49話『二の王』1
『二の王』
かの王の素性は謎に包まれている。
何故、どんな《正義》の元に『王』に志願したかも不明。
容姿、年齢、出身地、家族構成、何を目論んでいるのかも全て不明。
その情報は『世界』でも集めきれず。『10の王』の中では、無に等しい人物である。
王の名は『オーガニスト』
『世界』で最大の武器商人であり。
その武器の類は平等に『世界』の各街々に流出し
『組織』で使われる武器も、元は彼からの物だ。
◇
アドニスの素性が敵方に流出している。
この意味を理解するには、僅かな時間も必要なかった。
彼の不手際か。違う。
エージェント達は自身の素性をひた隠しにする。いつも気を張り巡らせ、自分に近づく人間は一切信用せず、偽物を身に纏い日々を過ごす。少しでも尾行をするようなものがいれば、自分を探る様な人間がいれば、その人物は遠からず全てを抹消されるだろう。
誰にも「バレない」のではない。「バレたら消す」
ゆえに、彼らの素性は誰にも知られない。
アドニスも要心を怠る事は、一切一瞬たりともしなかった。
任務中は勿論。1人でいる時も、他のエージェント達が側に居る時も、シーアと言う女が現れた時も。この警戒と言う傾注を怠り、素性が暴かれ様モノなら、それは暗殺者として終わりだから。
だからこそ断言しよう。
この一週間、いや。『ゲーム』が決定されてから、この時まで。アドニスを尾行する者処か、探る様な真似をする人物は一切居らず、その気配すら居なかった……と。
結果、否が応でも一つの推測に辿り着く。
エージェントの情報を。
アドニスと言う情報を流した裏切り者がいると言う事実に……。
それも『ゲーム』と言う極秘任務を合わせれば、その人物は容易に想像がつく。
◇
「――バレた、だと?」
『組織』の一部屋。
豪華な執務室なんかじゃなくて、8畳ほどの石作り。
簡素なベッド、安物の酒が適当に並べられた棚。
そして書類と言う書類が積み重なった机がある至って普通な個室。
その机に向かい、頭を抱えていたドウジマは、アドニスの言葉に眉を顰め彼に視線を向けた。
「……どういうことだ」
再度問われる。
溜息の後、封筒を彼に投げ渡しながらアドニスは口を開く。
「そのままの意味だ」
「……」
ドウジマは封筒の中身を確認するなり目を見開いた。
顔を顰め口元を噛みしめると、今度は目を閉じ大きく息を付く。暫くして緋色の眼がまたアドニスに送られる。
それは、事態に気が付いたと言うのには十分な反応だ。
彼の様子にアドニスも僅かに眼を細めて、何かを探る視線を浴びせる。
ドウジマが口を開く。
「これが、お前の自宅に来たと?」
「ああ」
緋色の眼が僅かに困惑の色を浮かべた。それは手紙じゃない、アドニスの視線が原因だろう。ドウジマに送られる、黒い眼は殺気の混ざる疑いの視線だ。その視線の意味を理解できない馬鹿は、この『組織』にはいない。
ドウジマは何も言わなかった。唇を噛みしめ、目を伏せる。それが数秒。
小さく溜息を付いて彼は首を横に振る。
「なるほど、な」
一度呟くと、手に持つ封筒をアドニスへ返す。
椅子に深く腰掛け、腕を組み言う。
「……ああ、肯定するよ。確かに俺はお前の住み家を知ってる。上官代理を押し付けられた時に、エージェント達の情報は頭に叩き込んだ」
それはアドニスが推測した通りの答えであった。
アドニスと言う素性を知る人物はい居ないに等しい。だが、知っている人物は少なからず存在する。
皇帝陛下と、それとアドニスの上司。《上官》と呼ばれる立場の者達だ。
彼らは『組織』のトップ。組するエージェント達の情報を知らない訳がない。
年齢から本名迄、何の任務に辺り、今何処にて、何処で暮らしているか。すべて把握し、統率を行うのが『組織』のトップの仕事であるからだ。
本来はマリオと言う男の仕事であるが、今はドウジマがその《トップ》。彼がアドニスの情報を知っていても、可笑しくはない。
――つまり、この男は『組織』を裏切り、『10の王』に此方の情報を流した可能性がある。
だが、ドウジマはアドニスが動くよりも前に続けた。
「けどな、俺じゃねぇぞ。お前は今回の『ゲーム』で唯一の『国』側の人間だ。そいつを売るって事は、陛下を裏切ったと同列。そんな馬鹿な事出来るか。こちとら30年は陛下に使えているんだぞ」
彼も今の自分の現状に、アドニスの心情に気が付いているからこそ。もっともな反論と共に真っ向から自身の容疑を否定する。
確かにドウジマは、今の『組織』の中では古株だ。
アドニスがこの組織に入った時から彼はエージェントとして、その身を『組織』に置いていた。6年前はアドニスの指南役でもあった程。
……しかし、それが何だと言うのだろうか。
ドウジマの発言にアドニスは心底呆れたような表情を向ける。
「たかが30年だろう?」
「たかが、って……お前な」
「むしろそれだけの年月が有れば、心情が変化する可能性の方が高い」
年月?それで裏切らないなんて理由にはならない。
人間なんて移り変わりやすい物。この反論もまた論破できない事実。
違うと言おうにも、決定的な証拠が無い。物的証拠が無ければ、意味がない。
少年の言葉に、何かを考えるようにドウジマは目を伏せた。
それも僅か。彼の緋色の視線は側にあるデスクへと移る。
手を伸ばし、一番上の引き出しから銀色の物体を取り出すと。それを躊躇もなく、アドニスへと投げ渡す。
手に収まったソレは、銀色のナイフ。
殺気の籠った黒い眼が緋色の眼を捉えた。
ドウジマの顔は何処までも無表情だ。
だが、眼には決意に溢れ、殺気と言うモノは微塵もない。彼は静かに椅子に座ったまま両手を広げる。
「なら殺せ、疑わしくは殺す。それが、暗殺者ってものだ」
まるで諭すかのように、教えを与えるかのように彼は言う。
違うか。アドニスの目が細まった。……自分はこの男にそう教わったのだったな、と。
アドニスからすれば、自分の情報を売った人物は裏切り者だ。
それも皇帝陛下の王の座を狙う『10の王』に売ったとなれば、それは皇帝陛下を裏切ったと同じ。
エージェント同時の殺し合いは禁止?
