心配しなくてもいい
デビュタントを終えたばかりの白いドレスを着ている少女達を見ながら、ジェーンは目を細めた。
ジェーンも略式であったが王后から『祝いの言葉』を貰った。
あの時の感動を今も覚えている。
あれからもう五年も経ったのかと思うと……月日の流れは早い。
あと六年でシシーもデビュタントだ。
先日、幼馴染であるカイルと木に登ってコニーを物凄く怒らせていたシシーも、デビュタントを迎える頃には淑女になっているのだろうか(ならない)。
そしてこの五年で、ジェーンは長女のメアリと、長男のユリウスを産み、二児の母になった。
メアリは年の割にしっかりしているが、少々甘えるのが下手である。
アシュレイに言わせるとジェーンに似ているそうだ。確かにメアリは髪色以外ジェーンそっくりに成長している。
長男のユリウスは黒髪赤目で、アシュレイにそっくりな男の子だ。
ユリウスは体が大きくて、メアリ同様あまり泣かない穏やかな子だが、甘え上手で末っ子気質なところがシシーに似ている。
ユリウスを見ていると、アシュレイの幼少期もこうだったのだろうかと想像できて楽しいが、アシュレイ曰く『こんなに素直で可愛い子供ではなかったな』と親馬鹿発言をしている。
心配していた社交界も、バンクス公爵夫人であるエリーと、第三皇子妃のメリッサのおかげで上手くいっている。
たまに嫌味や意地悪も言われるが、まあ仕方ないと割り切れるほどにジェーンも逞しくなった。
否定の言葉しか持たない可哀想な人間はどこにでもいるものだ。そんな住む世界が違う者と同じステージに立ってはいけない。
ユリウスを産んでから初めての社交場は、比較的穏やかだった。
アシュレイが第三皇子の近衛隊長になったばかりの頃は、空気がぴりぴりしていたが今ではそれも昔話である。そして、やっぱり夫は凄いのだと改めて感じさせられた。
なのでジェーンは、『心配事なんてなく、幸せな日々を過ごしている』──と、今日この会場に来るまでは思っていた。
可愛い妹と子供達、そして格好良くて可愛くて優しくて強くて(以下省略)素晴らしい夫がいるジェーンは、自分が幸せボケになり頭の中がお花畑になっていたことに気付かされたのだ──
「クラークソン子爵様って素敵~」
「国で一番お強いのですって」
「そうよ。だって、英雄ですもの」
「彼って硬派よねえ。たまにしか笑わないところもいいわ」
「ああ、奥様が羨ましい」
「あら? でも彼の奥様って……」
「まあ、そうねえ。もしかしたら私も泣きつけば優しい彼に助けてもらえるかしら?」
「やだぁ、はしたなくってよ」
「うふふ」
花を摘みに行った場所で、うっかり耳に入ったお喋りの内容はとんでもないものだった。
『俺はモテないんだ』
アシュレイのあの言葉を鵜呑みにしていたジェーンは、今、この時、自分の愚かさを痛感していた。
アシュレイがモテない訳ないのだ。
だってあんなに素敵なのだから……ああ、どうしよう。
この国は愛人と呼ばれる存在を許容している。
表立って賛成されていることもないが、禁止もされていないのだ。
ある日突然、彼が『本当に愛する人を見つけたんだ』と言って、家に若く美しい女性を連れてきた時、ジェーンは許すことができるだろうか……。
アシュレイは優しい。優しいから、ジェーンとシシーを受け入れてくれた。
彼の優しさに何度も助けられたけれど、今はその優しさにもやもやする。
お喋り好きな女性が去ってから会場に向かうと、ジェーンの夫の周りを色とりどりのドレスの美しい女性達が囲んでいた。
私の夫なのに──メラッとジェーンの心の奥で炎が着火される。
「ジェーン、遅かったな……どうかしたか?」
アシュレイの声と共に、ジェーンを面白くなさそうに見る目に振り返られて一瞬怯む。
でも、負けてなるものかとも思う。
が。
「アシュレイ様、わ、私、少し疲れて、しまって、あの……」
ジェーンは嘘が得意ではないので、しどろもどろな言い方になってしまった。
