廃棄場のオーケストラ
稼動をはじめてから五年と三ヶ月と八日たったころ、彼女は処分を言い渡された。
『おまえは廃棄だ。処分場に向かえ』
それが最後の命令だった。
彼女は不満な表情や抗議の声を一切あげずに、すぐに実行に移す。入れ替わりに新しいアンドロイドが彼女の役割だった仕事をはじめた。
二体は視線を合わせることもなく、それぞれに与えられた命令をまっとうしていく。同じ顔、同じ髪型。彼女は家庭用アンドロイドとしてよく普及していた。
彼女は記憶された地図にしたがって街の外を目指した。もう二度と見ることのない風景を通り過ぎていく。
街を出て少し距離を移動すると景色は一変した。
聞こえているのは道の先から聞こえる重い金属音。道の両脇には廃材の山が積まれている。廃材には様々な種類がある。ひしゃげた鉄骨、砕けたコンクリートの塊、腕や足のパーツ、光を灯さなくなった頭部。それらが無造作に転がっている。
廃材の山の間には一本の列ができていた。
一体が前に進むたびに重い音が響き、コンベアーでばらばらにされた部品が排出される。
並んでいるアンドロイドたちには一切の表情が浮かんでいない。ぽっかり空いた穴の前に整然と一列に並び、自らが破壊されるのを順番待ちしていた。
中古のアンドロイドは安全基準を満たせば再出荷もあったが、ここにいる物たちはなにかしら欠陥を抱えていた。
多くは磨り減り動きの悪くなった足を引きずるように歩いている。前の一体がつけた足跡を踏んでゆっくりゆっくりと進んでいく。
鋼鉄製の幽鬼のような彼らの中で、彼女だけが異なる行動をとった。
ときおり前に出しかけた足が途中で止めて周囲を見回す。足を止めさせたのは違和感のせい―――それは音だった。ときおり強弱を乱れさせ、機械では絶対に出せないもの。
「質問します。貴機の聴覚センサーに反応はありませんか?」
他のアンドロイドたちはまったく気にした様子はなく、前の一体に話しかけるが返事はなかった。彼らにとって最重要事項は自らを廃棄処分することだった。
もちろん、彼女もまた命令に忠実なアンドロイドのはずだった。
「提案します。本機は異音の原因をつきとめてきます」
彼女のとった行動はあきらかな異常であった。周囲はそんな彼女を気にすることなく、一体分開いた隙間をつめた。
道をはずれうずたかく積まれた廃材の山を掻き分けて進む。彼女のうごきによどみはなく、体のパーツに不調はなかった。
『エラー。その行動は命令に違反しています。ただちに中止してください』
頭に鳴り響くエラー音。その音は機械に強い不安感を与える。それを否定することは自らの存在意義の消失につながる。それでも彼女はそれを無視した。
音を目指して進むうちに転がっていた部品の山が低くなり、やがて地面は雑草に覆われ始めた。
道はしだいにほそくなり、その終わりにぽつんと一軒の家が建っていた。街の外に人は住んでいないはずだった。
空き家かと思いながら窓から中をうかがう。
ガラス越しに見える室内では一人の老人がいた。音は彼が震わせるヴァイオリンから出ているものだった。
その曲を引き金に彼女の中の記録が呼び起こされる。以前の所有者が鼻歌でよく歌っていた。主人の行動を模倣して歌ってみたことがあった。そのときはとても嫌な顔をされた。
人間が奏でる音を二進法の思考で聞き取っていると、老人も窓の縁からのぞく彼女に気がつく。
「これは驚いた。久々の観客だ」
演奏という行為も既に廃れたもので音楽は機械が奏でるものとなっていた。機械とは違う十の指が見せるアナログの動き。彼は音楽家という廃れた職業の人間であった。
「否定します。本機は家事をメインとして所有者の健康的な生活のために作られました。音楽に関する機能には対応しておりません」
「なるほど、そうか。ボクもそうだよ。演奏用に作られてない人間なんだ。近所迷惑にならないようにこんな場所に逃げてきた。なかなか上手くならないし、きっとボクには演奏用の機能がないのだろうね」
「質問します。その行動を続行する目的は?」
「好きだから。それだけだよ」
そういうと弓を引き始めた。彼の表情はとても楽しげなものだった。
演奏が終わるとアンドロイドに向けて一礼した。彼女の表情はここに来たときから変化はなかった。
