うぐぅ……っ!
おいおいとむせび泣く二人のおっさんを見ながらビルは、見なかったふりをしようとして、失敗した。
数刻前、クラークソン家の太陽ことシシー・クラークソンが兼ねてより想いを寄せていたバンクス家の次男カイルにより求婚された。
これが原因でおっさんは泣いている。
「涙拭けよ、おっちゃん」
昔からお菓子をこっそり用意してくれた料理長と、肩を悪くし第一線で活躍できなくなった旦那様の元部下である門番の男にハンカチを渡すと、ぶびーっと鼻をかまれた。
それ、俺のなんだけど……なんて言葉をビルは飲み込んでおっさん達の背中を擦ってやった。
「俺達の天使がとうとう嫁に行ってしまう!」
「まあ行かないよりはいいんじゃない?」
「ずっとクラークソン家に居ればいいだろがぁ!」
「すぐ無茶言う。てか、シシーお嬢さんがずっと好きだったお方だし、カイル様は、」
「分かってる分かってんだ顔が良くて剣の腕も立って使用人にも尊大な態度を取らず旦那様の部下であり尚且つシシーお嬢様にベタ惚れな理想男子だってことはっ!!!」
「え? 息継ぎしてる?」
「でもそれとこれとは別なんだ……っ!」
「ねえ、俺の話聞いてる?」
「ああ、俺達のお嬢様が……!」
「聞いてないな」
そして、デカい図体でまた泣き出すおっさん二人──の後ろでしくしく泣くおっさんの部下や同僚達。
なんで増えてんの???
「ビルは寂しくないのか!? 仲良し三人組だっただろう!?」
「え、別に。だって、」
「なんて冷たい奴だ!!!」
自分もシシーの嫁入りに付いていくことを伝える言葉を遮られ、ビルは頬をぽりぽり掻いた。
庭師の息子の分際でビルはシシーと幼馴染の関係にある。
出会ったのはビルが九歳、シシーが四歳の時だ。
新緑色の真ん丸な瞳の小さなシシーはとっても可愛かった(今ももちろん可愛い)。
シシー付きのメイドのココはビルの一つ年上の女の子で、ビルはこの二人の少女と一緒に成長した。
シシーとは色んなことをして遊んだ。
ぴかぴかな泥団子を作ったり、綺麗な石を探したり、庭に張った秘密基地の中で寝っ転がってお菓子を食べたり、コニーから追いかけられるシシーをココと一緒に隠したり、誕生日を祝ったり祝ってもらったり。
今では三人でいる時間は随分と減ってしまったが、実は、ココには内緒で相談をされることだってある。
『私だけダンスに全然誘われないの……』
それは旦那様とカイル様のせいです、という言葉をビルはぐっと堪えた。
『ねえ、男の子から見て私って「なし」なの?』
『そんなわけ、ん? ……あっ! もしかして誰かに何か言われたんですか?』
『……』
カイルを好きなご令嬢が、可愛い可愛い可愛い(以下省略)うちのお姫様に嫉妬して意地悪を言ったことが容易に想像できた。
『「なし」なわけないです! シシーお嬢さんは可愛くて優しくて最高の女の子です!』
シシーに言えば、えへへと照れたように笑って『ありがとう』と返ってきた。
『今度そんなこと言われたら「私のこと可愛いと思ってくれる男なんてたくさんいるのよ」って言ってやればいいんです』
『嘘はだめだよぉ』
『嘘なもんか! 屋敷の者達全員、シシーお嬢さんにメロメロです。ほら、落ち込んでいる暇があったら料理長に美味しいおやつを強請りに行って、ココにミルクティーを淹れてもらいましょう』
『……私、久しぶりに三人でお菓子が食べたいな』
『じゃあ大きめのテント張りますね』
『うんっ! ありがとう、ビル。大好き!』
『俺もお嬢さんが大好きですよ!』
あの後、シシーと手を繋いでるんるんっとしているところをちょうど遊びに来たカイルに見られて、物凄く睨まれたっけ。
彼の手が剣のグリップを握っていて、かなり怖かった。
以来、ビルはシシーと手を繋ぐのをやめた。
いのちだいじに。
「ビル」
「あれ? カイル様。旦那様とお話されていたのでは?」
「ああ、さっき話し終えた」
「お許しをいただけたんですね」
「何とか、な」
「婚約おめでとうございます」
「ありがとう。それと、これからよろしく頼む」
「はい。精一杯仕えさせてください」
初めて会った時は見下ろしていたカイルは今ではビルよりも背が高い。
ビルだって低くはないのだが(いやむしろ高い方だ)。しかし、そんなビルよりも年下のカイルの方が数センチ身長が高い。
そのことをほんの少しだけ悔しく思い、そして、誇らしくも思うビルはカイルに「お嬢さんをよろしくお願いします」と言って深く頭を下げた。
笑うと思ったカイルが、至極真面目な顔でしっかりと頷いたのがとても印象的だった。
「お前も結婚しろ」
「え。何ですか、いきなり」
「いや、その、ココを乳母にと思ってな」
