97話『六の事実』
「さて、と」
忠告を残し、グーファルトは再び視線を大穴へと向けた。
血染めの床に膝を付き、まじまじと確認する様に見つめる。
その行動にアドニスはいち早く身体を武器の隅へと隠し、息を潜め気配を消す。
「――!」
だが、その反応は僅かに遅れを招じさせた。
彼の話に集中し過ぎていたからなのか、それともグーファルトと言う存在が嫌に鋭い感性の持ち主であったからか。
普通であれば気が付くことも無いだろうが、確かにアドニスの眼に銀色の眼が酷く面白そうに細くとがった瞬間が映り込んだのだ。
すぐさまナイフを構え、隙間から睨み見上げる。
ソレが更に悪手であった。
「あれぇ?」
溢れ出た僅かなアドニスの殺気にレベッカが反応したのだ。
太ももから小ぶりのナイフを取り出し構える。狂気にも似た殺気が穴底へと注がれた。
その一瞬、僅かに銀の眼がうっとおしそうに嘲りが混ざる色合いが溢れ出たのは、気のせいではないだろう。ただ、その疑問が過ぎる前に頭を狙って銀色のナイフが飛んで来る。
アドニスは地を蹴りあげると共に背に並べあったナイフの山から一本握りしめ後ろへと跳び上がる。アドニスの足元であった場所にナイフが突き刺さったと同時に、同じように手にしたナイフをレベッカへと向けて投げ飛ばす。
軽い攻撃だ。レベッカは軽く後ろへと跳び下がりアドニスと同じように回避。
ただ完全には避け切れなかったのか、頬に紅い線を一つ創り上げ。
後ろに飛退いたままレベッカは地が滴る頬に、ぺろりと下を這わすのである。
「きさまぁぁぁ!」
アドニスが大穴から抜け出し地に着地した当時だ。女の金切り声が上がった。その正体がフレシアンナであることは百も承知。
次に銃撃が来ることを予想し素早く体制を整えると同時に黒いナイフを構え迎える。
「待ちな」
「――っ!?」
フレシアンナが腰につくピストルを手にしようとした瞬間だ。その細腕をグーフェルトが掴み制したのは。
「何をするのですか!」
細腕を必死に引っ張りフレシアンナが逃れようと暴れ出す。
それでも男の手はびくりともせず、平然とした面持ちでグーファルトは真っすぐに此方を見据えた。
彼の様子にレベッカもまた気が付き、思う所があったのだろう。小さく息を付き。
その様子を見てアドニスも同じように手を下ろすのだ。――この男は自分と話をしたがっている。そう判断して。
「――なんだ?」
冷徹な声色。
満足げにグーファルトはニヤリと笑った。
「ふん、やっぱり。血に飢えた唯の犬じゃねぇって事か」
嫌味か?鼻で笑う言葉を浴びながらアドニスはサラリと受け流す。
「で、用が有るんだろ。なんだ」
興味も無く殺気も抑え、再び問う。
相手から見れば今アドニスは非常に無防備に見えるだろう。少なくともコレで敵意はない事は伝わるはずだ。
般若の装いを見せるフレシアンナを除き警戒していた残りのメンバーが僅かに胸を撫でおろす。
グーファルトが口を開いた。
「てめぇ、名前は?“犬”なんて呼ばれたくないだろ」
一番目の問い。それは社交辞令なのか素朴な疑問なのか。
彼の考えは微塵も理解できないが、アドニスは僅かに考えてから口を開く。
「アドニス」
「――へぇ、アドニス。いいコードネームだな」
別に知られても問題はない。獲物相手に犬扱いされるのも癪なので素直に応答。
少しして、再びグーファルトが問いただした。
「お前は俺達を狩るために送られた第三勢力って事でいいんだな」
次に問われたのは実に今更と思えるものだ。
それは他の『王』も同じ気持であったのだろう。今も尚暴れ回るフレシアンナが顔を上げて声を荒げた。
「何を今更!見ての通りでしょう!こいつは皇帝が送り込ませた犬!最初からそういう話であったでしょう!」
「ああ。だがそれは俺達が勝手に決めつけた話だろう?――もしかしたら皇帝も関係ない第三勢力か、この生き残ったメンバーが用意した“武器”って可能性も捨てきれないだろう?」
