109話『色の無い瞳は平等に輝く』
ふわりと宙に浮いてシーアは血まみれの村に戻ってくる。
沢山の死体が転がる中で、唯一四肢全て無事な人影を見つけてその場に舞い降りた。
膝を付いて、胸元に横顔を付け確認。
とくんとくんと確かな心臓の音が聞こえる。
「ふん」
アドニスの安否を確認し、シーアは小さく声を漏らした。
生きていた。間に合った。僅かに安堵の感情が溢れる。
少しだけ心配だったのだ。一番大きな傷は放置したままであったから。コレで死んでしまったらどうしようと。
取り敢えずスカーフを取り確認する。
「うん、“限界”が無いとは本当に恐ろしいものだなぁ」
傷口を見下ろし呟くように零した。
ナイフを突き立てられ、銃弾を二発撃ちこまれた風穴。
拳ほどの穴が開いているが、血はもう止まっている。もう修復は始まっている様だ。
見た限り一週間もあれば完治するだろう。
何時も普段であるならば、だが。
「『ゲーム』には大支障だねぇ」
ケラケラ笑う。
今は『ゲーム』の真っ最中。
此処で一週間の大怪我など支障の何物でもない。
「いや、少年なら一日も経たないうちに無理矢理動いちゃいそうだよねぇ」
無理矢理に身体を動かして『ゲーム』に参加するような様を思い浮かべては笑う。
しかし、さてはて、どうしようか。シーアは腕を組んだ。
頭に浮かぶのは『六の王』瑠璃色の女の姿だ。もう名前すら憶えていない知らない女だが。
あの何処までも付きまとう様な復讐心。達成した執着心。これらは認めざるを得ない。
アドニスの抉れた穴を見て思う。
コレを直すのは簡単だ。だがソレは彼女の達成に泥を塗る事となる。
「どうしようかな、どうしようか」
シーアの中でこの二つは同時に大切な物だった。
アドニスの完全なる処置、でも瑠璃色の彼女の想いを無下には出来ない。
だからこそ腕を組んで悩み、ひとつの決断をする。
「ふん、之なら良いか」
ニタリと笑って、シーアはアドニスの腹部に手を伸ばした。
手がじんわりと赤く染まり、生々しい感触が伝い、彼の温もりを感じながらシーアは笑う。
「……な、ぜ?」
ふと、誰かの声が聞こえた。
にたり、何時ものように笑って顔を上げる。
赤い視線の先には顔が潰れた青年が一人映る。
もう、原型も無い顔。ただ残った口と右目だけが醜く残る、アレクシスの姿がそこにあった。
「あ、気が付いた?」
彼を目にして、シーアは笑みを受けべる。
よろりと立ち上がり、ふら付く足で彼の側へと近づく。
「気分、どお?適当に生かしているだけだけどさ。ま、最悪だよね?」
けらけらり笑って、もう立つことも出来ない『三の王』だったモノを見下ろす。
「な、で。ぼく、いきて」
ぼそぼそと、それでもアレクシスは状況を理解していた。
死んだ瞬間にそのままの状態で生き返らせられて、一部始終を見ていたのだ。嫌でも理解できてしまう。
ただそんな事よりもアレクシスは今の自分の状況に絶望していると言った方が良いが。
なにせ頭をぐしゃぐしゃに潰され、内臓を引き裂かれ痛みを継続したままに、それでも彼は死ねなのだから。心から思うしかない。殺してくれ。もう楽にしてくれ――と。
そもそも思う。なぜ彼女は自分を殺してくれないのか、そればかりかこんな苦悩を与えるのか。『神様』なのに。何故?その疑問ばかりが無い頭に過っては痛みとなって消えていく。
「こ、ろし……」
「まぁさ、一応命令だから遂行しなきゃと思って?さっきは叩き折る前に少年が壊しちゃったからさぁ」
アレクシスの言葉を遮る様にシーアが言う。
ニタリと笑ったまま、膝を曲げて彼の前に座り込み笑みを浮かべたまま見下ろす。
「ま、だから君の神様像ってやつ?壊そうと思って」
ふわりと笑って、彼女はアレクシスの側にしゃがみ込んだ。
まずどうやって壊そうか。この男の自分に対して間違いを。しったかぶったその考えを。
そうだな。考える。いや、考えなくても壊す方法なんて沢山あるじゃないか。なんて、笑った。
「うん。まずね。私って一人の人間を恨んで此処に居るんだよね」
ケラケラ。ケラケラ。
今まで一番口にしたかった言葉を口にする。
それは彼の幻想を、”平等”なんてモノを待ち望む彼を打ち壊すには十二分程の威力がある呪文だ。
「――は?」
壊れた男の口から実に間抜けな声が響いた。
一瞬理解できないと言わんばかりの表情。
そう、そうだよね?彼女は笑う。
そんな人を恨むなんて感情。人を想っての行動。
私がするはず無いと思っていたよね?
