111話『九の王』3
こつん、こつん。
音を立てて崩れた教会の元へと誰かがやって来る。
長い銀髪に黒いコート。
首から下を黒で染め上げ、腰に銀色のナイフを二本差した男。
後ろからは長い黄緑色の髪の少年を引き連れて。
グーファルトは静かに崩れた教会の前で、瓦礫の山を見下ろした。
口笛を一つ。
「ここまでやるとはなぁ。ちゃんと生きてんだろうな?」
疑問にも似た言霊。
ちらりと側でしがみ付く少年に向ける。
小さな少年は水色の大きな瞳を大きく歪ませた。
少しの間。彼は小さく首を振る。
「……知りません。ボクに聞かないでください」
それは此処に来て少年が初めて発した言葉だ。
少年の言葉を聞きながらグーファルトは小さく息を付く。
「ま、そりゃそうか。お前には其処まで探ってこいとは命じてないし、お前には無理だろうしな」
けろり。笑って、グーファルトは再び瓦礫に視線を送る。
銀色の眼が僅かに細くなった。
「ま、生きている様だな」
一言零す。
刹那。――大きな音と共に瓦礫の山から大きな黒い手が突き破って沢山現れた。
爆音と共に突風が吹き荒れ、あたりの木々を大きく揺らす。
黒手は地面に付き、音を立てて何かが底から這い出るかのように飛び出してきた。
それは二つの陰だ。
真っ黒な小さな影が大きな黒い影を庇うかのように姿を現す。
大きく肩で息をしながら白い背が露わになる。
黒い髪の隙間から赤い入れ墨。
引き上げられた側に居た少年も大きく息を吸い込み、大きく咳込んだ。
「――だ、いじょうぶかい。少年?」
にたり、シーアは笑う。
赤い瞳が少年を映しとり、同じように黒い眼が彼女を見る。
体中切り傷だらけの泥だらけ。
だが、其れだけだ。あんな爆発に巻き込まれたと言うのに火傷やその他の怪我は一切ない。
アドニスは眼を細めた。爆発が起きる直前、シーアが背から大きな手が伸ばした。
そのままアドニスを包み込み庇うかのように手と身体を丸めて彼女は自身を守ったのだ。
彼女の腕の中では僅かな熱も感じず。風や衝撃すらない。
どんな場所よりも安全な場所であるのは確かであった。
そのまま崩れて来た瓦礫に埋もれる破目になったが。
「――おまえこそ、大丈夫なのか?」
そんな事どうでも良い。
最初の一言はコレだ。
冷や汗を流しいつも以上に顔色が悪いシーアの頬に手を伸ばして問う。
アドニスの問いにシーアは何も言わなかった。ただ、ニタリ――。小さく笑うだけだ。
それは「大丈夫」と言う合図なのだろう。それだけで力尽きたかのように彼女は瓦礫の床に倒れ伏す。気を失ったのだけは確かに分かった。相変わらず色が無い瞳で、それでも「良かった」とアドニスの無事を喜ぶかのように表情に写して。
「おい、小僧」
上から声を掛けられたのは感傷に浸る暇も無い時だった。
倒れたまま視線を上げれば銀色の男が眼に入る。
「……“グーファルト”、か」
ポツリ、男の名を呼ぶ。
名を呼ばれた男は後ろに隠れた少年の頭を撫でながらニヤリと笑うのだった。
◆
気を失ったシーアを背負いアドニスは歩みを進める。
目の前には黙ったまま、静かに歩みを続けるグーファルトの姿があった。
彼の側には前と変わらず、ちょこちょこと彼にへばり付き歩く弾避けの少年の姿。
ちらり、視線を飛ばして目を逸らす。
殺気を混ざり合わせて送ったと言うのにグーファルトは全く反応を返さない。側に居る少年だって僅かにも反応しない。
それだけで十二分な程に分かった。この男には殺し合う気は毛頭ないと。ついでに言えば此方からの攻撃も仕掛けられ無いそう彼らは判断している様だ。側の少年に関してはグーファルトの方がアドニスより強いと判断しているのだろうか?少年の真意は分からないが、腹立たしい事に正解だ。
グーファルトが強い――。ではなく、アドニスには今グーファルトと争う意思がない。皆無と言っても良い。
黒い眼は次に背のシーアに視線を送る。先ほどから気を失いピクリとも動かない彼女。シーアが今この状況で居る限りアドニスは戦えない。
シーアが居ないから怖いとかではなく、彼女を人質にでも取られれば元も子もないから。
だから殺気だけは纏わせて、全く気を抜けない中で『十の王』の後を付いてゆく。
彼が着いて来いと命じて来たから、今回だけは無条件で静かに着いて行く。
