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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
最愛と過ごす常春のこと
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これからずっと一緒にいるんだから

 誓いの口付けを神父に二回も促されてしまうアクシデントはあったが、式は滞りなく済んだ。

 祝いだと部下やら先輩やらに酒をしこたま飲まされ、ろくすっぽ花嫁と会話もしないままに、花嫁が途中退席をさせられ、時間を置いてアシュレイも退席となった。

 その時のコーエンの憎たらしい顔ったらない。



 そんなこんなで現在。


 アシュレイは、寝室の扉の前で固まっていた──初夜である。


 酒が強いアシュレイは、全く酔いを感じておらず、完全な素面(しらふ)状態だ。

 酒が強いことは、騎士である上でも生きていく上でも、良いことである。

 しかし、緊張を消す為に飲んだ場合、良いことではなくなる。


「痛っ!」


 扉の前で固まるアシュレイは、突如、背中をばちんと叩かれた。


「嫌ですよぅ。か弱い女が、ちょ〜っと気合いを入れただけだって言うのに」


 家政婦のアンナだ。


「か弱い?」


 アンナはアシュレイが屋敷を購入した時に雇った人物だ。

 気取ったところのない肝っ玉母ちゃんタイプの女で、母との関係が希薄だったアシュレイは、このざっくばらんな関係を気に入っているのだが、ジェーンはどうだろうか。

 使用人もこれから増やさないといけないが、何分(なにぶん)結婚が急だった為に手が回っておらず、しばらくはアンナがその役目を全て請け負うことになっている。

 仲良くなってくれると有難いのだが……。


 そんな心配をしていると、アンナに「旦那様」と低い声で呼ばれた。


「何? か弱いアンナ」

「ふざけないでください、まったくぅ。……お作法は分かっていますね?」


 なんで、こんなことを言われなきゃいけないんだと思いつつ、アシュレイはしぶしぶ頷く。


「……分かってる」


 アシュレイは、二十六歳の男だ。経験はもちろんある──商売女だが。

 作法とやらは、アンナに読めと煩く言われていたので手引書を、三回も読んだ。三回もだ。


「じゃあ、さっさといってらっしゃいなっ」

「はいはい、分かった分かった。うるさいなあ」


 しっしっ、と手で追い払うようにすると、アンナは「ま〜あっ!」と大袈裟に驚いた顔を作って廊下の先に消えていった。


「はあ」


 決して小さくない音量で話していたのだから、内容はともかく寝室のジェーンに声は届いているだろう。

 ここでまた固まると、ジェーンに扉を開けられるかも知れない。

 そんな格好の悪いことはご免なアシュレイは、ノックと深呼吸をしてから扉を開いた。



 四人は横になれそうな広いベッドの端に、ジェーンはいた。

 ほんのりとしか(とも)らない照明のせいで、顔色は窺えないが緊張しているのは察せられた。


 ゆっくり近付くと、彼女はバスローブの合わせをきゅっと小さな手で握りしめて俯いた。

 可哀想に、華奢な肩は震えている。

 そりゃあ、怖いだろう。初めて会った男と、肌を合わせるなんて。自分のような男とであれば尚更に。

 本音をぶっちゃければ、頂けるなら頂きたい。

 しかし、嫌がる女の子を無理矢理組み敷くのは趣味ではない。

 もちろん、嫌われたくない気持ちも大いにある。


「隣に座ってもいい?」


 精一杯優しく聞こえる声色で、年上の男らしく余裕ぶれば、ジェーンはバッと勢いよく顔を上げて数度大きく頷いた。


「あ、あのっ!」


 一人分の間隔を空けてベッドに腰かけると、ジェーンが決意した顔で握っていた合わせから手を離して頭を下げた。


「かっ……」

「『か』?」

「か、可愛がってください、旦那様……」


 アシュレイは心の中で、『うわあああ』と叫んで床にごろんごろん転がった──あくまで心の中で、である。顔には出していない。多分。


 なんて破壊力のある台詞だ。


 花嫁が作法でそう言うのは知っていたが、いざ耳にすると物凄く面映ゆい。


「ええと、ジェーンって、呼んでも?」

「は、はいっ」


 華奢な肩が頼りない少女は、眉が下がり涙目だ──改めて可愛い娘だなと思うと同時に、やはり今日は手を出せないと思った。


「そんなに緊張しなくていい。何もしない」

「え? あ、の?」

「俺達は、今日が『はじめまして』だ」

「……はい」

「何も分からない相手は、怖いだろう? 特に俺は、こんなんだしな」

「い、いえ! そんなっ」


 ぶんぶんと首を振るジェーンを、とても優しい子だと思った。

 見た目に気を使ってこなかったことに加えて、男所帯で育ち暮らしていたアシュレイは、年中髭も髪も伸ばしっぱなしの不精男で、普通の──金目当てで男を選ばない──女にからっきしモテない。