「でも残念でした。私、人を恨んで恨んで恨んでいるからこそ、此処に居るんだよ?」
だがそれは間違いだ。
どうしようもなく間違いだ。
シーアは此処に居る理由は人を恨んでいるからだ。
どうしようもない憎悪が一人の人間に向けられているからだ。
たった一人の人間を壊す為なら、何をしても厭わないと言う覚悟で、何を壊しても構わないと言う気持ち今、此処に彼女は存在している。
だからこそ、男をはっきりと見下す事が出来る。否定する事が出来る。
ねぇ、と。だからさ、と。
「私、全然”平等”じゃないよ?」
真実だけを籠った色合いで、赤い瞳は男を見下ろした。
黄色の目に更なる絶望が宿るのは時間の問題。
当たり前だ。この男は狂った押しつけがましい感情をシーアにぶつけていたのだから。
興味が無い、ソレは当たりだ。シーアには人に興味が無い。
”平等”に見ている?それもあたりだ。彼女は、興味が無いからこそ人に等しく接する事が出来る。
だが、それは産まれ付いて人を”平等”に見ているからじゃ、ない。
少なくとも先ほど、アレクシスが言った事は的外れに等しい。
だって、シーアはこんなにも復讐の焔に身を費やしているのだから。
「ちが――!」
「何が違うんだ。本人の意志ってやつは無視かい?ふん、人間らしいね。自分勝手に都合よく自分の思想にすり替えて、そりゃ神様だって君たちを見捨てるさ。気持ち悪い物」
凍り付く様な瞳がアレクシスを見下ろす。
ふんと鼻を鳴らし、嫌悪感が含んだ瞳が彼だけを映す。
そこに今まであった”平等”な色合いはない。
ただ気色悪い物を見つめるゴミくずを見るような視線があるだけだ。
「私にとって人間も家畜も植物もみんな等しいって君は言ったね。確かにその通りだ。私にとって人間なんて物は皆等しい。みんな等しい”石ころ”だ」
目に映すのも嫌悪感がすると言わんばかりにシーアは眉を顰める。
「石ころっていろんな形あるだろ?面白い形、気に入らない形、綺麗な色をしたもの。あのね、私は確かに人間なんてみんな同じに見ている。ただ一人の人物にしか愛は持てないし憎しみも感じない。――でもさ、好き嫌いぐらいはあるんだよ。面白い形の石があれば側に置いておくし、気色の悪い石があれば蹴って捨てる。それぐらいの感情は持ち合わせているのさ」
だから。指を立てる。ぱちんとなる指を鳴らす。
その途端の出来事だった。辺り一面の血の海が蠢いたのは。
まるで意志を持った生き物の様に蠢いて、それぞれの場所に戻っていく。
飛び散った腕や足がまるで壊れた人形を直す様に持ち主の身体へ。
千切れた頭が縫い付けられるように、元鞘に収まる。
あっという間。前と全く変わらない。あっと言う間の出来事。
瞬く間にそれらは人間の身体へと形を戻した。
周りの人間、数十人ばかし。直してしまった。
「少年は私にとって人ではないけど宝石なんだ。キラキラで綺麗。だから好きだ。――でも、君は私にとって嫌い――。気持ち悪の分類だ」
その中でシーアは淡々と口にする。
最初に哀れみを浮かべ、最後に嫌悪を浮かべて。
「そもそも、勝手に君の神様像を押し付けて来る時点で嫌いだった。――私が平等?不平等に人を生き返らせる存在を目の前で見て君はなんでそんなとち狂った考えが出来た?君は気持ち悪い」
冷たい視線のまま、もう興味も失せたと言わんばかりにアレクシスに背を向ける。
ふらりと直った男が立ち上がったのは正に同時の頃。たしかアレクシスがガイルと呼んだ男だったか?
