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35話『その想いも』



 あの日、下着騒動のあった(通り)をアドニスは歩む。

 視線を上げれば、嬉しそうに軽くスキップして歩む、シーアの姿。

 逃げるように視線を外す。


 正直、此処には暫く来たくなかった。

 だが彼女のお気に入りの古着屋がこの通りに在り、「待っている」とでも僅かに拒絶すれば首根っこを引っ掴まれ連行だから致し方が無い。

 周りからの視線は無いか、あたりを見渡しながら、彼女の後を追う。


 一週間前と比べ、変わった良い事と言えば。シーアの今の服装が女性らしいワンピースに変わっているぐらいだ。

 服装が変わったとして、彼女の視線の浴び方は一線を越えるモノがあるのだが。

 いや、むしろ感謝すべきか。周囲の視線はシーアだけに注がれているのだから。

 アドニスは再び、シーアをその目に映す。



 ―― 纏う色は真紅。


 肩のラインを現し、袖先がふんわり丸まった長袖(ビショップスリーブ)

 僅かに膝上ラインのスカート(フィッシュテール)

 括れを強調するように引き締められたウエストには、小さなリボン。

 胸元は僅かに空き、形の良い両胸の谷を形作り。

 ガーターベルトの付いたレース状の、太ももまでの黒いロングソックス。

 服に合わせるように、ヒールの高いこれまた真っ赤な靴をはいて。

 長い髪を後ろで三つ編みにし、更にコレを結い上げているため。特徴的な長い耳と、真っ白なうなじが露わになって、艶やかさが増している。


 と、まあ、それが今の彼女の姿。

 まるで今から何処かのパーティにでも行くのではないかと言う、派手な装い。

 本当に、なんでその格好になるのか、アドニスからすれば謎でしかない。

 

 しかも、この美女に見惚れない存在はいないだろうと、心から思える程に。不自然さを全く感じないほどに、彼女はその全てを着こなしているのだから、質が悪い。

 


 ただ、アドニスからすれば、いつもの姿の方が、まあ、まだ、マシであるが。



 「ね、少年」

 

 シーアから目を逸らして、何時もの彼女を思い浮かべ比べていると突然前から声がした。

 顔を上げれば、彼女が映る。後ろ手に組、前かがみになって此方を見上げる赤い瞳。


 「な、なんだ」


 彼女のにぶつかる前に慌てて立ち止まり、出た声は思わず裏返る。

 シーアは何時もの笑み。ただ、不思議そうに首を傾け言う。


 「あのさ、さっきの何?」

 「はあ?」


 唐突な、投げかけられる疑問。

 何のことか分からず、アドニスも首を傾げる。


 だが、赤い瞳を見据えながら、つい先ほどまでを思い起こした。

 思い当たる節が一つ。

 

 それは先程の事だ。

 この町に来る前の事。運動場での事。


 結局鍛錬は中止となりシーアの我儘に付き合う事になったアドニスは上着を着て服を整えていた。

 その時、彼女(シーア)が前触れもなく突然に、酷く可笑しそうにリリスに声掛けしたのだ。



 「そなた、我らと共に『でぇと』、するかの?」


 ――などと、呆れを通り越す程の戯言を。


 アドニスは速足でシーアの元に駆け寄り、その頭に拳を叩き落した。

 この一撃だけは、シーアは避ける事無く受け止める。

 結果的にはアドニスが手を痛めるだけとなったが。


 お誘いに顔を赤くさせ、怒りの表情を浮かべるリリスと、ニタ付くシーア。

 二人を前にアドニスはリリスに視線を送ることなく、容赦なく放つ。


 「ふざけるな、子守は一人で十分だ。リリスと出かける理由がない。むしろ、なぜ出かける必要がある」


 そう、冷たく。突き放す様に。言い切ったのだ。


 それが先ほどの事件とも呼べぬ事件。

 思い起こして一番に浮かんだ出来事であり。

 シーアの先ほどの質問に噛合う出来事。


 あの時、リリスは酷くショックを受けた表情を浮かべ。

 見守っていたドウジマも愕然として、頭を抱え。

 何かアドニスに言葉を掛けようとした時リリスが遮り、話は終わったが。


 それ以上の事は知らない。 

 シーアを連れて、足早にあの場所を出たから。

 一連の出来事を思い返し、アドニスは息を付く。


 「――デートと言いながら、あそこで他の女を誘う方がどうかと思うが?」

 「…………は!」

 

