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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
【番外編】続く常春(一話完結型)
31/43

そんなの、絶対に嫌

 ワンピースの袖でぐいっと目元の水滴を拭って、「ないてない」と小さく呟く。

 だって、シシーが泣いたら姉が悲しむ。


 すっくと立ちあがったシシーは姉のもとへ駆け出した。




 シシーは自分と同じ年頃の子供と、その保護者の集まりに姉と一緒に参加していた。

 三回目の参加だ。

 だけど今回は、先の二回の集まりで仲良くなった子達が参加していなかった。


「子供は子供同士で、保護者は保護者同士で親交を深めましょう」


 そう笑っていた女性の目を、シシーは怖いと感じた。

 意地悪そうなお姉さんだと、こっそり思った。

 姉の顔が強張って見えるのは気のせいだろうか?

 前回と前々回の参加とは違って、ノラとココの入室が認められてないこともシシーの不安を煽っていた。




 社交界にポッと出て沸いたジェーンは、一部の女性達……特に、ボニー・マコーミック男爵令嬢から蛇蝎の如く嫌われていた。

 そして、今日はジェーンに嫌味や小言やらを言いたいが為の、ボニーによって仕組まれた集まりであった。

 もちろん、彼女には幼い妹や親戚の子はいない。


 ボニー・マコーミックはジェーンが気に入らない。

 だから、悪口が大好きな仲間と共に口汚くジェーンを罵って憂さを晴らしていた。

 でもそれだけでは気持ちは収まらず、見つける度にわざわざ出向いてジェーンに嫌味を吐くようになった。


 が。鈍感なジェーンには嫌味がまるで通じない。


 しかし、あの女の弱点をボニーは見つけた。

 

