108話『Ewa^Ho』
蒼い影が舞う。
黒い少年は一瞬何が起こったのか分からなかった。
右脇腹に感じる確かな痛み。横から感じる人の重みと突き刺さる様な殺気。
驚き横目で見る。
眼に映ったのは女。
瑠璃色の瞳に憎悪を滾らせたフレシアンナの姿。
その手に銀色のナイフを握りしめ、深々とアドニスの横腹に突き立てていた。
「が、はっ!」
口から血。
女の重みでぐらりと身体が揺らめき、そのまま地面へと叩きつけられるように倒れ込んだ。
我に返ったのは身体が叩きつけられた瞬間。
咄嗟に手を伸ばしフレシアンナを押しのけた。
途端、横腹に差されたナイフが身体から抜き出る。
黒い服が赤く染め上がり、塞ぐものが無くなった穴からは一気に血が溢れ出た。
アドニスの頭は真っ白になる。女を蹴り飛ばし、傷口に手を当てる。
誰かに刺されたなんて初めてだったから、彼女以外に自分を傷つけられる相手はいないと決めつけていたから。訳も分からず傷口を押えて身体を丸め込んだ。子供の様に身体を丸めることしか出来なかった。
かつん、側で足音がする。
荒く息をしながら視線を動かし見上げれば、歪みに歪んだ顔をしたフレシアンナが側に立っていた。
手にナイフを握りしめ、荒く肩で息をしながら睨み下ろす。
目の前で女はナイフを投げ飛ばすと腰から拳銃を取り出し、アドニスへ向ける。
「おま――」
「しね」
ただ、その一言。
容赦も躊躇もなく、彼女は引き金を引いた。
――銃声が5発鳴り響いた。
狙いは血が噴き出ている穴。とどめと言わんばかりに打ち込まれる。
一発が右胸に。
二発目、三発目が腹の中心に。
そして、四、五発目が横腹の傷口を抉る。
再び口から血が溢れ出て、目の前が真っ白になる。
ただ一瞬思う。
――嗚呼
コレは駄目だ、と。
◆
倒れ込んだ少年の前、フレシアンナは両手で拳銃を構えたまま肩で息をする。
瑠璃色の瞳には殺気と憎悪。ただそれだけの感情が溢れ出す。
それからどれほど経ったか、きっと一分も無い。
整った顔に不気味な笑みが浮かび上がったのは。
「ふ、ふふふ。あはははは!」
口から勝手に笑い声が零れる。
狂ったように、喜びに浸る様に。
「く、はははははは!!あははははは!ざまぁみろ!!」
声を張り上げた。
目の前で転がる黒い少年を思い切り蹴り上げ、何度も蹴り上げ、笑い上げる。笑い続ける。
「しね!しねぇ!!!」
眼に涙を溜めて、口元を大きく歪ませて、愛した男を殺した暗殺者の少年をいたぶり続けた。
ざまぁみろ、ざまぁみろ、ざまぁみろ。
何度も何度も、何度も何度も。
その様子は傍から見れば気が狂っている様にしか見えなかった。
周りの様子など見る事無く。気にかけることも無く。
直ぐ後ろで大きなため息が零れ、耳元で声がするまで。
「うん。素晴らしい執念だ」
「――!」
突然送られた賛美の声にフレシアンナは跳び上がり腰を抜かした。
音をたて血まみれの地面に倒れると、おずおずと顔を上げる。
「あ、あなたは――?」
瑠璃色の目に映ったのは女だ。
黒いドレスを纏い、黒い髪を靡かせた、背に紅い入れ墨を刻まれた赤い瞳の女。
忘れもしない。銃弾の雨をその柔肌で受け止めた化け物。
腰を抜かしたフレシアンナの側で、シーアは美しく微笑みながら佇む。
その表情には何の感情も無く、ただお妃さまに賛美の視線を送るのみ。
「少年。しょうねーん」
その視線も僅かなモノだ。
赤い瞳は側で倒れ動かないアドニスに向けられる。
声を掛けるが、アドニスはピクリとも動かない。誰の物か分からない血が溢れる地面に倒れ込むのみ。
「ま、気を失っているだけだから大丈夫だろ」