ふらふらりと、男はアレクシスの側に寄る。
その目に顔に、憎しみと怒りの感情を露わにして。
「あれ、くしす。おれを、おれたちを騙していたのか!!」
震えるような声が響く。
血に倒れる顔の無い青年はその様子に肩を振るわせる。
今直った全員分の怒りの感情が彼に注がれるのだから震えるしかない。
もう、アドニスやシーアに興味も無いと言わんばかりにみんながふらり、ふらりと自分をこんな目に合わせた。こんな目に合わせておきながら「幸せ」をの賜った存在に理不尽な怒りを募らせて爆発させん勢いで迫り寄ってくる。
だって仕方が無い。
目の前に居る彼女と言う存在には絶対に勝てないと嫌でも思い知らされたのだ。
自分達が勝てる存在に恨みを募るしか、彼らには出来やしないのだから。
そのなかでシーアはアドニスを背に抱えて、ニタリ……笑った。
「君が平等って言うからさ、一応平等に皆殺して直して生かしておいたんだ。私達の会話は最初から全部聞かれていた。でも私は神様だから最後に不平等を上げよう。――君一人だけが死ぬって言う不平等を、ね」
ぞくり、アレクシスの背に汗が伝う。
逃げようとしても身体は動かない。
「いやだ。いやだ神様!!助けて!」
必死に見つけた”神様”に手を伸ばして助けを求めるも、勿論彼女は助けてくれない。
気持ち悪いと手を振り払われたのだ。彼女が手を差し伸べてくれることは無い。
だって彼女は何処まで行っても不平等なのだから。
アレクシスは絶句する。絶望する。
だた人の恨みを一心に受ける事が決まったその中で。
「あ、簡単には死なない様にしておいたから」
無慈悲に”神様”は言う。
誰かの気配がすぐそばまで来た。
降りかかるのは、もうなんて言っているかも分からない怒号と侮辱。
襲い掛かってくる人の憎しみを受けながら、アレクシスは絶望のままに絶叫を上げる。
そんなアレクシスなどもう興味も無いと言わんばかりに。
不平等で平等な神様はニタリと何時ものように笑うのだ。
◆
「――!」
黒い鋭い眼が大きく開かれる。眼に映ったのは数日で見慣れた寂れた教会の天井だ。
いつこの場に返って来たのか、どうして自分がここにいるのか分からないままアドニスは勢いよく身体を起こした。
辺りを見渡す。夢かと思ったが、やはり見間違いない。此処は拠点としている教会だ。間違いない。
「――ここは、なんで俺は、確か…………」
理解が追い付かないまま、頭に手を置いて必死に思考を巡らせた。
確かと思う。『三の王』と対面して、彼の言葉にどうしようもない黒感情を爆発させたこと。
ただ思うが儘に拳を振り下ろし、男の顔をぐちゃぐちゃに潰し、感情のままに男を殺した事は覚えている。その感覚感触温もり全てが手に残っているのだ。間違いない。
思わずと手を見た。
だが男を殺した痕跡はない。
跡形もなく消え去っている。
それは問題なかった。きっと治っただけだ。
だから、そう。
アドニスは『三の王』との戦いに勝利した。
ただそれだけなのだ。
「……。違う」
酷く虚しさが残る中、頭にその後の事が蘇る。
そうだ。問題はその後――。
頭に浮かぶのはナイフを握る恨みが籠った瑠璃色の女の姿。
「確か俺は――」
『六の王』によってナイフを突き立てられた。
慌てたようにアドニスは纏っているシャツを過ぎ捨てる勢いで捲り上げる。
歳の割には大きく割れた腹筋。熱い胸板。
胸を撃たれた。腹を撃たれた。横腹を抉る様に撃たれた。その傷があるはずだ。
「あれ……?」
だが、そこの何所にも傷と言う傷は存在していなかった。