「……そんなに殺気を纏わせるなよ」
どれ程歩いたか、グーファルトが足を止めて言った。
流石に気が付いてない訳ではなかったようだ。
ニヤリと笑いながら、視線はシーアに注がれている。其れだけでアドニスの殺気は膨れ上がるのだが。
「別にそこの嬢ちゃんを掻っ攫おうとは思ってねぇよ。人質にする気も無い」
「…………」
正に心を読まれた。
アドニスはシーアを背でしっかりと抱きとめる様に腕に力を籠めグーファルトを睨み返す。
そんな言葉信じられるわけ無いと言うのに。
「それを信じろと言うのか?俺達は敵同士なのに?」
「ま、そりゃそうか」
疑問を投げかければグーファルトは静かに笑った。
少年を押しのける様に向けていた背をクルリと回し、アドニスに身体を向け。静かに笑みを湛えながら、自身は無抵抗ですと言わんばかりに両手を上げる。
「おれは今回の件、『九の王』を倒すまでは動かねぇって決めてんだよ。だから、お前とやる気は最初から無かった。こう言えば分かってくれるか?」
「は――?」
それは思いもしていなかった言葉。
疑問で首を傾げ、アドニスはそれでも僅かに殺気を強めた。
グーファルトからため息が零れる。
乱暴に頭を掻いて、「あー」と声を漏らし。再度アドニスを見る。
「取り敢えず。見せたいもんがあるから着いてきな」
「…………そればっかりだな」
グーファルトの口から零れたのは先程、再会した直前に掛けられた言葉と全く言葉であった。
シーアがこの状況なので仕方が無く言う事を聞いているが、何を伝えたいと言うのか、全く分からない。
少し考えアドニスは舌打ちを繰り出す。
「分かった。お前が見せたいものとやらを見てから判断してやる」
「……ああ、それでいいさ」
アドニスの答えに『十の王』は満足気に笑った。
再び彼は此方に背を向け歩み出す。
その後ろ姿は実に無防備だ。簡単にその首を狩り落せそうな程に。
――だが。
「……仕方が無い」
シーアを背負ってからアドニスはグーファルトの後を追う。
何。殺すのは見せたいものとやらを確認してからでも遅くない。
少なくとも今はシーアが目を覚ますまでは待ってやりたい。そう判断して。
◆
「着いたぞ」
どれ程歩いたか。
グーファルトは脚を止めた。
アドニスは当たりを見渡す。
場所は村はずれの林の中。人気も無い。
その大きな一本杉の前。グーファルトは立ち止まっていた。
此処に何があると言うのか。
あるのは木々と、一本杉の前にコレでもかと言わんばかりに置かれた穴の開いた赤い上着を被せられた物体。
嫌、アドニスは眉を顰めた。
目の前に有る赤い上着を物体。これは赤い上着なんかじゃない。
匂いと袖の端から滴り落ちる液体。僅かに残った蒼い布から理解する。
グーファルトは物体の前にニヤリと笑う。
親指で指し示して彼は言う。
「そこの枝に吊り下がっていた」
――ただその一言。
視線だけを大木の上に向ける。
そこには赤黒く染みの付いた太い枝先が存在していた。
あそこに、コレが突き刺さっていたのか。
上着の向こうの正体は把握できた。
それでも答え合わせだ。
グーファルトが上着を掴む。
音を立てて上着を捲り上げる。
下に在ったモノを見た時、アドニスは大きく顔を歪ませた――。
ぐるりとあらぬ方向を向いた眼球。舌が伸び切り大きく開いた口。眉は歪み顔は涙と鼻水。恐怖と絶望に染まり切り。
でっぷり太った腹の中心には大きな穴が一つ。そこからだらんと中身は零れ落ち、幾つか失っているのが見て分る。
そこにいたのはジェラルド・グラリッテ。行方不明となっていた『五の王』がそこで死んでいた。
「これは――」
「見ての通りだ。昨日見つけてな」
グーファルトがサラリと答えを提示する。
一瞬彼を疑ったがアドニスは首を振った。
――違う。こいつの仕業じゃない。
木の枝、突き刺さったまるでモズの餌場姿を想像して眉を顰める。
これは完全に遊びだ。
死体で遊んだのだ。
それも子供の――。
それをこの男がするとは思えない。側に居る少年は力的に論外。
だからこそこの遊びをしそうな子供を思い浮かべれば一人しかいない訳で、それは嫌でも理解出来てしまう。
「『九の王』――か」
「ああ、あの女の仕業だ」
グーファルトは当たり前のように肯定した。
