103話『三の王』4
血が飛び散る中、村民たちの叫び声と駆ける音が響く。
黒いコートを舞わせながらアドニスは転がり暴れ回るアレクシスに近づき。
黒い眼がオレンジ色の青年を冷たく見下ろし鼻で笑った。
「よお、情けないな」
冷たい声を浴びせかけるが、黄色の瞳はあらぬ方向を向いたまま痙攣するばかり。口から泡を吹き、気を失っているようであった。
溜息を付く。
ライフルを手に握りしめ、風穴があいた足めがけて振り下ろす。
「あぎゃ!!」
無様な声を上げて、黄色の瞳に生気が戻った。
一瞬で顔は痛みに歪み、理解できないと言う様に辺りを見渡してから瞳にアドニスを映す。
恐怖と怒りに顔が歪んだのは、それからどれ程経ってからの事か。
「ぎ、ざま…………!」
愚か者なりに、この状況を理解出来たようであった。
夥しく血が流れる足を抑えながら、何度も転げまわりながらアレクシスは何とか身体を起こす。
動くたびに激痛が走り止めどなく血が溢れ、思わず顔を歪めるが、流石に今はそんな暇は無いと気が付いているのか憎々しそうに黄色の目でアドニスを睨み上げる。
「ぎさ、ま……!うらぎっだな、よくも!」
彼の口から出るのは実に的外れの言葉。
その無様さにアドニスは眉を顰める。
「裏切った?裏切ったも何も、俺とお前じゃ立場が違うだろ。仲間でもないし。忘れてないか?俺とお前は敵同士だぜ?」
冷たく事実を突きつけて、容赦も無くライフルを彼の頭へと突き立てた。
先ほどと同じく引き金に指を掛けて、いつでも弾を放てるように。
「やくぞく、したのに!」
ライフルの先を受けられ、一瞬ひるんだモノのアレクシスは涙で歪む顔と目でアドニスを再度睨んだ。
手を必死に振り回し、向けられたライフルを払いのける。だが、アドニスはピクリとも動かない。呆れたようにモノを言うだけ。
「暴れるな。暴発するぞ?」
一言声を掛ければアレクシスの顔色が変わった。
真っ青に顔を染めて、唇を噛みしめる。再度、地が滴る腕を抑えて口惜しそうに押し黙った。
その様子にアドニスは小さく笑う。
約束?約束だと、笑わせる。今の自分の言葉を聞いてなかったのか?鼻で笑った。
「どうした?俺と戦うつもりじゃなかったのか?」
口から出るのは嫌味だ。
あんなに威勢を切ってアドニスの敵だとか抜かしておいてこの様なのだから仕方が無い。
痛みから涙を流すアレクシスはアドニスの言葉に怒りが混ざった醜い表情となる。
「言っていたよな?”彼女”に俺は不似合いだって。どうした?その”彼女”とやらに助けでも求めたらどうだ?」
自分でも馬鹿らしいと思っていても口は嫌味が止まりそうにない。
ただ顔に侮辱を浮かべてアレクシスの神経を逆なでする。
「僕は――!」
「ま、アイツはお前の事臆病者って興味も無さげだったけどな」
言い訳を口ずさむ前に事実でその心をへし折ってやる。
何。シーアがアレクシスに対して酷評していたのは確かだ。嘘なんて言ってない。
一瞬アドニスの言葉を聞いてアレクシスの表情は大きく変わった。唖然とした、一瞬理解が出来ないと言わんばかりの瞳。少しして彼が口を開く。
「そんなこと、”彼女”がそんな事言うはずない!嘘つきめ」
何を言うのかと思えば。
嘘なんて一つもついてないのだが。
黒い眼がアレクシスを映しとり僅かに細まって、口元に侮蔑にも似た笑みが浮かぶ。
「見ても聞いても無いくせに」
何を知った様に言うのか。
同時にアドニス自身、自分が馬鹿らしくなった。
シーアを”彼女”と呼び勝手に慕うこの男。勝手に慕いながらシーアについて何も知らないこの男。
何を目の敵にする必要があったのだろうか。勝手に彼女に幻想を抱き憧れを抱いたようだが、男の勝手な妄想。剰え気色悪いとさえ感じる。こんな男に、何を此処までの敵意を感じたのか。シーアが出るまでも無い。
アドニスは小さく笑みを浮かべ、ライフルをアレクシスの頭に付ける。
「お前がなんと言おうが、アイツはお前を嫌っていたよ。ソレが事実だ。アイツの口から聞いたのだからな」
「そんなはずない!彼女が僕を嫌う事があるはずがない!」
ライフルの先が見えていないのか。アレクシスは更に叫んだ。
アドニスは鼻を鳴らす。話にならない。
引き金に指を伸ばす。シーアがこいつの心を壊すところに興味はあったが、もう必要も無さそうだ。
自分一人で十二分にこいつの幻想はうちく壊せそうだと。
冷たい視線を浴びせるアドニスを前にアレクシスは子供の様に泣きじゃくりながら首を横に振る。
「ちがう、ちがう!彼女が僕を嫌う筈なんて無い!そんなことあり得ない!」
少し驚く。
何を此処までシーアと言う女はこの男を惑わせたと言うのだろうか。