赤い瞳を細めて言い切る。
何処からともなく一枚の長く黒いスカーフを取り出して、膝を付く。そして取り敢えずと言わんばかりに大きな穴が開いているだろう場所にスカーフを巻いた。
彼女の指先が触れただけだ。唯のその瞬間で、一番大きな傷口がある脇腹以外の傷が瞬く間に塞がったのは見間違いじゃない。
フレシアンナは愕然とした。
当たり前か、目の前で信じられない現象が起こったのだから。
ただシーアは大傷だけは治さなかった。
治さないままに立ち上がり、再び赤い瞳がフレシアンナを映す。
ぱんぱんと、大きな音を鳴らしながら拍手を1つ。
「君、いいね。いいよ、その執念深い復讐心。いやぁ、此処までやるとは思わなかった」
ニタニタ笑いながら身体をフレシアンナへと向け手を差し伸べる。
一瞬何が起こったのか、何をしているのか分からないまま呆然としていたが、手を貸しているのだと気が付き、おずおずとその青白い小さな手に手を伸ばした。
軽々とフレシアンナの身体は持ちあげられる。
立ち上がり、少し落ち着いたまま、まじまじと目前に立つ女を見る事となる。
はじめてまじまじと見て、酷く美しい少女だとフレシアンナは心から思った。
同じ女でさえ、頬を赤らめ見惚れてしまう程に。
彼女のように美しかったら、夫は違う態度を示してくれていたのだろうか……なんて。
「うん。違ってたんじゃない?少なくとも毎日変人じみた視線なら送られると思うよ」
まるで心を読んだかのようだった。
にたり、シーアは笑う。
ぼきり、鈍い音が、すぐ目の前からなる。
「え?」
自身でも驚くほどに間抜けな声が漏れた。
女の手を掴んでいた右手が異様に痛い。
何事かと視線を落とせば、目に映る。
今まで女に触れていた手。その手が可笑しな方向に折れ曲がり、血が滴り白い骨が見え隠れしている所が――。
「……え?」
理解も出来なかった。
ただ鈍い痛みと言い表せられない恐怖で後ろに下がる。
だが足は上手く動いてくれなかった。血まみれの床も運悪く、再びフレシアンナは地面に転がり落ちる。
瞳から涙が溢れ始めた。
痛い、痛い、痛い、痛い、いた――。
泣き叫ぼうと口を開けた時、瑠璃色の目に再び女が映る。
美しく整った顔。その顔にコレでもかと避ける程の笑みを浮かべて。
おぞましく輝く赤い瞳で静かに事らを見下ろす、その姿が――。
理解した。
この手、この女の仕業だ――。
「ひ、い!!」
思わず声が漏れる。歯が勝手に音を鳴らす。身体の震えが止まらない。
直感が言う、身体全体で言う。――この女は化け物だ。
残った手で必死に後ろに下がり、必死に逃げる。その無様さと言ったら、先程の雄姿とは真逆。――実に無様。
シーアはニタリ、笑いながら。優雅に、ゆっくりとその後を追った。
「ねぇ、君。ちょっと私と話をしようか。」
フレシアンナの側で、シーアは膝を曲げ彼女の視線に合わせた。
美しい顔で、不似合いな笑みでニタニタと。一切の感情も無く。一差の色を瞳に乗せる事無く。
「一人の神様と、少年の話でもしようか」
ルビーの唇が静かに語り始める。
「ある所にさ。男の子が一人いたんだよ。産まれ付き何処か壊れた子でね。優しい両親と仲が良い義理の兄弟に囲まれて牧場で幸せに暮らしていた」
◆
ある所に一人の少年が居た。
少年には優しい両親と、中が良い義理の兄弟たちが沢山いた。
貧しいながらもソレは細やかで幸せな暮らしだったと言う。
それでもその幸せは突如終わりを告げる。
少年自らがその幸福を終わらせる。
ある月の晩。
少年は両親と兄弟を、たった一人で殺したのだ。
理由?