銃跡どころか、掠り傷一つ。でもそんなことはあり得ない。撃たれたのは確かなのだから。
だとしたら考えられることは1つしかあり得ない。
『やぁ、少年起きた?』
何処からともなく声がする。
辺りを見渡すが姿が無いのは何故だろうか。
「シーア?何処にいる、傷を治したのはお前か?」
声を掛けると暫く。
寝室の出口側、扉の前に大きく黒い穴が広がった。
いつも通りだ。かつんと音を鳴らし、黒い髪を靡かせシーアが姿をあわらしたのは。
黒いドレスを纏って、右手を腰に回しニタリと笑っていた。
少しの間。シーアは足音を響かせベッドの側へと歩み寄る。
「気分はどうだい?少年」
アドニスの側に寄ったシーアはベッドの端に腰かけ、身体を乗り出す。
何かを確認する様にまじまじとアドニスの身体を見下ろし確認。口元に手を添え、ニタリと微笑む。
「うん。しっかり治っている様だね」
「…………」
確認なんて取らずとも、今の一言で確信する。
やはりあの出来事は夢などでもなく事実であり。そして負った大怪我を処置したのも彼女であると。
しかし、あの傷を治すなんて。いつもながら人知を超えた神業と言うモノだ。それも跡一つ残さないなんて。
「…………礼を言う」
ポツリと呟く。
目を逸らし、未だに何だか胸の奥でもやもやとした感情を渦巻かせながら。
彼女の前で醜態をさらした自身が妙に恥ずかしい。感情のままに暴れた自身が馬鹿馬鹿しい。
何より未だに『三の王』に対して苛立ちばかりが募る。
あの男、まるでシーアを知ったかのような顔をして。
ちょっとばかり彼女の瞳の事実に気が付いたぐらいで。
――でも。
アドニスは視線を上げシーアに視線を飛ばす。
目に映るのは変わらない赤い瞳だ。綺麗な血のような人に興味を持っていない瞳。――違う。
何処までも誰よりも平等な、赤い瞳だ――。
「…………」
アドニスは遂、彼女を見ていられなくなって目を逸らす。
もうシーアが心を読むことも無いと言うのに、何故だかまた今の心境を見好かれるような気がして。それが自身でも呆れるほどに嫌で、それはまるで悪戯をした子供の様に。その様子にシーアが何時ものように揶揄うかのように笑うとも気が付きながら。
「良かった――」
「――!」
ああ。嫌。違った。
心から安堵する声に驚いて顔を上げシーアを見る。
いつも通り、ニタリと笑って此方を揶揄って来ると思っていたのに。
そこにあったのはふわりと笑った、今まで見たことのない安堵を浮かべたシーアの姿。
背中がふわふわして心から見とれてしまう。あまりにも綺麗な姿だった。
「それで?お礼とかないの?」
「……」
それは正に一瞬の出来事だったのだが。
気が付いたらいつも通りのシーアの顔。
ニタリと笑った。嫌な顔でアドニスは無言になる。
そして無表情のままに前を向く。
「取り敢えず。状況を教えてくれ」
ムッとし顔で。心から不満気な表情を浮かべて。
シーアはニタリと笑ってアドニスにくっ付いた。
「ねぇ、ねぇ、お礼は?お礼!」
「今言っただろう!」
「えー。あれでお礼のつもり?ありがとうの一つも無かったのに?」
「うるさい!」
ついさっき言ったのにしつこい。
眉を顰めて歯を噛みしめる。
殺気の感情は訂正しよう。やっぱりムカつく女だと思いながら。
◆
コホンと咳払いを零す。
ギロリと黒い眼が赤い瞳を見つめ、本題へと戻す。
「で、あの後。……おれが『三の王』を殺した後何があった?」
シーアは何処となく不満気であったがニタリ。
アドニスに指をさす。
「その前に覚えていることは?」
覚えている事、だと?
