。
先程見えた狙撃者はドウジマと同じ手を使った。
詳しく記せば、一発目で頭を狙い。二発目で心臓を。そして三発目を敢えて右にずらし撃ち、それがアドニスの肩に当たったと言う事に成るのだが。
「でもさ、それって君が右に避ける事を想定したってこと?」
「……なんだ、分かってるじゃないか」
応急処置を終えれば、アドニスは顔を顰めながら手前のケースを開く。慣れた手つきで、狙撃銃を組み立てながら無理矢理笑みを湛えた。
――狙撃者は、此方が右に避けると推測して攻撃を仕掛けて来た。シーアの言う通りだ。
ただ自分がいた先程の場所をみる。
部屋を見るに、先程いた場所から左側には銃撃から身を守れるような物は1つとしてない。反対に右側には、現在身を隠せている壁が存在している。
この場合、誰でも右に避ける選択をするはず。推測なんて簡単であっただろう。
……いや。
アドニスは思う。
恐らく、狙撃者のあの男は最初の一発にこそ驚いた筈だ。
アドニスの頬を掠った事に。
現に4発目。発砲迄、妙に時間が掛かっていた。
此方は倒れ込んだのだ。絶好の標的であっただろうに。
その間のおかげで、体制は何とか立て直せたが。
アドニスは顔を歪ませた。
一発目に関しては不覚の一言。あんな弾に殺されかけたなんて、自身でも信じられない。黒い眼が赤い女を映した。
「俺からも聞きたいことがある」
「――なんだい?」
シーアに疑問を向ける。
「お前、今回は如何した?なんで言わなかった?」
それは彼女があの男の存在について何も言わなかった事だ。
いつも言っていた【色】とやらで男の存在は把握していた筈だろうに。『一の王』の時もそれで三キロ先のジョセフを見分けていたと彼女は断言していたから。
この問いにシーアは僅かに眉を寄せた。
アドニスが自分に頼ったから……じゃない。
「見えなかったんだよ」
「……は?」
「【色】が見えなかったんだ。断言する。今の今まであの男の存在は私にも分からなかった」
口を噤む。
この女は無茶苦茶だが人知を超えた能力だけは本物だ。
まだ【色】とやらの意味は理解できていないが、彼女はどれほど遠距離でも人間を見分ける能力を持ち合わせている。アドニスも向けられる視線には敏感な方だが、彼女のはそれ以上。別の何か。
その彼女が気が付かなかったと?
シーアが頷いて肯定する。
「これは私だって驚きだ。なんだい、あの男。姿を隠すなんてレベルじゃないぞ?」
「それは、俺も同じだ……。あそこ迄存在を隠すことが出来るなんて――」
「存在を隠す?」
遮る様に赤い瞳が大きく開く。今度は首を横に振る。
「違うよ、少年。アレは存在を隠すなんて芸当じゃない。前も言っただろう、私は【魂の色】を見ていると。つまりだ、この瞳にはあの男の《魂》が映らなかったと言う事に成るんだ」
相変わらず興味が無い瞳で、しかし顔には心から信じられないと言う色を浮かべ彼女は言った。
「あの男、今まで死んでいたに等しいんだよ。そんな人物、見たのは二回目さ。それも――」
「分かってる!」
アドニスの怒号にも似た声が響き遮った。
これ以上は無駄話だ。
焦った手つきで何とか完成させた狙撃銃を手に黒い視線は窓に向けられる。
今の相手は、あの男……オーガニスト。
集中しなければならない。敗北が頭を掠めた。
壁の間から僅かに顔を出し、銃を構え、標的を捉えようとスコープを除く。
アドニスは直ぐに唇を噛みしめる事となった。
銃弾が飛んできた方角、場所は直ぐに捉えたのだが。しかし標的はいない。右を探し、左を探す。それでも見つからない。何処にもいないのだ。
遅かった。そんな事はもう分かっている。
最初に狩人に捉えられたのは此方だ。
遠距離戦となれば、先手を取った方が有利。
何せ敵の位置を把握してスタートできるのだから。随時相手の動きを確認しながら移動し、相手が此方を探し回っている間に狙撃できる。
距離は三キロ。発砲音は聞こえず。撃ったと同時にその場を離れれば、今のアドニスの様に翻弄させる事も可能。
銃撃を避けられても先と同じ。相手が右往左往している間に再び攻撃すればいい。この世界では、階段での移動なんて1分もあれば十分なのだから。何処からでも相手は攻撃が可能となる。
――完全に出鼻を挫かれた。
アドニスは最悪な形で、後手に回った訳だ。
その瞬間にもビルの向こうからは銃弾が三発、閃光を纏い飛んで来る。
今度はその耀きは目で追え、避ける事が出来たが、相手方の場所が特定できない。
今の狙撃は、先程よりも上の方角からだった。
上に移動しているのか――そう思い、銃口を上へと向けるがやはり見つからない。
だが、早く見つけなければ――!
「少年、下」
「――!?」
首根っこを引っ張られた。
アドニスの身体は後ろへと下がり、同時に鼻頭をすれすれで下から弾が飛んで来る。
思わずと下に視線が向かえば、目に映ったのは丸いレンズの空飛ぶ機械。
言わずもがな、先程と同じもの。
――まだあるのか。
その考えと共に体制を即座に整え、アドニスは銃口を機械に向け躊躇もなく撃つ。
弾は問題なく飛び出し、銀の銃弾が当たると小さな機械は砕け散り、煙を出しながら落ちていった。
それをしっかり確認する暇も無い、アドニスは身体を引っ込め壁に身を隠す。向こうビルから飛んで来た弾が腕ぎりぎりを掠める。ぎりっと歯を噛みしめアドニスは顔を上げた。
「――この場は引くぞ!」
三キロ先にスナイパー。周りには殺気も出すことも無い物体。
アドニスの下す決断は1つしかない。シーアに声を掛けると同時。銃を手に、痛む足を無視して地面を蹴り上げると、部屋の出口へ飛び込む。
再び射撃され、頭ぎりぎりを通り越したが、気に留める暇も無い。
今は此処に居る事がまずい。
その一心での行動。先の事が上手く頭に浮かばなかった。
彼にとって、怪我なんてモノは余りに初めてで。
そんなモノを自分に付けられる存在は彼女しかいないと思っていたからこそ。
だから、頭が真っ白になって受け身に入る事しか考えられなかったのだ――。
そんな少年の様子を見て、小さな溜息がルビーの唇から零れる。
殺気が無い?関係ない。赤い瞳には、廊下の先に待つ出来事が見えていた。
それを防ぐために、
「――『アドニス』……。君、焦り過ぎだよ」
実に呆れた声色で、渋々と言う様に、その魔法を呟く。