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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
【番外編】続く常春(一話完結型)
16/43

大丈夫だよ

 シシーは咳の発作が起こるといつも苦しくて、痛くて、辛くて、悲しい気持ちになった。


 シシーの家はお金がないドが付く貧乏暮らしで、食べるのにやっとな生活をしていた為、薬が買えず咳が始まってしまったら(おさ)まるまでずっと苦しいままだった。


 ──そして、姉が「ごめんね」と何度も言うのが本当に(つら)かった。




 シシーは姉が大好きだ。


 母親の記憶はないが、姉がいてくれたから貧しくても寂しいと思ったことはなかった。


 でも、父親のことは──


 誰にも一生言わないと決めているが……実は父親が大嫌いだ。


 姉と自分よりも他人を優先して、シシーが咳が止まらない夜は別室に籠る父親を、姉は「優し過ぎる人なんだよ」と言って庇うけれど、シシーにはそうは思えなかった。

 姉こそ『優し過ぎる』。


 姉は見た目も心根も美しかった。


 シシーの咳をうっとおしい目で見ながら、美しい姉に優しい声をかける男達に、シシーが懐くはずなどなく、姉もそんな男達を信用する訳がない。


 ──この時のシシーには大人の男は皆、悪い奴に見えていた。




 父親が死んでしばらく経ったある日のことだった。


 家に金持ちの老人がやって来た。


「お前の妹は、アンサリの孤児院に入れる」

「話が違います! シシーと……妹と一緒でないのなら、あなたとは一緒になりません!」

「では、借金はどうする? どうやって返すつもりだ?」

「……それは……」


 何の話をしているのかは分からないが、姉が意地悪を言われているということは分かった。


「ねえさま……」


 真っ青な顔色の姉の指先が吃驚(びっくり)するくらい冷たくて、ぎゅっと握ると姉ははっとした顔をシシーに向けて「大丈夫だよ」と下手くそな笑顔で言った。


 いつもは安心できる『大丈夫だよ』なのに、ちっとも安心できない。


 それどころか胸騒ぎがする。

 鼓動が早くなって、息が苦しくなって──ごほごほ、と咳が出る。

 そして、それは呼び水になった。


 痛くて苦しい咳は止まる気配がなく、涙が滲んで視界が歪む。


「死にかけのガキめ!」


 姉と話していた老人に舌打ちをされたと同時に、肩を押されたシシーはべちゃりと転けた。


「シシー! ……シシー、怪我はない?」


 姉に抱き起こされ、背中を撫でてもらうが咳は止まらない。


「ねえさま、くるしい……」

「もう大丈夫だよ、姉様がいるからね」

「……うん」


 シシーはいつもの姉の笑顔を見て安心して眠ってしまった。



 ──目を覚ました後は、家には帰らずにどこか分からない狭い部屋で暮らしていたが……姉の痩せている体にくっ付いて眠ってる夜に、いつの間にか逃亡生活は終わっていた。

 ……ここらへんの記憶は、シシーはほとんど寝込んでいたこともあり、曖昧で思い出すことができない。






 白いドレスを着て唇と瞼に色を落とした姉は、お姫様みたいに綺麗だった。


「ねえさま、かわいいねえ」


「ありがとう、シシーも可愛くしてもらったね」

 姉がシシーを見て目を細める。


「うんっ」

「ふふ、回って見せて」


 シシーも初めて着る可愛いドレスが嬉しくて、くるくる回った。


 姉によると、これからはお腹いっぱいにご飯が食べられるらしい。

 しかし、シシーはそんなことより姉が綺麗な格好をして笑みを浮かべていることの方が嬉しかった。


 結婚というものはシシーにはよく分からないが、姉が寝る前に話してくれる『お話』によると、お姫様と王子様が幸せになることなので、悪いことではなさそうだ。




 結婚式では、義兄(あに)になる男が姉のベールを(めく)る手が、たどたどしかったことがとても印象的だった──このことは、シシーが大人になってもずっと覚えていることである。


 騎士の正装姿の男と白いドレスの姉は一枚の絵画のような美しさで、シシーは口付けする二人をぱかりと口を開けて見つめていた。



 式が終わり、披露宴が始まれば姉に近付くことが難しくなったシシーは早々に飽きてしまい、姉より先にこれから住む家に送られた。


「これからシシーお嬢様のお世話をさせていただきますねぇ」


 アンナという家政婦に出迎えられ、緊張で食べられなかったシシーは彼女が用意してくれたスープとパンを食べた。

 肉と野菜がたくさん入った味のあるスープと、焼き立てのふわふわな白パンは美味(おい)しくてシシーは夢中で食べた。


「あらぁ、もうお腹いっぱいですか?」


「……うん」

 嘘だった。


 姉は普段から自分の食事を削ってシシーに分け与えてくれていたのだが、幼いながらに姉の食事を奪っていることが心苦しく、お腹いっぱいになるずっと前には「おなかいっぱい」と嘘を言うのが、シシーの癖になっていた。


