女の子はお花と一緒だね
緊張すると言っていたジェーンだったが会場に一歩入ると、振る舞いは堂々としていた。
弱いだろうと決めつけていた彼女は、そんなことはなかった。
不躾な視線を全く気にしない様子には、いっそ感服する。
そして、結果から言うと視線を無視してしまえばどうってことはなかった。
なんせアシュレイの実力と顔の広さは知られているので、勝ち目のない喧嘩などよっぽどの馬鹿ではない限り売ろうとは思わない。
一瞬目が合った馬鹿の代名詞こと、テオフィモ・スパンジャーズでさえ近付かない。
「あ、これ美味い」
「どれですか?」
「これ。中にチーズ入ってるやつ」
「アシュレイ様って、チーズ好きですよね」
「うん」
二人で軽食をつまみながら、次の週末に何をするか話していると、声がかかった。
「おっ、アシュレイ、やっと見つけた!」
──コーエン・バンクスと、その妻だ。
「こんばんは、コーエン先輩。バンクス公爵夫人……その節はどうも」
その節というのはジェーンの誕生日プレゼントの相談のことである。
アシュレイの貴族の女性の知り合いと言ったら彼女しかいないのだが、とても親身になってくれたので感謝している。
「いえいえ、いいのよ。それより、私にあなたの奥様を紹介してくれない?」
周囲が聞き耳を立てているのを感じる。
ジェーンには今色々な視線が突き刺さっている。
「アシュレイ・クラークソンの妻、ジェーンでございます」
背筋はそのままに片足を斜め後ろの内側に引き、片方の足の膝を軽く曲げたジェーンの挨拶に夫人が目を細める。
どうやら合格らしい。
「まあまあ、可愛いお嫁さん貰って良かったわね、アシュレイちゃん」
「バンクス公爵夫人、『ちゃん』付けはやめてくださいよ……」
「やあだ、あなたはすっかり可愛くなくなっちゃったのね。『公爵夫人』なんて他人行儀な呼び方しちゃって」
「可愛くなくて結構です……エリーさん」
時たまコーエンがアシュレイに『ちゃん』付けするのは夫人の影響である。
彼女ともアシュレイが十代の頃からの知り合いだ。
「はいはい、お喋りはテラスでしようね。キャデラック殿下が三十分も時間を確保してくれたよ」
パンパンと手を叩いたコーエンが、後輩と妻の間に割って入る。
キャデラックがまた我が儘を言ったのだなと半分呆れつつ、好奇と観察の目からジェーンを逃してやりたいアシュレイは文句を言わず、バンクス夫妻の後ろに続いた。
「よく来たな、座れ」
にこにこと笑う本日の主役は、ワインを掲げてご機嫌だった。
その横にいるのが、第三皇子妃だろうか……なんというか、元平民には見えない。落ち着いていて、余裕を感じる。
「おーおー、アシュレイの嫁ちゃん、可愛いじゃん。俺の嫁の次にだけどね~」
「はいはい」
ジェーンはフランク過ぎるキャデラックに驚いて……いや、引いている?
