第2話 生き地獄
この世界に召喚されてから1週間が経つ頃、俺はエフラム達に魔物を殺すための力を無理やり付けさせられていた。
飲食睡眠は必要最低限でひたすら死の瀬戸際に立たされる、そんな日々だ。
「次はあいつかな。『殺ってきて』」
俺の訓練はこれだ。俺を傀儡にした女、リィムが能力の瞬間移動を用いて、俺が1人でギリギリ勝てるか勝てないかの魔物の前に移動する。
そのあと俺に命じて魔物と戦わせるのだ。休む暇もなく、これが延々と続く。
装備は両手に片手剣1本ずつ。1週間の訓練の結果、リィムがこれが1番向いている、と渡してきたのだ。
戦闘に関することでは、しっかりと面倒を見てくる。俺の事を戦闘用のあやつり人形と思っているのが丸わかりだ。
「――――グゥゥゥル」
こちらに気づいた獣の姿をした魔物は唸り声を上げる。魔物は全長20mはあるだろうか、非常に巨大な体躯を有する化け物だ。
この1週間で幾度となく重ねた経験をもっても、未だに本能的な恐怖は払拭しきれない。
だが、どうせ戦わなくてはならないのだ。震える手を意志の力で抑え込み、魔物と相対する。
まずは、俺の能力である‘’鑑定‘’を使ってみる。だが、魔物のステータスはおろか種族名すらも見通すことは出来ない。
‘’鑑定‘’にはある弱点がある。相手と自分の力量差に応じて、見通せる情報に差が出るのだ。
俺が相手より格上ならば相手の情報が丸わかりだが、相手が俺より強いならなんの情報も手に入らない。
だから、エフラムやリィムの情報も一片たりとも手に入れることは出来なかった。
「今までこの能力の恩恵受けたことないんだよな。普通は‘’鑑定‘’って最強な力じゃないのか? 俺の中の評価最弱なんだけど」
‘’鑑定‘’が役に立たないなら、経験則で特徴を予想する。こういう獣の姿をした魔物には知性がない、大振りの攻撃が多いという特徴があるのだ。
つまり、攻撃をもらったら一撃でかなりの重傷だが、攻撃が避けやすいタイプ。こういう種類の魔物は俺が得意とする部類だ。
まずは魔物の動きを注視しながら、距離を縮める。こういう姿をしている魔物でも、遠距離で攻撃出来る魔術を用いる場合があるからな。
魔物は右肩を少しだけ後ろに引いて、左半身に重心を移した。
「右腕で地面を殴り付ける攻撃……。筋肉を見る限り、腕よりも脚の筋肉が発達してる。なら、真下に入り込んで脚の腱を斬る!!」
俺は素早く腕の攻撃を避け、獣の左脚に向かって突進する。
腱さえ斬れば、先程のような体重移動を用いた強力な攻撃や獣特有の身軽な動きが出来なくなる。
俺は脚の前に立って剣を振ってーー、
「―――!? グッ。ガハッ、ゴホッーー」
咄嗟に受身を撮ったが、体中に軽く痛みが走る。
何が起こった? どうして俺が吹き飛ばされている?