「何を馬鹿な事を――!」
そんな事、あり得ない。
誰もがコレはグーファルトの呆れた問い。
彼の遊びか何かだと思った事だろう。その中でアドニスだけが僅かに眉を顰める。
コレは、彼は確信を取りたいのだ。
後ろに少年を囲いながら真っすぐに見据える銀の眼を見ながら判断した。
彼らは今まで憶測で動いていたのだ。だから確かな答えが欲しい。
ソレが今の問いの本質だろうと感じアドニスは明確な答えを、今初めて露わとする。
「ああ、断言してやるよ。俺はお前らを殺せと皇帝から命じられた。一ヶ月以上前『ゲーム』が決まった日にと思ってくれていい。――本戦が始まる前、三人殺したのも俺だ」
その答えが完全な引き金となった。
グーフェルトの隣から金切り声にも似た悲痛が混ざりに混ざった悲鳴が圧し洩れる。
「おまえ、おまえおまえおまえおまえ!!!」
壊れた人形のように同じ言葉を紡ぎ、涙を溢れだしながら狂気に染まり切った顔で女は叫びを上げ続けた。
「なぜ!!なんで殺したの!どうして!」
何度も何度も同じ言葉。
アドニスは眉を顰めた。「何故?」実にくだらない問いかけだ。
耳を塞ぎながら女が喚きを止めるまで待ち、少し静かになってから口を開く。
「なぜ?そういうゲームでしょう。フレシアンナ様」
「――っ」
口から出るのは実に冷たい事実。
何故、どうして、どんなに問われてもこの答えだけが出てくるのだ。
「フレシアンナ様、コレは“王”を決める殺し合いの『ゲーム』です。皇帝が定めた戯れの『ゲーム』だ。優勝賞品が大きい程、主催者だってゲームは難しくするものですよ」
分かるでしょう?と、心からの嘲りと侮蔑を贈る。
フレシアンナの顔が一瞬絶望に染まり、美しい顔から感情と言う感情が削ぎ落される。
その表情を見て疑問に思う。この女は何を期待していたのだろうかと。
もしかして皇帝が切り捨てた息子に情を掛けるとでも思っていたのだろうか。ましてや“王”を定める『ゲーム』に。
「元よりジョセフ様は王位継承権を無くしておりました。故の参加でしょう?これしか救いが無いからこその縋りでしょう?聞きますが、フレシアンナ様?――“王”の座を狙う不届きものに皇帝が情を掛けるとでも思いですか?ただ単に血がつながっていると言う理由だけで、他人の男に、ゲーバルド陛下がお情けを掛けるとでも?」
冷たい事実は女の心を抉る。
沈黙。
壊すかのように続いて憶測の言葉を紡ぐ。
「それはジョセフ様も承知していたでしょう?こうして態々『六の王』にドトール様を紛れ込ませていたのですから。そうでしょう?」
アドニスの言葉にフレシアンナの肩が大きく揺らいだ。どうやら正解であったらしい。
「ジョセフ様とドトール様は組んでいた。詳しく言えば、ドトール様はジョセフ様を勝たせるために仕込まれた協力者と言ったところでしょうか?落ちぶれたとはいえ、皇族関係者が二人も揃えば大方の兵器持ち出しは自由となりますから。陛下も面白がって許可でもしたのでしょう?――まぁ、見ての通りの結果。今度は復讐なんて愚かな願いの為に勇猛果敢に貴女が飛び入り参加したわけですが。」
くだらないですね。
言葉にせずとも身体全身から、この言葉を発して。
フレシアンナの絶望に満ちた女の顔は見る見るうちに、怒りから赤く染まりあがって行くのが見える。
その顔に元在った高貴な美しさなど一ミリたりとも、もうない。
「貴様ぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
フレシアンナの咆哮が響き渡り、男の手を振り払って腰のピストルに手を伸ばす。
今度は誰も止めはしなかった。グーファルトでさえ呆れかえったような顔で、やれやれと頭を振るだけ。
フレシアンナのか細い手は拳銃を握りしめ、ただ感情に任せてアドニスへと発砲。五発の銃声が響き渡る。