虫歯になる柔らか飴ですね
クラークソン家で行われる年末のパーティで、使用人の子供達に配るお菓子を買いに街に降りたシシーは、籠いっぱいに入った飴にご満悦だ。
籠は一つだが、とっても大きい。
なので、当然シシーの手は空いている。隣でにこにこ笑って「たくさん買えましたね」と言うココの手には小さな紙袋一つで、こちらもほぼ空いている。
籠を持っているのはシシーの婚約者のカイル・バンクスだ。
「ちょっと休憩するか?」
と、カイルが指差す先はいつぞやのシシーが街で迷子になり、義兄が見つけに来るまでしくしく泣いていたベンチだった。
「では、私は飲み物を買ってきますね。何にいたしますか?」
ココに訊ねられ、シシーとカイルは「何でもいい」と言葉をハモらせた。
シシーとカイルの好みの味を知っているココは、「はい」と微笑んで踵を返して飲み物の調達へ向かっていった。
ココを待つ二人は年末の浮かれた雰囲気の街を見ながら、購入した飴について話をしていた。
「ねえ、カイル、これ知ってる?」
籠の中から包みをつまんだシシーに、カイルは「飴だろ?」と返す。
シシーは、かさかさと包みから飴を取り出し、「はい」とカイルの口元に寄せてきた。
ついこの間まで逃げ回っていたくせに、どえらい変化だ……と、思いつつ、可愛いので即行許したカイルは、素直に「あ」と口を開けた。
「……あっま。なんだ、これ。キャラメルか?」
カイルは口の中の違和感に眉を寄せた。
飴の硬さがなく、普通の飴よりも味の主張が強い。
大人になって、味覚が変わったカイルに過ぎる甘さである。
「ううん。ソフトキャンディー。キャラメルより柔らかいんだよ。メーちゃんが好きなお菓子なの」
ふうん、と言ってシシーの手から包み紙を取って自分のポケットにそれをつっこむカイルに「カイルは、これ嫌い?」とシシーは質問した。
「うーん。別に不味くは…………ごめん、あまり好きじゃない」
「私も苦手」
気を使って、それでも本音を言うカイルがおかしくってシシーの口角が上がる。
「何笑ってんだ」
「嫌いなものが一緒って、なんか嬉しくない?」
「そうか?」
「そうだよ、嬉しいよ」
シシーの姉と義兄は同じものが苦手だ。
シシーはずっと好き嫌いがなかったので、二人が羨ましかった。
だから、後にできた苦手がカイルと同じで嬉しい。カイルの兄のオースティンの妻のナタリアも飴は苦手だが、彼女はどんな飴でも苦手だそうなので、少し違う。
「私、昔ソフトキャンディー食べて大泣きしちゃって」
「大泣き? なんで?」
「あのね──」
──あの日は、ココとビルと一緒に飴を食べていた。
一人二個までですよ、とアンナに貰った飴だった。
シシーが一個目に食べたのはいちご味で、舌が真っ赤になって「んべっ」と出した舌をココとビルと見せあいっこしていた。
ココの舌は黄色で、ビルの舌は紫色で、シシーはきゃっきゃとはしゃいだ。
この時のシシーは桃色の斜めがけのポシェットに飴を常に入れていた。
一人でこっそり食べるのも美味しいけれど、皆で食べた方が美味しくて、ポシェットの飴はだいたい人にあげていた。
例えばカイルや、ナタリアのように仲良くなりたい人に。
他にも、入ったばかりの年若なメイドや、怒ったコニーに賄賂としてあげることもあった。
さて、話を戻して。
シシーが口に入れた二個目の飴はソフトキャンディーだった。
あれ? と、シシーは思った。
いつもなら、カチッと歯に当たる飴の感触が違うのだ。
初めての感触にシシーは、あれれ? と思いながら奥歯で噛んでみた。
ぐにい、と歯に潰された飴にシシーは吃驚して『ここ! びる!』と声を上げて『この飴っこ、へん』と訴えた。
『歯にくっついて、とれない』
そう言うシシーに、ビルが『虫歯になる柔らか飴ですね』と真面目な顔で返した。
ビルの、ちょっとした揶揄いのつもりだったらしい。
だが、その言葉にココが過剰反応してしまった。『わっ、大変です! 早く取らないと!』と。
取らないと……?
それって、歯のこと?
