お前も同じ壁にぶち当たる
アランは分かりやすくがっくりと項垂れていた。
婚約者と仲良くしたい(のに仲良くできないし、気の利いたことも言えない)同盟を組んでいた仲間に裏切られた為だ。
「アラン、それは違う。私は君を裏切ったのではない。そもそも婚約者と円満な関係を結ぶことが我々の目的だっただろう? 傷の舐め合いが目的ではない」
優雅に茶なんてしばいていやがるのは、つい一か月半前まで『ナタリアに嫌われた。絶対嫌われた……』と青い顔で落ち込んでいたオースティン・バンクスである。
だが、今はどうだ? 何だ、この余裕は。
つい最近開かれたガーデンパーティで、オースティンは自身の婚約者であるナタリアに優しく微笑んでいた。そんなの普通だろ、という突っ込みはいらない。
アランの知るオースティンはそんなことできなかった。
それに、ナタリアの表情もいつものものとは異なった。教本みたいな作り笑顔ではなかった。頬を染めて、だけれど、信頼していない者には見せないであろう顔でオースティンと見つめ合っていた。
ナタリアを虐めていた女共の悔しがりようは最高に笑えた。
アランはナタリアのことは別段何とも思っていなかったが、陰で意地悪をするような卑怯者が大嫌いだったので胸がスカッとした。
でも、それとこれとはちょっと違う。
何、一人だけ幸せになってんの? と。
何でお前だけ婚約者と上手くいってんの? と。
いや、ナタリアに思っているわけではない。同盟を組んだ盟友、オースティンに、である。
「それは、自分が上手くいっていない八つ当たりなのだろうか?」
首を傾げる男の仕草の優雅なこと。
母親譲りの美しい顔は中性的であるが数年後には父親とは違う系統の『王子様』になっているだろう。
公爵家の長男に生まれたオースティンは、その立場に驕ることなく努力を惜しまず、苦手だった剣術ですら同年代内で上位となった。
彼の何が一番凄いって、苦労している姿を周囲に悟らせないところだ。
アランは幼馴染として近くにいるのだが、そんな姿をほとんど見たことがない。
しかし、そんなスペシャル・オースティンにも欠点があった。
それは、ナタリアの前でのみポンコツになることだ。
アランも婚約者との関係は控えめに言って『残念』だった。
だから、オースティンと同盟を組んだのだ……が、しかし。
「……裏切り者」
「だから、裏切りではないと言っている。アラン、私も偉そうなことを言える立場ではないが、大事なのは会話だ。君も会話をするんだ。話を聞いて、自分の気持ちを話すんだ」
「お前は父上か?」
「父ではない、盟友だ」
「真面目かって」
「それより、いいのか? この時間、君はレベッカと約束をしているだろう?」
「……」
いいのか、と問われれば『良くない』。
アランの婚約者はオースティンの妹、レベッカ・バンクスだ。
アランとレベッカは顔を合わせれば喧嘩をしてしまう、かつてのオースティンとナタリアとは違う悩みを抱えた関係にある。
「こんにちはぁ」
アランが、正論ばかり言う友人にうんざりしている時だった。
何が入っているのかぱんぱんに膨れた桃色のポシェットを斜め掛けしたちびっこに挨拶を受けた。
「シシー。カイルはどうしたんだ?」
オースティンが話しかけると、ちびっこはオースティンの隣にちょこんと座った。
「あのね、かくれんぼしてたらね、このお部屋から甘い匂いがしたの」
「ふ。好きなものを食べるといい。何か飲むかい?」
「うん。あ、かいるも呼んでいい?」
「いいよ、呼んできなさい」
「はあい」
ぴょんっとソファーを降りたちびっこは、「かいる~!」と声を上げて部屋を出て行った。
「あのちびっこいの、カイルの婚約者か?」
「本人達はそう言ってるな」
「なんだ、ままごとか」
「いや、まだ正式な婚約を結んでないだけさ」
元気に出て行ったちびっこはカイルと仲良く手を繋いでやって来た。
そして、なぜか四人で茶会することになった。
いや、なんで???
「シシー、ご挨拶しなさい」
オースティンに促され、「ししー・くらーくそん、です。よろしくお願いします」とちびっこ改めシシーから挨拶を受けた。
人見知りしないのか、自分の好きな菓子を一生懸命紹介する様子が微笑ましい。
アランには弟しかいないし、親戚の子供も皆男児なので幼い女の子と関わるのは新鮮だ。
ただ一つ気になるのは、オースティンのことは「おーすてぃんにいさま」と呼ぶのに、アランのことは「あらんくん」と呼ぶことだ。「アランお兄様と呼べ」と言っても頑なに「あらんくん」と呼ぶのは解せない。なんでだ?
「シシー、あーん」
「あー」
「……美味しい?」
「おいし! かいるも、あーん」
カイルとシシーが仲良く苺タルトを食べさせ合っている。
「俺は一体、何を見せられてるんだ?」
ちびっこカップルにイライラするほど狭量ではないのだが、昔を思い出してしまい溜め息が出る──アランとレベッカも、どこに行くのにも手を繋いでいた時期があった。
いつから、今のような関係になったのだろう?
