まいにちないてるの……?
ドレッサーの前に座ってノラに髪を梳かれている姉の髪はさらさらと音が鳴りそうな真っ直ぐなストレート。そして、色素が薄くて日に当たると金に見える茶色の髪だ。
シシーはそれがとても羨ましい。
だって、シシーの髪は姉と同じ茶色じゃない。
シシーの髪色はそれよりも少しだけ濃い色だ。日に当たっても金色にはならない。
そして髪質だが、シシーの髪は姉のように真っ直ぐではない。雨の日にはうねるし、ぼわっと広がるし、寝癖も付きやすいし、量も多い。
「ねえさま、いいなあ……」
シシーはソファーに座って足をぷらぷらさせながら、口を尖らせてぽしょりと呟く。
すると、鏡越しに目が合った姉が首を傾げた。
「どうしたの?」と聞く姉の声はいつも通り甘くて優しい。シシーはこの声が大好きだ。
まあ、たとえ怒られたって大好きなのだけれど。
手でおいでと招かれたシシーはソファーから降り、とことこ姉のそばに行き、そのまま姉の膝に頬をくっ付けて愚痴る。
「……ししーも、ねえさまみたいな、まっすぐなかみがいい」
シシーがそう言って見上げると、姉は一瞬驚いたように目を見開き、ふふっと楽しげに笑った。
それを見たシシーは、どうして笑うの? というように眉と眉の間に小さな皺を作った。
が、頭を撫でられればその皺はすぐに消える。
まるで絵本に出てくる魔法みたいだな、と思う。
姉の手は不安だったり、嫌な気持ちがすーっと消えていく魔法の手だ。
「笑ってごめんね。姉様はシシーの髪が羨ましいなあって思ってたから、シシーの言葉が嬉しかったの」
「えー? そうなのぉ?」
「そうなの。それに、髪だけじゃないよ? シシーの真ん丸な目も、ふっくらなほっぺたも、可愛いなあ、羨ましいなあって思うもの」
そう言ってから、姉は懐かしいものを見るようにシシーの髪を一房手に取り、「あのね、シシー」と言葉を続ける。
「シシーの髪はお母様譲りなんだよ。……お母様の髪も、こんな風だった。色も、髪質も、シシーはお母様にそっくり。お顔もね、姉様よりもシシーの方がお母様に似てるの」
「ふうん」
シシーは素っ気ないそぶりのふりをして、姉の膝に顔を埋めた。なんだか皮膚がむずむずして、こそばゆいような気持ちになったからだ。
シシーは母のことを一つも覚えていない。それ故に寂しいと思ったこともない。好きとか嫌いとか、そんなこと考えたことすらない。
なのに、母の話を聞くと嬉しいと感じるのだから不思議だ。
どうしてだろう?
そんなシシーの気持ちを見抜いている姉は、シシーの知らない母について教えてくれた。
曰く、とっても明るくて、優しくて、強かったらしい。
でも体は弱かったそうだ。……シシーはここらへんがよく分からない。だって、強いけど弱いって、何? という感じなのだ。
けれど、姉の語る自分達を産んだ母という人物が、とっても素敵な女ということだけは分かった。
そんな素敵な女の人に似てると言われて、大好きな姉に『羨ましい』と言われれば、もうシシーの気持ちはすっかり上向いて、にこにこ顔である。
まだ姉を羨ましいという気持ちはあれども、さきほどの持っていた感情とはかなり意味の違うものになっている。
「どんどん似ていくんだろうね、楽しみだなあ」
「ししーもたのしみ! はやくおねえさんになりたい!」
姉の大きなお腹にそっと手を当て撫でるシシーはもうすぐお姉さんだ。
「ふふ。どんなお姉さんになるの?」
どんなお姉さん……?
ここで、シシーは少しばかり考える。
だけど、考えても考えても、ずっと前からなりたいお姉さん像は変わらない。
「ししー、ねえさまみたいな、おねえさんになりたい!」
母に似ている、と喜んでいる姉には『お母様みたいになりたい』と答えるのが正解なのだろうが、シシーにとっての素敵な女の人は、今シシーの頭を撫でて笑いかけてくれている人だ。
「なれるかなあ?」と、シシーがおそるおそる聞くと、姉の目がうるうるしていた。
悲しかったのだろうか、『ごめんなさい』をしようか、とショックを受けていると、ノラがすかさず「最近、奥様は嬉しいとすぐ泣いてしまうんですよ」と言って、姉の目にそっとハンカチを当てた。
「うれしいとないちゃうの?」
「うん、そうなの。ごめんね、吃驚したね」
思い返せば、義兄の前で泣いている姉を何度か見たことがあるので、嘘ではなさそうだ。
というわけで、安心したシシーはまた姉の膝に甘えることにした。
「ねえさまは、ししーがねえさまみたいなおねえさんになったら、うれしい?」
「うーん、どうかなあ」
「『うーん?』なのぉ?」
シシーがぷう、と頬を膨らませると、その頬をつつかれて空気がぷすぅと抜けた。
「あのね、シシーはシシーのままでいいんだよ。姉様みたいになろうとしなくてもいいの。幸せになってくれたら、それでいいの」
「しあわせ……って、どんなこと?」
「そうだなあ、美味しいものが食べられて、暖かい寝床があって、大好きな人達と仲良く過ごすことかな」
すごい! シシーはぜーんぶ当てはまっている!
「ししー、いま、とーってもしあわせ! ねえさまも、ね?」
「うん、そうだね。幸せだね」
姉の笑顔に、シシーも笑い返し……ふと、疑問が生まれた。
「じゃあ、ねえさま、まいにちないてるの……?」
シシーのこの発言に、姉とノラは顔を見合わせて笑い、少し離れたところに待機しているココも笑っていた。
「ふふ、どうかなあ。慣れたら、泣かなくなるかもね」
「ふうん?」
今のシシーには、『嬉しいと泣く』ということがよく分からない。
それ以外にも、子供のシシーには分からないことだらけだ。多分、大人になれば分かるのだろう。
だから、早く大人になって、全部全部分かるようになりたいなあ、と思っている。
直近の目標は、生まれてくる子供の『お手本になるお姉さん』だ!
数時間後、帰宅した義兄に飛び付き、シシーは、意気込みを語ることになる。
そして義兄の「俺は、ずっとこのままでいてほしいんだけどな」という言葉を聞き、ちょっぴり不機嫌になるのだが……今、この瞬間──姉に甘えているシシーには与り知らぬ未来の話だ。
──それからその後に、ちゃあんとアシュレイにシシーの髪が可愛いことを褒められて機嫌を直すところまでがセットである。




