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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
最愛と過ごす常春のこと
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だって眠くないです

 テオフィモ・スパンジャーズの件以外、平和だった休暇明け一日目の勤務を終えて帰宅すると、シシーがぴゅーんと走ってきて、アシュレイの足に突撃してきた。


「おかえりなさあい」

「おっ、シシー元気だなあ。ただいま」

「にいさま、だっこしてくださいっ」

「はいはい」


 手を伸ばしたシシーを抱き上げるタイミングで慌てたジェーンがやってきた。


「おかえりなさい、アシュレイ様。シシーが、すみません。お疲れなのに……」

「ただいま。いいよ、そんなに疲れてないから」


 アンナはもう帰宅しており、ジェーンの後ろには朝いなかったメイドが控えていた。そういえば、彼女達の勤務は今日からだった。


 ジェーン付きのメイド(姉)が、ノラ。シシー付きのメイド(妹)がココだ。

 ノラが十八歳、ココが十歳である。

 両親が借金を残して亡くなってしまった姉妹には三階の小部屋を与え、住み込みで働いてもらうことになっている。


 面接の時は切羽詰まった印象しかなかったノラだが、今挨拶をされてもそんなことは感じない。ジェーンとの関係も良好そうで安心だ。

 しかし、ココとは目が合わない。

 それもそのはず。シシーに懐かれてすっかり忘れていたが、アシュレイは元来子供から好かれない。

 体が大きいから怖いのかも知れない。

 屈んで話せば少しはましだろうかと考えながら真っ直ぐ食堂に向かい、ノラとココに給仕されて夕飯を摂る。



「にいさま、きょうね、ししーね」


 シシーの話を聞きながら、ジェーンがいつも以上に食べないのが気になった。

 よく見てみれば顔も赤い気がする。しょっちゅう顔が赤くなる彼女だけれど、いつもと様子が違う。


「ジェーン、熱があるんじゃないか?」

「え?」


 アシュレイの言葉に、きょとんとするジェーン。


「……気付いてないのか? 顔が赤いし、食欲もない」


 指摘するが……ぼんやりしている。


「ノラ、給仕はいいからジェーンを寝室まで頼む」

「はい、分かりました」



「……にいさま」


 ジェーンがいなくなった席で、シシーに不安げな声で呼ばれる。

 さっきまでのにこにこ顔ではなく、ぺっしょりと耳を下げた子犬のようになっている。


「ししーが、おねつ、うつしました」

「シシーのせいじゃない。疲れが出たんだろう。一晩寝たらすぐに治る」


「……」


 アシュレイの慰めも虚しく、シシーはすっかり元気をなくし話さなくなり、静かな食卓になってしまった。


 仲良くなったとは言っても、シシーの一番はジェーンだ。



 食後にはいつもリビングで絵を描いたり踊ったりしているシシーだが、今日の彼女はアシュレイに抱きついてしばらくの間ぐずっていた。


 ノラがジェーンの様子を伝えに来た頃には、機嫌は少しだけ上向いていたが、シシーはそろそろ湯あみをして眠る時間である。


「シシーを頼むよ」

「はい、あの……奥様の体調に気付かなくて、申し訳ありません……」


 頭を下げるノラを見て、ココも姉の真似をして慌てて頭を下げた。


「ノラは今日が初出勤だし、気付かなくて当然だ。俺は、人を雇い慣れてなくてな。来月には執事が来るから、彼から色々仕事について教わってほしい。それまでは妻のサポートをして、君達もここに慣れてくれたらそれでいいから」


