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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
最愛と過ごす常春のこと
12/43

大丈夫、何とかなる

「いいですか、旦那様。絶対(ぜっっったい)に奥様から目を離さないでくださいね?」

「……はいはい」


 第三皇子(キャデラック)の誕生パーティー当日。

 朝からずっと同じことを言われ続けているアシュレイは、いい加減うんざりしていた。


 アシュレイは平民の成り上がりとは言え、国の英雄で団長という称号があるがジェーンは違う。

 認めたくないがジェーンを『金で買われた』と言う人間も、口にしなくてもそう思う人間もいるのだ。

 一人にしたら貴族と関わりもなく社交界が初めての小娘なんてすぐに悪意の標的になる。


 アシュレイの心配していることと同じだから、コニーの心配は分かる。

 分かるが……しつこい。


「旦那様?」

「分かってるって……それより、ジェーンはまだなのか?」


 おはようの挨拶をして以降、顔を見ていないジェーンに、午後になった今でも会えない。

 シシーはちょくちょく見に行っているみたいなのだが、アシュレイは準備中の部屋に立ち入り禁止なのだ。せっかくの休日なのに。


「女性は準備に時間がかかるものですよ」

「俺はまだ着替えもしてないけどな」

「旦那様はあと少ししたら着替えてください。それで、今日の奥様のお召し物ですが──」


 その後、コニーにジェーンの装いについて説明をされたが、よく分からなかったので聞き流したり、また注意を言われたり、それを復唱させられたりした。




 夕方になり、身なりを整えて髪をいじくられたアシュレイは出発前にぐったりしていた。


「……待ち疲れた」

 訓練より疲れたと、本気で思う。


 しかもまだジェーンは準備中だ。

 もう一体何時間かかっているのか、そろそろ出発しなければいけないのに、来る気配がない。


「にいさま、かっこいいです」


 すっかり待ちくたびれたアシュレイを、シシーが褒める。

 にこーっと笑うシシーに毒気が抜けて癒される。


「ありがとう、シシー」

「だっこしてください」

「いいよ、おいで」


 アシュレイはシシーを抱き上げようとしたのだが、それを阻止するようにコニーがシシーを抱き上げる。


「シシーお嬢様、旦那様の代わりに私で我慢してくれますか?」

「うん」

「ありがとうございます」

「こにー、ぐるぐるーってしてくれる?」

「はい、いいですよ。でももう少しだけお待ちできますか?」

「うん、おまちする!」


「……」

 着替えたからだめだということだろう。

 癒しのシシーを掻っ攫われたアシュレイは面白くない。それに、コニーの『ぐるぐる』より自分の方が凄い『ぐるぐる』なのにと、不機嫌になる。


「あと少しだと思いますからイライラしないで待っててくださいね」

「はいはい、分かってるよ」


 そんなやり取りを何度か経て、コニーからジェーンの準備が整ったと声がかかった。



「アシュレイ様、お待たせしました」


 ジェーンの声に振り返る。


 ノラの手を借りて階段を下りてくる妻は美しかった。


 淡い緑色(パステル・グリーン)の、編み上げタイプのスレンダーラインのドレスを着たジェーンは物語に出てくる妖精のようだった。


 肩と鎖骨と背中のレースが透けているのに、下品な感じがしないのはなぜだろう。

 誕生日に贈ったネックレスとイヤリングもよく似合っている。


「……あ、うん」

 しかし、これ以外の言葉が出なかった。


 アンナとノラから『それだけ?』とでも言いたげな視線を感じる。

 分かっている、アシュレイだってそう思っているのだから。


 でも、言葉にできないのだ。


 コニーが「旦那様は奥様のあまりの美しさに驚いて、言葉を失っております」とフォローするが、その通りだ。アシュレイは驚いて言葉を失っている。


 ただこの美しい妻を他の男の目に入れたくないと、思っていることだけが明確な事実だった。







 座り心地の良い馬車の中、ジェーンは緊張していた。

 何に緊張をしているかも分からないほどにその理由が多くあるのだ。


 まず今乗っている馬車は第三皇子が寄越してくれたものということ。

 それから略式とはいえこれから王后に『祝いの言葉』を貰うこと。

 続いて、第三皇子を始めとしたアシュレイと親しい者達に挨拶をすること。


 つまりは、今夜これから起こること全てに緊張しているということである。


 そして何より、隣でジェーンの手を握って座っているアシュレイが格好良い……。

 初めて見るタキシード姿で前髪を上げて普段隠れている額を見せている彼にどきどきする。


