いけません
コニー・マーロウは代々執事を輩出する家の生まれで、父はバンクス公爵家で執事を務め、コニーも兄と一緒にコーエンに仕えていた。
さて、実はコニーとアシュレイは一度だけ会ったことがある。
アシュレイは覚えていないだろうが、コニーは十二年前の戦争で彼に命を救われた。
当時、アシュレイは十五かそこらの少年と呼べる年齢だったが、そのことが分かったのは戦争が終わった凱旋でのことだった。
雨が降り、ぬかるんだ足場でドミノ倒しに倒れて崖の下に落っこちたコニーは、一緒に落ちた意識のない仲間の雨除けになりながら、生きて家には戻れないだろうと諦めていた。
十八になった途端、待ってましたとでも言うように召集状を送られたことに不満はない。そんなのは誰だって一緒だからだ。
コニーよりも若い騎士もいる戦場で、自分だけが可哀想だとは思わない。
だから、役に立とうと思った。
しかし、自分はこのまま何も成せないまま、死ぬ……もう寒さで指に力が入らない。
執事になることだけに力を入れて生きてきたコニーには、戦場で自分がどう立ち回ればいいのかが分からなかった。
結局、自分は役立たずだ。
──諦めて目を瞑った。
もう二度と目を覚ますことはないだろうと思いながら。
しかし。
次に目を覚ました時、コニーは誰かの背中に担がれていた。
もう一人いるんだ、と声を上げようと思ったが声は掠れて意味を成さず、酷い眠気が襲ってきたコニーはまた眠ってしまった。
クラークソン家──アシュレイが執事を探している話をコーエンからもらった時、二つ返事で了承したのはそんな経緯からだ。
ちなみにもう一人の仲間もアシュレイが助けたそうだ。
アシュレイ・タウンゼント──改め、アシュレイ・クラークソンには『国の英雄』の他にも呼び名があった。
それは、『悪魔』や『戦闘狂』といったもので、英雄とは程遠いものだった。
悪魔でも戦闘狂でも、コニーは構わないと思った。なぜなら、彼は自分の命の恩人であることには変わりないからだ。
少しでもいいからアシュレイに恩を返したい気持ちで始めたコニーだったのだが、自分の主人は想像よりもずっと穏やかな人物だった。
滅多なことでは怒らないし(というより、彼が怒ったところは、まだ一度も見たことがない)、自分の妻の言うことには少しも迷うことなく即答するのが当たり前だった。
そして、アシュレイは子供好きで、とても面倒見の良い男でもあった。
長女のメアリや義妹であるシシーの面倒も積極的に見たり、両親がいないメイドのココを気にかけたり、庭師の息子のビルとも遊んでいるところを何度も見たことがある。
──コニーは、そんな主人に仕えることができ、自分はなんて幸せ者だろうと思っている。
「シシーお嬢様、いけません」
コニーはつまみ食いをしている悪ガキ三人組に声をかける──右からココ、シシー、ビルである。
つまみ食いと言っても、料理長が嬉々としておやつを取りやすい位置に用意しているので、盗み食いではないのだが……シシーは令嬢である。
テントを張ったり、走り回ったり、つまみ食いなど言語道断だ。
この家の者はシシーに甘いので、せめてコニーくらいは厳しくせねばならないのだ。
「こにーもたべる? おいしいよ」
ココとビルが反省して俯いている中、シシーはにこっと笑って食べかけのクッキーをコニーに渡してくる。
可愛いし、素直だし、心優しい良い子だと思う。
が、それとこれとは話が別だ。
「いいえ、食べません。お嬢様はお勉強の時間ですよ」
そう言って、コニーは六歳になったシシーを抱き上げた。
コニーは、シシーのおかげで体力と腕力が付いたと言っても過言ではない。
「やーん!」
「『やーん』ではありません。メアリお嬢様のお手本になるお姉様になるのではないのですか? いけませんよ、ちゃんとしないと。ね?」
「うん、わかった」
返事だけはいいんだよなあ……と思いながら、歩き出すとココも食べかすを拭いてコニーについてくる。後でお説教が待っているのを知っている顔をしている。
ビルはさっさと自身の父親の元へ戻ったようだ。
ちゃっかりしているが、ビルも後でお説教である。
「ココ、お前はシシーお嬢様を止めなければならないのですよ。それを一緒になって遊んで……。何度同じことを言えば分かってもらえますか? お前も、もう十二です。物事が分からない年齢でもないでしょう」
