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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
最愛と過ごす常春のこと
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よく似合っていると思う

 目が覚めると隣にはシシーしかいなかった。

 アシュレイは朝稽古だろう。彼は結婚休暇中に体が鈍らないようにと剣を振ったり、腕立て伏せをしたりと体を鍛えている。


 アシュレイが今のジェーンと同じ歳の頃には、彼は既に団長と(ナイト)爵位の地位を自分の実力だけで手にしていた。凄いとしか言いようがない。

 そして、笑顔が胡散臭い男もとい、コーエンによると、アシュレイはその輝かしい栄光を手に入れた戦争で家族を亡くしているそうだ。


『……俺と、家族になってほしい』


 彼が言っていた言葉を思い出す。


 アシュレイに、ジェーンが返した言葉に嘘はない。

 彼が聞いていたかは定かではないけれど、あの夜の返事と今の気持ちは同じだ。

 ゆっくりでもいいから、アシュレイと家族になっていきたいと思う。


 ぷすーっと小さな寝息を立てるシシーの柔らかい髪を撫で、ジェーンはベッドの中から出た。



 顔を洗い終えたジェーンは、着替える為に自分の部屋に入った。入室する際に、ノックをしてしまったことは内緒だ。


 ジェーンには週明けからメイドが付く。

 自分で何でもできると言って遠慮することは、彼女達の仕事を奪うことなので、それは意識してしないようにしたい。


 八歳までは、(かしず)かれることも世話をされることも当然に感じていたが、今回は逆のことが起こる。『贅沢は慣れる』とはよく言うが、貧しかった生活に慣れたように、贅沢な暮らしにもまた、慣れてしまうのだろうか……。


 もし慣れてしまっても、アシュレイのように優しい人間でありたいと思う。


 祖父が亡くなり、家が傾いた途端に人々の態度は変わった。


 優しかった人もいたが、悪意というものには物凄い(パワー)があり、他人(ひと)の不幸が己の幸福であるという考えの人間が多くいることを知った。

 そういう(たぐい)の人間は、子供だろうが女だろうが容赦しない。いや、むしろ女子供に目を付けて、ここぞとばかりに攻撃する。


『泣いてはだめよ、ジェーン』


 母はジェーンに強くなることを課した。


 父と妹のことを頼むと言って、こと切れた母の最期の願いも、ジェーンが強くあることだった。




「あれ?」


 クローゼットの中にまだ封を開けていない存在感のある袋を見つけたが、すぐに買い物に行った時のものだと思い至った。


 シシーのクローゼットには全部入り切らなかったのだろうか……と思いながら袋を開けると、ブラウスと黄色のスカートから始まり、シュプリーム、コンコブル、トリアノン、ヴェスタ等の様々な色のスカートとワンピースが入っていた。

 丸襟のタイ付きシャツや靴下や手袋、色違いの数種類のリボンや髪留めも入っている。


 どう見ても、シシーのものではない。


 この袋の中にあるものは、全部、あの日にああでもないこうでもないと店員が真剣に考えてくれたジェーンに似合うものだ。


 視界が滲んで、慌てて拭う。

 せっかくの素敵なブラウスに染みができてしまうのは良くない。涙を止める為に大きく息を吸って目元を手で扇ぐ。


 結婚してからジェーンは泣き虫になってしまった。

 それも嬉しくて泣いてしまうのだから、これからもずっと泣き虫は直らないかも知れない。


 母が今のジェーンを見たら、泣いてはだめよ、と言うのだろうか?




