99話『血の瞳』
『世界』――。
名も無い大地の中心。皇帝が住まう帝国のさらにその中心。黒々とした大きく佇む城の中、豪華絢爛な部屋がある。
白の大理石で造られた壁に床。赤い絨毯と、金の装飾が施されたカーテン。同じく金の装飾が施された血のように赤い絢爛な、大きなベッドの上。
美しい数人の男女に囲まれて、皇帝ゲーバルドはワインを片手に休んでいた。
しかし、その口元に刻まれた笑みは何かを思い出すかのように、まるで面白おかしい物を想い浮かべる様。
その様子に側で見つめていた一人の妾が不思議そうな表情で顔を傾けた。
「陛下、どうか致しましたか?」
「――いや。少し思い出していた」
上機嫌なのか、グラスを傾かせながら応答を一つ。
赤い液体が口元を伝い、白いシーツに染みを作る。
翠の眼光を上げニヤリ。
かの王が思い浮かべるのは唯一人。
美しい一人の女の姿――。
可憐で艶やか。その身に見たことも無い美しさと自信を纏い。
長い黒髪が実に優雅に、しなびやかな身体。口元に浮かべる吊り上がった不似合いな笑み。
嗚呼、そしてあの燃え盛る赤い赤い、血が滴る様なあの瞳。
――人生で一度たりとも見た事も、向けられる事も無かったあの赤い瞳。
皇帝の様子を見てか、不服そうな顔で妾が口を開いた。
「また、あの犬が連れている女の事ですか?」
「――ん?ああ」
上機嫌に少しの間も無く皇帝は返す。
妾達には彼女の事は既に話してある。毎日のように、その美しい女の話を聞かせていたからだ。
高い確率で自身の手に入るが、まだ手に入るのか分からない。誰の物でもない『ヒュプノス』そう名乗った妖艶な彼女の話を。
「皇帝陛下はその女の何所が気に入ったのですか?」
続けざまに妾の一人が訪ねた。
一連の事件。2人の妾が彼女の呆気なく殺されたところは他の妾達も既に周知の事実。
なにせあの瞬間、あの場面は映像として皇帝がなんども彼らに見せて豪語していたからだ。
――お前達よりもずっと美しく、恐ろしく、強いこの世で唯一無二の女である、と
数多くの妾達がその言葉に嫉妬を覚えたことだろう。
自分の方が皇帝に愛されていると高を括った者達もいただろう。
だが、あの日彼女に会った日から皇帝はヒュプノスの話しかしない。
なんどもなんども語り聞かせ、欲しいと渇望する。
妾達は全ては理解出来ないモノの悟った。今はもう皇帝の寵愛は自分達に向けられないのだと。
美しさにおいても強さにおいても、絶対に敵うことも無い一人の女を前に敗北を知った。
それは仕方が無いと誰もが諦めたことだ。この世の全ては皇帝の物であるから、皇帝が決めた事であるのなら従わなくてはいけない。
だからこそ、嫉妬はするが諦めている。もう仕方が無いのだと。
ただ、やはり疑問は拭いきれないのだ。
どうして皇帝は其処までして、パッと出のヒュプノスと言う女を欲するか。
彼女と自分達では何を其処まで違う所があるのか。
思う思う、あの女はただ美しいだけで、強いだけで、自分達と大差ない程変わりないただの女じゃないか――と。
「あの女の一番美しい箇所に気が付いているか?」
「――え?」
「目だ。あの、赤い瞳だ」
そんな妾の考えをまるで全否定するかのように皇帝は言葉を零した。
ワインを口に含みながら、笑みを湛えて豪語する。
再度脳裏から離れない彼女の赤い瞳を思い出しては恍惚の溜息を零し、笑みを湛える。
「あれほど特徴的な瞳は、この世に誰も持ち得ていないさ」
ゲーバルドの言葉に妾は首を傾げるしか出来ない。
何をそんなに。
画像で見た彼女を思い出すが、頭に浮かぶのは皇帝に向けられる一ミリも他人に興味を示さない実に失礼な色合い。
世界の王にすら不躾で横柄なあの赤い瞳。
「分かりません。あんな他人に興味を示しもせず、見下すかのような瞳なんて…………」
「は!」
妾の言葉にゲーバルドは鼻で笑い飛ばす。
今の言葉に側に居た妾に興味を失せたのか、裸のままベッドから抜け出し大きな窓に歩み寄る。
別の妾が慌てたようにその身体に柔らかなシーツを巻き付け側に傅く。ゲーバルドがぱちんと指を鳴らすと、今まで言葉を交わしていた妾は他の妾達にあっと言う間に取り押さえられた。
「お、お待ちください陛下!私は――」
「貴様はもう良い、飽きた」
言葉にするのは妾に対して死の宣告。
後ろ手に泣き叫び許しを請う下僕の声をBGMに皇帝は恍惚の笑みを浮かべる。
頭に浮かぶのはやはり女だ。そして、お気に入りの一人の少年の姿。
女に対して色味が全くなかった彼が激しく色を見せた、あの瞬間の出来事。
「気持ちは痛いほどわかるぞ。アドニス」
傍らに妾らを従わせながら零す様に皇帝は呟く。
無意識に力が入ったのか、手にするワイングラスが粉々に粉砕したのは正にその時。
頭に浮かぶ赤い瞳。あの――――の瞳。
「あのような瞳を持つ者など、この世には居ないさなぁ。興味も無い瞳?――色の無い瞳?違う違う、あの色合いは――」
心から楽しむように、心底面白いと言わんばかりに笑いながら、皇帝は彼女を想い浮かべながら謳うのだ。