簡単だ、家族が悪であったからだ。
子をさらい、人を殺す術を叩き込ませ、売りつける。
両親の親は人さらいの人売りだったのだ。兄弟は両親に育てられた傀儡だったのだ。
少年はその事実を知った晩に、彼らを悪と見出し、要らないとして皆殺しにした。
その時、彼が何を思っていたかなんて知らない。
知りたくもない。それでも唯殺した。悪だと言う理由だけで殺した――。
父母のささやかな愛と良心から一度たりとも殺しの技術を教わらなかった、無垢な子供が。
笑える話だ。殺し屋に優しさと愛だけで育てられた子が、一番殺し屋に向いていたなんて。
――。その実力を『世界』が見逃すはずもなく。
◆
「少年は『世界』の組織に引き取られたそうな。そこで、一年の修行を受けた。たった一年で彼は誰よりも強く最強とまで謳われる殺し屋と育った」
淡々と物語を続ける。
そんな物語、女に聞こえている筈も無く。
体中を震わせ、それでも何とか力を込めて立ち上がる。
何度もこけて、何度も転んで、体中に擦り傷が出来ても構わない。
必死に立ち上がって、走り出した。
シーアからすれば、そんな動きなんて鈍間の他ないが。
長い足で音を鳴らしながら、彼女は彼女を追った。
さて、次はどんな話をしようかなんて口遊みながら。
「そうだなぁ。その少年はさ、ある日『王』を決めるなんて言うデスゲームに参加させられたのさ。優勝賞品も無い下らないNPCとしてね」
◆
暗殺者となった少年の元に、ある日敬愛する皇帝からある『ゲーム』に参加せよと言う命が下った。
10人の人間による『王』を決める、最大の『ゲーム』
少年に下ったのは、この参加者を全て殺せと言う命令。
彼はこの命を二言返事で承諾した。
自信はあった。負ける気などしなかった。
最初の犠牲者は太ったガマガエル。
二番の目犠牲者は出来損ない。
三番目は優しい武器商人。
四番目は傲慢頓智な二人組。
六番目は偽善者ぶった青年。
そして七番目が復讐もできない出来損ない――。
◆
「その後九番と十番も殺害。結果、その少年は全ての『王』を殺したと言う事さ。殺して、任務を遂行させた。たった一人で、誰の手も借りず。誰の賛美も受けず。ただ一人で、ね」
カツンカツン、音を鳴らしながら物語を語るかのようにある少年の一生を奏でていく。
逃げる、逃げる、女を追って。
震える手でフレシアンナは残った手で拳銃を取り出し震えるでと口を使って弾を込めて、シーアへと向け震える手で余裕なく撃つ。
銃弾の全てを彼女に打ち込む。弾は真っすぐに飛び、その細い身体に全て当たった。
だが、その美しい白い肌にはかすり傷一つ付かない。鋼に弾を撃ちこむように弾かれてはあらぬ方向に飛んで行く。
「何処まで話したっけ?――ああ、そうそう。少年が『ゲーム』に優勝した所までだったね。それから二十年近くたった」
◆
『ゲーム』から二十年ばかり経った。
青年と化した男はあくる日、可笑しな世界に迷い込む。
それは実に不思議な世界だった。
別に可笑しいと言っても、変わった世界ではない。
魔法は無いし、物語に出てくる変わった種族が出てくるわけでもない。
ただ沢山の神様が存在していて、崇められながら人と共に暮らす。
平和な世界、幸せな世界、悪なんてモノが無い完璧な世界。
ただ一人。
絶対的な【悪】が存在する世界。
倒されるべき【悪】が唯一人、ひっそり存在する世界。
男はその【悪】と出会った。
何を思ってか、正義の味方になるより彼は、臆病者で泣き虫の【悪】に手を貸す事に決めた。
◆