キャデラックの見た目は三人の皇子の中で一番王子様然としていて市井では姿絵が人気なのだ。
平民と結婚してからは更に人気者になったきらきら皇子が、まさかこんな男だとは思わなかっただろう。
祝いや自己紹介もそこそこに、男女でグループが別れてしまったので、卓の面々は見慣れたものだった──コーエンとキャデラックにアシュレイがいじられる図である。
ジェーンの様子をちらりと見ると、顔を赤くしたりあわあわしているが、まあ二人に虐められていることもなさそうだ。
エリーも第三皇子妃のメリッサも、そんな人物ではないと思うが確認しないことには安心できないので、笑っている彼女を見て心底ほっとする。
「女の子って、あっと言う間に『女性』になるよねえ」
カラン、と琥珀色の液体の入ったグラスを揺らしながらコーエンがしみじみ呟く。
言い方がいやらしく聞こえるのはアシュレイだけだろうか……。
「初めて会った時も可愛い子だとは思ったけどさあ、今は何て言うの? 『幸せオーラ』的なのが滲み出ちゃってるよねえ。やっぱり、女の子はお花と一緒だね、愛情で綺麗に咲く」
「あははは! コーエンってば、もう酔っぱらってる~」
「はあ……コーエン先輩、酒弱いんだからそこそこにしとかないとエリーさんに怒られますよ」
アシュレイは、昔もこんな感じだったなと思いながら、コーエンのグラスと中身が水のグラスを交換する。
そして頃合いを見計らい、キャデラックに『近衛騎士について』の話をした。
「隊長の話は有難いけど、今はこのままでいるよ」
「……そっかあ」
アシュレイの言葉に、キャデラックががっくりと肩を落とす。
「おい、聞けよ。『今は』って言っただろ?」
「……え?」
結婚して半年も経たない内に近衛隊長になったら、やっかみで酷いことになることは目に見えている。
今の団の者を鍛えてから自分の座を譲って、実力で徐々に上を目指していくことが重要だ。
「『いずれ』ってことだ」
「うん、分かった。気長に待ってるよ、アシュレイ」
「ああ、そうしてくれ」
それから間もなくして三十分の飲み会は終わった。
だらだらと飲んでいた男性陣と違い、女性陣は手紙のやり取りだったり、お茶会の約束をして有意義な時間を過ごしたようだ。
ジェーンの表情から硬さが取れてリラックスした様子が見て取れて、これだけで今日ここに来て良かったと思えた。
「ジェーン? 酒飲んだ?」
「えっと、リキュールの入った紅茶をいただきましたけど……もしかして、顔が赤いでしょうか?」
「うん、少し」
二組の夫婦と別れて、庭に出たのはジェーンを休ませる為である。アルコールは摂取していないようだが、顔が赤かったので連れてきた。
朝から準備した慣れないドレスに、好意的とは言えない視線とデビュタント。そして初めて会う夫の友人達とその妻達……ジェーンでなくてもキャパオーバーだ。
「エリーさんとメリッサ殿下と話した感想は?」
「お二人共、とても優しくしてくれました。ああ、今度遊びに行く約束もしました。それに──」
興奮しているのかいつもより饒舌なジェーンに相槌を打つ。
全部が全部上手くはいかないが、分かってくれる人達がいるということは心強いことだ。
そんなことを感慨深く思っていると会場から音楽が流れてきた。
ダンスが始まったのだろう。
「あ、この曲……」
ジェーンが流れてきた演奏に反応した。
「知ってる曲か?」
「先週、ダンスのレッスンで使用した曲です」
「……踊る?」
「えっ! で、でも、私、下手っぴなのでっ!」
知ってる。
コニーの報告によると、ジェーンのダンスは控えめに言って『下手』らしい。
もう一度言おう、控えめに言って『下手』なのだ。
「でも、ここには誰もいないし」
人気のない庭で、二人を見ているのは月だけだ。
「ジェーンの好きな小説にも、月明かりの下で踊る場面があるし、ここで踊るのはおかしいことじゃない」
「読んだのですか!?」
「まだ途中だけどな」
読む理由が『参考にしようと思っているから』ということは内緒だ。
「……では、私も『部下の育成について』を読むので貸してください」
「ははっ、そんなのジェーンが読んでどうするんだよ。それより踊ろう。曲が終わる」
「あっ」
ちょっと強引だったかも知れないが、嫌がっている様子もないしそのままステップを踏んだ。
ジェーンは、聞いていた通り上手くはなかったが、アシュレイの誘導(力業とも言う)で何とかなった。
「何で、アシュレイ様はこんなにダンスがお上手なんですか?」
「一度見れば覚えるんだ。このステップはコーエン先輩のものだな」
息が弾んだジェーンの質問にアシュレイが答えると、「ずるいです」と言われてしまったが、ダンスの練習する気持ちに火を付けることになった。
ジェーンもなかなかの負けず嫌いだ。
「私、練習頑張ります!」
「うん」
「だから、また踊ってくださいね」
「うん」
「絶対ですよ?」
「うん」
曲が終わりに近付き、ジェーンを持ち上げてくるんと回ると、彼女は「きゃあ」と笑い声を上げた。
「重くないですか?」
「大丈夫」
彼女の好む恋愛小説によると『羽のように軽い』と言わなければならないのだが、そんな言葉はアシュレイには言えそうもない。
それでもジェーンは笑ってくれる。
美しい装いの妻を碌に褒めることもできない朴念仁な男に笑顔を見せてくれる妻を、アシュレイは心の底から愛おしいと思った。