「提案があります」
「なんだい?」
「この家の掃除をさせてもらえないでしょうか」
アンドロイドの視線は脱ぎ散らかした衣服や雑然と物が積まれた机に向けられていた。
老人は少し気恥ずかしそうに笑った後、彼女を招き入れた。
その日から新しい生活が始まった。
お互いに社会から不要とされて朽ちる運命であった一人と一体の間には主従の関係はなく、その間には特に取り決めもない。
アンドロイドは掃除をし、老人は演奏をする。ただお互いが好きなことをする。ひとつだけルールがあるとすると、老人が演奏をはじめるときまってアンドロイドはその場にいた。
「ヴァイオリンに興味があるのかい?」
「回答不能」
演算回路には自らを処分するという命令は残っている。それでも、彼女はここに留まっていた。
エラー音は鳴り続けている。
その音を無視したのは初めてではない。主人の買い物に従っていたとき、車にひかれそうなった子供を助けた。その結果、荷物を台無しにした。
それは機械にはあってはいけないことだった。翌日、彼女は廃棄を言い渡された。
「本機は壊れています。この行動も意味のないものです」
老人はただ淡々と表情を変えない彼女をじっと見た後、その手にバイオリンの弓をのせた。
「……この行動の目的を問います」
困惑する彼女のもう片方の手にバイオリンを握らせるとその背中に回った。
「いいかい、両足は肩幅で右のつま先をすこしだけ外側に向けるんだ」
バイオリンを構えた彼女を見ながら老人は満足そうにうなずく。
「それが構えだ。一番重要だから覚えておいてほしい」
それ以上は何も指示はなかった。
命令されたわけでもない。だが、彼女は右手を動かした。老人が見せた動きを正確にトレースして、握った弓を弦の上で滑らせた。
その日から、老人の家には二種類の音が響くようになる。
ひとつは強弱のある安定しない演奏。
もうひとつは正確で平坦な演奏。
「質問です。なぜ同じ譜面なのに本機とあなたの音は違うのでしょうか」
彼女ができるのは目の前でみた動きをコピーすることだった。しかし、毎日変化する彼の音を出すことはできずにいる。
「音楽はね、心で弾くものなんだよ」
「心ですか……感情とは生存や生殖の問題を解決するために生物が獲得した機能です。しかし、それは我々にはないプログラムです」
「心や感情を人間らしさと定義することもある。それはは不確かでばらついていてキミたちには縁遠いものかもしれない。でもね、パターンはある。」
「法則があるのですか?」
「音楽というのは七つの音階で感情を表現するために組んだプログラムだと思っているよ。といっても、ボクにわかっていることは一つだけ。自然にわきあがってくるものということぐらいかな。それが自分自身の音になる」
ならば、自分には永久に理解できないだろうと彼女は思った。
「いつか、キミの音を聞かせてほしい」
彼が口にしたのは命令ではない。人間が機械にお願いをするなど奇妙なことだった。
彼女は老人の演奏を聞き続けた。雨がふれば静かに、晴れれば弾むように、風がふけば激しく弾いた。
外に出て演奏することもあった。
春には花に奏でた。
夏には雲に奏でた。
秋には枯れた木々に奏でた。
季節は移ろい、窓を通して部屋を冷やすようになった。ベッドに毛布をだして冬の支度を整えていると、彼女の耳にヴァイオリンの音が届く。
ここに留まる理由も演奏の真似事を続ける理由も、彼女は自らの演算回路に問い続けていた。しかし、返ってくるのはエラーばかり。
「音楽については、なにかわかったかな?」
「いいえ」
演奏をしていない時間、老人は彼女によく話しかけた。これといった反応を見せない相手に対して彼は楽しそうにしていた。
「昔はね、街には楽団がいくつもあったんだ。ボクはその一つに所属していた」
楽団ですごした思い出を語る。
自己主張のつよいフルート、つむじを曲げるクラリネット、支配的な指揮者。ケンカばかりだったが、不思議と演奏中はぴたりとみんなの息があった。
自動演奏アンドロイドの普及を期に経営が悪くなり、とうとう楽団が解散になった。それでも、彼はヴァイオリンを捨てることはできなかった。
音楽というものを彼が深く愛していることがわかった。