負けたくないとは思うが、やはり争いごとが苦手な自分では強い言葉を言うことはできないと思い知る。
「失礼、妻の具合が悪いので……」
しかし、アシュレイにはたどたどしい言い方で、青い顔で俯いてしまったジェーンは本当に具合が悪く見えたのだろう。
群がる蝶達から離れてジェーンの顔を心配そうにのぞき込む。
「大丈夫?」
「は、はい……」
「すぐに帰ろう」
嘘を吐いた罪悪感と、自分を心配してまっすぐこちらへ来てくれたことの嬉しさを誤魔化す為に下唇を噛んだジェーンが目を閉じた瞬間、体が浮いた。
アシュレイがジェーンを横抱きにしたのだ。
「あ、あの、アシュレイ様、私、歩けますっ」
ジェーンは今日の為のドレスを作る際に、自分が太ったことを知っていた。
ノラには大したことないと慰められたけれど……嘘だ、絶対重いに決まっている……。
「しーっ、大丈夫だから」
子供達にするような諭し方をされて、ジェーンは黙ってしまった。
それから、馬車の座席にやたら丁寧に降ろされたジェーンは、堪え切れずにアシュレイに頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
「ジェーン?」
ジェーンは全部言った。
アシュレイがとっても人気が高いことを知って、女性に囲まれているのを見て不安になってしまったり、愛人に優しくできない未来の心配事だったり、体重が増えて今までのドレスがきつくなってしまったことも、全部。
結果。
「ははっ」
──笑われた……。
「ははははっ!」
アシュレイはまだ笑っている。
よっぽど可笑しかったのか、腹を抱えて笑っている。……いや、笑い過ぎでは?
「わ、笑い過ぎです!」
「ごめんごめん」
謝りながらもまだ笑うアシュレイが、ジェーンの肩に手を置いて引き寄せる。
くくく、と笑いを抑える振動を感じながら、ジェーンは真っ赤な顔で小さく唸った──自分はこんなに悩んでいるのに笑うなんて酷いと思う。
これはびしっと文句を言ってやらねばならない!
エリーもメリッサも、そう言っていた。
「アシュレイ様っ!」
ジェーンは顔を上げて、夫を睨む。
だが、文句を言うことはできなかった──怒りが萎んでしまうほどに、アシュレイが満面の笑みでジェーンを見ていたからである。
「……っ」
「心配した。でも、具合は悪くないんだよな?」
「はい、元気です……」
「よかった」
……何だかアシュレイの機嫌が良い。
息子のユリウスがご機嫌の時の顔に似ている。
「不安にさせて悪かった」
「いえ、私が、」
勝手に不安になっただけなので気にしないでください、と言うつもりだったのだけれど……あらら、どうしてこうなった???
ひょいっと視界が反転したと思えば、ジェーンはアシュレイの膝の上。
「すぐ顔が赤くなるんだよなあ」
「え? あの……?」
「嫉妬してくれて嬉しいよ、奥さん」
「……あぅ」
「俺にはジェーンが一番可愛く見えるから、心配しなくてもいい」
「~~っ」
──ずるさに磨きがかかっているアシュレイに、ジェーンはいつまで経ってもたじたじなのであった……。
いつか夫に勝てる日は来るのだろうかと思いながら、ジェーンは真っ赤な顔を手で覆った。
アシュレイは、腕の中の真っ赤な顔の妻に浮かれていた。
子供を二人産んでも変わらず……いや、日々美しくなっていく妻は、社交場で男達の視線を集めている。
二十三歳で、まだまだ若いジェーンは初々しさが抜けることなく今も少女めいたものを持ちながら、見た目は美しくなっていくのだから堪らない。
自分なんかより、若い男がいいのでは……と思う時もあるのだが、ジェーンはアシュレイの心変わりを心配して得意ではない嘘まで吐いた──このことをアシュレイは嬉しく思う。
「俺にはジェーンが一番可愛く見えるから、心配しなくてもいい」
「~~っ」
顔を隠して照れるジェーンに、アシュレイの笑いは止まらない。
──そして、不安にさせてしまったことを詫びる代わりに、最愛の妻にありったけの愛を囁いた。