昔も今も、レベッカはアランにとって大事で大好きな女の子なのに。
優しくしたいに決まってる、笑ってほしいなんて当然だ。……そして、許される範囲で触れたい。
「カイル、この時間は長くないぞ」
「アランさん、今日は姉さんとお茶会の日じゃなかったの?」
兄弟揃って痛いところを突いてくる。
「……シシー、美味いか?」
まむまむと口を動かしているシシーの頭を撫でると、返事の代わりに邪気の無い笑顔が返ってきて『妹欲しい』という気持ちが急に沸いてくる。
「カイルって、俺に当たりきついよな」
「アランさんは姉さんに当たりきついよね」
「可愛くねえな」
「僕は『格好良い』を目指してるから、可愛くなくてもいいんだ」
「そんな可愛い顔して、お前……」
カイルの顔は本当に可愛い。
ぶっちゃけ、シシーより可愛い。美少女。お姫様……幼い頃のレベッカに似てる。
「お前はまだ分からねえだろうけど、男には、好きな子に素直になれない時期があんの」
男には、という言葉を強調したのが悪かったのかカイルは可愛い顔でアランを睨んできた。
「そんなことない! 僕はシシーにずっと優しいよ!」
「いやいや、お前も同じ壁にぶち当たる。これね、世界の理なんだわ、残念ながら。オースティンだってそうだったし?」
「嘘だ! 兄さんは、ナタリアさんにずーっと優しかった!」
「信用が厚いな、オースティンよぉ?」
盟友に皮肉っぽく言ってやるが、お得意の外面スマイルで躱された。
「あらんくん、かいると仲良くして?」
眉を下げたシシーがアランに言う。
「はあ、お前は可愛いなあ、シシー」
「ししー、かわい?」
「可愛い可愛い。でも、レベッカの次にだ。一番じゃないぞ」
「あらんくん、れべっかちゃんのことすきなのぉ?」
「……そうだな、好きだ……すっげえ、好き」
なんで、このちびっこに言えて本人に言えないのか。
はあああ、と本日何度目かの溜め息を吐く。
「あらんくん、お耳かして?」
「どうぞどうぞ」
カイルの嫉妬の視線を受けつつ、シシーの口元に耳を寄せる。
「あのね、れべっかちゃんもね、あらんくんがね、すきなの」
「……え?」
「でもね、はずかしくて、おめめ見れないんだって。だからね、あらんくんはおめめ見て言ってあげてね」
「は? え? まじで?」
「『まじ』って言わないの。めっ」
「あ、はい、ごめんなさい」
「あとね、れべっかちゃんはね、つんどれさんなの。おじちゃまが言ってた」
「? うん? 積んどれ? ……ああ、ツンデレのことか?」
「つんどれさんには『せいこうほう』がいいって、こにーが言ってたよ」
「正攻法?」
コニーって誰だ。何やら重要なことをご教授いただける気がするので紹介してほしい。
あと、スルーしてしまったが、『おじちゃま』とはもしかして公爵のことだろうか?
「おめめ見て、だいすきって言うの。できる?」
「……で、き」
ない。
できない。
言えるわけがない。
だから悩んでいるのに。
「言いに行こ? れべっかちゃん、よろこぶよ」
「は? え?」
今、何が起こっているんだろう。
脳が働くことを拒否して働かない。
「ししーがいっしょに言ってあげるから、行こ? あ、かいるもいっしょに行く?」
「行く!」
「いやいや、待てって。本当に待って、お願い」
シシーと手を繋いだカイルが『やれやれ』といった風にアランを見ながら首を小さく振っているのが鼻についたが、何も言い返せない。
レベッカが、自分を好き……? 本当に?
ちょっと、いや、かなり嬉しくて泣きそうだ。
「おーすてぃんにいさまもいっしょに行く?」
「いや、だから、待って」
少し、この幸福に浸らせてくれ……。
オースティンが「よし、行こうか」と席を立ったのを見た瞬間、アランは部屋を飛び出した。
──残された三人が、「好きだ、レベッカ!」とアランの叫ぶ声を聞く数分前の出来事である。
「『お前も同じ壁にぶち当たる』。昔々、とあるくそ生意気な少年に俺が言った言葉だ」
本日は初めて社交界にデビューする少女達が主役の日だ。
白いドレスの少女達は皆、初々しくて可愛らしい。
その中には十五歳を迎えるシシーがいる。緊張しているのか頬を赤くして友人の一人と手を握り合っている。
「……」
「なあ、少年、覚えているかい?」
「覚えてないです」
むすっとした仏頂面のカイルに、アランは「ぶっはあ」と吹き出した。
これは、絶対覚えている。
「シシー、花の精みたいだなあ。ドレスがよく似合う」
「…………ん」
「可愛いよなあ、この会場で二番目に」
「はあ? いや、そこは一番って言うところ……」
「ごめん! 俺の一番はレベッカなんだ」
「うふふ、やだもう。アランだってこの会場で一番格好良いわ」
世界で一番可愛い妻がアランの腕に甘えてくるのが、最高に可愛い。
アランとレベッカは結婚して二年目を迎える新婚さんなので『バカップルくそうぜえ』と見てくる義弟の視線なんて痛くも痒くもない。
見るがいいさ、そして羨め!
「そして、ざっまあ~~! うっはっはっは!」
心底嫌そうに睨む義弟を大人げなく笑うアランだが、しかし。シシーのことは恋のキューピッド様だと感謝しているので、彼女には絶対に幸せになってほしい。
「シシー、お前にかつてのレベッカやナタリアのような想いをさせない為に、俺がカイルを焚きつけてやるからな! そして! 絶対に! 俺のことをアラン兄様と呼ばせてやるからな!」
傾斜がきつい斜め上の思考に、カイルは「……この野郎」と呟いてから、会場で一番可愛い幼馴染をファーストダンスに誘う為にその場から逃げるように退散した。
──お前も同じ壁にぶち当たる。
本日のカイルの課題は、シシーの装いを褒めること。
「よし」
気合を入れたカイルが壁を破れなかったことは言うまでもない。
 




