一緒に、寝ませんか?
朝一で連れてきた医者の言うことは、大体アシュレイの予想通りのものだった。
医者曰く、シシーの咳は薬を飲み続けていれば、十歳になる頃には完治するものらしい。
おおよそ期間は長めに見積もっているだろうから、もっと早く治るかも知れない。
ジェーンとアンナは、医者に言われことをメモしながら真剣に聞いている。もちろんアシュレイもきちんと聞く。
シシーも自分のことなので内容を理解しているかはさて置き、大人しくしていた。
薬は週に一度処方してもらうことになり、必要に応じて診察にかかることになった。
「にいさま、おすくり、にがいですか?」
さっそく飲むことになった薬は、ザ・緑色で、どう見ても甘くはなさそうだ。
「うーん、飲んでみたら分かるんじゃないか?」
苦いだろうなと思いながら、恐る恐る薬を舐めるシシーを見守る。
「……にいさまぁ」
んべっと舌を出して、助けを求めるように見てくるシシー。
「飲めそうか?」
「……むう」
首を横に振って口を尖らせるシシーには、『飲むもんか』という強い意志を感じる。
さてどうしようと思っているアシュレイの横で、ジェーンがしゃがんでシシーと目線を合わせた。
「お薬は苦いよね。でもね、このお薬でシシーの咳と『苦しい』はなくなるんだよ」
「……ほんと?」
「本当だよ。だから頑張って飲もうね」
シシーは少しだけ躊躇したが、ぎゅっと目を瞑って薬を一気に飲んだ。
「おっ、全部飲んだ」
「偉いね、シシー」
無言ながらも苦い薬を飲み干したシシーに、ジェーンと一緒に拍手をしているところで、先ほど部屋から飛び出していったアンナが戻って来た。
「アンナ、シシーが薬を飲んだ」
「あらあら、ではこちらを……」
アシュレイの言葉を聞いたアンナは、瓶に入った蜂蜜をスプーンで半分ほど掬って、シシーの口元に寄せた。
「シシーお嬢様、ご褒美の蜂蜜ですよぅ。お口を開けてくださいね」
「あー」
「美味しいですか?」
「……おいしい!」
アンナが持ってきた蜂蜜を舐めさせてやると、シシーのくしゃっとした渋い顔はいつものつるんとした顔に戻った。
「お薬を飲んだらあげますからね。朝起きてからと寝る前には、必ずきちんと飲みましょうね?」
「うんっ!」
アシュレイは、ジェーンもアンナも凄いなと感心しつつ、蜂蜜だけは切らさないようにしようと思った。
それから朝食を摂り、予定していた使用人の面接を行う。
ジェーンは自分付きのメイドは付けなくてもいいと言って、乗り気ではなかったのだが、メイド希望で面接にやって来た姉妹を自分達の境遇に重ね、姉の方を自分付きのメイドに、妹の方をシシー付きメイドに、と決めてしまった。
メイド未経験の若い姉妹を雇うことに不安はあるが、ジェーンにお願いされてしまえばアシュレイは断れない。
そして、採用が決定した者達には早くて来週から──アシュレイの結婚休暇が明けてから働いてもらうことになった。
当たり前だが今日、全員決まることはないので徐々に増やしていくことにして、区切りを付ける。
一先ず安心かと息を吐いた頃には、すっかり空が暗くなっていた。
面接だけで一日が終わってしまったことで、ジェーンとシシーに申し訳ない気持ちが湧き上がる。
特に、一日中ベッドで過ごしたシシーには、寂しい思いをさせてしまった。
朝の時点で熱は下がっていたが、ぶり返す可能性があったので仕方ないことだが……。
明日は念の為様子を見て家で過ごすことになっているし、ずっと一緒にいてあげよう。
「ジェーン」
「はい」
「今晩、シシーと一緒にいてやるといい」
せめてもと思い、ジェーンにシシーと寝るように勧める。
が、しかし。
「え?」
てっきり喜ぶと思ったジェーンは、アシュレイの言葉に戸惑っているようだ。
「うん?」
「あの……アシュレイ様も……」
「俺も?」
「一緒に、寝ませんか?」
一緒に、寝る?