 安堵した顔で「はい」と返すノラとココに、シシーを任せてジェーンの様子を見に行くことにした。




 寝室に入ると、ジェーンは起きていた。

 それどころか読書をしているようで、上体も起こされている。


「寝てなくちゃだめだろう?」

「だって眠くないです。それに、熱なんて……」


 珍しく拗ねたような言い方をするジェーンの前髪を()けて、額に手をのせる。


「いや、熱はあるぞ」

「……」

「今までは体調が悪くても、我慢してたから平気に感じるんじゃないか? これからは、ちゃんと自分のことを気にしないと」

「……はい」


 ジェーンは今度は素直に頷いて、読みかけの本に(しおり)を挟んで横になった。

 アシュレイもほっとして、部屋を出ることにする。


 が。着ていたシャツを引かれて振り返る。


「ジェーン?」

「あの……」

「うん?」

「今日、アシュレイ様はこの部屋で寝ますか?」

「……ごめん、そのつもりだった」


 熱があるから一人で寝たいのだろう、気が付かなかった。


 アシュレイは十歳以降、熱を出したことはない。

 うつらない自信があったので、いつも通り寝室で眠るつもりだったのだ。


「書斎のソファーよりは、客間のソファーの方が広いから、そこで寝るか……」

「あの、ここで寝てください」

「遠慮しなくてもいいぞ?」

「遠慮なんてしてません。……それに、一人で寝たくないです」


 熱が出ると心細くなるとは聞くが、ジェーンもそうなのだろうか。


「……あ、でもアシュレイ様にうつってしまうかも知れませんね……」

「いや、俺は風邪はめったにひかないから心配ない」


 しゅんとしていたジェーンが、ぱっと表情を変える様子が面白い。


「では、少しだけお話してほしいです」

「『お話』って、シシーにするやつか?」

「ふふ、『会話』の方です」

「いいよ」


 一人で酒を飲もうかと思っていたが、ジェーンが寝るまで話をするか、寝てしまったら本でも読もう。


「じゃあ、寝る準備をしてくるから」

「はい、待ってます」

「待ってなくていい。眠かったら寝てろ」

「眠くないです。寝ないです!」

「分かった分かった」


 シシーみたいな言い方のジェーンの頭を撫でてから寝室を出た。

 どうやらジェーンは、熱が出ると少しだけ子供っぽくなるようだ。


 熱を出すのも悪くないな、と思ったことはアシュレイだけの秘密である。






「おっ、起きてた」

「起きてますよ?」


 湯を浴びて、新しい水差しを持って寝室に行くとジェーンは眠っていなかった。

 いたずらっ子みたいな得意顔をする表情を初めて見たアシュレイの口角が上がる。

 これが本来のジェーンの性格なのかも知れない。


 アシュレイは横にはならず、背もたれに体を預けて本を開いた。

 すると、顔の位置がいつもより遠いからか、それとも熱で心細くなっているのか、ジェーンはアシュレイのすぐ横に移動してきた──懐かなかった猫が懐いてくれたような、そんな感じの気持ちになった。


「何の本を読んでるのですか?」

「『部下の育成について』だな」


 コーエンに『超お勧めだよ』と言われて購入した本だ。

 面白いとは思わないが、知って損はないので読み始めたばかりの本である。


「そんな本があるんですね」

「うん。ジェーンはさっき何の本を読んでたんだ?」

「えっ……と……」

「忘れたのか? さっきまで読んでたのに」


「いえ、その」

 言い淀むジェーン。


 アシュレイは何ともなしに、彼女のサイドボードの上にある本の背表紙を見た。


「『騎士と運命の乙女の物語』?」


 アシュレイがタイトルを読み上げると、ジェーンは目を見開いた。


「えっ、なんで知ってるんですかっ」

「背表紙に書いてある。恋愛小説か?」

「うう……はい」

「顔が赤い。大丈夫か?」


 手の甲でジェーンの頬に触れると、熱い。

 しかも、ジェーンはうーうー唸っている。もしかしたら、具合が悪くなったのかも知れない。


「ジェーン?」

「大丈夫です、これは、その、恥ずかしくて……」


 どうやらジェーンは、具合が悪くなったわけではなさそうだ。

 照れたのを誤魔化そうとしているリアクションをしている。


「え? 何が恥ずかしかったんだ?」

「……恋愛小説が好きって、アシュレイ様に知られてしまったからです……」

「そういうもんか?」


 よしよし、と慰めるように頭を撫でる。


「欲しい本があったら何でも買うといい。図書室も作ったばかりで、すかすかだし」


 結婚休暇中にジェーンが読書好きだと聞いて急遽作ることになった図書室には、ほとんど本が置いていない。

 現在の図書室は大きな本棚が整列しているばかりの部屋になっている。


 使用人も月に二冊まで購入を許すことにしたので、アンナも料理のレシピ本を買うと言っていた。もちろんメイドの二人も、これから増える使用人にも皆それを許可するつもりだ。


「図書室の本がそればっかりになってしまいそうです」

「あの部屋はジェーンのものだから、好きにしていい」

「はい、ありがとうございます」


 礼を言う彼女には、最初の頃に見受けられた遠慮やら恐縮した感じがない。

 感謝の気持ちとジェーンの『嬉しい』が伝わってきて、アシュレイも嬉しくなった。



 それから、今日あったことをぽつぽつ話すジェーンの話に頷いたり、途中で水を飲ませたりした。


 アシュレイも今後の予定を話をしていたのだが──


「──って、ことなんだけど、」

 続きを言いかけてやめた。


 ジェーンが眠っていたからだ。


 時間を見るとまだアシュレイが寝るには早い時間だったが、もう寝ることにした。

 活字が苦手なので、本を読むと眠くなってしまうのだ。そもそも、ほとんど読めていないが。


 という訳で、いざ横になる……が、一人分空けるべきか? と悩む。


「いや、いいだろ。夫婦なんだし」

 相談してきた自分にそう返事を返して、アシュレイは目を閉じた。




 翌朝、ジェーンの「ひゃあああ」という悲鳴で起きたのは言うまでもない。


 ちなみに、ジェーンの熱は下がっていた。

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