 長い間。アドニスの答えにシーアは片眉を上げた。

 小馬鹿にするように、息を付く。


 「別に恋人同士のデートでも無かろう。良いじゃないか」

 「――だめだ」


 しかし、シーアの言葉にアドニスはすぐ様に否定する。

 彼女から目を逸らし、立ち止まっていた歩みをまた再開した。

 そんなアドニスを追う様に、シーアが隣を歩く。


 2人の間に沈黙が流れる。

 アドニスは何言わず、シーアも何も言わない。


 ちらりと視線を彼女に飛ばせば、赤い瞳は怪訝そうな色を僅かに帯びて此方に送り続けている。

 その視線は怪訝そうなだけで、それ以上の感情は混ざってないけれど。まるで責め立てられているような、言い訳ぐらいしたらどうだ。と言わんばかりの色合い。

 

 アドニスは小さく息を付いた。


 「――あの馬鹿は俺に惚れているのだろう」

 「……ほう」


 思わぬ言葉であったからなのか、シーアの口から「意外」と言わんばかりの声。

 僅かに細められた赤い瞳が、続けて問うてくる。「何故?なぜそうおもう?」――と。


 アドニスはもう一度息を付く。

 何故だと?馬鹿らしい。

 

 「俺は鈍感じゃないんでね。いや……。あそこ迄あからさまだったら誰だって気が付く」

 

 シーアは再び「ほう」と声を漏らした。ただ、今度はクツクツと笑いを添えて。



 ―― リリス。

 彼女の好意とやらは、アドニスは既に気が付いていた。

 それも幼いころからずっと。彼女の自分を見つめる目は、余りにまわりと違い過ぎていたから。

 職業柄、他人との距離を一定に保ち続けていたアドニスには嫌でも、その視線に気が付いてしまったのだ。


 いや、視線だけじゃない。

 必要ないと言っても、おせっかいに関わってくる姿。

 何時も断っているのに誘ってくる食事。

 要らないと言っても持ってくる弁当。

 彼女の手作り弁当を食べているときの、リリスの頬を染めた嬉しそうな表情。

 

 そして、シーアに対する怒りと憎しみにもとれる、嫉妬の眼差し。

 あんなもの、馬鹿でもわかる。気が付かないのは鈍感を通り越した愚か者だ。


 それが「好意」と言うモノと気が付いたのは、もう二年前の事。

 依頼先で標的を庇って死んだ女が、死にゆくまで永遠と相手に送り続けていた瞳。

 その女の目が、リリスが自分に向ける視線と良く似ていたから。――察しは付いた。

 


 ――だが、リリスの好意を知ってどうしろと言うのだ。

 残念だが、彼女の気持ちに気づいて尚。アドニスはリリスに特別な感情を浮かぶことは無かった。

 何処まで言ってもアドニスにとってリリスは同僚に他ならない。


 つい最近、ソレがしみじみ良く分かった。

 例えば、鍛錬の時。

 弁当を持ってくる彼女は、残念だがアドニスにとっては「邪魔」の一言。

 リリスには悪いが、はっきり言おう。


 アドニスと言う個はリリスと言う存在に、ミリの興味も無いのだと。



 「俺はあの女の事を僅かにも想っていない。だから、それ相応の態度を示しているだけだろう」

 

 ゆえに、コレは当たり前の行動。

 

 「……つまりさ、君はあの子に興味も無いって事?」 

 「ああ、一ミリもない」

 「少しでも優しくしたら、勘違いされそうだから?」

 「ああ、俺はアイツを好いていない。ソレを隠す気も無い。気を使う気も無い。――むしろ、さっさと諦めてくれと呆れかえっている」


 シーアの問いに躊躇もなく、アドニスは最後まで全てを言い切る。

 隣で、彼女は小さく息を付く。


 呆れでもしたか。

 そう思い視線を送れば、アドニスは僅かに驚き息を呑む。


 意外と言うべきか。

 シーアは納得したと言う表情を浮かべてアドニスから視線を外していたからだ。

 正直、「最低」「女の敵」とか暴言を受けると身構えていたのだが、拍子抜けである。

 