それにと、アドニスは周りを見渡す。正確に言えば、今この場にいる人間たちを。
此方を恐怖の目で見つめる、一度は死んだ人間たちを。
確認する様にアドニスはアレクシスを見下ろしたまま笑みを浮かべた。
「にしても。やっぱり思った通り臆病者だな。この『ゲーム』に参加して置いてアレだが、死ぬのが怖いのか?」
冷ややかに笑いながら言葉の銃弾を浴びせてやる。
この言葉に泣きわめいていたアレクシスは目を大きく見開き、顔を上げた。
「な、にが!!」
張り裂けんばかりに叫ぶ。
応えるかのようにアドニスは、数メートル離れた家の中で震えながら此方を見守る一人の村民に視線を送り問う。
「此処に居る奴ら、一昨日。蜂の巣にされた住民の一人だろ?」
この問いにアレクシスの表情は明らかに変わった。
それだけで十二分。鼻で笑う。
「ほら、臆病者じゃないか」
「な、にを!!」
「お前、生き残った――」
いいや、と首を振る。
「――生き返った住民を此処に避難させておきながら、俺との戦い場所に選んだな?」
嗚呼、実に滑稽。
アドニスはアレクシスのした行動に心から軽蔑を贈るかのように声を張り上げる。
その言葉に周りがざわめき、アドニスの言葉の意味を理解した者達によって徐々に、アレクシスに失望にも似た色合いの視線が送られようとも明確の答えを叩きつける。
「『八の王』と同じように。此処に居る連中を手駒に使ったって事だ。俺からの攻撃の盾にしようと考えていたんだろ?」
「違う!」
言い切るよりも前にアレクシスは声を張り上げた。
勢いよく動いたためか、傷口からは地が溢れ出し、地面を更に赤く染め上げる。
何を今更。この状況で。冷ややかな視線を送る。途端に今この瞬間が酷くつまらない物に感じた。
もう終わりにしようか。そう思った時だ。
「きみは、何を勘違いしてるんだ?ああ、本当に子供だなぁ!」
アレクシスがその黄色の瞳に何処までも純粋で気が狂った色合いを見せたのは――。
◆
思わずと、アドニスはその男の瞳に息を呑んだ。
気圧されたと言っても良い。
黄色の目を見る。純粋で何処までも狂気をはらんだ目。何故この男はこの土壇場でそんな目が出来る。
そんなアドニスを見てか、アレクシスは声を漏らす様に笑った。
「どうしたんですか!『皇帝』の猟犬が、何を怯えているんですか?」
「――!」
我に返り、唇を噛みしめ男を見下ろす。
だがアレクシスにはもう此方が見えていないのか、きょろきょろと当たりを見渡し何かを探し始めていた。この男が何を探しているかなんて何となくだが理解出来る。
「それより”彼女”は何処ですか?」
狂気のはらんだ目で、気色の悪い視線で、アレクシスはシーアを探す。
アドニスは忌々しそうに眉を顰めた。
その目だ。その目が気色悪くて嫌いなのだ。
まるでアドニスを見るリリスのようなその目。
あの綺麗な”神様”に恋い焦がれる熱情を抱く男の目。
その目のままアレクシスは笑みを浮かべてアドニスを見上げる。
二ヘラと笑って、まるで此方を小馬鹿にしたように口ずさむ。
「同盟を維持すれば、貴方が僕を狙う事は充分に理解していた。――ああ言えば、貴方が”彼女”を連れて来ることは予想出来ました」
「!?」
男の言葉に再び息を呑む。
この男は何を射てっているのだ。
いや。瞬時、頭に過った言葉がある。
――『“彼女”の側にいる資格など、貴方には無いのですから!!』
それは一昨日コイツに初めて言われた言葉だ。
まるでシーアを知っているかのような、彼女を想ったかのような言葉。
さんざん言われたがこの言葉が一番腹立たしかったことを思い出す。
そんなアドニスに気づいたかのようにあざ笑うかのようにアレクシスは笑い続ける。
「腹立たしかった、でしょう?あなたは。――こんな僕に”彼女”を想われているようで、気色悪かったでしょう?」
「――っ」
足元に縋る様に血まみれのアレクシスの腕が伸びる。
「でも、僕だって、同じ気持ちだったんだ。気色悪くて仕方が無かった!”彼女”が、君の側に居る事に!」
今まで泣き喚いていたのが嘘になるほどに顔に怒りと言う怒りを張り付けて縋り着いてくる。
「なんでこんな化け物のような子供に、”彼女”が着き従っているのか!気色悪くて気色悪くてたまらなかった!」
狂気のはらんだ瞳で、気持ちの悪い色をした目で、その頭には”彼女”だけを思い浮かべる。
そんな男が、目の前に居る男が、アドニスには何より気色悪かった――。
「”神様”を独り占めするお前が。――何よりも気色悪かった!!」
「――っ!離れろ!」
どちらの叫びが先だったかなんて覚えていない。分からない。
ただ2人の言の葉が村中に響く中、アドニスはライフルの引き金を引いたのだ。