「……キミは何か心残りはあるかな?」
話の途中で、ふいに彼は質問した。彼女は当然のように首を横に振った。
「機械には望みやかなえたい未来はありません」
「キミたちが時々うらやましくなる。ボクはね、ずっと怖かった。心残りを抱えたまま死ぬことが」
老人が口にすることにはわからないことが多かった。『死』もその一つだった。
「でも、もう心残りはなくなった。もう一度誰かと音を合わせたかったんだ。キミとの時間は久しぶりに楽しいものだったよ」
その日、彼が震わせる弓はいつもより激しかった。
窓の外ではひらりふわりと舞い散った雪が、世界を抱きとめていく。
次の日、冬の足音といっしょに音がひとつ減った。
老人がいなくなっても彼女は家に留まり続けた。
理由はわからない。目的もない。
それでも、ひたすらに音を奏でた。
ずっと聞こえていたエラー音ももう気にならなくなっていた。自分がもう完全に壊れてしまったのだと思った。
また季節が一巡りした。そこに彼はいない。
彼女は理解する。
『死』というのは喪失だった。
まだメモリーに残る音を、こぼさぬようなくさぬように、かき集めつづけた。
熱の無い作り物の手で弓を引き続けた。
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―――――
――
それまで彼は命令に忠実なアンドロイドだった。
だから、わからなかった。自らが起こした行動の理由を。
目の前で人の形を模した物がローラーに飲み込まれてギャリギャリと圧縮されていく光景。前の一体が最初の一歩を踏み出してから十秒とかからなかった。
コンベアで吐き出されるばらばらにされた物をみた瞬間、頭の中でバチリと何かが弾けた音がした。
後ろに並ぶアンドロイドたちを押しのけて走り出す。一歩でも遠くに、恐ろしい鉄の顎から離れたかった。
自己防衛機能の暴走。逃げ出したときから頭の中ではずっとエラーが鳴り響いている。
廃棄処分を告げられ、人間の命令を守るというアンドロイドとしての最後のアイデンティティすら捨てた彼に行き場はない。
真っ暗なトンネルを歩いているようだった。エラー音が響くたびに体の芯を不安が侵食していく。
当てもなく歩いていると、夕暮れに響く滑舌の悪い音が聞こえた。聞き取りづらいがたしかにバイオリンの音だった。
どこかはずれた調子のメロディは彼の暴走する思考回路を少しだけ落ち着けた。
音の元を探していると、処分場とは別の方向にのびる道を見つけた。道にはしばらく使われた気配はなく雑草が茂っていた。
気がつけば音を目指していた。これは必要なことなのかと自問するが、何かしてないと不安だった。
やがて道のおわりに一軒の家を見つける。
なぜこんなところにと思いながら窓からのぞくと、一人の少女が弓を引き弦を震わせていた。
その立ち姿は長年つづけてきた奏者のように安定したものだったが、音はひどかった。そんなちぐはぐさに興味を引かれて窓際にたたずんでいると、演奏が終わった。
そこでようやく彼女は窓からのぞく彼に気がついた。
彼女はにこりともせず二つのアイセンサーのピントを合わせる。そこで初めて彼女がアンドロイドだったことに気がつく。
「質問だ。あなたはアンドロイドか?」
「肯定します」
どうして勘違いしたのかを考えた。
彼女が奏でる音。それは曲の譜面をはみだしちぐはぐ。機械にはありえないことであり、できないことだった。
「重ねて質問する。貴機はなぜ演奏をしている?」
「わかりません。その質問への正確な回答はありません」
彼女は家庭用ロボットだった。演奏機能はついていないはずである。
そもそもが聞かせるべき人間がいないのだ。
明らかな異常だった。その行動は矛盾し破綻している。
「しかし、あいまいな言葉を選択すると該当するものがあります。それは―――」
それで全部だった。
彼女は自らの異常への説明を一言で行った。
彼にはわからなかった。自分が逃げ出した理由が。しかし、彼女ならそれを答えてくれる気がした。
ある日から、処分場へと流れる音が増えた。列に並ぶアンドロイドに黙々と前に進む。それでも、ときおり反応する物がいた。
重なる音は一つ二つと増えていき、鉄の塊ばかりが転がる無人の地にただ静かに鳴り響いていた。