 「……なる、ほどね……」


 そして、小さくポツリと。零す様に呟き、一度目を閉じる。

 その様子からシーアが何を考えているか、アドニスには微塵も理解。否、探る事も出来ない。


 どれほど経ったか、沈黙していたシーアがゆっくりと立ち止まる。

 あまりに自然に立ち止まる物だから、アドニスもつられて歩みを止める。


 彼女から数歩先。


 黒曜石の目にシーアと言う存在が浮かび上がり。

 顔を上げた赤い瞳には黒眼の少年の姿が反射する。


 シーアは赤い瞳を逸らすことはしなかった。

 そのまま、小さく首を傾げて、アドニスに問うのだ。


 「――なぜ?」

 「え?」


 「なぜ、君は彼女のソレが恋だと気が付いたの?」


 嗚呼……ソレは思いがけない問いだ。

 一瞬、思考が停止する。だが、一瞬だ。アドニスは答える。


 「前に同じ目を見た。自分が犠牲になると知った上で、恋した相手を庇った女の目。その目は正にリリスと同じ色をしていた」


 経験したことを隠さずに答える。嘘偽りのない答え。

 

 「ちがうね。ソレは違うよ、少年」


 だが、その答えに送られた言の葉は否定。

 間髪も入れず、シーアと言う女は首を振り真っ向から、違うと言う。

 アドニスは眉を顰めた。

 「なにを?何を根拠に」その言葉を投げかようとして、それは声にする前に遮られる。



 「少年。それは『愛』だ。恋の上位互換。似て全く違う存在。比べられないほどに大きく違うよ」



 ――少年は、その言葉に息を詰まらせ、口を噤む。

 場が、煩かった街並みが一気に静まり帰り。アドニスの頭はただ白く染まり切る。


 それは、今日一番、理解できない言葉。

 でも「理解できない」この一言ですらアドニスの口からは出ない。


 愛とは何だっけ?

 慈しみ、心の底から尊ぶ存在。

 それが言葉上の愛。


 シーアは言った。

 愛とは好きの上位互換。しかし全く違うモノ。比べ物にならないほどに違うものだと。


 「大きく違うからこそ愛と恋の瞳は大きく違うさ。」


 何も言わないアドニスを前にシーアは続ける。


 「だから、君の言った愛する者達()から恋を知るのは無茶がある」


 酷く静かな声色。

 からかう訳でもなく、ただ純粋に疑問だけの声色。

 しかし、どことなく何かを諭すかのような瞳。


 シーアは今一度、最後に問う。

 真っすぐにアドニスを見据え、小さな笑みを浮かべて、首を傾げて。



 「ねえ、少年。――君は何処で『恋』をしったの?」



 再度同じ質問を、問いかけるのだ――。



  ◇



 アドニスは何も言えずに佇んでいた。

 ただ、真っ赤な瞳に見惚れるように目を逸らせない。


 何か言おうとしても、頭は白くて言葉の一つも出ない。

 だって、彼女の向けた問いの答えは、どうしても見つける事が出来ない。


 取り留めも無い質問なのに、声一つ口からは出ないのだ。



 ――そんなアドニスにシーアがニタリと笑ったのは次の事。

 彼女はアドニスの顔を覗き込むように、また前かがみになると指差す。



 「ま、いいさ。――答えは見つからない方が良いときもある」


 最後にケラケラ笑って。しかし、まるで助言にも似た言葉を贈って。

 彼女は体制を変えると、何事も無かったようにアドニスを通り過ぎて、再び歩みを進める。



 「さ、早く買い物に行こう!」


 一度だけ、振り返るとそう言って。

 シーアはまたスキップしながら、何事も無かったように目的地へと進んでゆくのだ。


 アドニスは呆然と、その彼女の細い背を見つめる。

 「君はどこで恋をしったの?」――その言葉がまだ渦巻く。

 たが、どれだけ考えても頭は靄が掛かったように白く、答えという答えは見つからなくて。


 どうしようもないまま、心に引っかかりを残したまま。

 アドニスは、その場から、その謎から逃げるように、シーアの後を追うのであった――。




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