106話『三の王』終
「煩い!煩い煩い煩い――!!!」
気が付いたら身体が動いていた。
ライフルを捨て、腰からナイフを取り出し駆けだす。
シーアを押しのけ呆然と間抜け面を浮かべていた、今にも死にかけの男に襲い掛かっていた。
跳び掛かり肩を抑えて地面に叩きつける。ごほり――血が混ざった咳がアレクシスの口から零れると同時に手にしたナイフをその腹に突き立てる。
「気色悪い!知ったようにこいつを語るな!お前なんかがこいつを語るな!」
「う、がぁ!」
「なにが”平等”だ!なにが、なにが!!」
今度はアレクシスの口から夥しい程の血反吐が吐き出された。
あまりの事に男は整った綺麗な顔を歪みに歪め、腹に突き刺さったナイフに手を伸ばし、必死に自分に圧し掛かる少年を押し返そうと手を伸ばす。
だが、少年の身体はピクリとも動かなかった。
黄色の目に映るのは歪んだ、幼さ残る鬼の顔。
眼を大きく広げ瞳孔を開きに開き、血が滲むほどに歯を噛みしめる。憎悪と名も分からない感情で歪んだ顔。
「お前にシーアを語る資格なんて無い。お前こそコイツを語る資格はない!煩い口を閉ざしていろ!」
突き立てたナイフを一気に振り上げて引き抜く。栓が抜かれた穴からは押し止めていた液体が一気に弾き飛び、吹き出して少年の身体を赤く染め上げ汚す。
顔に掛かる生暖かく血生臭い液体を浴びながらも、その手は止まらなかった。
馬乗りとなって手に握るナイフを再び降り上げ下ろす。今度は胸に。
「ああ……。ああああああああ!!!」
自分でも驚くほどの咆哮を口にして。
抜いてまた振り上げて腹に。振り上げて横腹に。振り上げて胸に。
抜いて振り上げて、抜いて振り上げて、体中を真っ赤に染め上げながら、それでも辞めない。
その度アレクシスの口からは何やら言葉が零れ、次第に声にもならない声となり。最後には「ひゅー、ひゅー」と擦れる息だけが鳴るだけになっても少年は止めはしない。ただ怒りのままに腕を動かす。
次第に手が滑って来た。
もはやナイフが邪魔だ。投げ捨てる。
「――っ!!」
「……」
からんからんと音が響く中、拳を振り上げる。
黄色の瞳が最後に見たのはそんな少年の姿。
鬼の形相で拳を振り上げて、目の前まで迫る彼の拳――。
まるでトマトが潰れる様音が響く。
手に硬く柔らかい感触。
足った一発で割れて中のミミズが飛び出す。
それでもアドニスは止まらない。
なんども拳を振り上げ、どす黒い感情のままに拳を振り下ろす。
痛みなんて無かった。もう気色悪いとも思わなかった。ただ心から腹立たしかった。
だから黒い感情のまま拳を振り下ろす。
痙攣していた下の男が動きを止め、完全に動きを止めた後でも。
「…………」
血まみれになる少年を赤い瞳は後ろから黙って見つめていた。
感情のままに殴り続ける少年。
もう唯の動かない人形とかした青年に拳を振り下ろし続ける彼を見守りながら、ただ険しい顔で思う。
「平等の瞳、か。確かに正しいな……」
アレクシスと言う男に言われた言葉。
――それは正しいと思う。
シーアにとって今この世に生きるモノ全て“同じ”だ。どれもかれも同じ、唯生きている“生物”だ。
今熱情をぶつけて来たアレクシスと言う男も、自身を欲しがった皇帝だって。遊び感覚で生き返らし、殺した人間たちも、其処ら辺にいる牛や羊と言った家畜。犬や猫、鳥も植物も、蟻だって。――アドニスだって。
どれもこれも変わらない、全て同じ唯の“モノ”にしか見えていない。
生物以上の存在として彼女は産まれた訳だから、彼女はまぎれなく確かに【神様】だからこそ。
この世の全てを“平等”に見る。
――いいや、ちがう。
神様であるからこそ、なんて方便。
だって仕方が無い。どうしようもない。
だって。どうしようもなく。
彼女は、
私は、
他人を、
どうしても人間として見られないのです
――見てはいけないのです。
シーアは無言で少年を見続ける。
酷く悲しげな表情で、何とも言い表せない顔で。
色の無い、何処までも平等な瞳で――。
◆
『三の王』
彼は『世界』の小さな村で産まれ落ちた。
昔は農業で栄え繁栄していたと言われる村だ。だが何時からだろうか、村が寂れて行ったのは。落ちぶれて行ったのは。
ある時、誰かが皇帝に助けを求めたと言う。新しく即位した彼ならば助けてくれるに違いないと。
知らなかったのだ。その皇帝が歴代の中で一番の暴君と呼ばれる人物になるとは。
皇帝は言った。
その土地はもう痩せている。どんなに耕しても意味がない。
生きて余の糧になりたいのであれば新しい土地を用意してやる。そこで新しい生活を送るがよい。
――そんな提案、論外だった。
だって、村民たちからすればそこは生まれ落ち育んでくれた故郷であったから。