そんなの簡単だ。大雑把に思いだす。
「『三の王』を殺して、『六の王』に隙を突かれたことぐらいだが……」
「うん。君が感情爆発させて“なよなよ”君を嬲り殺し。その隙を瑠璃色の彼女に隙を付かれたところだよね!」
「――」
この女は、わざと煽りやがったな。
眉を顰めて歯を噛みしめる。事実だからこそ、噛みしめる。
舌打ちを一つ。真っすぐとシーアを見据えた。
「で、具体的に俺に何があった!」
「君が覚えている通りだよ。君は彼女にナイフで刺されたの。ついでに銃弾を幾つか食らっていた」
「……」
それは確かにその通り。
全く何度も思うが不甲斐ない。
『六の王』なんかに不覚を取るなんて。
いや、それもこれもと思う。
それもこれも全て『三の王』とシーアの責任だ。
彼女がアドニスの命令を聞かなかったから
だからこそ声を振り上げる。
「だったらお前はなんだ。『三の王』の前に勝手に出て来て!」
口から出たのは勿論『三の王』の事件。
前に出るなと言ったのに勝手に出て来てまるでアイツの願いを叶えたかのような行動。
実に腹立たしいにも程がある。
「いやいや。私はね。あの”なよなよ君”の心を折ろうとしただけなんだよ」
「出来てなかっただろ!」
声を振り上げる。
何も知らないアドニスにとってはソレが精一杯の行動だ。
そんなアドニスをシーアはまじまじと見つめる。
正直言えば、シーア的には鉄槌を下したのだが、報告はめんどくさそうだ。
だから少し考えてから言葉を口にする。
「……仕方が無いだろ。私だってアイツがあそこまで気持ち悪い奴とは思いもしなかったさ」
「おい、今何考えた?」
その僅かな間をアドニスは見逃さなかったが。
シーアはニタリと笑う。
「もう良いじゃないか!『三の王』は死んだ。君が殺したんだから!」
「……おい、まさかそれで終わりか?」
「終わりだよ?」
なんて酷い終わり方。
この女サラっと終わらせやがった。
こっちの気持ちなんてガン無視に。
アドニスは未だに渦巻く自分の中のどす黒い感情に舌打ちを繰り出す。
実に腹立たしい。だが、シーアを見る。
この女は本当にこれ以上『三の王』について触れるつもりが無いのが見て取れる。
「もういい!」
体勢を戻し腕を組んでから苛立ちを交えて声を上げる。もう分かった。アレクシスの話はこれで終わりだ。
イカれた男の言葉にそそのかされて我を失い、自暴自棄になった結果深手を負った。これは自業自得。
失態だと素直に受け入れて今後は精心するしかない。というか、これ以上は自分の失態を彼女だけに知られたくないのでおしまいにするしかない。
「なんにせよ、結果『三の王』は死んだ。これでいいんだな」
「これで良いんだ、も何も……。君が殺したんだろ?アレで生きていると思う?」
――それは思わない。
頭をかち割ったのだから、生きているはずがない。
どこまでも弱く最後までムカつく男であった。それが『アレクシス』に対する印象となった。
そして、次が最大の問題だ。
漁夫の利が如く、ナイフでの襲撃に成功させたあの女の事だ。
「『六の王』はどうだ。あの女はどうなった」
「死んだよ」
思った以上にさらりとした声が返って来た。
一瞬驚きシーアを見る。
「死んだ……?お前が殺したのか」
「うん。私が殺した」
真っすぐと彼女を見据えた時、シーアはハッキリと。
白い手が何処からともなくアドニスの携帯端末を取り出す。
「連絡入れておいたからね。しっかり確認されているはずだよ」
手渡された端末を受け取った。
確認――。そんなことせずとも彼女は、こんな嘘はつかない。
ふざけた嘘は山のように付こうとも、人に興味がないからこそ誰かを“守る様”な嘘はつかない。
いや、平等に見ているからこそ……と言うのが正解なのか。
「どうやって殺した?」
「聞きたい?」
「聞かせろ」
「叩き潰した」
とたん、彼女の背から一本の真っ黒な腕が生え出て来た。
アドニスは思わずと息を呑む。それは初めて見る。常闇を映しとった様な真っ黒な腕。
指はか細くしなやかで、滑らかな肌を持つ。
だがその大きさはシーアを軽くこすほどに大きく。
「これで叩き潰しちゃった」
笑顔を浮かべながらシーアは大きな腕を揺らめかしながらアドニスへと近づけた。
人差し指だけで軽くアドニスの顔を越す手だ。
そもそも思う。初めて、じゃない。この腕は見覚えあると顔を青ざめる。シーアと出会った日の事だ。自分を襲った大きな腕。アレは違いなくコレ。
あの時は見間違いかとも思ったが、実際に合った存在だと再確認できた。
黒い指先がアドニスの頬を突く。ニタリ、シーアは笑っていた。
「こんな隠し玉をもっていたのか、お前」