「何を思ってなのかは知らないよ。今じゃもう知ることも出来ない。――知ることは出来ないんだ」
シーアは歩みを止めないまま静かに前へと進む。
目の前の『六の王』を追っていく。
フレシアンナは何度もこけそうになりながら、走って、走って、走り続けた。
村を離れ、真っ白な頭で必死に考えて、思いつく。
あの屋敷。『四の王』と『五の王』が用意した武器の数々が並ぶ、あの屋敷。そこなら太刀打ちできるかもしれない。運よくココから遠くない。我武者羅に奔り続ければ辿り着くだろう。
ラッキーな事に自分を追う化け物は速度を変えて追ってくるようなことはしない。
だから走る。走り続ける。走って、走って。
一定の距離を取りながら、シーアが更に口を開いた。
「ここで少し話を変えよう。一人の神様の話にしよう」
ニタリ笑って、話を区切る様に次はある『神様』の話をする。
◆
神と人が手を取り合い仲良く暮らす世界。
その世界で【悪】と呼ばれるただ一人の少女が居た。
例にもれず、彼女は【神】と呼ばれる存在で。
その昔には名も無いその世界を創り上げたとされる、ちっぽけな一人の神様だった。
彼女は世界から嫌われていた。人から嫌われていた。他の【神】から嫌われていた。
理由なんて簡単だ。
彼女は何処までも【悪】だったからだ。
生きとし生ける者にとって、彼女は何処までも何よりも【悪】だったからだ。
人の心も知らず、人を思いやる気持ちも持たず、人を不幸にする。
泣いてばかりの泣き虫で、臆病者で、いつも一人きりの女の子。
誰も彼女を愛してはくれないし、助けてはくれない。
それでも彼女は頑張って生きていた。
死ぬ事が出来ないから頑張るしか出来なかった。
いつも泣きながら、我武者羅に頑張るしか出来なかった。
頑張れる理由があったから頑張って来た。
もう覚えてないけど、どうしても思い出す事も出来ないけど。
ああ、そう。
彼女は何処までも頑張っていたのだ。
◆
走って、走って、フレシアンナは寂れた屋敷に辿り着く。
滑り込むように屋敷の中に入り込んで、穴の中に飛び込む。
何でもよかった、目の前に有った手あたり次第の武器を握りしめて、穴の底で追ってくる化け物を待ち構えた。
ゆらり、黒陰が揺れる。
フレシアンナは手にしたマシンガンを向けた。
迷いなんて待っている暇なんて無い。
痛む手を無視して、化け物に銃口を向けて引き金に手を掛ける。
「あああああああああああ!!!」
咆哮。地鳴りのような轟音。
殺気も恐怖も全て混ざり込んだ感情を、化け物に向けて撃ち放つ。
赤い瞳でニタニタ笑う。彼女に向けて。
そんな事、無駄だった事を忘れて。
黒陰は避ける事も傾けるようなこともしなかった。
ただ微笑を浮かべて見下ろすばかり。
その柔肌にはやはり傷一つ付かない。髪の毛一本弾き飛ぶことも無い。
肌に当たる弾は全て弾き飛んで、あらぬ方向に飛んで行く。
どれほど経ったか、フレシアンナが引き金を引いても弾が出なくなった時。彼女は物語の続きを口にした。
「みんなから嫌われ者の彼女にいつからか、1人の用心棒が出来た」
◆
誰からも嫌われ、誰からも命を狙われる彼女にあくる日、用心棒が出来た。
それは異世界からやって来た、黒ずくめの殺し屋。
無駄に力だけはあった少女が唯一心の底から勝てないと恐れた男だった。
それでも彼は初めて彼女の話を最後まで聞いて、彼女の側に居る事を決めてくれた人だった。
何処までも厳しい人。
人の殺し方を教えてくれた。
感情の消し方を教えてくれた。
何時も冷たい視線で、けれど決して見捨てることも無く。
