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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
【番外編】続く常春(一話完結型)
21/43

青いね

 カイル・バンクスがシシー・クラークソンに初めて会ったのは、六歳の時だ。


 ブラウンの髪に、エメラルドグリーンの丸い瞳を持つシシーは、カイルより一つ年下の女の子で、国の英雄にして憧れの騎士の義妹(いもうと)だった。


『ししー・くらーくそん、です。よろしくです』


 ぎこちない所作でドレスの裾を摘んで頭を下げるカイルよりも頭一つ半も小さい女の子は、挨拶ができたことを大人達に褒められて上機嫌な様子だった。


 兄と姉がいる末っ子のカイルは、常々弟が欲しいと思っていただけにシシーにがっかりしたがしかし、そこはバンクス公爵家の次男。顔には出さずに微笑んで挨拶をした。


『初めまして。カイル・バンクスです。どうぞよろしくお願いします』


 同年代の女の子のことを、小さな虫にすら驚いて泣き出す面倒この上ない生き物だと思っていたカイルは、この時点でシシーと()()()()なんてするつもりはなかった。


 だって女の子なんてつまらない。


 ──と、思っていた時期がカイルにもあった。


『ししーのひみつきち、かいるもくる?』

 秘密だと言いつつ、自分付きのメイドと庭師の息子がいるテントの中で、厨房からこっそり持ってきたクッキーを食べたり──


『ちょうちょうさん、おおきいねえ。ここ、びる、みて……ここ? なんでとおくいるの?』

 馬鹿みたいにデカい()を見せても全く驚かず……それどころかにこにこしていたり──


『いま、こにーにおい()けられてるーっ!』

 淑女教育をサボって、青筋をばしばし立てた執事(コニー)に追いかけられたり──


 とにかくシシーは規格外なお嬢様で、つまらないなんて感じる暇はなかった。


 たまに苦しそうな咳をして軽い発作を起こしかけたり、熱を出すこともあったが、シシーはいつも力の限り走り回り笑っていた。


 クラークソン家の者はシシーに大甘で(執事以外)、それなのにシシーはメイド達や使用人に尊大な態度は取らず、それどころか甘え上手な小悪魔だった。

 バンクス公爵家にいた時は澄まし顔だった執事をあんなに必死にさせる女はそういないな、とカイルは子供心に感心したものだ。



 そうして、よろしくなんてしてやるもんかと思ってから四度目の春。


 クラークソン子爵夫人に第二子であり初の男児が誕生した。

 黒髪に赤い瞳の体の大きな男児の名はユリウス──シシーが大好きな『白詰草姫』という児童書に出てくる姫を助ける騎士の名だ。


 シシーはそれはもう甥っ子に夢中になった。


 姪っ子のメアリと一緒に、ユリウスにあれやこれやと話しかけているのを見たカイルがやきもちを焼いたことは秘密の中の秘密である。







「兄さんはさ、ナタリア義姉(ねえ)さんのこと好き? 愛してる?」


 カイルの質問に、兄は目を見開いた。


「どうしたんだ、いきなり」


 カイルよりも七つ年上の兄、オースティンは今年二十三歳を迎えるバンクス公爵家の次期当主で、来年一児の父親になる。

 オースティンはハーディング公爵家の次女であるナタリアと十の齢で婚約し、二十一歳で結婚した。


 バンクス家の長男として生まれたオースティンは公爵家の為の膨大な勉強に加え、鍛錬にも力を入れていた為、恋などに()く時間はなかったと思う。

 そんな中で、ナタリアとの婚約や結婚をどう思ったのだろう……と、カイルはふと不思議に思った。

 つい最近、五つ年上の姉、レベッカが嫁に行ったことも関係ある。

 そしてその時、シシーが言ったあの言葉も……いや、今はそれは置いておくとして。


「義姉さんには言わない。正直なところどうなの」

 カイルは早口で一息に言った。


「『正直なところ』か」


 ふむ、と考えるポーズを取ったオースティンを見て、カイルは父に似ていると思った。

 どちらかと言えば兄は母に似ていると思っていたが、こうしてみれば兄は父似である。考える時の癖が全く一緒なのだ。


「愛してるよ。私の唯一だと思っている」