「隠し玉って程じゃないよ?元から有る私の能力だからね」
「…………」
ぱちん、シーアが指を鳴らせば腕は嘘幻だったかのようにドロドロになって落ちてゆく、溶けた泥は地面に流れ落ち吸い込まれる様に消えてゆく。目の前に残ったのは「ニタリ」笑いながら椅子に座った彼女の姿一つだ。
その様子に彼女が報告したことは全てが事実だと理解し溜息を零す。
「女の――。フレシアンナの最後はどうだった?」
「死ぬ時の人間の顔をしていたよ」
「そうか……」
次の問いにもシーアはサラリとすんなり答える。
この答えで備考する点は一切なしと判断するしかなく、目を逸らす。
いつの間にかアドニスの手は脇腹に添えられていた。『六の王』フレシアンナがナイフを突き立て拳銃を乱射した大傷。今は跡形もなく痛みも無い。正直、あの女にここまで手ひどくやられるとは思いもしなかった。
皇族の彼女の正体は知っていたからこそ、簡単に殺せると判断していたし危険人物でも無いと思っていたのに。
ただ、最初からシーアは『六の王』を危険視していた事を思いだす。
「なんでお前は『六の王』が危険だと思ったんだ?」
率直に問う。
するとシーアはやれやれと言わんばかりに首を振った。
「簡単だよ少年。彼女は最初から復讐に燃えていた。けれど君はか弱い女だからと侮っていただろ?間違いだよ、それは」
簡単に言えば、と彼女は笑みを消した。
「――女の復讐は舐めない方がいい」
僅かな笑みも零さないまま、冷徹に。瞳に感情なんて一切込めず。
何処か非難すら混ざる色合いで、その言葉を投げ付けたのだ。
アドニスは僅かに息を呑む。
ぐうの音も出ない事実に僅かに唇を噛みしめ目を逸らす。
言い逃れも出来ない程に確かにアドニスは『六の王』を侮っていた。ただの復讐に身を投じた女であるぐらいしか確認していなかったし、それが裏目に出ようなんて微塵も思いもしなかった。
「――ああ、身に染みたよ」
「……」
「女ってやつの執念深さだけは、酷く恐ろしい物だ」
横腹に手を添えて。
言い返す気力も無かった。静まり返る静寂に包まれる。
どれほど経ったか、椅子に座っていた彼女はふっと口元を吊り上げた。
「分かったならいいさ。これからは気を付けたまえ」
赤い瞳がふと細くなる。口元には僅かな微笑み。
僅かに微笑んだ彼女の様子は酷く背筋に寒気が走るほどに美しい物だった。
◆
「――それよりもだ」
ただ、アドニスにはそんな事よりも気になる事がある。
手を伸ばしシーアの右腕を掴み上げる。ぐいっと彼女の顔に顔を近づけた。
「お前さっきから何で脇腹を庇ってる?」
「――!」
的を射た指摘。
赤い瞳が大きく広げられ、思わずと残った手で右脇腹を抑える。
その動きをアドニスは見逃さず、その腕も掴み上げる。
「何を隠している」
「…………」
眉を顰めて問い。
大きなため息がルビーの口から零れたのは数分も経たない事。
「分かったよ。分かった」
やれやれと言った様子で首を振り、握りしめられた手を振り払う。
左手が脇腹へと伸び、黒いドレスを掴み上げ下に巻いてあった包帯と共に音を立てて破り捨てた。
露わとなるのは白く細い腰、括れ、滑らかな腹。
白く艶やかな身体が露わとなり。そして、おどろおどろしい脇腹が露わとなる。
赤々しい抉られた大きな拳ほどの穴。
血は止まっているが抉れた内部が見え、痛ましいなんて言葉が甘く感じる程の傷が其処に合った。
それは紛れもない。アドニス自身がフレシアンナに付けられた傷であるのに間違いない。
「おまえ――」
「入れ替えたんだ」
何かを言う前にシーアが言った。
隠す様に手で脇腹を隠し、ニタリと笑う。
「この傷はね。復讐を成し遂げた女の確かな証なんだ。絶対に勝てやしない相手にたった一つの感情で何処までも食らい付き、最後まであきらめずに成し遂げた証。――それをどうして消せようか」
「…………おまえ」
シーアの説明を聞いてアドニスは眉を顰める。
この口ぶり、間違いない。
陰に潜んでいたフレシアンナを見逃し、成り行きを見守る判断を彼女は下した。
結果、アドニスが大怪我を負い死にかけ。シーアはその傷をアドニスから引き受けたのだ――。
「馬鹿か、お前」
手を伸ばし彼女の腕を掴む。
そのまま無理矢理にベッドの中へと引っ張り込む。
クルリとシーアの身体を反転し乱暴に、壊れ物を扱う様に優しく押し倒す。
腕の中にすっぽりと収まった彼女を腕にアドニスは声を荒げる。
「寝ていろ、この馬鹿!」
「――」
自身でも驚くほどの大声を漏らし叫ぶ。
アドニスは横腹に大怪我を負った。身体の一部が抉れると言う一週間は治癒に時間が掛かる大怪我だ。
