98話『標的』
――銃弾。
ソレらは真っすぐに殺気と怒りを纏ってアドニスを捕らえる。
アドニスの動きは実に簡単で軽やかなモノであった。
握りしめたナイフを振り上げ、銀の銃弾に刃を向ける。
縦に切り裂き、横に切り裂き、その動きは誰の目にも映ることなく閃光を描く。それを五発。
かちかちと弾切れの拳銃の引き金を未だに引き続ける女を見下ろしながら、僅かな疲れも見せる事無く小さく頭を傾げる。
「おやめください無駄な事は。俺は貴女もご存じの『組織』の人間です。ピストルの弾など俺には止まっている唯の鉄の塊にしかすぎません。無駄な事は止めて、今すぐに降参してください。――貴女であれば保護してくれる可能性がある。試してみては?」
アドニスの言葉を受け、フレシアンナは手に持つピストルを投げ捨てると怒り狂った顔で感情のままにフレシアンナは大穴へ。
どさりと音がして穴底で座り込むが、すぐ様にその瑠璃色の瞳は左右を映し、側に有った機関銃を捕らえた。走り寄って手を伸ばし、嫌に慣れた手つきで銃口をアドニスへ向ける。コレが火事場のバカ力と言う奴なのか、怒りから彼女が定めていた限界を超えたのか。ソレは不明であるが。
女は本能のままに機関銃の引き金に手を伸ばすのだ。
「しねぇぇぇぇえ!!!」
地面を割る様な轟音が鳴り響く。
昨日に続き二回目か。飽きた様子でアドニスはナイフを構えた。
シーアが邪魔したため、機関銃は初めてであるが問題はないだろう。目を細め笑みを浮かべる。
振り上げたナイフ。
鋼を弾く音を靡かせながら銃弾の雨の中を舞い。火花が散り、幾つかの銃弾が身体を掠るがその傷は瞬く間に塞がっていく。
「無駄な事は止めてください。――今日の俺は誰も殺さないと決めているので無駄撃ちですよ」
呆れ返ったような一言。
それでもフレシアンナには聞こえないらしく、再び銃口をアドニスへと向け容赦も無く引き金を引いた。
再び地ならしの様な轟音が鳴り響く。三度目。アドニスは再度ナイフを素早く大きく振り上げた。
火花と金属音。足元に銀色の弾が転がって行く。
規則正しい攻撃でしかない銃撃など、今のアドニスにとって銃弾を叩き落すなど造作もない。
疲れも感じないので何処まで行っても飛び交う物でしかない。
ただ、溜息を付く。
単調な連撃。素早さも威力も無い銃撃。
欠伸が出そうなほどに飽きて来る。
さて、此処からどうするべきか。
銃弾をはじき返し、跳ぶようにかわしながら考える。
雨だれが止んでもすぐにまた銃撃が始まり、怒りからか疲れを見せることも無くフレシアンナは確実にアドニスの後を追ってくる。
更に少しずつ彼がアドニスの後を執拗に追って姿も捉え始めた頃。
呆れて溜息が零れて、一発食らわせてやろうかなんて思い始めた頃。
『おや、少年。早々とフラグ回収かい?』
「――!」
ふと耳元で彼女の声が聞こえた気がした。
小馬鹿にするようなニタリと笑う彼女の姿がありありと浮かぶ。
そんな彼女を想い浮かべながら、アドニスは溜息を1つ。
口元に僅かに笑みを浮かべ。
「誰がするもんか」――なんて悪態をついて。
アドニスは銃弾が飛び交う中でナイフを構えで、その黒い瞳孔を糸のように細め上げるのだ――。
一気に地を蹴る。その目に映るのは容赦なく銃を発砲するフレシアンナの姿。
その女の元へ一気に跳ぶ。
銃弾の雨の中。身体を捻らせ、銀弾を切り落としながら瑠璃色の女の元へ落ち行く。
弾は身体を掠る。肩に、脚にめり込む。ただ痛みはあるが、もうそれだけだ。今にして思えば、シーアの蹴りに比べればたいしたことも無い。傷は瞬く間に塞がっていく。
その様子に流石にフレシアンナの表情は驚愕へと変貌し、引き金を引く動きは止まった。
僅かな隙は見逃さない。
アドニスの身体は簡単に地面に着地し、フレシアンナが反応するよりも前に地面を蹴り上げ彼女の首元へと迫る。
大きな機関銃を蹴り飛ばして白い首を狙うのだ。
「――ひ」