否定なんて出来やしない。
つい先程『九の王』の実力を見た所だ。断言しても良い。
ここ迄の力技、明確な急所を得た傷跡、残忍さ。全て合わせてこの犯人は『九の王』しかあり得ない。
――だとすれば。
「『四番目』を殺したのもアイツか」
「だろうな」
これまたグーファルトはサラリと肯定する。
彼の頭に浮かんだのは、破壊された屋敷だ。
屋敷の中心、武器が隠された穴の側で殺された『四の王』
間違いない。『四の王』もまた『九の王』に殺されたのだ、と。
プラスして言えば、あの屋敷の大穴も間違えなく彼女――レベッカの仕業で間違いないだろう。
あの力であれば可能だ。
因みに、もう一人可能な人物が居るのだが――。
「聞いておくが、『四番目』の仕業にして実はお前って事じゃないよな?」
グーファルに問いかける。
黒い眼は訝しげに彼を映す。
銀の眼はそんな視線を前に酷く面白げに目を細めた。
「残念だが、おれじゃねぇよ。気が付いていたらああなってた。ま、信じられないと思うがな」
「…………」
勿論信じられるはずがない。
その様子にグーファルトはふと笑みを零した。
「ああ。そうか、こう言えばいいのか」
再び銀色の男は真っすぐにアドニスを見据えた。
彼は何を言おうとしているのか、身構えて片手で黒いナイフを握る。
だがどれほど待とうともグーファルトから殺気敵意は出なかった。
彼はただ目の前で、不服そうな少年を背に隠しながら笑みを湛えるだけ。
風が吹き、ざわざわと当たりが揺らめく。ソレが合図。
ニヤリと笑みを湛えたまま、グーファルトは口を開く――。
「おれはコレでも『組織』の人間だ。――脱退まもない裏切りものだが、な」
◆
林から近くのもう完全に人が居なくなった村の中。
その住宅の一つ。アドニスは背負っていたシーアをベッドの上へと寝かせた。
思っていた以上に軽い身体。折れてしまいそうな身体。それを壊れ物かのように優しく寝かせる。
「――な、んだ、しょうねん……」
出来るだけ優しくしたつもりだが、今の衝撃でシーアは目を覚ましたようだ。
硬く閉じられていた赤い瞳がゆっくりと開き、彼女の瞳がアドニスを映す。
弱々しくニタリ、笑って彼女はその細く小さな手を此方に伸ばした。
「どう?無事?」
消え去りそうになりながらも、はっきりした口調。
そんな事、問わなくても見て分るだろうに。
「見ての通りだ。――俺は怪我一つない。大丈夫だ」
恐る恐ると手を伸ばし、アドニスの手がシーアの額を撫でる。
ぼさぼさでも柔らかな黒い髪。汗で張り付いた髪を掻き分ける様に横に流す。
アドニスの答えにシーアは弱々しくも安心したように笑って、再びふと目を閉じる。
彼女が此処まで弱り切っている姿など本当に初めて見た。
思わずと眉を顰めて、その視線は彼女の右脇腹へと向けられた。
黒いドレスが赤く滲む。傷口が開いたのは確か。
だが、ソレが疑問だ。彼女は其処まで動いていなかった筈だ。少なくとも傷口が開くほどは。
「今治療する」
もう一度、治療しなくては――。
そう判断し横腹に手を伸ばした時。白い手が制した。
「むだ、だ。要らないよ。意味無いから」
ニタリ――。彼女は笑む。
それでも、まだ身体は起き上がることも出来ないのか身体を横にしたまま自身に呆れたかのように息を付いた。
「でも、情けないぁ」
「何が情けないだ」
少し呆れたように放つ。
「傷が痛むんだろ?それは普通な事だ。――ましてや元は俺の傷だ。なにが情けないだ……」
それは、その傷も痛みも元はアドニスが受けるべきもの。
彼が感じなければいけない痛みの筈だ。それをシーアが肩代わりしてくれている。ソレの何が情けないか。
たとえそれが何時もの彼女と大きく違うとしても――。
「――。まて」
大きな違和感が頭をよぎる。
よくよく考えれば自体が可笑しい。
もとより鋼より硬く、機関純でも爆発でも僅かな傷一つ付かなかった彼女の身体。
ソレが今はアドニスの肩代わりとして横腹に大きな傷を彼女は負った。移し替えたと言う方が正しいか。
そんな化け物以上の彼女だ。――そんな彼女がえぐり取られたと言え、人間が受けた傷如きで此処まで痛むだろうか?其れこそ動けなくなるほどまで?悶絶するほどの痛みを感じるだろうか?