 そう言った時のオースティンの顔を見たカイルは思わず兄から視線を外した──身内の惚気話……それも兄のそれを冷静に聞き流せるほど、カイルは大人ではなかった。


「カイルもそういう子を選ぶといい。ああ、もう出逢っているのなら、ちゃんと捕まえておかないとね」


 ふっと笑った気配に、かっとカイルの顔が熱を持った。


 ──ここ最近、カイルはあのお転婆娘が可愛く見えてしょうがない。


 それなのに。

 昔のように優しい言葉を言えない。


 自分と同じ年だった頃のオースティンは、ナタリアに優しい言葉をかけていたのを見ていただけに、カイルは自分の不甲斐なさを感じずにはいられない。

 母にも姉のレベッカにも、ついでに父からも『女の子には優しくしなさい』と言われているのに、カイルにはそれができない。


 来年シシーは淑女としてデビューする。


 デビュタントで真っ白なドレスを身に纏い微笑むシシーを見て、恋をする男は一体如何ほどだろう……そう思うとカイルは横隔膜の奥のあたりに不快感を覚える。


『ししー、ねえさまみたいな、はなよめさんになりたいの』

『そうなんだ。じゃあ……僕がシシーをお嫁さんにもらってもいい?』


『うん! ししー、かいるのおよめさんになる!』


 幼い子供の口約束だが、カイルの気持ちはあの頃と変わらない。


 いや、むしろ今の方が強くそれを願っているし、来年にはもっと強くなっているはずだ。






「カイル……」


 シシーが遊びに来ていると侍従に言われて、庭に出てみれば泣きそうなシシーの声に慌てて駆け寄る。


「シシー!? ……って、何してるんだ、お前は」


 庭のアウポリの木の枝に髪を絡ませているシシーに呆れて言うと、「だって、だって」と情けない声が返って来た。大方、木に生った実を観察したかったのだろうと思って言い訳を聞くとその通りだった。


 シシーのメイドはクラークソン家からの土産の紅茶の淹れ方をレクチャーすると言ってシシーから離れていたらしく(どうやら特殊な淹れ方らしい)、このお転婆娘はその少しの隙にアウポリの木の枝に髪を引っかけたようだ。

 その証拠にメイドはカイルがシシーに気が付いてから、すぐにやってきた。


「シシーお嬢様!」


 焦って近付くメイドにカイルは首を振る。


「大丈夫。シシーの髪が枝に引っかかっただけだから」

「も、申し訳ありません。では、私が、」

「いや。シシーが悪いんだから謝らなくていい。君は下がってて」

「ですが」

「いいから」


 メイドの言葉をカイルはにっこりと有無を言わせない笑みを以て制する。


「俺がシシーのこと回収するから、うちの連中に紅茶のレクチャー? よろしく頼むよ」

「…………はい」


 カイルは何か言いたげなメイドの態度に気付かないふりをして枝に絡まったシシーの髪に触れた。




「カイル、取れた?」

「まだ」


 緩く抱き締める形になって好きな女の子の髪を触るシチュエーションに、カイルの耳が熱い。

 なのに、シシーときたら微塵もこちらを意識していない。


 ──髪はとっくに枝から離れていた。


 でも。


 侍従やメイドの視線をぶすぶす背に受けながらも、もう少しだけこのままでいたかった。


「ね、取れた? 髪切らなきゃだめ?」

「まだ。ちょっとだけ大人しくしてろ、取ってやるから」


 カイルの言葉に、ふふっとシシーが笑って体が揺れて香り立った。


 甘い匂いに、脳が痺れそうだ。


「カイル、背伸びたねえ」

「まあ、な」

「私も大きくなりたいっ」

「ジェーンさんもそんなに身長高くないし、お前ももう伸びないと思うけど」

「えー大きくなりたい……」

「諦めろ。ほら、取れたぞ」


 シシーから離れると、お転婆な幼馴染は眩しい笑顔でカイルを見上げて「ありがとう」と言った。


 ──頼むから、その笑顔をあちらこちらに振りまくのはやめてくれ。


 そう思いながら、カイルは平静を装ってシシーに背を向けた。






「青いね、カイル」


 三階の窓から庭にいる弟とその幼馴染の様子を見て、くくっと笑いをかみ殺すオースティンに、妻のナタリアは『こんなところまで似るなんて、さすが兄弟』と思いながら静かに笑みを深めるのであった。

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