……私も聞きたいです
アンナは通いの家政婦なので、夕方には自宅に帰る。
その為、日が暮れるまでにはアシュレイ達も家に帰らなければならない。
明日は使用人の面接を予定しているので、ジェーンにも参加するように伝えながら家路につく。
苺でもつれなかったシシーは、むずかっている内にまた眠ってしまったので、またアシュレイが抱えている。
「──って言っても、使用人は最低限しか雇う気はないんだけどな」
「私も一通り自分のことは自分でできますので、異論はありません」
「そうか、よかった。まあ、様子見だな。子供ができたら使用人は多い方がいいが……」
「えっ」
「……え? ……あっ!」
羞恥心は遅れてやって来た。
「ああ、いや、その」
何が『子供ができたら』だ。
急がなくてもいいなんて言って、格好付けていたくせに大失言である。
ふとジェーンの表情が気になり、目だけで確認する。嫌悪と顔に書かれていたらどうしようと思っていたジェーンの顔は真っ赤だった。
嫌がられてはいないようだが、反応が初々し過ぎていささか眩しい。
しっかりしていても、ジェーンはまだ十七歳の女の子だ。
「……」
「……」
沈黙の中、失言はもちろんだが、ジェーンの顔を確認したことを後悔した。
なぜなら、赤面というものは伝染するものだからである。
「あー……ごめん」
とりあえず謝るアシュレイに、「いえ」とか細い返事をするジェーン。
そして、眠っているシシー……起きてくれ、と願うが安心しきった顔で夢の中だ。
再び訪れる沈黙に、耐えられなかったのはアシュレイではなかった。
「きょ、きょうはっ」
──今日は、と言いたかったのだろう。
ジェーンは声が裏返って、小さく唸ってから「楽しかったです」と慌てて言い加える。
彼女が何とか元の空気に戻そうとしているのに、その少女より十近く年上の自分が頑張らなくてどうするというのか。
「うん、楽しんでもらって良かった」
アシュレイは、自分の中にある余裕をかき集めて返事を返した。
なんとか帰宅すると、服屋から送られてきた袋をアンナが、よっこらせーいと持ち上げている場面に遭遇した。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥様……あらまあ、シシーお嬢様は眠ってらっしゃいますか?」
「ただいま戻りました、アンナさん。はい、はしゃいで眠ってしまいました」
笑顔のアンナに出迎えられ、ジェーンは安心したのか肩の力を抜いている。
自分も早く安心してもらえる存在になりたいものだ。
「たくさん買いましたねぇ」
「あっ、あれ? えっ? こんなに買っていたのですか……?」
アンナの言葉を聞いて、彼女の持っている袋の多さに驚くジェーン。
「ありがとうございます、アシュレイ様」
「うん」
ブラウス以外、全部シシーのものだと思っているようだが黙っておいた。
どうせ袋を開けたら分かることだ。
「アンナ、荷物貸して。俺が持つから」
「あらあらぁ、いいんですか?」
機嫌が直っている状態で帰宅させることを決めて、シシーをジェーンに預けてからアンナの荷物を受け取る。
かなりたくさん買ったので、服の入った袋はそれなりに重かった。
「か弱いくせにけろっとした顔で持つな」
真面目に心配すると、『年寄り扱いされた』と拗ねるので、こういった言い方になってしまう。
アンナは腰を一度痛めたことがあるので、重いものを持っているのを見ると、ひやりとするのだ。
「まあまあっ! お優しい旦那様ですこと」
「はいはい。後は俺がやっておくから、今日はもう帰っていいぞ」
「では、今日はここでお暇しますね。お夕食は用意してますから」
アンナを見送り、荷物を移動させると夕飯時だった。
服の整理は明日以降やるように言って食事を摂ることにする。
ジェーンが食事を温め直している間に起きたシシーは、やはりジェーンにべったりだったが、「いただきます」と言う頃にはすっかりご機嫌になっていた。
「にいさま、いっぱいたべるですねえ。えらいねえ」
「シシーもニンジン食べて偉いぞ」
量を食べるだけで褒められるとは思わなかったアシュレイは、お返しにシシーを褒めた。
アシュレイの苦手な甘い味付けのニンジンを食べるシシーは、世辞なしに偉いと思う。
「にんじんさん、おいしいですよ?」
「えっ!? 美味いのか? 本当に?」
「うまです」
衝撃である。