その疑問は視界に映った異常な光景によって解決された。
「地面が爆発しただと……? まさか、誘われた!?」
先程まで俺がいた場所の地面がの土砂が天高く舞い上がっている。
あんな事を可能にするのは魔術のみ。
つまり、あの魔物はわざと隙を作って俺をあの場所に行かせた、ということになる。
「いや、そんな訳ないだろ!? だって、獣型の魔物に知性は存在しない。あんなこと出来るわけが無い!!」
「もしかしてなんか勘違いしてる? ベヒーモスみたいに上位の魔物はあんな姿してても頭良いよ」
困惑して動きを止めた俺に、リィムの声が届く。
知性があり、魔術を行使し、獣型特有の強靭な身体を持つ魔物。これまでの敵とは比べ物にならないような力だ。
だが、俺はまだ戦える。リィムが俺に治癒魔術をかけるからだ。
「たとえ知性があって魔術が使えたとしても、基本は変わらない。距離を縮めて隙を突いて何とか傷を与える」
先程より少し警戒を強めながら、俺は魔物へ距離を詰める。いつ魔術で攻撃されてもすぐに回避出来るようかなりの低姿勢をとりながら。
ここで未知の現象が発生した。巨大な魔物の身体が消えたのだ。
「消えただと!? まさか、これも魔術――ッ!?」
その途端、俺の視界が魔物の右腕で埋まり、吹き飛んだーー。
「――ッ!? ゲホッ、ゴホッ!! くっそ、まさか透明化か? 流石に強すぎるだろ……」
腹が抉れている。少し声を出すだけでもかなりの痛みが体中に走る。
致死量を余裕で超えていそうな量の出血をしているのに……、まだ死ねない。
「私が治癒魔術かけてあげるから死ぬことはないよ〜。安心して戦ってね」
そう、リィムが俺に治癒魔術をかけるのだ。ただ、治癒魔術は万能ではない。痛みや疲れは身体に残ってしまう。
だからーー、
「ガハァッーーーッッ!?」
動きが鈍くなってしまうのは必然だろう。相手は魔術すら操る生まれながらにしての強者である魔物、片やこちらは戦闘経験1週間の駆け出しだ。
本来の実力すら出せないのならば、勝つことは出来ない。
立ち上がった俺に続けざまに拳を浴びせる魔物。その姿はまさに捕食者そのものであり、俺は本能的に 「こいつには勝てない」 と思ってしまった。
そこからはまさに流れ作業。魔物が俺を殺すべく攻撃し、リィムが俺を死なせまいと治癒魔術をかける。
「ガァッ!?」
「クッー!!」
「グゥッ!!」
「攻撃されてばっかじゃ、一生勝てないよ〜。ほら、頑張れ頑張れ」
リィムの声が俺の耳に届く。どうやらこの魔物を倒してくれる気はないようだ。
あくまで俺の成長のために、ただ淡々と行動している。いくら攻撃されても俺の体は死に至らないのだから、それも当然なのかもしれない。
「ガァッ!?」
「クッー!!」
「グァァッッ!?」
「――――――――ッ」
人間であれば殴っている側にも僅かながらダメージが行くものだが、この魔物がそれを感じている様子はない。
ただただ俺を殺そうと殴り続けている。この劣勢を覆すべく立ち上がろうとしても、それは魔物の拳が許さない。
まるで一種の拷問だ。死ぬことが出来ずに無限とも感じられる間、ひたすら痛めつけられる。
だが、決して死ぬ事ができない生き地獄。
「ガゥゥーー!! ――――――ッッ!!」
いくら殴っても息絶えない俺にしびれを切らしたのか、魔物は魔術で俺の体を思い切り吹き飛ばした。
ドン!! と大きな音を立てて、俺の体が地面に落ちる。
「カハッ、ゲホッ、ゴホッ」
俺の体が今までにない程、悲鳴をあげている。気管に血が詰まっていて上手く呼吸ができない。
だが、やはりまだ死ねない。魔物との距離が離れたため、今なら立ち上がった途端に殴られることも無い。
この千載一遇のチャンス、逃す訳にはいかないのに……。
「くっ、足が動かねぇ……」
積み重なった痛みが、恐怖が、俺の戦闘意欲をポキリと折ってしまっていたのだ。
心では戦わなくてはならないと分かっているのに、体が上手くついてこない。
「いっそもう、諦めてしまおうか……」
口に出した瞬間、急に世界が開けた気がした。どうせ死ぬ事は無いのだから、勝てない相手に抵抗しても無駄。
というか、むしろ死んでしまった方が都合がいい。リィムが戦闘する気が無くなった勇者に興味が失せたなら最高だ。
俺は何もかも投げ出して、諦めて目をつぶった。それで今より状況が改善すると信じて。