「これからずっと一緒にいるんだから、急がなくてもいい。そうだろ?」

「……はい」


 ほっと、小さく息を吐くジェーンを見て、アシュレイもこっそり安堵の息を吐いた。




「おやすみ、ジェーン」

「お、おやすみなさい」


 またまた一人分空けて横になり少し経った頃、ジェーンが「あの」とアシュレイに話しかけてきた。

 話しかけられると思わなかったアシュレイの返事は掠れていて、ほぼ音にならなかった。


「借金のことも、妹も一緒にこの家に住んでもいいと仰ってくれたことも、とても感謝しています。本当に、ありがとうございます。私、アシュレイ様の為なら何でもします……」


 アシュレイは、少しだけ切なくなった。


 見方によっては、ジェーンはアシュレイに金で買われた花嫁である。

 彼女からしたら、自分も好色スケベ爺と大差ない──いや、変態爺よりはましなはずだ……と、思いたい。


 しかし、世間知らずなお嬢さんだ。『何でもします』などと言うジェーンは、後でアンナに注意させよう。

 それは男に言ってはいけない台詞ナンバーワンだ。


 でも『何でもする』というのなら、叶えてほしいことが一つある。


「……俺と、家族になってほしい」


 言ったと同時に疲れが一気にやって来たアシュレイは、ジェーンの返事を待たずに意識を手放した。







 一夜明け、まだ薄暗い早朝。

 アシュレイは目を覚ました。


 結婚休暇を貰ったが、さすがに一週間何もしない訳にはいかない。

 朝稽古をする為に体を起こして大きく伸びをすると、下にやった目線が栗色の髪の毛を捉えた。

 一瞬だけ驚いたが、すぐに昨日が初夜だったと思い至る。


 眠っているジェーンは、起きている時よりも幼く感じる。


「…………いや、見過ぎ」


 数秒、ジェーンに見惚れていた自分にツッコミを入れてからベッドを出た。



 冷たい水で顔を洗い、タオルで拭く。

 鏡に映る自分を見て顎を撫でる。髪を切って、髭を剃ったのは久しぶりだ。


 今後はジェーンや彼女の妹もいるし、きちんと剃った方がいいだろうと剃刀を手に取った。




 八八九、八九〇、八九一、八九二……。


 腕と肩の動き、力の入る場所、剣先を止める位置、全てを意識して素振りをする。

 風を切る音にぶれがないように、一本一本丁寧に打つ。



「ぶうんって、おとがするね、ねえさま」


 素振りがぴったり千をカウントした時、高い子供の声が聞こえて振り向くとジェーンと、彼女の妹がいた。


 確か、妹の名前は──


「シシー、ダメよ。アシュレイ様は剣のお稽古してるんだから」


 妹のシシーに姉らしく注意するジェーンは、昨日の真っ赤になって震えていた彼女と印象が全然違う。

 それがおかしくて、アシュレイは口角が自然に上がった。


「ごめんなさい」

 しょんぼりするシシーに、アシュレイは剣を収めて「ちょうど終わったところだ」と声をかける。


 ジェーンと同じ色の髪と瞳を持っているシシーは、顔立ちも彼女に似ていた。

 姉は猫を思わせるつり目で、妹は子犬のような真ん丸な目をしている。


「昨日はよく眠れた?」


 地面に膝をついて、前日はまともに話す時間がなかったシシーに目線を合わせれば、シシーはこくこくと大きく頷いた。


「部屋はどうだった? 女の子の好みが分からなくて、全部アンナ任せだったけど」


 シシーの部屋の用意も特急で行われた為に、気に入ってくれるか心配していたのだ。特にアンナが。


「可愛いお部屋だったよね、シシー? ほら、お礼を言って」

「はい! かわいいおへや、ありがとうございますっ」


「礼が言えて偉いな、シシー」

 アシュレイがシシーを褒めると、にっこりと満面の笑顔が返ってきた。

 きっとジェーンの教育がいいのだろう、素直でいい子だ。


「足りないものがあったら買い足すといい」

「そんな、もう十分です」


 素直に頷くシシーと、反対に恐縮するジェーン。

 遠慮は不要だと言おうとしたところで「朝食ですよ~!」と、アンナが騒がしくやって来た。


「あっ、アンナさんにアシュレイ様を呼ぶように言われて来たんでした」

「そうか、じゃあ朝飯にしよう。アンナの飯はそこそこ美味(うま)いぞ」

「そこそこって何ですかぁ!」

「げっ、アンナ……」

「大体、旦那様は!」


 アンナに小言を言われるアシュレイを見て、シシーが笑う。

 ジェーンも堪え切れずに、昨夜と違う理由で肩を震わせている。


 アシュレイは、長い間埋まることのなかった大きな穴が塞がっていくのを感じていた。

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