アシュレイは二十六年間、子供は皆ニンジンが嫌いだと思っていたのだ。
まさか、ニンジンを美味いという子供がいたなんて……大人になってもニンジンが好きになれないアシュレイは驚きを隠せない。
「ふふ、シシーは好き嫌いありませんよ」
「ありません!」
くすくす笑うジェーンと、得意顔のシシーに居心地が悪くなる。
弁解してもいいなら、アシュレイは出された食事は全部食べるし、ニンジンだってもちろん食べる。
ただあの独特な味が、苦手なだけだ。
「へえ? じゃあ、ジェーンは?」
「え、私ですか……私も、ないです」
目が泳いでいる……。分かりやすい子だ。
「ジェーンは嘘が下手なんだな」
「ねえさまも、にんじんさんきらいです」
「あ、そうなんだ」
「シシーっ!」
あわあわするジェーンは、また顔を赤くしている。
そんな姉を見たシシーは、きょとんとした顔で首を傾げていた。
アシュレイは、いけないと思いつつツボに入ってしまい、その後、料理にニンジンを見つける度に笑うことになった。
食後、また食べ過ぎてしまったアシュレイは軽いトレーニングをしていた。
このままのペースで食べ続けていたら体が重くなり、休み明けの訓練では最悪のコンディションだろう。
若い者しか所属していない末端団とは言え、アシュレイは団長だ。
信用を失う云々以前に、侮られては『団長』という立場は終いである。
「にいさま、すごいねえ」
「そうだね、凄いね」
こそこそと話しているつもりだろうが、しっかり『凄い』は届いている。
アシュレイは、自分が褒められて調子に乗るタイプの人間だったということを、この時初めて知った。
結果、トレーニングは予定よりしっかりすることになった。
平和だった時間が一変したのは、さて寝るかとなってからである。
急がなくってもいいと言ったが、同じベッドの中で寝るのだ。色んな意味で緊張する。
寝酒は酒が強いアシュレイには効果が無いし……。どうしたものかと考えていると、やや乱暴に寝室の扉が開いた。
「アシュレイ様!」
「どうした?」
「シシー……熱があるみたいで……咳が止まらないです、どうしよう……いつもよりも酷い咳をしているんです」
シシーはもともと喉の器官が弱いとは聞いていた。
きっと今日はしゃぎすぎて熱がでたのだろう。環境が変わったところで連れまわしてしまったことに罪悪感が込みあがる。
だが、今それを悔やんでも仕方ない。
ぜいぜい苦しそうに息をして、痰が絡む痛そうな咳をしているシシーの様子を観察する。団員の中にも幼少期に器官が弱い者がいて、聞いた症状とシシーの状態が似ていることに気付いた。
シシーの首周りを温めて、湯で割った蜂蜜をゆっくり飲ませる。
頭を高くして部屋の湿度を上げると、ようやく呼吸が落ち着いた。
シシーの部屋から引っ張って来たジェーンは可哀想なくらい落ち込んでいた。
「明日、医者を連れてくるよ。薬もその時に買おう」
「……はい」
咳止めの薬はさして高くはないが、それさえも買えなかったことが窺える。
「大人になるまでには治るから、そんなに深刻にならなくてもいい」
「……っ、は、い」
アシュレイの言葉に、堰を切ったように涙を流すジェーンに、泣くなとは言わなかった。
我慢していたのだろう。
「今までよく頑張ったな、もう大丈夫だ」
引き寄せて抱きしめる──なんてことはできるはずもなく、ぎこちない手つきで頭を撫でる。
これは慰めたくてしたことだったのだが、逆にジェーンの涙腺を更に壊すことになってしまった。
咳は落ち着いたが、シシーを一人で寝かせられず、今晩は仲良く三人で一緒に寝ることになった。
「にいさま、おはなし、ください」
「『お話』? ……って、何だ?」
「あ、寝る前にいつもしているんです」
少し枯れた声のシシーに、アシュレイが頭に疑問符を浮かべると、泣き腫らした目のジェーンが解説をしてくれた。
「つってもなあ……俺はお姫様の話なんて知らないぞ?」
「おしめさまの、おはなしじゃなくてもいいです」
「うーん」
「……あの、私も、聞きたいです」
珍しいジェーンのお願いだ。
これは断れない。
「よっし、分かった! ……昔々、あるところに──」
こうなったら腹をくくって話してやろう。
そんな決意で生まれたうろ覚えの『お話』は、色んな物語が融合した摩訶不思議な内容となり、シシーとジェーンを楽しませる世界で一つだけの物語となった。