嫌だ、俺のだ
その日、カイルが女の子達に人気があることを、シシーは初めて知った。
カイルの十三歳の誕生日。
カイルのお披露目でもあった誕生会は、それはもう『盛大』の一言に尽きる。
騎士となる為の試験に合格したこの年の誕生会は特に気合が入っていたからだ。
しかもバンクス公爵家の末っ子は、あの麗しの公爵似。そんな、将来はさぞ美しく成長するであろう彼には婚約者がいなかった。
となると、どうなるか?
お察しの通り。彼を巡る少女達による牽制のし合いが行われる。
「クラークソン子爵令嬢は、カイル様と幼馴染なんですって?」
「何でも、クラークソン子爵令嬢のお義兄様と公爵様が旧知の間柄であらせられるのだとか」
「まあ、それでですか。納得です」
「ええ、ええ。そうでなければ、ねえ?」
一方、牽制の言葉と刺すような視線にシシーはとても困惑していた。
自分の幼馴染がこんなに人気のある男の子だったなんて、と。
だって、彼の顔なんて意識したことがなかった。
一緒にいると楽しくて。
手を繋いでいるとどこまでも行けそうで。
二人で食べるお菓子は美味しくて。
そして、それがずっと続けられると思っていた。
義兄と姉のような二人になれればと、そう思っていた。
同年代の女の子達と違い、自分が子供っぽいという事実はカイルに渡す誕生日プレゼントによって再確認させられた。
見事な刺繍の施されたハンカチや剣帯、イニシャル入りの杯に、入手困難と言われている剣の指南書……それらを渡す彼女達を見たシシーは途端恥ずかしさが込み上げ、プレゼントを渡す為の列から外れて部屋を飛び出した。
カイルが騎士を目指し本格的な訓練を開始してからすっかりご無沙汰だったが、幼い頃から遊びに来ている勝手知ったるバンクス公爵家。
この広い屋敷で、隠れんぼや追いかけっこをした回数は相当になる。
幼い頃から使用人達は皆優しく、「かいるの、およめさんになるんだよ」と言うシシーに相槌を打ってくれた。
良い想い出だと思う。
だが、誰か一人でもいいからシシーに現実を教えてくれてもよかったのではないか?
こんな恥ずかしい思いをするくらいなら、早く真実を知りたかった。
料理長は悲しむかも知れない。
カイルの誕生日プレゼントに、ケーキを焼きたいと言ったシシーの為に彼は随分悩んでレシピを考えてくれたのに……。
親身になって包装用のリボンを選んでくれたメイド達もがっかりするかも知れない。
ああでもない、こうでもないと色んな組み合わせてくれたのに……。
使用人の立ち入りを制限している為、いつも側にいてくれるココがいないことが不安だったが、今となっては良かったと思う。
ここに彼女がいたのならば、悲しませてしまうから。
『喜んでくれます! なんて言ったって、シシーお嬢様の焼いたケーキですよ? 私がカイル様なら飛び跳ねて喜びます。それに、料理長さんも言ってたじゃありませんか。世界一美味しいって!』
──にこにこ自信満々なココの言葉に、ビルもうんうんと大きく頷いてくれた。
だけど、シシーの嬉々とした気持ちはすっかり萎んでしまった。
会場とは反対の裏庭。
「はあ〜〜〜」
ベンチに腰掛けながら、シシーは重い息を吐く。
ベンチに座る前、顔見知りのメイドに見つかってしまい「具合が悪くなって休みに来た」と嘘を吐いたことも、シシーの憂鬱さを倍増させている。
しばらくしたら戻るからとどうにか言いくるめて自分の持ち場に戻ってもらえたが、彼女はシシーを心から心配しているようだったので申し訳なくて堪らない。
そよそよと気持ちのいい風には笑い声が交じっている。
……きっとカイルの周りに、たくさんの女の子がいるのだろう。可愛くて、綺麗な女の子が。
シシーの持っている包みを見て、カイルと揃いの金色の髪を持つ少女はくすくすと笑った。可愛らしい贈り物ですね、と。
言われた時は気が付かなかったが、今となればあの笑みの理由は明確だ。
「けっこう可愛くできたと思ったんだけどなあ……」
しゅるりとリボンを解いて取り出したのはパウンドケーキだ。
猫や犬、星やハートを型どったケーキだが……急にハート型が恥ずかしくなり、シシーはぱくっとそれを頬張った。
いや、だって、ハートはちょっとね? と、相手もいないのに言い訳をして、もぐもぐと咀嚼を急ぐ。
カイル好みの味なので、甘さは控えめだ。
最近会う回数がぐんと減ったカイルは、もう紅茶に蜂蜜をいれない。
それどころか、シシーが飲めない、何も入ってない真っ黒で苦い珈琲を飲む。
そして、カイルは自分のことを『僕』から『俺』と言うようになった。
カイルはどんどん変わっていく。
ハート型の甘くないケーキがもうハート型ではないように、シシーもこれから変わっていくのだろうか……?