「……はい、申し訳ございません」
人を、しかも子供を叱るというのはコニーだってしたくはない。
どんなに正しかろうが、嫌われ役であることには変わりないのだから。
そんなコニーのお説教に突如邪魔が入った──
「──おいで、ココ」
声の主は、ココの姉のノラである。
「お姉ちゃんっ」
コニーはノラに抱き着くココを見ながら、どうして姉という生き物は妹に甘いのか……と考える。
ジェーンも妹であるシシーにとことん甘いのだ──いや、違った。ジェーンは誰にでも割と甘い。
「元気でいいではありませんか。奥様もお嬢様が走り回っているのを見て嬉しそうにしてますよ」
「いけません」
「……コニーさんって頑固者ですよね。頭でっかちっていうか」
ジェーンとノラは一歳違いということもあり、境遇も似ていることから仲が良い。しかもどちらも妹を溺愛している。
ノラには分別があるようだが、困っている時に雇ってもらったからかどんな時でもジェーンとシシーの味方なのだ。
──だからこその自分であると、コニーは思っている。
「頭でっかちで結構です。このままいけばシシーお嬢様は、お転婆が過ぎて行き遅れます」
「あら、そうかしら? この前遊びに行ったバンクス家で、ご子息がシシーお嬢様と結婚するって仰っていましたけど」
「は?」
「シシーお嬢様も『お嫁さんになる』って、了承しておりましたよ」
バンクス家の長男──オースティン・バンクスは今年十四歳で、確かハーディング公爵家の次女と婚約しているはずだ。
「……オースティン坊ちゃんにはもう婚約者がいますが……」
「違います。次男のカイル様です」
「ああ、カイル坊ちゃんでしたか」
カイルはバンクス家の次男で、シシーの一歳年上だ。
家格は、彼が次男ということもあり、特に関係はないし、もし本当に結婚するならば問題はない。
でも。
「所詮は七歳児と六歳児の口約束です」
十年後にそれが守られるとは到底思えないし、あり得ない。
「そんなこと分からないじゃないですか!」
「分かりますよ」
「もうっ! 頑固者! 石頭!」
「君は楽観的過ぎです」
ノラは今日もぎゃんぎゃん煩い。
「ははっ、今日もつまみ食いしたか」
コニーの『今日のシシー報告』に、帰宅したアシュレイが笑う。
ちなみに『今日のジェーン報告』と『今日のメアリ報告』もある。
「ココやビルまで一緒になって、まったく……」
「元気でいいじゃないか」
「いけません。旦那様からも注意してください」
ノラと同じことを言うアシュレイに、コニーはきっぱり返す。
「はいはい、分かった分かった」
「本当に分かっていますか?」
「分かってる分かってる」
絶対分かってないと思いながら、夕食に向かう主人に付いて行く道すがらアシュレイがコニーに「いつもありがとな」としみじみと言う。
──ジェーンがよく『アシュレイ様はずるい』と言うのだが……完全に、同意だ。
アシュレイはとんでもない人たらしである。
話して人柄を知れば皆、彼を好きになる。
二年前までコニーの主人だったコーエンも、アシュレイをとても気に入っているし、その夫人も言わずもがなだ。
「にいさまぁ」
抱っこしてください、と走りながら手を伸ばすシシーを「はいはい」と言って抱き上げるアシュレイの顔はとても嬉しそうだ。
シシーとは血が繋がっていないのに、本当の妹のように可愛がっている。
「さっき、めーちゃんおきました。ねえさまが、にいさまにおしえてって」
「そうか。じゃあ『ただいま』を言わないとなあ。シシーは今日、何をしたんだ?」
「きょうは──」
アシュレイが、コニーが頼んだ注意をする様子はない──でもまあ、いい。自分が口煩い執事でいればいいのだ。
うんうん、とシシーが一生懸命に話す内容に相槌を打つ主人を見て、コニーは静かに決意した。
──その後、コニー・マーロウは四十年以上もの間、クラークソン家に勤めることになり、あり得ないと思っていたことが起きたり、絶対に結婚することはないと思っていたぎゃんぎゃん煩い女と結婚して息子が産まれたり、その息子もクラークソン家の執事になったりするのだが……これはまた別の話である。




