104話『三の王』5
完全に崩れ果てた教会で改めて”彼女”を見た。
地面に倒れること切れた『八の王』の前で、それを見下ろす少年。
”彼女”はそんな少年に嫌がらせの様に抱き付いて不似合いな笑みを浮かべる。
少年がふらりと動く。煩く騒ぎ立てる彼らの首をナイフで切り落とす。
その間も彼女は笑って、その情景をただ見ていた。
何をするわけでもない。ただ笑ってみていた。
木の陰で見ていた彼がその様子に見惚れない訳がない。
初めて出会った。漸く出会えた”神様”に見惚れない訳がない。
初めて会った”彼女”は、やはりどこまでも。何処までも――。
◆
「うあああああああああああ!」
アレクシスの咆哮が鳴り響く。
残った左腕で撃たれた右腕を抑え込み転げまわる様に声を上げる。
その様子にアドニスはただ唖然と見下ろしていた。
あまりの事で頭が理解に追いつかず、ただ額に冷や汗が落ちる。
気が付いたら撃っていた。
我に返った時はその男の腕を撃ち抜いていた。
アドニスは思わずと後ろに下がる。
初めてだった。ただ、感情のままに引き金を引いたのは。
心から気色悪いと拒絶から、思わず引き金を引いていたのだ。
他に理由はない。ただその一心から。
なんだ、これは、と、頭が混乱する。
今まで感じたことのない物が身体を駆け巡り、吐き気すら感じられる。
頭がフラフラして上手く思考が定まってくるない。
そんな中の事だった。
「アレク!」
後ろから一つの声がしたのは。
アドニスを押す様に飛び出してきたのは一人の男だ。
周りと同じ、血染めの穴だらけの服を纏った痩せた40半ばの。
その男は走り寄る様にアレクシスの前に立ちふさがり、アドニスを怯えた色合いの目で睨み上げた。
「もう、もうやめてくれ!アレクにこれ以上酷いことはしないでくれ!」
懇願するかのように頭を地面に擦りつけ男は叫ぶ。
そんな名も知らない男を見ていると僅かに思考が戻る。
「おまえは……?」
こいつは誰だ。何をしている。邪魔だ。
言葉にしたかったが、声がつっかえて上手く出ない。
荒く大きく呼吸をしながら、蹲るアレクシスを眼に写して眉を顰める。
「……どけ」
漸くと出た言葉はそれだけだった。
ライフルの銃口を二人に向け、殺気を滾らせ男に向ける。
男は僅かに悲鳴を上げるが、その場から離れる様子はなく、唯怯えるままにアレクシスに覆いかぶさる様に盾となった。
その様子に漸く冷えて来た頭で、アドニスは小さく鼻で笑う。
「……その男を守るつもりか?俺は『皇帝』からお前達の射殺許可は既に貰っている。今の行動に意味は無い」
落ち着いてきた呼吸で冷徹に事実を伝える。
それでも男は退こうとはしない。ただアレクシスを前に地面に頭を擦りつけるばかり。
どうか許して下さいと、見逃してくださいと、涙する。
「ガイル……おじさん?」
そんな男の様子に何か気が付いたように、アレクシスが声を漏らした。
アドニスは眼を細める。やはり知り合いかと。
無いも驚く必要はない。
ここは、この場所は、この村はアレクシスという存在の生まれ故郷なのだから。
こうやって身を挺してアレクシスを守る存在がいても何も可笑しくはない事だ。
だから躊躇もなく、アドニスは男に向けてライフルを発射した。
ばん……。なんてそんな一声。
辺りに赤が飛び散り、ガイルと呼ばれた男の手が無造作に放り出される。
「ああ。ああああああああああああ!!!ガイルおじさん!!!」
何度目だろうか。アレクシスの咆哮が鳴り響いたのは。
頭が潰れ動かなくなった男を片腕で抱きとめて、涙をポロポロと目から零れ落とす。
アドニスは眉を顰めた。
まるで茶番を見せられている様だ。
つい先程の今だからこそ更に腹立たしい。
目の前の男に言い表せない吐き気が感じ取れる。
今先程、あんなに狂った目で迫って来ていたと言うのに。
そんなアドニスを知ってか知らずか、アレクシスが此方を睨み上げた。
「人、殺し!」
「……」
本当に先程の此の男の迫力は何だったのか。
下らない言葉を零す彼を前にアドニスは更に眉を顰める。
「人殺しだと?」
冷たい声色で返す。
「何を今更」
「どうして、彼を殺したんですか!」
どうしても何も、コイツは何を言っているのだ?
「なにを、言っている?……これがお前の狙いだったんだろ?」
やる事は『八の王』と同じ。
アレクシスと言いう《王》を作り上げるために、同胞を騙して今の様に盾にする。他人を盾にして自分だけ生き残る。その為にアレクシスはこの場所を決闘の場所に選んだはずだ。
まだ収まらない妙な胸騒ぎと共にアドニスは眉を顰め、ライフルを構えたまま思わずと一歩下がる。
アレクシスの鬼のような形相に気圧されて、理解が追い付かず後ろへと。
そんなアドニスにアレクシスは掴みかかる勢いで声を荒げた。無くなった腕からドバドバと血が噴き出たがお構いなし。ただ怒りのままに声を振り上げる。
「だから、ちがう!僕は『八の王』の様に無情じゃない!!僕はこの人たちを救うために此処に居るんだ!救うためにこの場所をお前との決闘に選んだんだ!」
決意の籠った狂気が巡る目。
アドニスは再び後ろに下がる。
男が気持ち悪いからこそ下がり息を呑む。
アレクシスは続ける。続けざまに声をがり上げる。
「”彼女”は何処だ!!”神”は何処だ!!早く出せ!どこにいる!!――はやく、はやく僕たちを救ってください!」
その迫力に、狂気に、異常さを感じないものは居ない。
「おまえ、何を言っているんだ?」
アドニスですら思わずと口にする。
彼から見てもアレクシスのと言う男は異常だ。
やはりどうしようもなく只管に気持ち悪い。
その刹那、頭に浮かんだのは一人の事だ。
今、アレクシスが心から縋り読んでいる”彼女”。
一応は命を出しておいた”神様”の事。
異常な男を前にして、コレだけは分かる。
「ヒュプノス!こいつの前には出てくるな――!」
こいつの前だけには彼女は出したくない、そう感情の全てが叫んでいた。
ただ同時に思いだす。
いつもそばにいる女は、破天荒で人の言う言葉などめったに聞かないのだと。
「――呼んだかい。少年」
だからほら、心からの頼みで願いであったのに、だからこそ彼女はアドニスの言葉を聞きやしない。
アドニスの後ろ。数メートルも離れていない村の中心で血しぶきが上がった。