どうしてと聞いた事がある。すると彼は答えた。
――この世界でお前が一番美しいから手を貸す、と。
恥ずかしげもなく。
その時感じた感情は覚えてない。
ただ、唯一、そう、多分、嬉しかった。
怖くて堪らないけど、彼だけを、彼だけは信じて見ようと。彼女は思ったのだと言う。
ただ、ただ、そう。
心から信じた男に、
心から恐怖を抱いた男に、
心から勝てないと感じた、その男に。
――心から大切な物を奪われ、汚いと罵倒を受けるまで。
◆
「――その時絶望した。全てを壊しきってでも、こいつを、コイツだけは殺そうと決めたのさ。全てを投げうってでも復讐すると彼女は決めた」
太陽を見上げて、シーアは物語の最後を締める。
穴の下で泣き叫びながらナイフを、拳銃を、手あたり次第モノを投げまくるフレシアンナが全く話を聞いていないと知っていながらも、気が付いていながらも、物語を続け終わらせる。
「私は所謂端末だ。”私”の復讐の為にその男の元に、逃げきった男のモノに飛ばされるはず、だったモノ。男を――”アドニス”を殺す者だったはずのモノ」
空を見上げながら、憎い男を思い浮かべながら。
青い空に手を伸ばす。瞳を万華鏡に染め上げて、憎々しく言い放つ。
「だのに。――嗚呼、本当に私はなんで此処に居るのだろう?」
疑問と憎悪を胸に。
赤い瞳で酷く泣きそうな表情を浮かべて。
「必死に帰ろうとした。連絡を取ろうとしたが、取れなかった。自力でこの世界から離れようとしたのに出来なかった。どんなに頑張っても帰れないと悟った時は絶望したさ。絶望して今度は自分自身を殺そうともがいた。この身を切り捨ててなぶり壊して、引き千切って心臓だって握りつぶして、頭を潰して、身体を潰して、死のうと死のうと死のうと」
――でも死ねない。どんなに頑張っても死ねやしない。帰れやしない。この世で一番憎い男の元に辿り着きたいのに辿り着けない。その悔しさは、何と表すべきものか。
「気が付いたんだ。私は私を殺せない。私を殺せるのはきっと”私”だけなのだ。でも、どれだけ叫んでも”私”は私を殺してはくれやしない」
事実に気が付いた時、絶望は失望に変わった。
自分の世界に閉じこもって。
悩んで、悩んで、悩んで。どれだけ悩んだか。
「沢山悩んで、一つの可能性を思いついたんだ。」
シーアはニタリ笑う。
涙を振り払って、狂気に染まった笑顔を浮かべる。
「私を殺す理由を作ればいい。怒りを買う事を行えばよい」
フレシアンナは泣き叫ぶ。どうやってこの化け物を殺すか必死になって考える。
胸元から取り出すのは端末機械。最後の手段。
もう恐怖から回らない頭が導き出した最悪の答え。
「――発射しなさい!!今すぐ、目標地点に、この地に墜としなさい!!!!!!」
通話がつながった瞬間に叫ぶ。
電話先の受け答えなんて知ったこと無い。
「何でもいい!早く、早く墜としなさい!!――早く、この化け物を殺して!!!!!!」
発狂した声で、実に最悪の最後の命を下す。
落ちぶれたとはいえ、王妃様の命令は絶対だ。
皇帝から許可が出ているからこそ絶対だ。
『世界』
その中心の皇族が住まう誰も知らない施設の中で、慌ただしく科学者たちが走り回る。
騒いで怒号が飛び交う中で、白衣の一人の男がボタンの並ぶ精密機械とも呼べる機械へと歩み寄った。
押すなと言わんばかりにカバーが付いたボタンを目に入れ、叩きつける様に押す――。
『――目的地確認』
機械じみた女の声が響き渡る。
少しの間、続けてアナウンスが鳴った。
『ミサイル発射迄、後10秒』
カウントダウンが始まる。