 なんで女性のように化粧も宝石もないのに、こんなに変わるのか不思議だ。

 あと、どうしてなのかは分からないが、いつもと違う手の繋ぎ方もジェーンをどぎまぎさせる。この指を絡める繋ぎ方をされるのは初めてだ。


 アシュレイがずっと無言なのも気になる。



「はあ……行きたくない」

 沈黙を破り、アシュレイがぼそりと呟く。


「あの、アシュレイ様? どこか具合が?」


 体調が悪くなったのだろうか。そうだとしたら彼が無言なのも納得できる。


「いや、ただジェーンを見せたくないなって」

「……見苦しいでしょうか」


 確かに化粧はいつもよりしっかりしているし、肌の露出も目立つ。特に背中は、編み込んだレースがあれども目を引くだろう。

 ドレスを着せてくれた使用人達は褒めてくれたが、あれはお世辞でアシュレイにとっては、大事な友人や上司に見せるに値しないのかも知れない。


「王后様のお言葉を頂戴したら、帰りますので。あの、もちろん一人で帰りますから、」

「違うんだ、そうじゃなくて!」


 やや慌てた声にジェーンの続きの言葉は遮られた。


「……ジェーンが綺麗だから、他の男に見せたくなくて。ごめん、嫌な態度取ったな」


 綺麗なんて初めて言われた。

 いや、『綺麗』という単語自体は言われたことはあったのだが、アシュレイにそういった言葉を言われたのは初めてだった。

 彼はいつも『似合う』とは言ってくれるけれど、それ以上は言わない人なので。


 加えて、『他の男に見せたくない』という独占欲。


 ──どうしよう、嬉しい。凄く嬉しい。


「私もです」

「ん?」

「私も、アシュレイ様のこと他の女の人に見せたくないです。とってもとっても、素敵だから」

「そんなこと言うのはジェーンだけだと思うけど……」


 ありがとう、と言ったアシュレイの顔が近付く。

 アシュレイはジェーンの誕生日以降、こうして予告なしに口付けをしてくる──のだが、彼はぴたりと止まってしまった。


 どうしてやめるのだろう?

 口付けを期待していたジェーンは、催促するように手を繋いでいない方の手でアシュレイの肩を小さく叩く。


「アシュレイ様?」

「……あー、ええっと……口紅が取れたらまずいよな?」


 アシュレイの言葉に、「あっ」と声を漏らす。


「……はい」


 ジェーンの唇には、光沢のあるローズピンクを塗っている。

 軽い飲食程度なら問題はないと言われたが、口付けは無理だろう。

 きっと、彼の唇に色が移ってしまう。


「だよなあ。……残念」


 そう言ったアシュレイの顔が離れていく。本当に残念だ、してほしかったのに。


「帰りにするか」


 アシュレイの言葉はジェーンに確認する言葉ではなく、独り言の(たぐい)だった。


 どうやら、ジェーンの緊張はパーティが終わっても続くようである。






「──あなたの歩む人生(これから)に、幸多からんことを」


 王后から『祝いの言葉』を貰ったジェーンは、略式のデビュタントを終えてもふわふわした心地で心ここに在らずな状態にあった。

 アルコールを飲んだ時のような感覚に似ているかも知れない。



「ジェーン?」


 アシュレイに呼ばれて、はっとする。


 ここでようやく周囲の音がクリアになった。いつの間に自分が座っていたのかも分からない。


「……すみません、ぼうっとしてしまいました」

「大丈夫?」

「はい、何だか夢みたいで。……でも、もう大丈夫です」

「じゃあ、挨拶を済ませてさっさと帰ろう」

「はい」


 差し出された手に自分の手を乗せて立ち上がる。ふわふわしていた感覚はもしかして柔らかいソファーの感触のせいだったのかも知れない。

 立ち上がってみると平気だった。


 そして、アシュレイのエスコートを受ける。

 手を繋いで歩くよりもずっと彼を近くに感じて恥ずかしいけれど、ジェーンが世界で一番安全で安心する場所だとも思う。


「コニーがうるさかったってのもあるけど、俺も心配だから離れないように」

「私もコニーさんからたくさん言われました……アンナさんにも、ノラにも」

「ははっ、ジェーンも言われたか」

「はい。なので、絶対離れません」


 心配をしているからこその注意は、しつこさを感じるほどに言われた。

 自分だけが言われていたと思っていたが、どうやらアシュレイもうんざりするほど言われたようだ。


「……でも、やっぱり緊張します……」

「大丈夫、何とかなる」

「はい」


 何とかなる、と言うところが彼らしいなと思ったジェーンは、その言葉に勇気付けられ、背筋を伸ばして会場に足を踏み入れた。

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