この怪我であればアドニスだって真面に動けなくなるだろう。それだと『ゲーム』の支障でしかあり得ない。――だから、彼女の厚意とやらを無下には出来ない。受け取るしか出来ない。で、あるなら、自分が出来る事は唯一つ。彼女の身を気遣う事それしかない。
驚いた表情で此方を見上げるシーアから思わず目を逸らし、慌てたように身を離すとベッドから出る。颯爽にベッド側に置いてあった机。その上にあった救急箱、裁縫道具やらマッチの箱を手に取るとシーアに身体を向けた。救急箱からガーゼと包帯。消毒液を取り出す。手を伸ばし問答無用に彼女が纏っているドレスを一気に引き下ろす。
「ひゃっ!何をするんだ!」
下着も付けてない胸が露わとなって、シーアは思わずと胸元を隠した。
珍しく顔を真っ赤にさせて、キッと睨み上げて。
「なんだよ何時もは下着見せて着るくせに」――と、アドニスは思わずと胸が音を鳴らしたが、気にする暇はない。裁縫箱から針と糸を取り出して怒鳴る。
「そもそもお前は応急処置もなっていない!」
マッチに火をつけ針を炙った。
その様子を見て、察しが付いたのだろう。シーアは手で制した。
「いらん、いらん!」
「見ていられるか!傷口をふさぐ!」
「いや、初心者にされるの凄く怖いんだけど!」
「神様なんだろう!?コレぐらいは我慢しろ馬鹿!」
じたばた、じたばた2人が争う。
力はシーアが上回っているのだから、結果はアドニスの負けになりそうなものだが。コレばかりは譲れない。針を片手に何とかシーアを押し付けてその傷口の縫合を施そうと躍起になる。
そして長い攻防の末、先に折れたのはシーアの方であった。
「ああ!もう分かったよ!」
どんと足でアドニスを蹴り飛ばしてからベッドの上で荒く息を零しながら叫ぶ。
不服そうな表情を浮かべ、その場で胡坐を一つ。白い指を立て、シーアは脇腹の傷に手を近づけた。
指先から白い光が露わになり、ぎざぎざと傷口に向け指を動かす。
それだけで十二分だ。まるで針で縫われたかの様にシーアの傷口は光の糸で縫合された。
「これで十分だろ!」
ほぼほぼ自暴自棄になったかのように叫んだ。
珍しく痛みでもあるのか、目にうっすら涙を溜めて。
実に珍しい表情だ。思わず見惚れるが、直ぐに我へと返りその傷口に薬を付けてガーゼを押し当てる。
「にゃすにする!」
「包帯を巻くだけだ」
「染みて痛い!」
「我慢しろ!」
ばたばた手足を振る、シーアの身体を押し付けて無理矢理包帯を巻きつけた。
これで先ほどよりと比べて随分マシになったはずだ。
シーアは涙目になりながらも乱れた服を戻しながらアドニスを睨む。
「君ってやつは!変に強情だな!」
「当たり前のことをしたまでだ」
「えっち!」
「いつもセクハラまがいの事を俺に仕出かす癖に今更なんだ」
「コレとそれは違うだろ!」
ぷんすかと怒りながら珍しくと彼女は布団を被って丸まってしまった。
その様子を見て酷くイライラする。まるで自分が悪い事でもした様じゃないか。
「俺はお前を心配しただけだ。ソレの何が悪い!」
「うみゅ!?」
思わぬ一言にシーアが固まった。
それはアドニスも同じだ。思わずと口にしてしまった言葉だが、今自分は何を口走ったのか一瞬理解できずに口元に手を当てる。頬を僅かに染めて目を逸らす。
「な、なんだ。お前は俺の相棒みたいなものだろ?――心配ぐらいする」
精一杯の照れ隠し。それが全く持って隠しきれてないとも気付かず。
あまりに直球で来るものだから、シーアも思わずと何かを考える様に目を逸らした。
相変わらず色はない瞳だが、ほんの少しだけ頬を染めて。
それでもニタリと悪戯を思いついたかのように笑みを湛える。
「少年。そんなに私を想っているのなら、今からエッチでもしちゃう?」
「――は!?」
「だって、私を心配してくれるほど想ってくれたんでしょ?いいよ、そんな風に大切に私を想ってくれている人なら。――この身体、好きにしていいよ?」
だなんて、いつも通り。
いつも通り彼女の悪戯の筈なのだ――。
でも、きっとその時の頭は正常じゃなかった。
もしかしたら。
もしかしたら命の危機に瀕した彼女が、次世代につなぐ為の生理的現象を起こしているのかもしれないなんて。後々考えたら実に馬鹿な事を頭で過ぎらせてしまった。
「今は無理だ。俺はまだガキだからできない」
だから彼女の目の前に指を突き立てる。それも三本。
腕で顔を隠して目を逸らして、それでもはっきりと声を大きく荒げて言う。
「3年!」
「え」
「―― 3年待て!そしたら抱いてやる!!」
段々と恥じらいから声が小さくなってくる。
「そしたら、抱いてやる……。その間にもっと男らしく成長してやるから、まって、ほ、しい――なんて」
――だめか?