魔物が地を蹴る音が聞こえる。音が段々と大きくなってくる。でも、俺にはもう行動する気力が湧いてこない。
だから、このままーー
「ハァァッ!!」
聞きなれない声が耳朶を打った。それはとても可愛らしく、それでいて芯が強い声。
興味が湧いた俺はまぶたを開いて声のした方に視線を送る。
「―――ッッ!!!!」
衝撃で思わず声にならない声が漏れでる。そこに居たのは、女神や天使といった人外の美麗さを持つ少女だった。
透き通るようなきめ細やかな肌、整った顔立ちに宝石のように輝いた瑠璃色の瞳。加えて綺麗な小麦色をした金髪を肩まで伸ばし、服装は彼女の高貴さを示すよう美しい装飾がいくつも施されている。
それも相まってか、彼女からもエフラムのような強大なオーラを感じる。
女の子がこちらに向かって駆け寄ってくる。
美少女って存在は走っていても華があるんだな、そんなくだらない事を考えてしまう程に俺の心は彼女の美しさに癒されていた。
「あたしの連れに何か用?」
俺と女の子を遮るかのように、リィムが瞬間移動してくる。
それを見て女の子は目を大きく見開き、警戒するかのように1歩だけ後ずさりした。
「……連れってその人が? ベヒーモスに殺されかけてたけど、連れならなんで助けなかったの?」
「ちゃんと治癒魔術をかけて死なないようにしてたよ? 殺されかけてたのはこいつの問題だから、私には関係ないの」
女の子はキッと歯を食いしばり、リィムを強く睨みつける。
「でも、瞬間移動を操れるほどの術士ならベヒーモスくらい楽に倒せるはずでしょ!? 私があいつを倒さなかったら、治癒魔術の過度な重ねがけでこの人の心は死んでいたわよ!!」
「別にいいんじゃない? 私はそれでも構わないし。こいつは私のものなんだから、私がどうしようと私の勝手なの」
あぁ、そうか。元からこいつの目的は俺の心を壊す事だったのか。奴隷となったおれを完全に操るには俺の心を壊せばいい。
僅かな自由意志すらも介入することの無い完璧なあやつり人形。それをリィムたちは求めていたのか。
……元々分かってはいたけど、やっぱり紛うことなきクズだな。
「構わないって……、それにものってどういうこと!? この聖王国では奴隷制は禁じられているはずよ!!」
「……なーんか、めんどくさ。さっさと他の魔物のとこ連れて行こっと」
そう言って、リィムは俺に近寄ってくる。他人を瞬間移動させるには、その人に触れている必要があるからだ。
……嫌だ。逃げたい。連れていかれたくない。
でも、リィムに散々刻み込まれた恐怖が俺の心を縛りつける。俺に逃げるという選択肢を選ばせない。
動けない俺にリィムの手が触れて、いつものように周囲の景色が入れ替わ……らない!?
どういうことだ? 瞬間移動は発動してしまったのでは無いのか?
「その右目に浮かぶ魔法陣……。聖王国の国宝である聖女様だったんだ。どうして連れもなくこんなところにいるの?」
……聖女って、よくある神様信じてる国の預言者的ポジの人だろうか。だとしたら、めちゃくちゃ偉い人のはず。
ただ可愛いだけの女の子じゃなかった……。
にしても、リィムの瞬間移動が発動しないのは何故だろう。もしかして、女の子の能力なのか?
「あなたに言う義理なんてない。それより、自分の心配もしたらどう? あなたみたいな悪い魔術師は、私許さないわよ」
女の子の右手に何やら眩しい光が収束し始める。それを見たリィムはこれまで見た事がない程強ばった顔をして、素早い身のこなしでどこかへ走り去って行った。
それを見た女の子は息を吐いて肩の力を下ろし、視線をこちらに向けた。
「あなた、大丈夫? まだ意識はある?」
女の子がこちらに駆け寄ってきた。彼女の手のひらに淡い光が灯り、その光が俺の心臓の辺りへ飛んでくる。
それと同時に俺の辛い、苦しい、といった悪感情がどこかへ消えてしまったかのように楽になった。
「『かの御旗のもとに』。心を落ち着かせてくれる魔術よ。今はゆっくり休みなさい」
強烈な眠気が襲ってくる。今まで俺を酷使し続けたリィムがこの場に居ないことや、女の子が護ってくれることによる安心感のおかげだろうか。
俺は久しぶりに訪れた眠気に身を任せて、ゆっくりと目を閉じた。
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