 妹の泣き顔は、きっとあの女とも似ているだろう。

 そう思うと楽しくって仕方がなかった。




 ジェーンは微笑みを絶やさずに、ボニーの()()()話に相槌を打っていた。


 最初の頃は己の至らなさを大反省していたジェーンだったが、今ではそんな風に思えない。

 それ程までにボニーのジェーン嫌いは有名だったし、現在の状況こそがその証明であった。


 そして、その理由をジェーンは知った──彼女曰く、ボニーはアシュレイの『お嫁さん第一候補』だったそうだ。


 どうやらボニーはアシュレイのことが好きらしい。




 新興貴族で金はあるけれど、それ以外は持っていない男爵家当主であるボニーの父親が、アシュレイをボニーの婿にと強く望んだことから全ては始まった。


 が。


『絶対に嫌!』


 八つも年上の冴えない髭面の男──当時のアシュレイを見たボニーは癇癪を起こして見合いをする前に父親の望みをぶっ壊した。

 なのに、だ。

 ジェーンと結婚した後のアシュレイを目にした途端、ボニーは自分で言った文句を全て忘れて、また何度目かの癇癪を起こした。


 第三皇子の誕生日会で見たアシュレイは、それはもう格好良かった。素敵だった。


 髭がない彼はボニー好みの顔立ちをしているし、落ち着いて見てみれば背も高く均整の取れた体付きをしている。

 しかも、爵位持ちになり出世は間違いなしと噂されているし、すっかり忘れていたが彼は国の英雄で、王族や公爵家との親交がある男なのだ。


『知っていたらお見合いしたのに!』


 バンクス公爵夫妻のお気に入りで、麗しのキャデラック第三皇子の親友である男を手に入れたジェーン。

 国で一番腕が立ち、腕試しの大会で何度も優勝をしている男の妻であるジェーン。

 騎士服が似合う素敵な彼に完璧なエスコートをされるジェーン。


 ああ、ジェーンが憎い。


『私のものになるはずだったのに!』


 あの女にボニーの輝かしい未来は奪われた。


 ()()()、ボニーはあの女を貶めてやるのだ。






 来た時とは違う妹の髪型に驚いたジェーンは、慌ただしく席を立って妹に駆け寄った。


 そんな彼女を見たボニーの目は、意地悪くつり上がる。

 証拠なんてあの小さな子供に用意できるはずないのだから、ボニーは痛くも痒くもない。

 もし、自分を疑う言葉が出たら『幼い妹にそれを()()()()』と、ジェーンを詰ってやる。


「シシー、その髪はどうしたの? おりぼんは?」

「あのね、あのねえ……ぴゅーんって、とんでっちゃったの」

「そうなの? だから泣いちゃったの?」

「! ししー、ないてないよ!」

「本当に? お目々が真っ赤だよ」

「ないてない……おめめは、ねむねむだから……」

「姉様の目を見て、もう一回言って?」

「ないて、ない」


 真っ赤な目で『泣いてない』と言い張るジェーンの妹に、ボニーの眉間に山脈が出来上がる。

 どうして思い通りに動かないの!


「ねえさまぁ」

 ぎゅうっとシシーがジェーンに抱き着く。


「なあに?」

「ししー、おうちにかえりたい……」

「ねむねむだから?」

「……うん」

「わかった、帰って一緒にお昼寝しようね」

「……うん」


 まったく、なんて頭の悪い会話だろう。

 昼寝したいから帰るだなんて、常識がないにも程がある。


「申し訳ありません、今日はお先に失礼させてください」


 ジェーンの言葉につい舌打ちが出る。

 ボニーと目が合って姉の後ろに隠れるシシーの態度もムカつくので、ふんっと鼻を鳴らして威嚇してやった。


 ああ、どうにかしてあの女の表情を崩してやりたい。



 何か言ってやらなきゃ気が済まないボニーは「見送るわ」と言ってジェーンとシシーに続いた。


 部屋を出てすぐに二人のメイドが血相変えてやって来た。シシーの髪を見てぎゃあぎゃあ騒いでみっともない。


「シシーを連れて、先に行っててくれる?」

「でも、」

「お願い、ノラ。私は大丈夫。ね?」

「………………はい」


 ジェーンとメイドが二・三言葉を交わすと、メイドは渋々だがシシーを連れて馬車へ向かっていった。


 失礼な視線を投げていたメイドが見えなくなって、ボニーはようやく口を開く。


「言い忘れてたんだけど、私、妹さんのりぼんを()()()()()()の」

 指先でつまんでいたりぼんを、ぽいっと地面に放りながら言う。


「あら、落としちゃった」

「……」


 ジェーンは何も言わず、落ちているりぼんを拾ってハンカチに包んだ。 


 つまらない──妹のようにめそめそ泣けばいいのに。


「あの、ボニー様……」

「何よ」

「りぼんは、拾っただけですか? もしかして、」

「あら、お得意の言い掛かり? とうとう本性表したってわけね」


 ボニーの中ではジェーンが悪で、己が正義である。

 ボニーはジェーンのことを悪く言うあまり、それを真実だと思うようになっていた。


「言い掛かりと思ってくれても結構ですから、最後まで聞いてください」

「だから今聞いてるじゃないの、早く言いなさいよ」

「……貴女が嫌っているのは私ですよね? それなのに妹を巻き込むなんてルール違反です。言いたいことがあるのなら……文句があるなら、私に直接言ってください。シシーには、何もしないで!」



『はあ? あんたが決めたルールなんて知らないわよ』


 ──あんなこと、言わなければよかった。


『あんたの妹、可哀そうにね。あんたのせいで()はりぼんどころじゃないもの。ねえ、出来損ないを妻に持つアシュレイ様が可哀そうだと思わない? ああ、いいことを思い付いたわ。私がアシュレイ様を支えてあげるから、田舎者(あんた)は妹を連れて田舎に帰りなさい。ふふ、大丈夫よ、お金なら出してあげるから』