シシーは、怖くなった。
だって、この前、ぐらぐらしていた歯を糸で引っ張って抜いたばかりだ。
『お口、開けてください!』と言うココが怖くて、ビルに助けを求めるも、『虫歯になりますよ』と神妙な声色で言われてしまい……、
『びゃあああああ!』
シシーは泣いた。
『ねえさまあ! ねえさまあ〜〜!』
『わー! お嬢様ぁ!』
『待ってくださいっ! 飴を口に入れたまま叫ばないでくださいー!』
シシーは、ココとビルに追いかけられながらわあわあ泣いて、姉のいる部屋に飛び込んで声にならない声で『あああ〜〜!』と泣きついた。
この時も、奥歯に密着した『虫歯になる柔らか飴』は取れないままだった。
突然、尋常ではなく泣いている妹に、当時の姉はたいそう驚いたそうだ。
事情を聞いても妹は泣いていて、遅れてやって来たビルは息が整わないまま話した為『飴が……、お嬢さんの、……取らないと……』というもので、それを聞いた姉は、妹が喉に飴をつっかかせたと勘違いし、悲鳴を上げた。
そして、飴を吐き出さなければと、シシーを膝の上に俯向けに寝せて、背中を思い切り叩いた。
姉に叩かれたことなどなかったシシーは、驚いて更に大声を上げて泣いた。
暴れて抵抗しても、ノラがいやいやするシシーを押さえつけている為、シシーはただ泣いていた。
何の騒ぎだとコニーが慌てて部屋に入ってきて、青ざめた顔のノラから事情を聞いて、逆さまにして背中を叩こうか……と、考えたところで、ココが部屋に入って来て、事件は収束した。
この件でビルとココはたいそう叱られることになるが、今はこの話は置いておこう──
「なるほど。それは……初めて聞いた。何歳頃の話だ?」
「メーちゃんが歩いてたから……七、八歳くらいかなあ」
「大事件だな」
「うん、その後も大変だったの。私が泣いて、姉様に『ひどいひどい』って文句? 言っちゃって……」
「ジェーンさん、なんて?」
「『ごめんね』って、叩いた背中を撫でられていっぱい謝られた」
「許さなかったのか?」
「んー、覚えてないんだけど、そうだね。ちょっと意地になっちゃってたのかも」
『ごめんね、シシー。姉様、シシーの喉に飴が引っかかってると思ったの。嫌いで叩いたんじゃないよ』
『……』
返事は返さないが、シシーは姉に抱きかかえられていた。
ぎゅっとしがみついていたとも言える。
よちよち歩きのメアリがシシーの背中ににこにことくっついて、二人はコアラみたいになっていた。
義兄が帰ってくるまでそうしていた為、当時の義兄は焦ったそうだ。
出迎えたコニーの顔が微妙だし、えぐえぐと泣きながら『ごめんなさい』と謝るココと、ズーンと沈んだ庭師親子を見て、更に焦った。
そして、着替えもせずにリビングに行くと、コアラを抱っこして泣いている妻を見て驚愕した。
「……悪ぃ、笑っちゃいけないと思うけど、面白え」
「もう、笑うなら思い切り笑えばいいじゃない」
シシーがぽかっとカイルの腕を叩くと、カイルは「ふはっ」と吹き出して笑った。
「うん。まあ、でも、隊長のそん時の気持ちになると笑えないよな。いつも出迎える奥さんと可愛い子供達が来なくて、部屋に行ってみれば、ジェーンさんが泣いてるんだから」
「私、そこのところ覚えてなくて……でも、私の機嫌取る為に、その日は姉様と義兄様とメーちゃんと皆で寝たの。お話もいつもは一つなんだけど、その日は三つくらい話してもらったのはよく覚えてるよ」
「で、シシーの機嫌は直ったのか?」
「うん、直ったよ。姉様が悲しい顔してると、皆も悲しい顔になるし」
でも、ソフトキャンディーとかキャラメルは苦手になっちゃったけどね。
シシーがそう言って言葉を締めると、飲み物を持ったココがやって来るのが見えた。
「……そういうさ、俺の知らないシシーのちっせえ頃の話、また聞きたい」
「え?」
「それ以外の話でも何でもいいから、教えて」
優しい顔で笑うカイルに、シシーの胸はときめいた。
狡いなあ、もう。
「いいけど! カイルの話も聞かせてね!」
「お前、母さんにそういう話、散々聞かされまくってんだろ? ……俺から話すことなんてねえよ」
「カイルの口から聞きたいの!」
「分かった、分かった」
「あ、二回言った。適当だあ」
「分かりました、話させてください」
ぎゃいぎゃい言い合いをしていると、ココが「お邪魔しまぁす」と少々おちゃらけた言い方で飲み物を手渡してきた。
「──何のお話をされていたのですか?」
そう聞くココから飲み物を受け取ったカイルが、にやっと少し意地悪く笑い「『虫歯になる柔らか飴』の話だ」と返し、ココの顔を赤くさせた。
「ね、ココも一緒に座って話そう」
「なあ、飴事件のその後の話、ココ視点で教えろよ」
「……うう、はい……」
あの時のココは十一歳で、シシーよりも記憶は鮮明だ。
旦那様にも奥様にも叱られることはなかったが、コニーと姉には大目玉を食らった。
馬車の迎えの時間が来るまで、三人は思い出話に花を咲かせた。
「今度は、四人で来ようね」
そう言って屈託なく笑うシシーに、ココは「はい」と答える。
四人、ということはこのメンバーにビルを加えるということだ。
カイルも嫌がっている様子はない。
使用人の前に、自分達を『幼馴染』として認識している二人に、ココの胸は温かくなった。
──年末のパーティーが終われば、新しい年を迎えて、春になればシシーはクラークソン家を出ていく。
ココとビルは、シシーに付いて行くが、長く過ごしてきた屋敷を離れることは寂しいと感じる。……大好きな姉とも頻繁には会えなくなるのだ。
でも、
新しい家族との出逢いが楽しみでもある。
ちらりと降る雪に、カイルがシシーの首に自身のマフラーを巻くのを見て、ココは「ふふ」と堪えきれずに声を漏らす。
……どうせなら、たくさん降って、積もればいいのに。
ココは白い息を吐きながら、そんなことを思った。