…………。
その場に酷い静寂が流れる。
腕の隙間から酷く唖然と、キョトンとしたような赤い瞳が此方を見ているのが分かった。
アドニスからすれば初めての、一世一代の応答だ。胸が激しく高鳴り、喉がからからに乾く。
どうして彼女は何も言ってくれないのか、その視線は一体なんだと言うのだろうか。疑問が浮かんでは花火のように消えていく。
「ああ――」
何処かバツの悪そうな声を漏らしたのは直ぐの事。
ちらりと視線を向ければシーアは困ったように眉を寄せ、どうしようもない笑みを浮かべて頬を掻いていた。
なんと言えばいいのか分からないと言わんばかりに。なんだか今自分が大きな間違いを犯してしまったような。
真っすぐとシーアが珍しく真剣な眼差しを向けた。
小さく首を振って、酷く申し訳なさそうに口を開く。
「――ごめん。冗談……なんだ。その、いつもの冗談で。君を元気づけようとはしていたんだが。――ゴメン」
酷く申し訳なさそうに。
心から申し訳なさそうに。
どうしようもないほどに事実を。
アドニスの頭が真っ白になっていくのが分かった。
頬がどうしようもなく熱く、トマトの様に真っ赤に染め上がっていく。
そんな頭で唯一理解は出来た。――間違えた、と。
「――わるい。早とちりした」
きっと今この瞬間口から出た言葉は生涯忘れられないだろう。
アドニスはクルリと背を向ける。
何も言わず未だに真っ赤のまま向かうのはシャワーがある浴槽。
「頭を冷やしてくる」
その一言を零して、ふらふらおぼつかない足取りでアドニスは浴室へと消えてゆく。
ばたんと扉が閉まる音が響く。
部屋にはシーアだけが一人取り残された。
ポツンとベッドの上で取り残される中、シーアの頭にはアドニスの今の表情が浮かんでいた。
リンゴのように真っ赤で、少年らしい顔をしていた先程の彼の姿。
「――馬鹿、だなぁ」
彼の表情を思い浮かべながら思わずと口に出した。
倒れ込み、腕で顔を覆い隠す。
浮かぶ、浮かぶ、彼女の中に。
一番彼女が憎む人間の姿を。
“アドニス”――。そう自分に名乗った、男の姿を。
“私”を裏切り、”彼女”から何より大切な物を奪っていった男の姿。
何を奪われたかなんて覚えていない。何故、其処までその男が憎いかも分からない。
でも憎い。憎くて堪らず、殺さなくてはいけない。必ず。
シーアはそういう存在であれと、この“世界”に送り込まれたのだもの。
だから、だから――。
「だから私は。――私は人を想ってはいけないんだよ……」
だからこそ、シーアと言う存在は『一人しか想えない』
それがどんな感情であれ。
好きは愛に成長しない。
嫌いは憎悪に成長しない。
哀れみを覚えようが憐憫にはならない。
思いは想いには決してなり得たりしない。
それが復讐を望む【神】が自分自身に下した罰。
――制約。誓約と呼んでも良い。どっちでも良い。
なんにせよ。
「ごめんね。少年」
哀れな子供にシーアは聞こえない声を贈る。
「君は、私の憎む“アドニス”じゃない。“アドニス”には絶対になり得ない。――魂の色が違い過ぎるから」
泣けない目元を抑えながら、唇をきつく噛みしめながら。
赤い瞳に何処までも平等な色を宿して、何処までも色の無い瞳を映して。
「私は君の想いには答えられない。――応えられないんだ」
いつかその手に掛ける少年を此処から哀れみ静かに目を閉じるのであった。
※
『三の王』
アレクシス・メルトーフ
『六の王』
フレシアンナ・ゴーダン
――死亡