裏切り者は同胞じゃない。
だから、アドニスにはドウジマを殺す権利がある。
なに、簡単だ。ドウジマは罰を受け入れた。その首を撥ねればいいだけだ、ナイフを構える――。
「……いや、無いな」
小さな舌打ち。
アドニスは、ナイフの刃を下に向けると腕を下ろした。
クルリとナイフを回転させると、柄をドウジマへと差し出す。
「疑って悪かった」
「いや、お前の行動は最もだよ」
差し出されたナイフを受け取りながらドウジマは言う。
漸く消えた押しつぶされんばかりの圧と殺気が消えたことに胸を撫で下ろしながら。ナイフを仕舞い、緋色の眼がアドニスを映す。
「だが、よく俺を信じる気になったな。お前は殺しに関しては徹底的だし、仲間意識とか無いだろ?」
流石は上官様だ。此方の事を良く分かっている。
こちらの情報を売った人物がいる。これは紛れ様も無い事実だろう。だからこそ本来であるなら、少しの疑いがあれば同僚でも上司でも平気で殺していたさ。殺すのが正しい。アドニスはそう判断している。
ただ、それが普段であればの話だが。
今は状況が違う。普段なんてモノは今は存在しない。
アドニスは溜息交じりに、先程から背中に抱き付く女を指差した。
むっすりとした表情を浮かべ、唇を不服そうに吊り上げているヒュプノスを、だ。
ドウジマは敢えて指摘しなかったのだが。アドニスは言う。
「この女が居たから状況が変わった」
「ヒュプノスが?」
頷く。
「お前も分かっているだろう。この女の腹立たしい能力」
「……心を、読むか?」
少しの間も無く、ドウジマが言い当てる。その通りだ。もう一度頷く。
「こいつの能力は、どういう仕組みかは分からないが人の心を読むだ。隠し事なんて出来やしない」
「そうだな。実に厄介な特殊能力だな」
「――だからこそだ」
ドウジマはシーアの能力を知っている。
心を読むなんてふざけた能力を、だ。いや、この『組織』のエージェント達は殆どが彼女の餌食になった。だからこの人知を軽く超えた能力の事は誰もが知っている。
そんな人の心を読む事が出来る人物が目の前に居る、となれば。
「自分が犯人だと諦めて自白する奴はいても、否定した挙句、あんなに堂々と自分を殺せと命じる奴はそうはいないだろ。……ただ、其れだけだ」
それに、先程のドウジマの覚悟は誰からどう見ても本心だった。……これは隠しておくが。ドウジマは微かな笑みを湛えて、納得したように頭を掻いた。
「ま、その女を見たら大体は諦めるわな。――俺は諦めた」
サラリと暗殺者としては情けない言葉を放ってから。
で、と腕を組み直したのは直後だ。
「その手紙は本物なんだろ?どうしたいんだ?」
緋色の視線の先には白い封筒が映っていた。
残念なことにコレも本物だ。そして、アドニスの考えも変わらない。
「――組織内に裏切り者がいる。把握しておく必要がある」
「殺す、の間違いだろう」
ドウジマの指摘。僅かの間も無い。アドニスは「ああ」と肯定する。
そんな少年の迷いない一言に、ドウジマは苦笑を一つ。机の上にあった煙草を一本取り出すと咥え火をつける。部屋中に充満する煙。
少しして、緋色の眼が悩ましげな物へと変貌した
「しかしな、お前の……エージェントの素性を知る人物なんてそうはいないぞ?」
煙草を加えながら、ドウジマが言う。
今回の犯人は彼では無かった。では、次の容疑者が問題となる。
悩む必要などない。簡単だ。煙に僅かに眉を顰めながらもアドニスは迷いもなく発する。
「上官様は何処に居る?」
――本当に迷いもない一言。
気持ちは分からなくもないが、とドウジマは頭を掻いた。
簡単な答えだ。ドウジマは違う。
だとすれば次に怪しいのは本来の上官様、マリオ。
「上官はまだ屋敷に閉じこもっているよ」
「どこだ?」
「やめとけ、やめとけ。あの男にそんな度胸無いのは知っているだろう?」
あっさりと否定される訳だが。
確かにマリオの可能性は低い。これはアドニスも重々承知だが。しかし、可能性があるなら出向く必要があるのも事実。
そんな少年の様子にドウジマは、少し悩んだ様子の後に口を開いた。
「と言うかだが。あの男はお前たちの情報は与えられてないんだよ」
「は……?」
「皇帝様から聞かされたことだ。『信用ならない奴に与える程、余は甘くない』……とさ」
それは、結構衝撃な新事実であった。
いや、当たり前か。あんな男に自分達の情報を与えられているとか、今考えると不安しかない。だとすれば、ドウジマと言う男はマリオとは比べ物にならない程に皇帝からの信用は強いと言う事になるが。
そこは流石と言うべきか。
話が逸れた。そこは今問題じゃない。
それなら、犯人は誰だと言う事だ――
「――それさ、アドニスの居場所を把握するぐらいなら簡単だよ」
その疑問を振り払うかのように、少年の声が響いた。