シシーがハート型のケーキの最後の一口を飲み込んだ直後のことだ。
「シシー!」
少しの焦りと安心の色が混じったその声色は、迷子になったシシーを見つけた時の義兄のものとよく似ていた。
「カイル……どうしたの?」
主役なのに、会場を離れたりしたら駄目じゃない。
そう思って言おうとしたけれど、言えなかった。
どうして言えなかったのかは、自分でも分からない。
「『どうしたの』じゃない。お前が具合悪いって聞いたから……つうか、何食ってんの?」
「な、何も?」
さっと包みを背中に隠すけれど、ひらり。カードがシシーの足元に落ちる。
「これ、『カイルへ』って書いてる」
あ、と思った時には、カイルがシシーの隣に座って彼宛のカードを持っていた。
「『お誕生日おめでとう』って書いてる」
「……むう」
「それ、俺の?」
それ、と指差されたのはもちろんリボンを解いた包みだ。
「違う」
「違うくない」
「…………だって、カイル、たくさんプレゼント貰ってたもん」
「まあ。そりゃあ、誕生日だし、試験も受かったし」
「皆、素敵なものばっかりだけど……でも、私のは……」
素敵なものじゃないから、とは言えなかった。屋敷の皆が手伝ってくれたものだから。
だけど、金色の髪を持つ美しい少女の『可愛らしい贈り物ですね』が脳裏を過ぎって……──ああ、自分でもよく分からない。
「……とにかく、これはカイルのじゃないの」
よく分からないが、嘘ばっかり吐いている今日のシシーは良い子でないことだけは確かだ。
「もーらいっ」
シシーがどよんとした空気をまとわせていても、幼馴染は何のその。
シシーが背中に隠していた包みを奪って、頭の上に高く上げる。
「あー! 駄目ー! 返してー!」
「嫌だ、俺のだ」
ぴょんぴょん跳ねるけど、成長期真っ只中でぐんぐん身長が伸びているカイルに、まだまだ同年代の女の子達より小さなシシーが届くわけもない。
夢中で跳ねている内に、封印していた「やーん!」が口から出てしまうのだから、カイルはまったく困った幼馴染である。
「あ、猫だ」と言いながらカイルはぱくりとケーキを齧る。
綺麗な顔をしているくせに、なんて大きな一口だろう。
シシーは頬をぷくぅっと膨らませながらも、カイルのもぐもぐ動く口を凝視した。
「ね、美味しい?」
「……」もぐもぐ。
感想を言ってほしいのに、彼はシシーの質問には答えずに二口目で猫の型のケーキを平らげる。
それから今度は星の型のケーキを取り出してベンチに腰掛けて、シシーにも座れとでも言うように首をくいっと動かす。
そして、しぶしぶ座ったシシーに、「美味いよ」と言って見慣れた笑顔を向ける──他の女の子達には見せない、年相応のはにかんだ笑顔だ。
シシーはカイルのこの笑い方がとっても好きだと思うと同時に、ケーキを作って良かったと心から安堵して、本日初めての満面の笑みをカイルに見せ、そして決意した。
来年は絶対ハート型のケーキを彼にあげよう、と。
──この決意が、来年にはぺっしょりと潰れてしまうことを知らずに。
「お誕生日おめでとう、カイル」
「おお……」
カイル・バンクスは今、猛烈に感動している。
十三歳の誕生日以降、『好きなこの前でやらかしてしまう病』に罹ってしまい甘くないケーキを貰えなかったカイルは、これが欲しくて堪らなかった。
……皆まで言うな。全ては自業自得だと分かっている。
だけど、仕方なかったのだ。
だって、あの優秀で完璧な兄でさえ発症していた呪いのような病なのだから(言い訳)。