この女は其処まで弱いとは決して思えないのだ。
「気が付いちゃった?」
悩んでいるとシーアが笑う。
先ほどよりも顔色は良くなった。こうして会話をすることぐらいは出来るだろう。
アドニスは考える。そして一つの事を思いだした。
「――お前は俺の傷を肩代わりしたって言ったよな?」
「ああ」
「それは、まさかと思うが――。俺が感じる筈の痛みも肩代わりするもの、じゃないよな?」
それは考え抜いた先で導き出した答え、というべきか。
アドニスの問いに、シーアは何も答えはしなかった。
無言のまま。唯、まるで肯定するかのように小さく笑むだけ。――それだけで十二分。
「馬鹿か!」
出た答えに思わずと声を上げる。
つまりだ。
この女、アドニスの傷だけじゃない。
アドニスが傷によって感じるはずである激痛を、その身に全て肩代わりしたのだ。
結果、アドニスが動けば動くほど痛みと言う負担は彼女に圧し掛かる。激痛は彼女に襲い掛かる。
飛べなくなるほどに。【神様】である彼女であっても耐え切れない他人の負担が――。
「――痛みなんて、慣れている物と思っていたのに」
シーアが弱々し笑んだまま言った。
脇腹に手を添えて汗を垂れ流しながら荒く息を零す。
「うんん。この身体じゃ、痛みは初めて、だったか――。慣れてない訳、だ」
酷く自分自身に呆れ果てたようにくつくつ声を漏らして。
その姿に、声に、実に情けない自分自身にアドニスは言い表せられない怒りが募る。
「元に戻せ!」
声を荒げて彼女に迫る。
それしか今この状況の打破出来る条件が思い浮かばなかった。
今彼女を助けられる術が、其れしか思いつかなかった――。
「ダメだよ」
だがそれをシーアは拒む。
何時ものようにニタリと笑って、首を振る。
「これは君の『ゲーム』なんだよ?その君が大怪我を負ってどうする。君は『ゲーム』に勝ちたいんだろ?」
「だったらお前は俺の武器なんだろ?その武器が使い物に成らなくなってどうする!」
「武器は武器だよ。そんなモノは元より使い捨てさ。ただ刀身に罅が入っただけ、むしろ主を助けられて実に喜ばしい事さ」
「――」
言い返せない言の葉を彼女はアドニスにぶつける。
これは『ゲーム』だ。
どうしようもなくアドニスは『ゲーム』の参加者だ。
そして、何が有ってもアドニスはこの『ゲーム』に勝利しなくてはいけない理由がある。
――それは皇帝の為。
かの王のこれからも続く栄光の繁栄の為。――自分は必ず勝利しなくてはならない。
全て彼女の言う通りだ。
どれだけ彼女はアドニスの側に居て共に『ゲーム』に参加していようとも彼女は唯のアドニスの武器でしか無いのだから。でも、それでも――。
「わかったら、外に出て君を待っている人物と話をしておいで」
まだ答えを決めかねているとき。
シーアは諭すかのようにアドニスに言葉を返した。
その視線は家の外に向けられている。
アドニスはこの言葉に何かを言いかけて、ぐっと飲み込む。
言い返す余地が今は思いつかない。だからこそ何も言えない。
それが数分――。いや、きっと数十秒も経たないうちの事だ。その時間は酷く長く感じた。
――答えは決まり切れなかった。
「――行っておいで」
それを悟ったかのようにシーアは笑う。
彼女の顔を見ながらアドニスはやはり言い返せない。
まだ決めかねて決意が決まらない。
唇を噛みしめ、舌打ちを繰り出す。
音を立てて立ち上がる。
渋い顔のままシーアを見下ろし、静かに背を向けた。
「この話は後でまたする」
「うん?はいはい」
青白い顔のままシーアは頷く。
重たい手を持ち上げて手を振って、やはり何時もの様にニタリと笑って。
「いってらっしゃい」
青白い顔でアドニスを見送るのだ――。
◆
「話は終わったか?」
民家を出た先。
すぐ様に声を掛けられる。
目に映るのは変わらない。
少年を連れた銀色の男。
アドニスと同じく『組織』の人間と謳った『十の王』の姿がそこにある。