ありがとう、ロマンスの神様っ!
「待って、シシー!」
走り出したシシーを、カイルが慌てて追いかける。
そして、カイルがシシーの手をぎゅっと握って何かを言含め、今度は二人で走り出す。
そんなやり取りにジェーンは、ふふっと声を漏らした。
彼らの近くにいるメイドや、カイルの付き添いの若い侍従も微笑ましい視線を送っている。
聞くところによると、先日顔に擦り傷を作ったシシーをカイルは一人で走らせない決意をしてるとか。
小さくても、彼はシシーのナイトというわけだ。
カイルは最初の頃こそシシーと仲良くするつもりは無いように思えたが(憧れの騎士であるアシュレイの義妹になったシシーへ嫉妬していたらしい)、今では「僕のお嫁さんになって」と言ってしまうくらい、シシーのことが大好きになった。
仲良しの二人が笑い合って楽しそうにしている様子は、最近読んだ恋愛小説の挿絵になりそうだとジェーンは思った。
幼馴染の二人が結ばれる王道の恋物語はシリーズになっていて、若いメイド達にも人気があり、クラークソン家の図書室には同じタイトルの物語が五冊ずつある。
幼い頃から一緒の、好き合っている二人の恋物語……──
「……いいなあ、シシー」
ジェーンがそう呟くと、お茶を淹れ替えていたノラが「え?」と首を傾げる。
何が、『いいなあ』なのだろうか?
「だって、好きな人と小さい時からずっと一緒でしょう?」
「ふふ、そうですね」
ノラの年若い主は、今日も今日とて大変可愛らしい。
自分の気持ちの方が大きいと勘違いしている一つ年下のノラの大恩人。
読み書きの出来ない自分やメイドに物語を朗読してくれて、ロマンチックな描写で照れてまごつくようないつまでも初々しい主に、旦那様だってメロメロなのに。
「奥様? どうかされました?」
「ううん。……あのね、アシュレイ様と私が、もしも幼馴染だったらって考えてたの」
幼い妹と、その小さなナイトを見つめるジェーンの瞳には羨望の色が見えた。
「シシーお嬢様みたいに抱き着いたり、甘えたりできますね」
「……それもいいけど、同い年がいいな」
「まあ、どうしてです?」
「だって、アシュレイ様に『妹みたい』なんて思われたら悲しいもの」
「……か……っ」
わいい〜! と、ノラは叫んだ。心の中で。
後ろに控えている最近入ったばかりのメイドも悶えている気配を感じる。
「え? か?」
「いえ、何でもありません。ええ、そうですね、私も同年齢が良いと思います」
ノラは盛大に悶えて、この可愛い発言を『今日の奥様報告』をするコニーに教えることを決めた。
そうだ、旦那様も可愛い奥様に悶えまくってしまえばいいのだ。
そして気の利いた愛の言葉の一つや二つや百、千、万、吐けばいい。
まったく、旦那様ときたら着飾った奥様に『うん、似合う』だけしか言わないのだから、呆れてしまう。
そこは『世界一綺麗だよ、俺のお姫様』でしょうが。
まったくもう!
「うちの旦那様は、そんな安っぽくて甘ったるい三文小説の当て馬みたいな台詞は吐きません」
コニーに、『奥様に旦那様が言ってほしい愛の言葉』を伝えた時の彼の感想である。
「はあ?」
ノラは、自分の声とは思えない低い声が出た。
「もしもそんなこと言うとすれば、それは本物の旦那様ではありません。偽物です。というか、ノラの頭の中は花畑なんですか?」
「コニーさんって、ほんっと──」
──ム カ つ く !
仕事馬鹿! 冷徹毒舌男! 頭でっかち! 眼鏡野郎(?)!!
コニーなんて、ちょっと顔が整ってて、背が高くて声が良いだけの……いや、違う! 違うから! ちょっっっとしか思ってないから! 本当に、ちょっとだけだから!