だから誰もが皇帝の案を跳ね除け、此処に残る事に決めた。村を捨てたのは村を治めていた貴族ぐらいだ。アイツは仕方が無い。元はよそ者だから仕方が無い。
皇帝はもう二度と手を貸してくれなくなった。
それから村は更に寂れて行った。
野菜は育たなくなり、草木は枯れ、日照りが続き遂には水が枯れる。
それでも村人は逃げるようなことはしない。誇り高い村の一人として、逃げてなんてやらない。
そんな村に少年は生まれ落ちたのだ。
父は居た、母はいた。でも貧しさから優しい両親では無かった。
殴られた、蹴られた、顔に消えないやけどを負わされた。
ただ唯一、昔の村の武勇伝を話す時だけは優しい両親。
そんな彼に優しくしてくれたのは村の神父様で、誰よりも神様を信じているそんな人だった。
神父様のおかげか、いつからか彼は”神”を敬い思う様になっていた。
今は苦しくても何時かは神様が助けてくれる。
今が貧しいから両親は怒っているだけ。村が落ちぶれたから皆悲しいのだ。
いつか良い方向に行く。頑張ればいつか神様が”平等”に幸福をくれる。
それを信じて日々を精進して過ごしていた。
いつからか少年が青年になって。
青年の周りに彼の考えに賛同する様に人が集まってからも彼の思考は変わらなかった。
人に幸せを。皆で幸せになりましょう。皆で手を繋いでいれば幸福になるのです。
ささやかなそれでも確かな”平等”な幸せがやって来るのです――。
人が増えて村が更に貧しくなっても青年は気が付かなかった。
ある日、何も食べる物が無くなった村で両親が流行病で死んだ。助かったのは青年一人。
何故助かったのか分からない。どうして自分だけ生き残ったか分からない。
なんで自分は死ねなかったのかが分からない。これで楽になると思っていたのに。
なんで両親はこんなにも安らかな顔で、幸福に包まれた顔で死ねて、自分はまだ生きているのかと。
彼は悩む。
悩んで、悩んで答えを出す。
村の唯一あった教会の神父様が答えを教えてくれた。
神様を教えてくれた、やつれ果てた老人から正解を貰った。
「この世界はね。神様もみんな含めて皇帝様のモノなんだよ」
青年は絶望を抱いた。
”神様”なんて。幸福に導いてくれる神様なんて居なかったのだ。
何が幸せだ。何が神様だ。何が”平等”だ。
彼の精神が壊れるのにはさほど時間も掛からなかった。
だのに、自分の周りには人が集まってくる。
助けて欲しいと人が集まってくる。
彼らは無条件で現状を楽に過ごしたいだけ。
自分では何も考えずに、他人任せで楽をしたいだけ。
その本質を知って尚、青年は人の手を手放すことは出来ないかった。
出来ないまでに人が膨れ上がっていた。
きっと彼はもう狂っていたのだろう。
両親の死に目が、老人の死に顔が余りに安らかだったから。縋ってしまったのだ。
いつからか、彼は別の幸せを見出す。
皆で幸せになりましょう。
皆で”平等”に幸せになりましょう。
皆で”平等”に死にましょう。
きっと死ねば幸せに皆で幸せに天国で安らかに暮らせます。なんて。
僅かに残った理性と良心を胸に仕舞いながら狂っていった。
王を決める『ゲーム』に参加することになったのは、1人の熱狂的な信者が勝手に声を上げたから。
僅かに胸に残っていた物は、あんなに村を捨てるのを嫌がっていた20人ばかしの人間が逃げて行く姿を見て完全に壊れてしまった。
逃げた彼らは真面で良かったと安堵しながら、安らかに壊れて行った。
そして出会ったのだ。
壊れた中で出会ってしまったのだ。
血のような赤い瞳。
人も獣も虫も植物でさえも、誰をも平等に見据えるあの『平等』な赤い色を。
本物の『神様』を――。
嗚呼、これでみんな救われると。
彼は死ぬその時まで、死んで尚、心から信じ続けたのだ。
◆
どれほど経ったか、頭から血を滴り落ちる中アドニスはゆっくり体を起こす。
黒い眼に映るのは肉だまりとなった、もう元の原型も留めていない人だったモノ。
もうピクリとも動かず、モノを言うことも無い。呆気なく死んでいった『三の王』だったモノ。
肩で息をしながら睨み下ろす。
手は血まみれ、でも痛みはない。傷はあって割れた骨が突き刺さっていたけど、痛みなんて感じない。
ただただ言い表せられない怒りがアドニスの中で渦巻くのみ。
そんな自分を、同じように荒い息で見ているとも気付かずに。
民家の陰。血まみれの村の中で、荒く息をしながら震えながら、彼女は駆けだす。
ただ我武者羅に駆け出す。
殺気も隠さず、憎悪を滲みだして、ただこの瞬間の為に。
お得意の雄叫びすら上げずに。
血濡れた蒼いドレスを激しく舞わせ、黒い少年の横腹にめがけ、手に握りしめるナイフを突き立てるのだ――。