 あの後、ボニーは言いたいことを全部吐き出してからその場を後にした。


 真っ青な顔で震えているジェーンの顔は相当な見物(みもの)で、気分は爽快だった。

 ああ、もっと早くこうすればよかった。

 さあ、()は何をしようかしら。


 けれど、楽しい時間は続かなかった。


 ボニーの()がなくなったからだ。

 昨年は参加できた集会やパーティに参加できなくなったのだ。


 噂によると、『バンクス夫人のお気に入りの騎士の妻を貶めようとしていたから』らしい。






 自分のことなら何を言われたって耐えてみせると決意していたジェーンだが、シシーのこととなるとそうはいかなかった。


「アシュレイ様……」

「どうした?」


 ジェーンは、言葉に詰まってしまった。

 正直に話すことは大前提なのだが──マナーは付け焼刃で、社交も拙く、極めつけには嫌われている妻なんて……そして、そのせいで可愛い妹が危険に晒されているなんて……。


 きっと、アシュレイはジェーンにがっかりする。

 ボニーの言う通り、こんな出来損ないの妻を持つアシュレイが可哀そうだ。


 でも、だからと言って彼の隣に自分以外の女性がいるのは──


「そんなの、絶対に嫌」

「うん?」

「私の、です……」

「何が?」


 疑問に答えないまま、急に泣き出してしまった妻にアシュレイは驚き、慌てふためいた。

 シシーにするように高い高いと、抱き上げてしまうほどに動転した(もっと泣いた)。


 嬉しい時に涙を流す妻を見るのはとっても楽しいけれど、この泣き顔は無理だ。

 耐えられない。


 この世の春の終わりだ。


 どうにかジェーンを寝かしつけた後。ノラ経由で事情を知り、もしかして自分のせいで大切な家族が傷付いているのかも知れないと、己の鈍さと役の立たなさを呪ったアシュレイは、尊敬してやまない先輩(←?)と、強い信頼と絆で結ばれている大親友(←?)に相談した。


 さて、行動を起こしたのはアシュレイだけではなかった。


 嫌がらせを黙っているようにと奥様に強く口止めされていたメイド姉妹は、奥様が旦那様へした相談を好機だと言わんばかりに、執事にマコーミック男爵令嬢の悪事を事細かに訴えた。

 そして、それを聞いた鬼畜めが……素敵な眼鏡がチャームポイント(←?)の執事はバンクス公爵家に仕えている父と兄に長い長い手紙を書いた。


 その結果、ボニーはジェーンに謝りたくてしょうがない状況にいる。


 今では本当の本当に、心の底から反省している。嘘じゃない。

 最早反省しかしてないと言っても過言ではない。真人間だと胸を張って言える。

 それに、ジェーンはきっとボニーが謝れば許してくれるはずだ。

 そしたら人が()い……いや、心の優しいジェーンと親友になることも吝かではない。


 そうすれば、アシュレイとの仲を深めることも可能だ。


 そう、謝罪を受け取って貰えさえすれば、ボニーは返り咲くことができる。



 






「コーエン先輩、エリーさんには『ほどほどに』って伝えてくれたんですよね?」

「伝えた伝えた」

「本当に? 『ほどほどに』ですよ? 『思いっきりやれ』じゃないですよ?」

「ほんとほんと」

「エリーさんのほどほどって……」

「うん。エリーも随分と丸くなったよねえ」

「……丸く、なった?」


 エリーは若い時と変わらずにすらりとして……いや、絶対に体型の話ではない。


 もしや、自分は相談する人間を間違えたのだろうか?

 と、アシュレイは二秒程考えて、「まあいいか」と思い直した。

 もう少し様子を見ようと判断したのだ。

 かの人物が本当の本当に心から反省しているなら、ジェーンに会わせることを考えてもいい。

 もちろんその際には謝罪をしてもらう。

 念書を書かせて、見届け人として爵位のある騎士を三人は手配するつもりだ。


 とはいえ、今はまだジェーンの耳にボニー・マコーミックの話は入れたくない。

 なんせジェーンは優しさの『ほどほど』を知らないので。


 しかしまあ、『ほどほど』の定義は人それぞれである。

 皆、アシュレイのように『ほどほど』という言葉を知らない。


 困ったものだ。


 エリー特製の愛情とチーズがたっぷり入ったサンドイッチを頬張りながら、何ともズレた感想を抱くアシュレイであった。

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