ねむい、ないです
朝食の時間は、楽しかった。
作業的ではない食事は、いつもより美味しく感じられて、少々食べ過ぎてしまうほどだった。
ジェーンもシシーも、アシュレイが吃驚するくらい少食だったが、美味しそうに楽しそうに食事をしていた。
後ろで控えていたアンナも、シシーに「おいしいねえ」と言われたことがよっぽど嬉しいのか終始ご機嫌だった。
が、しかし。
「何か、仰りたいことはありませんか?」
寝室の掃除をし終えた不機嫌なアンナに捕まったアシュレイは、「ふむ」と考える。
「結婚っていいものだな」
どこぞの愛妻家が言っていそうな言葉を口にするアシュレイに、アンナは呆れた目を寄越す。
「そうお思いなら、今晩こそちゃんと夫婦になってくださいな!」
つまり『初夜を決行しろ』ということだろう。
ようやくアンナが言いたいことの合点が行った。
「俺達は夫婦だ」
「でしたら……」
「まだ会ったばかりだし、物事には順序ってものがあるだろう?」
「乙女ですか?」
「何言ってんの、アンナ」
アンナはアシュレイが女に見えるのだろうか。
そうであるのなら大事である、眼医者に連れて行かねばなるまい。
「こんなごつい乙女がいて堪るもんですか!」
「え? ありがとう?」
「褒めてません! まったくもうっ!」
どうやら嫌味だったらしい。
目はきちんと見えているようで一安心である。
けれど、お小言が大好きな彼女に付き合っていては、日が暮れる。
この場を逃れるためにアシュレイは姉妹を連れて街に遊びに行く旨を伝えて退散した。
という訳で、アンナから逃れたアシュレイは、ジェーンとシシーを連れて街へやって来た。
足が遠のけば知らない店舗ができているようなこの街は、首都で一番賑わっていると言っても過言ではない。
アシュレイには見慣れた街だが、首都にやって来てまだ日が浅い姉妹には珍しいようで、そわそわきょろきょろと落ち着かない。
休日ほどではないが、街はいつでもそれなりに人が多い為、シシーはアシュレイが抱えて歩くことになった。
ジェーンは「私が」と主張したのだが、アシュレイが説き伏せた。
四歳の子供を抱えながら、細腕のジェーンが長時間歩けるとは思えない。
「シシー、おいで。抱っこだ」
「はあい」
朝食の時間でアシュレイがシシーに苺をあげたのが功を奏したのだろうか、嫌がらずに手を伸ばしてくれた。
子供に好かれないタイプの人間だという自覚があって心配していたのだが、シシーは人見知りしない性格なのか、リラックスしてアシュレイに体を預けている。
「どこか行きたいところはあるか?」
ジェーンに聞いても遠慮するので、まずはシシーの行きたいところへ連れて行こうと思ったのだが、シシーも遠慮しているのか行きたいところが分からないのか、行き先がなかなか決まらない。
どうしたものかと思っていると、視界に飴細工の店が入った。
子供に人気の店で、星や花や動物の形をした飴が売っている店だ。
店は流行っているようだが休日ほどではないらしく、体の大きなアシュレイもすんなり来店できた。
当たり前だが、店内は甘ったるい匂いで充満していた。
アシュレイも甘いものは嫌いではないが、基本的に『食』については腹に入ればいいという認識なので、色々な形の飴を見ても「飴だな」としか感想の言葉がでてこない。
「これは?」
「うさちゃん」
飴の形を言い当てるシシーは満足げで、ジェーンもそんな妹を見て嬉しそうにしている。
「どれが欲しいんだ?」
「んとね、これ」
シシーが指を差したクマの形の飴には、ピンク色のリボンを付けてもらった。
ジェーンにも花の形の飴を渡す。
子供っぽ過ぎるかと思ったが、予想以上に喜ばれた。
「かわいいねえ」
「そうだね、可愛いね」
にこにこした姉妹の「可愛い」に挟まれたアシュレイは、『お前達の方が可愛い』という言葉が喉まで出かかった。
シシーが飴を食べ終えるのを待って、次は服屋に入ることにした。
アンナに、姉妹の普段着が少ないと報告を受けていたアシュレイは、服屋を見つけてそれを思い出したのだ。
今着ている服でも全く問題ないと思うアシュレイにはお洒落というものがよく分からないが、アンナに言わせると姉妹の着ているものは流行からかなり遅れているものらしく、数も多くはないそうだ。
「アシュレイ様、あの……ここは?」
「うん、二人に何着か買おうと思って。ああ、もしかしてこの店じゃない方がいいか?」
「いえっ! そんなことは……でも、あの、そうではなくて……私は大丈夫です」
