表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/122

42話『無色』4


 何度目の静寂か。

 静かな道場。赤い瞳は死すかに閉じられた。

 伸びるのは白い腕、小さな手はアドニスの首根っこを掴み上げると、まるで小石でも投げるがごとき感覚で彼を投げ飛ばした。


 アドニスの身体は簡単に宙に浮き、風を切る感覚を感じながら共に宙を駆ける。

 今日何度目か、背中に衝撃。床に叩きつけられた一撃がまだ取れておらず、受け身の体制も儘ならないまま、アドニスの身体は壁へと叩きつけられた。

 ずるりと音を立てるように地に落ちた時は、もう体は動かず。そればかりか、ピクリとも指一本動かすことも出来ない。


 いいや、違う。身体に与えられた痛みは関係ない。

 息をするのも困難なほどの、この衝撃は別にある。


 カツン……カツン……。ヒールの音が近づく。

 倒れ込み動けなくなった少年の前で音は止まった。

 

 「――少年、人と言うモノはね。不思議なんだよ。」


 風も無い筈なのに、黒いスカートが静かにふわりと舞って。

 同じような、静寂にも似た声。その声が告げる。


 「身体に《限界》が無くても、心には《限界》が存在する。――もう無理だ、強くなれない、コレが自分の限界だ。そう僅かに思ってしまうだけで、人はそこで自らの上限を作りそれ以上は進めなくなる」


 何も言い返せない幼い子供の前で、【神】は無慈悲に。


 「それはね、《恐怖》も同じ。恐怖は人を弱くする。この存在には絶対に勝てないと、心が決めるのだもん。恐怖と言う感情はこの世界で最も人を弱くする感情だ」


 アドニスの手が僅かにピクリと動く。

 分かった。分かったから。今日はもうそれ以上は何も言わないで欲しい、と言わんばかりに。

 その様子を目に映しながらも、シーアは無表情で無情に続ける。


 「君は私に恐怖した。私の存在に、私の強さに、私と言う全てに恐れを抱いた……この意味が分かるね」

 

 嗚呼、止めて欲しい。本当に、それ以上は言っては駄目だ。

 だってそれ以上は、その言葉は、アドニスと言う怪物(人物)の唯一の尊厳を破壊する言葉だから。


 アドニス(少年)は強かった。身体も、心も、《限界》知らずの怪物。

 それがあったからこそ、彼女に、化け物に食らい付き、離さないと意地を見せる事が出来たのだ。

 その長所とも呼べる唯一の個性があったからこそ、自分はまだ怪物であると。


 今静かに佇む化け物の側で、並ぶのもおこがましいと苦悩するほどに美しい彼女の隣に居る事を、まだ許されているのだと。まだ自分は怪物になり得るから。彼女が、彼女は。


 ――彼女は、まだ自分の側にいてくれるのだと、そう言い聞かせて今まで足掻いて来られたのに。

 それ以上は、彼にとっての大きな呪いとなる。



 そんな、アドニス(幼い少年)の気持ちなど理解することも無く。シーアは口を開いた。

 まるで心の底から哀れみ、小馬鹿にして呆れかえる様に。彼女は最後の言葉を投げつける。

どこまでも冷たく、突き放す様な言の葉を、無情に叩きつけるのである。


「今の君は《最強》でも無ければ《限界が無い化け物》でもない。君は《最弱》で《限界が存在する》ただの人間だ」

  

    ◇


 夕暮れの中、もう何度目かも分からない静寂が流れた。

 シーアは紡いだ言葉を言い終わると、口を閉ざし。倒れ込んだ少年は何も言えない。

 彼女の瞳には背を向けて倒れているアドニスの表情は見えないし。

 アドニスからも、この時彼女がどんな表情を浮かべていたか、分からなかった。


 どれほど経ったか、またこの空気を壊したのはシーアだった。

 ヒールのカツンと言う音。シーアがアドニスに背を向け、彼の側から離れていく音。


 「――……馬鹿だね、君は。変に隠して思い込むから矛盾した行動になるんだよ」


 口から紡がれた言の葉はまるで助言にも似た何か。

 遠ざかっていく足音に、アドニスはゆっくりと頭を動かし、漸く彼女を見る。

 自身から離れていく美しい少女の姿、傷一つなく、今日買った黒い服を舞わせて歩みを進めてゆく。

 そんな彼女の前に突如として、急に大きな黒い穴が現れた。

 

 ブラックホールみたいな、中が見えない黒い穴。

 靄が掛かったようなこの黒い穴は、彼女専用の出口だ。

 中に入ると、シーアは今までが嘘幻だったかが如く、この場から完全に姿が消える。これもまた、【神】と名乗る彼女の御業。


 彼女はこの場にアドニスを一人置いて、去ろうとしている。

 でも止める気はアドニスには無い。止められる気力が彼には残っていない。

 ただ、ぼんやりと彼女が去り行く姿を黙って見送る。


 穴の入口の前で、シーアは立ち止まった。


 「少年、今日はもう休むと良い。明日、また鍛錬に付き合ってあげる」

 静かな口調で彼女は明日を告げる。

 ただし……と、そう言葉を付けくわえて。


 「私は無駄が嫌いでね。……私に対しての《恐怖》を無くしなさい。ソレが出来なければ鍛錬は終了」

 ああ、安心しなよ。そう、次はニタリと笑う。


 「心配せずとも鍛錬が終わっても、私は君の側にいてあげるからさ。良かったね、私に感謝しなよ。――少年」


 カツン……。言葉を言い終わると同時にまた響くヒールの音。

 彼女の身体が、暗闇の中に消えていくのが、ぼんやりとした眼に映った。

 ただ、最後に彼女は一度だけ、アドニスを振り返る。


 「……それとさ。君は私に色が無いって思っているけど。――君の方が無いよね?」


 ポツリと聞こえた言の葉は空耳か、それとも彼女がアドニスに向けての本音だったのか。どちらにせよ、その言葉を最後に。

 シーアと言う女は、遂にその場から姿を消したのだった。


3/16書き直しました


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