「まあ……本当ですかぁ? 半分も残してますよ」

「ほんとは、あしたたべようとおもったの……」

「あらあら。そんなことしなくていいんですよぉ、お嬢様」


 後ろめたさを感じて嘘を白状したシシーを、アンナは叱らなかった。


 それから、アンナに明日には違うものを用意すると言われ、お腹いっぱいになるまで食事を堪能した。



 その後、食事を終えたシシーは、湯あみを終えて肌触りのいい寝巻を着させられ、可愛い部屋に通された。

 そして、ふかふかなベッドでうとうとしていると、ガウンを羽織った姉が寝る前の『お話』をしに来てくれた。


 シシーはいつものように姉と一緒に寝る為、ベッドの真ん中から横に移動する──が、今日からシシーは姉と別々に眠らなければならないと言われて驚く。


「このお部屋はね、旦那様がシシーの為に用意してくれたんだよ」


 部屋は薄桃色で統一されている可愛らしい雰囲気の内装をしていた。


 部屋にある子供用のソファーには寝る前にこっそり座ったが、あのソファーにはこれからこっそり座らなくてもいいらしい。


「だんなさま?」

「シシーにとっては、お義兄(にい)様だね。お義兄様が、このお部屋も今日着た可愛いドレスも用意してくれたんだよ」

「……ししーの、にいさま」

「そうだよ。だから、明日お礼を言おうね」

「うん」


「……きっと……きっと優しい人だから、大丈夫だよ」


 ほんの少しだけ不安が滲んだ声の姉が、シシーの前髪を()けて額に口付ける。


 この言葉は、姉が自分に言い聞かせていたものかも知れない。

 だけど、妹に本音を隠す姉の気持ちを、この時の幼いシシーが汲み取れる訳もなかった。


 シシーは姉に安心してほしくて「だいじょうぶだよ」と言って笑ってみせた──いつもシシーを安心させてくれる魔法の言葉に、姉も笑ってくれた。


「おやすみ、シシー。いい夢を見てね」



 ──この日を境に、姉は『大丈夫だよ』とあまり言わなくなった。

 言う側から言われる側になったのだ。



 大人になってこの日のことを思い返せば、姉のあの言葉はやはり姉が自分自身に言い聞かせていた言葉だったのだろうと分かる。

 姉は絶対に否定すると思うが、義兄と結婚するまでの姉は不安で(たま)らない毎日を過ごしていたに違いない。




 翌日、姉に起こされて階下に行くと、笑顔のアンナにおはようの挨拶をされ、義兄を朝食に呼んでほしいと頼まれた姉と手を繋いで庭に向かった。


 ──庭で剣を振っていた義兄を見つめる姉を()の当たりにしたシシーは、義兄は信用してもいい人間なのだと瞬間的に思った。


 なぜかは、はっきり分からなかったが、義兄に対して嫌悪感が全くなかったのだ。

 おそらく姉の表情が柔らかかったからだと思う。


「ぶうんって、おとがするね、ねえさま」


 義兄が剣を振る度、風を切る音がすることに感激して姉に同意を求めると、義兄が剣を振るのをやめて振り返った。


「シシー、ダメよ。アシュレイ様は剣のお稽古してるんだから」

「ごめんなさい」


 怒られてしまった、としょんぼりしていると義兄は「ちょうど終わったところだ」と言って、地面に膝をついてシシーに目線を合わせてくれた。


「昨日はよく眠れた? ……部屋はどうだった? 女の子の好みが分からなくて、全部アンナ任せだったけど」


 ──優しくて、少しの寂しさが混じった赤い瞳が、シシーを気遣っている。


 自分を怖がらせないようにしてる義兄を、シシーは好ましく思った。


「かわいいおへや、ありがとうございますっ」

「礼が言えて偉いな、シシー」


 笑うとぐんと幼くなる義兄につられて、シシーも笑顔になった。




 それから、どしどしやって来たアンナに、彼女よりも頭二つ分も大きな義兄が気まずそうに頭を掻いて叱られている様子が面白くてシシーが笑うと、隣で姉もくすくす笑っていた。

 悲し気な笑みでもなく、シシーを安心させる為でもない姉の本当の笑顔を、シシーは久しぶりに見た。



「……朝から小言は勘弁してくれよ。さあ、飯にしよう」

「まったくもう、旦那様ったら」 



 義兄とぶつぶつ言うアンナの後に付いて、食堂に向かう為に踵を返した時だった──



「あっ!」


 ──ヒューと、頭の上で鳥が鳴いて、空を見上げたシシーの目線の先に『見ると幸福になる鳥』がいた。


「みて、とりさんっ!」


 シシーの声に、義兄、姉、アンナの三人が鳥を見つけて感嘆の声を漏らす。


「あれは……」

「綺麗な鳥だな、初めて見た」

「私も、実物を見たのは初めてです。……あの鳥を見た者は、幸福になると言われているんですよ」

「……そうか」


 静かに笑い合う二人を見ながら、シシーは嬉しくなって姉の足に抱き着いた。



 ──シシーの頬を、春の訪れを告げるように風がふわりと撫でていった。

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