「三人で」
「あ、ああ、なんだ……三人で、だよな……うん」
話の流れから予想できていたことなのに、期待してしまった自分が恥ずかしい。
いや、期待って何だ。『なんだ』って何だ。
決して、シシーと寝るのが嫌な訳ではないが、物凄くガッカリしてしまった。
「今日は私が『お話』しますから、心配は無用ですよ!」
アシュレイの気落ちした態度に何を勘違いしたのか、ジェーンが小さな拳で宣言する。
違う、そうじゃない。
そんなことを言えるはずもないアシュレイは、今夜も三人仲良くシシーの狭いベッドで眠るのだった。
妹のベッドは、夫婦のベッドよりも小さい。
ジェーンが結婚してから三度目の夜──三回中、二回がシシーを真ん中にして眠る夜を過ごしている。
今からでも自分達の寝室に移動したいのは山々だが、アンナにシシーを夫婦の寝室にあまり入れてはいけないと言われている。
理由は教えてもらえなかったが、おそらくシシーが自分の部屋で眠れなくなることを危惧しているのだと思う。
だから、アシュレイも気を使って「シシーと一緒にいてやるといい」と言ってくれたのだろう。
あの言葉に頷いておけば、アシュレイは狭いベッドで寝ることはなかった。
だけど、ジェーンはアシュレイと別の部屋で眠るのが嫌だった。
「きょうも、さんにんでねるですか?」
「ああ、シシーが嫌じゃないならな」
「やじゃないですよ」
「そうか、良かった」
二人はとても仲が良い。
シシーは割と人見知りするタイプなのに、アシュレイには最初の頃から懐いていた。
今この時も、シシーはアシュレイに甘えている。
アシュレイは、ジェーンの夫なのに……ああ、いけない。
四歳の妹に嫉妬なんて、みっともない。
みっともないと言えば、昨日ジェーンはアシュレイの前でびいびい泣いてしまった。
頭を撫でてくれた手が大きくてあまりにも安心するものだから、涙が止まらなくなってしまったのだ。
悲しい時には涙なんて出なかったのに、不思議である。
あれからジェーンは、アシュレイの言っていた「家族になってほしい」という言葉の意味を考えている。
どうすれば彼の希望に沿う家族になることができるのだろう、と。
「──さま?」
やはり、ジェーンが子供を産むことだろうか?
それについては、怖い気持ちもあるけれど……嫌ではない、気もする。多分。
でも、やっぱり考えた結果、『恥ずかしい』が勝ってしまう。
「ねえさまっ!」
小さな手に揺すられて、ジェーンははっとした。
「……あっ、ごめんね。ぼうっとしちゃってた」
「なんかいも、よんだのにぃ」
ぼんやりしていて、シシーに呼ばれていることに気が付かなかったようだ。
「そう怒るな、シシー。顔が膨らんで風船になっちゃうぞ?」
シシーのぷうと膨んだ頬を、アシュレイがつついて空気を抜く。
すると、シシーは「きゃあ」と笑い声を上げて、アシュレイの頬を小さい指でつつき返す。
……ちょっとだけ羨ましい。
ほんの、ちょっびっとだけ。
「ジェーン、眠いか? 今日は面接がたくさん入ってたし疲れさせちゃったからな。……シシー、『お話』はないとだめか?」
「だめです!」
「そうか、だめか」
シシーの耳に髪をかけるアシュレイの目が優しい。
この人の一体どこに、悪魔と呼ばれる要素があるのだろう。
「いえ、大丈夫です。私まだ眠くないので!」
「じゃあジェーンの『お話』を聞かせてもらおう。実は楽しみにしてたんだ」
「……なんだか、アシュレイ様にお話しするのは恥ずかしいです」
「分かる。俺も昨日はなかなか恥ずかしかったからなあ」
笑うと一気に少年っぽくなるアシュレイに、頬が緩む。
どうしようと焦っていた気持ちが凪いで、急がなくてもいいんだと思えてくる。
「ねえさま、おはなしして?」
「そうだね、今日はシシーの好きなお姫様のお話にしよっか」
「わあい!」
恋がどういうものかは、まだジェーンには分からない。
だけど、恋をするなら夫がいい。
淡い想いを抱きながら、ジェーンは「二人は幸せに暮らしましたとさ」の文言で締める物語を語り始めた。