なるほど。
合点がいったビルだが、カイルに言われたことを実行──つまりココにプロポーズするのはなんか癪だ。
こちらにだってタイミングというものがある。カイルに言われたからプロポーズしたなんて、嫌だ。
能天気なビルにも心の準備とか、その他諸々の計画がある。
だから、ちょっと反抗的な態度をとった(自分なら許してもらえるという根拠なき慢心とも言う)。
「カイル様、シシーお嬢さんは子供好きですよ?」
「? ああ、そうだな、シシーは小さい子が好きだし、それに好かれやすい」
「そうです。なので、結婚してすぐにお子さんを授かった場合、お嬢さんはお子さんを優先します」
「……それは、困るな……」
シシーの、甥・姪の可愛がり方は、カイルが嫉妬するほどに甘い。
「それにお嬢さんは他のご令嬢よりそうゆう知識がないですからね? ことを急ぐと怖がられちゃいますよ?」
なんてたって、純粋培養のシシーである。おかげで、なーーーーんにも知らない。
「あー、くそっ。んなこと分かってる!」
「……カイル様、『くそ』とか言わないでください」
「シシーと同じこと言いやがって」
悔しそうな顔を逸らしながら呟くカイルに、ビルは吹き出した。
──そんな話をしてから数か月後。
ビルは新しい苗を植える仕事に精を出していた。
そこへぱたぱたと誰かがかけてくる音がして振り向くと、肩で息をするシシーがいた。
「ビル!」
今日はシシーとカイルのお茶会の日だと記憶していたのにどうしたのだろう。
ココも見当たらず、シシーの慌てた様子に首が傾ぐ。
「あれ。お嬢さん、どうしたんですか? カイル様は? ココは?」
「匿って!」
「え? え? 本当にどうしたんですか?」
「お願い……っ」
ぷゆ、と幼い子が泣く前のような顔のシシーにぎょっとして、ビルは作業を中断して屋敷で一番大きな木の後ろにシシーと一緒にしゃがみ込んだ。
「お嬢さん、カイル様と喧嘩でもしちゃったんですか?」
「……ううん、してない」
「じゃあ何です? 言わなきゃ分からないですよ。それにココまで捲いてきて、だめじゃないですか」
めっ! と兄貴ぶって優しく叱ると、「だって、だって……カイルが……」と、もにょもにょと口を尖らせて顔を赤くした。『だってだって』と繰り返して言うのは言いたいことが上手く纏まっていない時のシシーの癖だ。
ビルはその様子にピンときた。いや、ピンときてしまった。
おそらく婚約してカイルの箍が外れて、距離を詰め過ぎたのだろう。だからあれほど慎重にと言ったのに、まったく。
一体何してくれたんだ。
しかし、それが誤解だとシシーの次の発言で判明した。
「あのね、最近のカイルったら全然意地悪言わないの」
「へ?」
「特に、今日なんてすっごく優しいし」
「いいことじゃないですか」
「だってだって……! あんなに優しいとか、無理だよぉ!」
「ええ~? お嬢さん、そりゃないですよ。カイル様の意地悪にいつもぷんぷんしてたじゃないですか。優しくなって良かったって喜ぶところでしょうに」
「……だって、だって」
ああ、なんて哀れな。
カイルに同情するビルに、シシーはまたごにょごにょと喋っていじけた様子を見せる。
「恋ですね、シシーお嬢さん」
ビルが揶揄うように言うと、シシーは何とも悩まし気に息を吐いてビルから視線をゆっくりと外した。
え、そんな表情初めて見たんですけど????
「……うん、そうなの。私、本当の本当に、カイルのことが大好きになっちゃったみたい……恋って、こんな気持ちなんだね……どきどきし過ぎて苦しい……」
なんてこった!!!!!
ビルは思わず左手で胸を押さえて、「うぐぅ……っ!」と唸り声を上げた。これが唸らずにいられるか。
「ビル? どうしたの?」
「一撃喰らいました……」
「何言ってるの? 大丈夫?」
「大丈夫です、すみません」
今までのシシーの『カイルが好き』が成長したようで、ビルはなんだかとっても面映ゆい。
恋する女の子の可愛さったら、どうしてこんなに破壊力があるのだろう。
幼い頃から知っている小さなお姫様は、どうやら本物の恋を知ってしまったようだ。
「シシー!」
「お嬢様~! どこですか~!?」
シシーを呼ぶ声が近付いてくるのを聞きながら、ビルはシシーの成長を教えてやらなくてもいいかと勝手に決めた。
──カイルにも、ココにも、旦那様にも言ってやるもんか。
……でも、奥様には言っておこうか。
まあ、言わなくても気が付いているかも知れないけれど。
そんなことを思いながら、ビルは「お嬢さんはここです!」と勢いよく立ち上がり、シシーに「ビルの裏切り者! ばか!」と叫ばれたのであった。
『春待ち人』の後日談。




