25話『彼女は最強だ』
――……ああ、彼女の言葉は正しい。
言い返す前に、何よりも、その一言が頭に浮かんだ。浮かんでしまった。
心の奥底に、放たれた言葉が落ちて来る。
口を開けるが、声が出ず。口を閉ざし。唇を噛んで、俯く。
真っ白になった頭で、彼女の言葉だけが木霊する。
『最強とは、化け物は同一存在』
――確かに。そうだ。
彼女と言う存在を前に、何も言い返す事が出来ない。
言い返す材料が、今手元には何もない。
送られる冷たい瞳に、言動に、急激に頭が冷えていった。
冷酷なまでに冷え切って行った。
手を見る。思う。
アドニスは、何て馬鹿な真似をしてしまったのだろう、と。
つい先程、彼女に手も足も出なかった。弄ばれていた自分。
彼女には勝てないと知っていた癖に。「腹が立った」の一言で無謀に飛び掛かって行った自分。
冷静になれば、なんて愚かしい――……
そればかりか。心で思っていた本心迄、包み隠さず吐露してしまった。
「自分は最強」だと。
子供らしく。自身の力に、酔っていた言葉。
ずっと負けなしで。この『組織』でも自分の右に出るものはないと、高を括っていた。
それが、実際はどうだろう。
というか、そもそも。
彼女に勝てないと思っていた時点で、自分は「最強」なんて物じゃない。
たった今、自身と彼女の間にある矛盾に気が付く。
アドニスは、先日まで確かに「最強」だった。ソレは事実。
でも今は違う。
今、その称号が相応しいのは、この化け物だ。
――最強とは、化け物だ。
正しい。
目の前の、少女に脅えていた自分が。彼女に手も足も出なかった自分が。
アドニスの何所が「化け物」だったのだろう。
本物の化け物の前では、アドニスは唯の弱い人間でしか無いのだから。
そんな本物を目の当たりにして。
彼女から正論をぶつけられて、もう一度アドニスは唇を強く噛みしめる。
悔しさすら、消え失せた。
彼がもう少し、自意識過剰で愚かであったら。彼女の言葉など、突き放していただろう。
ふざけるな。人間と化け物を一緒にするな、と。
でも、彼にはソレが出来ない。
彼女があまりに圧倒的過ぎて、彼女の言葉を事実だと受け入れてしまったから。
寧ろ。これ以上、何を言っても、自分が情けなくなるだけと悟って。
だからこそ、俯く。言い表せない感情を胸に、唇を噛みしめる。
確信していた全ての物が粉々に砕かれたような。
ああ、そう。
酷い喪失感に襲われ、アドニスは項垂れるしか無かった……
――女は、そんな子ウサギの前でニタリと笑う。
「と、言うか。今の君の本心?へぇ、自分の事、最強って思ってたんだぁ」
失意に落ちるアドニスを完全放置して、場違いな声。
思わず、顔を上げる。
目に映るのは、此方を見下す、女の顔だ。
しかし、その赤い瞳は相変わらず、興味と言うモノが微塵も無い。
ただ、アドニスを小馬鹿にするだけの、表情を浮かべた女の顔。
「15歳だもんね。仕方が無いね!」
そんな瞳をしておきながら。しかし、まるで、哀れむ者を見るような表情。
細い手が、アドニスの頭に伸びる。そのまま、よしよしと。
アドニスの感情に色が戻ってくるのが分かる。
自分でも愚かしいと思うが、苛立ちと言う。つい先程、痛手を負った理由の感情だ。
このせいで自分の「自尊心」と言うモノは粉々に砕かれたと言うのに。だと言うのに、この女。
「それでぇ、最強の少年は如何でしたか?化け物を相手にして、びくびくしてましたねぇ」
なんだ、この女は。
さらに拍車をかける。
アドニスはシーアの手を振り払う。
「いい加減にしろ!楽しいかお前!ガキの自尊心を粉々に砕いておきながら!」
「砕かれて終わっちゃう自尊心は、持たない方が良いですねぇ」
「っ!」
頭に血管が浮かぶのが分かる。
アドニスは、震える身体を押さえつけて俯く。
我慢する。我慢する。
この女の挑発に負けて、今自分はこんな思いをしているのだ。我慢しなくてはいけない。
心を必死に落ち着かせて、俯いたまま、言葉を発する。
「おまえ、本当に糞みたいな女だな!」
これぐらいは、と嫌味を1つ。
シーアはニタリと笑った。
「子ウサギちゃん、怖い顔しても可愛いだけですよー。震えている可哀想な子ネズミちゃんですねー」
「――……っ!!!!!」
駄目だと分かっていても。流石に、これ以上続けば無理だ。
アドニスの眼に色が戻る。
自信・自負、何でも良い。それら全て粉々にされたばかりだが。
というか本当に、この女。自ら子供の心を粉々に壊しておいて、なぜそんな反応を見せられると言うのだ。
殺したい。その感情が再び上がる。でも「怖い」。殺せない。
「そもそもですねぇ。負けちゃってナヨナヨしている暇があるなら、立ち上がって強くなったら如何でちゅかー」
「――っ!!!!!!!!」
遂に、我慢出来ずに顔を上げた。
此方を負かして、全てを壊し、小馬鹿にしまくって、最後には赤ちゃん言葉?
それも「強くなれ」……なんて、今一番腹立たしい言葉を口にする。
お前のせいなのに、何を言って。
先ほどまでの、喪失感やら恐怖やら全て消え去った。
アドニスは、感情のままにシーアを睨む。
痛みも全て投げ捨てて、立ち上がり。彼女に詰め寄ると、憤りをぶつけるように。
「うぜえ!!」
胸倉を掴むと同時に、今までで一番の怒号。
それでも、彼女のニタリ笑いは止まない。その顔が腹立たしい。
その苛立たしいと言う感情の一つで、彼は彼女の身体を突き放す。
突き放して、最後の言葉を叩きつけるのだ。
「――だったら、お前が小鼠を化け物まで育ててみやがれ!!!」
そう、余りにも自分らしくも無い言葉で。
本当に勢いのままに、絶叫にも似た命令を、化け物に向かって。
――……赤い瞳が、僅かに色を変えた。
「いいよ」
数秒の間もなく。シーアの手が、静かにアドニスの頬に伸びる。
まるで、その言葉を待ち望んでいたかのように。真っ赤な瞳が真っすぐに、アドニスを映す。
彼は怒りからなのか、何も言わない。
ただ同じように、真っすぐに目の前の女を睨み続け、目を逸らすことも無い。
シーアは、その様子に『にたり』笑う。
笑いながら、心底興味のない瞳を細めて。
「――……面白そうだ。人間が何処まで私に近づけるか。付き合ってあげる」
まだ人であった少年が。
自ら怪物への道に、身を投じるのが酷く可笑しいと言う様に。
シーアはアドニスを受け入れるのである――
後ろから、数人の足音。頭上からの声をBGMに。
今この瞬間に、少年の運命は大きく変貌した。
―― 嗚呼、『ゲーム』まで後一ヶ月。
彼は化け物を師とした。