「あのね、ぜーんぶ、ハート型なの」
「……ハート」
「うん、嬉しい?」
「ああ、嬉しい。ほんとに、嬉しい。ありがとな」
「えへへ。私も嬉しい」
──なんやかんや、色々ありつつも、カイルは十九歳を無事に迎えることができた。
そして、来月は待ちに待ったシシーの十八歳の誕生日だ。
「いただきます」
シシーの期待する瞳を裏切らないようにパウンドケーキを口にしながら、カイルは同時に幸せも噛みしめる。
この半年間、ずっとずっとずーーーっと(以下略)焦がれていたシシーの成人まであと一月。
きっと、これがカイルの人生の中で一番長い一月になるだろうが。……それは、さて置き。
「美味しい?」と、恐る恐る聞いてくるシシーに、完治したカイルは「美味い!」と言って笑った。
「良かったぁ」
シシーが『カイルのこの笑い方が一番好き!』と思っていることなど露知らず、ご機嫌な婚約者のにこにこ顔に見惚れた。
なんて可愛い笑顔だろう。
「シシー、これ、俺に毎年作ってくれないか?」
一生。と、小さく付け加えれば、シシーの可愛らしいほっぺたが桃色に染まる。
「うん!」
素直じゃなかった期間が長かったせいか、両想いになってから素直になった途端、『好き避け』というカイルには理解不能な行動をしていたシシーも、最近ようやくそれを脱して、カイルに恋人らしく甘えてくれるようになった。
もっと早く素直になってればシシーのことを傷付けずに済んだのに……と悔やみ謝罪をしたが、可愛いシシーの『これからず〜っと私と仲良しでいてくれたら許してあげる』という、許しというよりご褒美を貰ったカイルに、もはや死角はないと言っても過言ではない。
なんてったって、仕事も順調で、クラークソン家との関係も良好で、婚約者と自身の両親の関係もすこぶる良いのだ。
ただし、一つだけ。そう、一つだけ。
とっても、とっても、と〜っても、困っていることがある──
「生まれてきてくれて、ありがとう。これからも、ずっとずっと一緒にいようね」
──婚約者兼恋人が、可愛過ぎることを言うことだ。
『カイル、忠告しておくけど……結婚式前にシシーに手出したら、お前死んじゃうからね? アシュレイは、本気でやるから。あいつ、そういうとこあるからね? 節度を持って、爽やかな男女交際をしなさいよ、ほんと』
父のコーエン・バンクスの台詞と、半年前の大会の決勝戦でのアシュレイ・クラークソンの射るような赤い瞳を思い出し、カイルはシシーの肩を引き寄せようとしている右手を左手で掴み、歯を食いしばる。
「ああ、ずっと、一緒にいような」
「うんっ」
シシーが成人を迎えるまで、あと一月。
結婚まで、あと一月半。
カイルの肩に頭を乗せて甘えるシシーの頭に、自身の頭を乗せたカイルは「はあ、早く結婚したい」とそれはもう切実に呟き、シシーからの二度目の頬へのキスと「だーい好き!」をもらい、また悶々と過ごすはめになる。
まだまだ、カイルの試練は終わらない。
でも、これくらいの試練なんてことはない(……多分)。
いや、多分じゃない……!
だって、こんな可愛いシシーを残しては死んでも死にきれない!
「耐えろよ、俺……あと、一ヶ月半だ……」
そう己に言い聞かせ、カイルはなーにも知らないシシーの額にそっと唇を落とすのであった。
「シシーの夢は叶いそうですね」
「……うん」
複雑な表情で二人の背中を見つめるアシュレイの隣で、その妻は幸せそうに微笑んでいた。