か細い声。
黒いナイフの刀身は白い首の直前で止まった。
白い首元、僅かに薄皮を避け血が垂れ流れる。
ぐらりとフレシアンナの身体が揺らめいたのは十秒も無い。
ナイフを下ろし黒い眼がギロリと、尻餅をついた瑠璃色の女を睨み下ろし、薄い唇から小さな吐息を零す。
「今日はもう宜しいですか?」
呆れ果てるような言葉を放つ。心から飽き飽きしたような、馬鹿にした声色。
フレシアンナから完全に戦意喪失したのを確認したのち、アドニスは今まで大穴を見下ろしていた残りの『王』を見上げた。
誰よりも先に目に映ったのは、今まで黙って見降ろしていたグーフェルトの銀色の眼。
涼しげな顔を浮かべながらも「ひゅう」と小さく息をついて彼は笑い言った。
「なんだ、殺らないのか?」
寸止めしたのが不思議であったのだろう。
素朴な疑問であったのか、投げかけられる。
この問いにアドニスは笑みを小さく付いて笑みを一つ。
「つまらないだろ?」
目を細めて心からの侮蔑を一つ。
グーフェルトの目元が僅かに苛立ちから動いたのは見逃さない。
隣に立つレベッカだって不機嫌そうな表情。何故か無駄に険しい顔をアレクシスが浮かべている。
そんな彼らにとどめを刺す様に、アドニスは言った。
「せっかく参加が決まった『ゲーム』。簡単に終わらせるのは退屈。だからこの『ゲーム』では一日1人相手にする。――そう決めたんだ」
――なんて。
実に年相応の子供らしく、大人を心から煽る様に子供らしく自分で定めたルールを言い切るのだ。
「ふざけないでください!」
そのアドニスの言葉を遮る様に誰かの声が響き渡る。
笑みを湛えていたアドニスの表情は無へと変貌し、此方を覗き込む一人の男に視線を飛ばした。
目に映るのはオレンジの髪、仮面を被った黄色の瞳。
地面に手を付き、落ちまいと言う勢いで此方を覗き込むアレクシスの姿。
「何が一人ずつ相手にする――ですか!子供のくせに!大人を舐めないでいただきたい!」
声を振り絞って彼は叫ぶ。
きっと自分が今何を叫んでいるかも分かっていないだろう。ただ必死で、何か訴えかけるような優男の風貌はなく。“怒り”だけを滲ませた表情と声色。
――なんだか無性に腹が立つ表情と声色。
「何が皇帝の犬ですか!『ゲーム』の参加者!?僕は認めません!貴方と言う存在は認めません!“彼女”の側にいる資格など、貴方には無いのですから!!」
「――」
この言葉にアドニスは顔を上げた。
なんだこの男は?
今誰の事を口にした?
そんなアドニスの心情を見ようともせず男は続けた。
「どうして”彼女”はお前なんかの側に!なんで”神”はお前なんかを選んだんだ!」
眉を噛める。
アレクシスの真っすぐな色が籠った瞳を見て実に腹立たしく思う。
もしかして思う。今お前が口にする「彼女」
お前が想い、口にする「彼女」とやら。
「……それは俺の側に居る女の事か?」
「ああそうだ!なんでお前はあの美しい赤い瞳の神を側に置いているんだ!何故彼女はお前に見たいな邪悪な存在の側に居るんだ!身分不相応なクソガキ!」
男の声が頭に嫌に響いた。
こいつからそんな汚い言葉が出るなんて、とか。
なんでそんな嫌に熱い視線で彼女を語れるのか、とか。
いろんな感情が溢れ出てアドニスの心を黒く染め上げる。
「僕はお前を認めない!”彼女”の側に居る事を認めない!」
そんなアドニスに気にも留める事無くアレクシスが叫ぶ。
「今度の相手は僕がしてやる!僕がお前から”彼女”を救って見せる!!」
――なんて。
舌打ちを一つ。
眉を顰め、目を細め、それでも口元には無理矢理な笑みを浮かべてアドニスはゆっくりとナイフの切っ先をアレクシスに向ける。
標的が決まった。
今まで以上に腹立たしい存在が居ようものか。
明日の標的は貴様に決定だ。
「――ふん。そうか、其れなら丁度良いな。俺もお前を殺したくなった」
黒い眼には真っすぐにアレクシスを映しとり、殺気を纏わせるのだった。