誰もが固唾を呑む。
―― 十秒なんてあってない様なモノだ。
カウントダウンが0を告げた時。
今までで一番の音を鳴らし、地響きを轟かしながら大きな光と共に大きな筒が発射された。
火を噴きながら、それは一直線に飛び向かう。
コレが落ちれば街の一つが破壊どころの騒ぎじゃない。
世界の5分の1ははじけ飛ぶだろう代物。
コレが『六の王』の武器。
皇帝陛下より賜った。皇帝の一族だけが使用を許可されている兵器。
『世界』が作った物で、オーガニストは足元も及ばないと苦言を零した者。
世界を壊すミサイル。
これが、『六の王』の最終兵器である。
◆
屋敷の中でフレシアンナは気が触れたように笑っていた。
ケラケラ笑いながら、自分だって死ぬのに構わず笑い続けていた。
だってそうだろう。
今発射されたミサイルで確実にこの村は弾き飛ぶ。憎いあの駄犬を完全に塵残さず排除できる。
距離的に皇帝の元までは、ぎりぎり行かないだろうが、大きな痛手になるのは違いない。
世界の5分の1が無くなるのだ。自分が作らせた兵器でなくなるのだ、皇帝にだって最大の痛手を浴びせられる。違いない。だから笑う。ざまぁみろと。愛するジョセフを捨てた罰だと。
「ざまぁみろ!!ざまぁみろ!!!」
声を高らかに笑い、狂ったかのようにくるくる踊り出す。
空の向こう、遠くで大きな光が輝いた。それを赤い瞳が見ているとも知らずに。
「”私”を怒らす私の策、何だと思う?」
向かい来る光を見据えながら、シーアは気にすることも無い様に話しを戻す。
フレシアンナは全く聞いていないが、それでも続きを話す。
「”私”は物語が好きでね。一つの宇宙を物語と見ているんだ。それも熱心でねぇ。物語を壊すことは決して許さない。例え自分でも許さない。全力で阻止する。――ソレで何だけど、物語で一番重要なモノって知ってる?」
目を細め、何時ものようにニタリと笑う。
迫ってくる光の束なんて興味も無い様に。
「それはね主人公。だってそうでしょ?主人公が死んじゃえば“物語”は終わってしまうのだから。死んだ時点でそこで世界は終了。だから世界の一つに“主人公”を一人作り出して一つの物語として楽しむ。誰が主人公になるかは知っている最初から決まっている。”私”には誰もが主人公って言う考えが無い。神様だからズレているのか、元からズレていたのか。漫画が好きだったからなのか知らないけど。――なんにせよ、”私”を怒らすにはこの“物語”の“主人公”を殺せばよい」
光の束に手を伸ばし、ふわりと宙に浮かぶ。
「――だけどね、この“物語”にはまだ“主人公”は居ない。その位置に”あの子”は立っていない。いないんだと思う。だから私が”あの子”をどれだけ殺しかけても私を見逃す。なら、あの子は何時“主人公”になる?――決まっている。このゲームに勝利した時だ」
ふわりと宙に浮いて、真っすぐと光の束に身体を飛ばす。
何処までも垂直に、狙いを定めて、受け止めるかのように片腕を伸ばす。
刹那。シーアの背から食い破る様に黒い何かが這い出て来た。
――ソレは表す事が出来るのなら『手』。
千は余裕に超える、夥しい数の腕。
沢山の腕は大きく広がった。
正に手を極限まで伸ばす様に。
掌で優しく包み込むように。
ミサイルを腕の鳥かごの中へと閉じ込める。
目前までミサイルは迫りくる。
もう鼻先まで、ぶつかろうと思えた時。
それでも赤い瞳は世界を壊そうと落ちる球をしっかりと見据えていた。
シーアはニタリと笑う。
私を殺せるのは彼女だけだ。
ならどうやって彼女をその気にさせるか?