「リボンは何色にする?」

「ん~と、ぴんく!」


 髪を結いながら鏡越しに目が合う妹はご機嫌だ。

 そのご機嫌なシシーが着ているリボンと同色のパステルピンクのワンピースは、丸いシルエットのコクーン型で、ころんとした後ろ姿がとても可愛い。


 ジェーンは、アプリコットのクレアスカートを選んだ。

 こんな女の子らしい明るい色のスカートや、流行りの襟のシャツを着るのは久しぶりで、心が躍る。



「まあっ! 素敵ですよ、奥様。シシーお嬢様も可愛らしいですねぇ」


 朝食の用意をしているアンナに褒めてもらえば、ついアシュレイの言葉も期待してしまう。

 彼はまだ庭で稽古をしているのだろうか……。


 そわそわと落ち着かない自分に、アンナが「旦那様を呼んできましょうか」と声をかけてくれたが、首を横に振った。


「いえ……あの、私が呼びに行きます」

「はい、分かりました。では、お願いしますねぇ」


 アンナは、アシュレイ用のタオルをジェーンに渡しながら頷いた。

 きっとジェーンの返事を予想していたのだろう。




「にいさま、あさごはんですよっ」


 昨日ずっとベッドで過ごした反動なのか、シシーはアシュレイの姿を見つけた途端、声を上げて走り出してしまった。仕方のない子だ。


「もう時間か……おはよう、シシー」

「おはようです」


 駆け寄ったシシーの頭を撫でるアシュレイの首から、汗が(したた)っている。その汗を、着ているシャツで拭う姿が妙に色っぽい。


「おはようございます、アシュレイ様。あの、タオルお使いになってください」

 目を逸らし、タオルを渡しながら声をかける。


「ああ。あり、が……とう」


 アシュレイはタオルを受け取りながら、ジェーンの姿を見た。


 ジェーンは彼から、マナー違反に当たるほどの長い視線を感じたが、不快な気分にはならなかった……物凄く恥ずかしかったが。


「お洋服、ありがとうございました……とっても嬉しいです」


 アシュレイの視線に耐えられなくなったジェーンは礼を言って、小さく頭を下げた。


「俺は女性の服はあまり分からないけど……なんだ、その……よく似合っていると思う」

「は、はい」

「……」

「……」


 顔が、上げられない。


 それに、「はい」って……なぜ、もっと可愛い返事ができないのか……。

 せっかく褒めてくれたのに。これでは、アシュレイにがっかりされてしまう。


 何か言わなければと思うのだが、何も思いつかない。


「にいさま、ししーは?」


 数秒の沈黙を破ったのは、無邪気な妹だった。


「うん、シシーも似合う」

「にゃうですか?」

「ああ、『にゃう』だ」

「にゃうにゃう?」

「にゃうにゃう」

「にゃーう!」


「……」

 ジェーンは、シシーとアシュレイがにゃうにゃう言い合ってる姿を見て、異性、それも大人の男の人に言ってはいけないことを思った。


 可愛いっ!



「よし、飯にしよう。遅いとアンナが怒る」

「はい。あの、アシュレイ様、」


「ああ」


 ──タオルを受け取るつもりで出したジェーンの手は、アシュレイの大きな手に握られた。


 えっ?


 多分だけど、声になっていなかった。


 異性と手を繋いだことはある。

 だけど、それは祖父や父だけなのだ。それも子供の頃に限定したことである。

 要するに何を言いたいかというと、アシュレイは実質、ジェーンの『初めて手を繋いだ人』になる。


 いや、夫婦なのだから手を繋いだって、それ以上のことをしたっておかしいことではないのだけれど、だけど、だけど……どうしよう、手汗が気になってしかたがない。


「ねえさま?」

「な、何?」

「おかお、まっかっか。ししーの、おねつうつった?」

「……うつってないよ。ちょっと……暑くて……」


「ふうん? にいさまも、あついですか?」

「ああ、運動してたからな」

「そっかあ、ししーはあつくないです」

「熱が下がって良かったな。薬は飲んだか?」

「はいっ! のみました!」

「いい子だ」


 なんでジェーンの顔が赤いことを、原因(アシュレイ)に聞いてしまうのか……と思ったが、アシュレイは特に気付いていないようだ。

 ジェーンは、ほっとしたら顔の熱が少しだけ引いた。






 アシュレイは反省していた。


 もっと言いようがあったなと思う。「よく似合っていると思う」だなんて、何の感想文だ?


 きっと『可愛い』だの『綺麗』だのが口癖のコーエンならば、まるで詩を詠むように愛を語り、愛妻を褒めるのだろうが……アシュレイはそんな小恥(こっぱ)ずかしいことは言えない。下手したら死ぬからだ(死なない)。


 でも、次の機会にはもっと頑張ろうと気持ちを切り替えて、もらったタオルで汗を拭いてから「飯にしよう」と姉妹に声をかけた。



 しかし、決意してすぐに、アシュレイはやらかしてしまった。



 悪気はなかった、本当だ。


 タオルを受け取ろうとしていたジェーンの手を、うっかり取ってしまったアシュレイは、シシーがジェーンの顔が赤いと指摘するまで、それに気付かなかったのだ。


 出された手を、つい握ってしまった。疑問にすら思わなかった。


 そして、またうつる赤面。


 でも、この手を離してしまうのは惜しい。

 


 ──結果、少女よりも年上のずるい男は、振り払われるまではこのままでいようと、そのまま知らんぷりをすることにした。




 ジェーンが朝食の席に着く際、ほんの少し残念そうに見えたのが自分の勘違いではないことを祈りながら、アシュレイも名残惜しくその手を離した。

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