第一印象のコニーを、『素敵な男』と思ってしまったことはノラの黒歴史である。
「何です?」
「べ、つ、に〜? 何でもありませーん」
「ノラ、言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「コニーさん、しつこいっ。しつこい男はモテませんよ?」
「ノラは、怒りっぽいです。そんなんだと行き遅れますよ?」
「余計なお世話です!」
「はあはあ、喧嘩ップル最高……ここで働けて本当に良かった……あの二人、絶対結婚して末永く幸せに暮らす……」
最近入ってきた新入りメイドのクレアは、早口で不気味なことを呟きながら、常に持ち歩いている小さなメモ帳にガリガリと文字を書いている。
そんなクレアに、ココは引いていた。いや、ドン引きだ。
「クレアさん、何言ってるの? 怖いよ」
ココは思っていることが、そのまま口から出た。
しかし、そんなココの言葉が聞こえてないのだろう。言葉は華麗にスルーされた。
「ね、何書いてるの?」
まだ簡単な単語しか読み書きできないココに、彼女の書いている内容は分からない。
「うふふふっ、うふっ」
「ク、クレアさん?」
分からないが、背中がぞわっとするものを書いている気がする。
読めたとしても、読みたくない。絶対に読まない。絶対にだ。
旦那様と奥様をうっとりとした瞳で見つめるのはまだぎりぎり理解できる。
だがしかし、姉と鬼畜眼鏡を見つめるギラギラ爛々した瞳は理解不能である。
「このお屋敷は宝の山だよ〜。英雄に溺愛される奥様とか、王道幼馴染ちびっ子カップルとか、眼鏡執事とツンデレメイドの喧嘩ップルとか、庭師見習いとちびメイドちゃんの小さな恋のメロディとかさ〜もうっ、もうっ! ありがとう、意地悪な義母娘様方って感じだよね? うふふっ、追い出されて良かった〜! やっぱり神様っているのね〜。ありがとう、ロマンスの神様っ!」
いや、良くはないでしょう。
急にヘビーなことを、羽よりも軽い口調で言うな。
それより、『小さな恋のメロディ』って何のこと? 誰と誰のこと? まさか? いや、まさかね?
本当、クレアってば何言ってるの?
「やっぱり次の物語はノラさんとコニーさんをモデルかな〜。でも、今は幼馴染カップルが需要あるしなあ」
ぞわっ。
ココの予感は当たる。
嫌な予感は特に当たる。
昔からそうだ。
「お、お姉ちゃあああんっ!」
だから、顔を近付けて睨み合う姉と執事の間に突進した。
「ぎゃあっ」とクレアの悲壮感を含んだ叫び声が耳に届くが、そんなもの知らんぷりだ。
鬼畜眼鏡に姉を渡してなるものか!
姉は美人でモテモテなのだ。だから、優しくて……優しい、そしてとっても優しい男性と結ばれなければいけないのである。
「……え、幼馴染?」
コニーから報告を聞き終えたアシュレイの第一声である。
なるほど、考えてみればアシュレイの美形な先輩ことコーエンとその妻エリーは幼馴染同士だ。
確か第一皇子と第二皇子も幼い時から仲の良いご令嬢と結婚した。そういえば、最近婚約した後輩の男も……。
しかも王都では、幼馴染の二人の恋物語が女性に絶賛大流行中だとか。ジェーンも喜怒哀楽の百面相でこっそり(本人はそう思っている)それを読んでいる。
「奥様は可愛らしい空想をなさいますね」と、コニーが言う。
激しく同意だ。アシュレイは、うんと力強く頷いた。
今日も妻は可愛い。明日もきっと可愛いに違いない。
「うーん、でもなあ。もし幼馴染だったら大変だよなあ」
「どうしてです?」
何が大変なんだ、とコニーは首を傾げる。
「だって俺は平民で、家を継げないしがない三男で、ジェーンは子爵家のお姫様だろう? 身分が違い過ぎる」
確かに、とコニーは思って返事に困った。
「でも、まあ、」
しかし、コニーの返事を待たずにアシュレイは続ける。
──諦めるなんてことは、絶対ないけど。
そう付け加えるアシュレイに、コニーは「ごちそうさまです」と恭しく頭を下げた。
いやはや、本当にごちそうさまである。
「にいさまー! ゆうごはんですよー! ちーずですよー!」
こんこここん、と低い位置から叩かれる扉の音に「はいはい」と返す主人を見ながら、先程の呟きをぎゃんぎゃんうるさい奥様付きのメイドに教えてやろうと小さくて口角を上げた。
今日もクラークソン家は、とても平和で温かい空気に包まれているのであった。
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