簡単だ。「物語の主人公」を殺せばよい。
脆い人間一人を殺せばよい。
決まった結末を変えようとするだけで良い。
ラッキーな事に、“主人公”の人生は全て知っているから。
だって彼はこの『ゲーム』に勝利する。
彼はこの世を変える人物になる。
『ゲーム』から十数年後。
この世界では大きな革命が起こるのだ。
そんな革命で主人公の少年は、『ゲーム』に生き残った少年は
いずれ起こる革命で彼は【皇帝】を殺すと言う大役を引き受けるのだから。
――それが彼の運命、この物語の「主人公」の定められた結末。
だから、ソレが為される前に。
彼がこの物語の主人公と決まったその瞬間に、『ゲーム』の優勝者が決まった瞬間に。
その首を撥ね取れば良い。
ただ、それだけなのだ。そうだから――。
「私は”アドニス”を殺すために、アドニスを殺す。――それが私の目的だ。」
大きく包んだ腕の隙間から激しい光が放たれた。
ばん――と、ソレはまるで大きな花火の様。
凄まじい風圧が辺りを駆け巡ったのもその瞬間。
風きりの中、輝かしいばかりの光と火花が弾き飛んで青い空を彩る。
そのまばゆい光は数分続き、黒い腕は赤々しく輝いてはゆっくりと消えゆく。
赤い瞳がまじまじと明るい火柱を見つめ、光が消えゆくのを確認した。
完全に光が消えた後、伸ばしていた掌を閉じる。
それに合わせて、夥しい腕がどんどんと圧迫する様に収縮。
一本、また一本と黒く大きな腕は消えていった。
空中で最後に残るのはシーアの掌の中。
ぐにゃりと曲がりくねった小さな鉄の塊が残るだけ。
ただ本当にそれだけ。
白い肌に火傷処か掠り傷一つ付くことなく。
其ればかりか纏う黒いドレスにも僅かな傷を刻むことも無く。
もう何も、何事も無かったように、女は宙に、其処に佇む。
風きりにも似た爆風は止み、赤い光は嘘のように無くなる。
辺りは今までに無い程の静寂に包まれた。
そんな空の上でシーアはクスリと笑う。
赤い瞳が静かに底にいる女へと向けられ落とされた。
ルビーの唇が開く。
「――残念。私を殺したいのなら宇宙を10個。壊せるような武器を持っておいでよ」
空を仰ぎ「あ、ちがうな」なんて首を傾げ。
「それで掠り傷程度か――」
なんて――。
冗談にしか聞こえない本気で。
誰よりも美しく微笑んだまま、地上で固まったままの女を見下ろすのだ。
◆
フレシアンナはただ茫然と空を見上げていた。
未だに上辺だけの狂気じみた笑みを浮かべたまま、しかし額に冷や汗。瞳孔は揺れに揺らめく。
今の状況を理解できないと言う表情を浮かべ呆然と、空に佇む神を見据える。。
「――。は?」
少しの間、口から実に間抜けな声が漏れた。
当たり前か。信じられない光景が今まさに目の前で起こったのだから。
ミサイルだぞ。核兵器だぞ。
それをだ、今この女は。空に浮かぶ女は。
得体のしれない手段で、見たことのない無数の手で握りつぶしたのだ――。
ふわふわリ……。
シーアが空から舞い降りて来る。
黒いドレスと黒い髪を靡かせながらシーアはフレシアンナの上で止まった。
何時ものようにニタリと笑い。背からあの一本の大きな腕を出し、拳を創り上げ振り上げる。
真上に現れた拳を見て何かを察したようにフレシアンナはがくりと腰を抜かした。
そんな呆然と此方を見据える瑠璃色の女を見下ろし、シーアはニタリ笑う。
「私の目的もさ、君と同じ復讐なんだ。相手も同じ。だから、君には賛美を上げる。よく頑張ったねえ」
心の底から色の無い瞳で賛美を送り。
心の底から哀れみを送る。
心の底から最後の言葉を贈ろう。
「でもさ、これ以上は邪魔。私の復讐の邪魔。だから、ね。――死んで」
笑って。
何処までも最後まで綺麗に笑って。
シーアは高く振り上げた拳を振り下ろす。
フレシアンナは最後まで絶望の中、笑みを浮かべていた。
最後に映ったのは黒い塊。一瞬だけ時が止まって、最後に愛する夫の姿が浮かぶ。
笑顔を向ける最愛の夫。障害唯一愛して、生涯最後まで愛した唯一の男。
瑠璃色の瞳に恐怖からか、愛情からか分からない涙が溢れる。自分に手を差し伸べる最愛のかれの幻想に手を伸ばして彼女は笑った。
目の前に有るのは黒い拳とも気付かずに。
それが、彼女が見た本当に最後の光景であった――。