ジェーンの態度は想定内だ。
「すまない。妻に服を選んで欲しいのだが」
口を挟む隙を狙っている店員に声をかける。
遠慮の塊は店員に任せてしまうことにしよう。
「お任せくださ~い!」
戸惑うジェーンを、元気な店員は試着室へ引っ張っていった。
さて、シシーも店員に任せることにする。
面倒だからではなく、アシュレイでは服の流行りとやらはチンプンカンプンだからである。
畏まったドレスなどは家に呼んで採寸させて作る予定だが、普段着なら街で揃えるのが一般的だ。
戦争が起こる前は、貴族の令嬢が自分で店を訪れることなど信じられなかったそうだが、第三皇子が平民と恋に落ちて結ばれることも許されたりと、時代は変わりつつある。
「にいさま、きました」
しばらくすると、じゃーんと効果音とともにワンピースを着たシシーがアシュレイの前に現れた。
「似合うぞ、シシー」
「にゃうにゃうっ」
「『にゃう』?」
「にゃーう!」
本人は『似あう』と言っているつもりなのだが、舌足らずのせいで猫の鳴き声のように聞こえていた……らしい。
つまり、店員にそれを教えられるまで、アシュレイは猫語もどきを話していたことになる。恥。
「このまま着て帰ってもいい?」
「ええ、構いません」
シシーに服を試着させてくれた店員に言うと、力強い頷きが返ってきた。
「ありがとう。他にも何着か欲しいんだけど任せてもいいか? 俺では分からなくてな」
「承知しました」
シシーの服は、こんな調子でさくさく決まった。
何を着ても似合ってしまうので、予定より多く購入してしまったが別に問題ないだろう。五着も二十着も同じだ(違う)。
ついでに服と揃いのリボンや靴も買ったので、なかなかの量になった。
「お宅に送る、ということでよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む。明日までに届けてくれたら何時でも構わないから」
「畏まりました、今日中に届けられると思います」
などと家に届けてもらう手続きをしている間に、とうとうシシーに飽きがやって来た。
店員にご機嫌取りをされているが、だんまりを決め込んでいる。
ついでにジェーンを連行して行った店員の「素敵です~!」という元気な声が聞こえてくる。
ジェーンの声も何となく聞こえるが、何を言っているのかまでは分からない。
「……にいさま」
「どうした?」
おいで、と言わなくても自分から手を伸ばすシシーを抱き上げる。
「眠いのか?」
「ねむい、ないです」
「そうか?」
「……そう、です」
何と可愛らしい嘘だろう。
笑いをかみ殺し、小さな背中をさすってあやしてやれば、シシーの体温は高くなり徐々に重くなっていった。
そして、シシーがすっかり寝入ってしまった頃、ジェーンが試着室から出てきた。
ブラウスと黄色のスカートは、試着前の暗い色のものより似合っている気がする。
ジェーンの隣にいる元気な店員に視線をやれば、『心得えました』とでも言うように奥から数着の服を持ってきた。
その様子に、ジェーンはぎょっとして二度見している。
「こちらもお似合いでした~!」
元気なことはいいことだが、シシーが眠ってしまったので声を少々落としてほしい……と思ったが、心配をよそにシシーはむずかることもなく眠っている。
「ありがとう。どれが気に入った?」
前者の言葉は店員に、後者の言葉はジェーンに言う。
「あの、このブラウスが……気に入りました」
数拍悩んだ後、ジェーンが選んだのは着ているブラウスだった。
おそらく一番値段が安いものだろう。
アシュレイは「分かった」とだけ言って、シシーをジェーンに預けると、元気いっぱいの店員と話すためにその場を離れた。
ジェーンが気に入ってそうな服は、全て家に送った。
アシュレイがジェーンと二人で遅めの昼食を摂っている時、シシーが目を覚ました。
「シシー、おはよう」
「……」
目をこすって、ぼんやりしているシシーはジェーンにべったりで、アシュレイが声をかけてもいやいやと首を振って目も合わせない。
「ごめんなさい、アシュレイ様。シシーは寝起きが悪くて……」
「いや、大丈夫だ。シシー、腹減ってないか?」
「……シシー? お返事は? ……本当にごめんなさい、アシュレイ様」
「いいよ、気にしてないから」
──嘘である。
仲良くなったと思ったが、道のりはまだまだ遠い。
そんなことを思いながら、アシュレイはシシーの好きな苺を使ったデザートを注文した。




