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最愛と過ごす常春のこと  作者: ゼン
最愛と過ごす常春のこと
11/43

私は大人の女なので!

 春もそろそろ終わりを迎える今日は、アシュレイの妻──ジェーンの誕生日だ。

 十八歳になった彼女は、晴れて成人の仲間入りとなる。

 この日は運良く、アシュレイの休日にも重なった。



 さて、最近のジェーンは忙しく、少々疲れて見える。


 執事としてコニーという男がやってきてジェーンは彼に色々と相談してマナーや勉強を学ぶことにしたが、これがまた大変なのだ。

 何が大変って、来月には社交界デビューで、しかも王后、第三皇子とその妃、コーエンの妻や、他にも色々と挨拶しなければならない者がいるからである。


 ジェーンは決して出来の悪い方ではないのだが、圧倒的に時間が足りない。

 真面目なジェーンは「アシュレイ様に恥をかかせられませんから」と言って、(こん)を詰め過ぎている。




「今日くらいは休まないか?」


 朝食中、アシュレイがジェーンに提案すると、彼女は一瞬嬉しそうな顔をした後はっとした顔をして、最終的にしょぼんと顔を俯かせて首を横に振った。


「一日くらい休んでも大丈夫だと思うけど……なあ、コニー?」


 アシュレイが声をかけると、執事の男──コニーが「はい」と言って一歩前に出た。

 彼はコーエンが紹介してくれた執事で、まだ三十歳にもなっていない若い男だが細やかな気遣いができ、仕事が丁寧で早い。

 働くと決まった時、『うちでいいのか』と何度も聞いたが、『国の英雄に仕えることに何の不満がありましょう』とか何とか言っていたので、嫌々ではなくきちんと自分の意思で決めたことらしい。


「奥様のマナーは、合格点に達しておりますよ」

「……でも」

「リフレッシュすれば、明日からのお勉強はもっと(はかど)るかと思います」

「そうでしょうか……」


「はい。それにお勉強ばかりで、旦那様とシシーお嬢様が寂しがっておられますし」

 ジェーンはこの言葉に、瞳を揺らした。


 そして、とどめの一言。


「奥様が、『また行きたい』と仰っていたピクニックに行かれてみては? 今日は晴天で風も少ないので、絶好のピクニック日和かと」


 この一言で、ジェーンは休むことを決めた。


 ジェーンの心をくすぐるワードを、もう既に熟知しているとは、恐るべしコニー……。

 後で教えてもらおう。


 実は、夕方にジェーンの誕生日を内輪で祝うことになっており、その準備の為に主役(ジェーン)にそれを知られないように外に連れ出す手はずになっていたのだ。

 ジェーンが素直な性格で良かった。



 皆に見送られて、家を出る。


 帰って来たら飾りつけや料理が準備されているのだろう。

 本来ならば招待客を呼ぶなど、盛大にした方がいいのかも知れないが、ジェーンがそれを望んでいるとは思えないし慣れていないので、するにしても来年以降からと決めた。

 一応コーエンにも確認したのだが、内輪で祝うことに問題はないそうだ。




 ピクニックの場所は以前行った公園と同じ公園にした。広いし、緑が多くて目に優しい。

 コニーの言った通り、天気が良くてそよぐ風が気持ちいい。


 ジェーンは最初こそそわそわと落ち着きがなかったが、シートを敷いて腰を下した頃には落ち着いた。

 シシーはアシュレイ達と同様にピクニックに来ている家族連れの子供と、きゃあきゃあ言いながら走り回っている。

 本当に人見知りがない子なのだな、と感心してその様子を見守る。


「シシー、楽しそうだなあ。足遅いけど」

「ふふ、それシシーに言ったら拗ねちゃいますよ」


 こんな風に誰かが隣にいて気持ちが凪いでいることが、ふと不思議になる。

 そして今まで自分がどんな休日を過ごしていたのか思い出せない。たった一か月半前まではそれが当たり前だったのに。

 これが『居心地がいい』ということなのだろうか。コーエンが「妻の隣は居心地がいいんだ」と言っていたのを思い出しながら、そんなことを考える。



「──アシュレイ様はいいお父様になりそうですね」

「……そう、か?」


 どきりとする言葉だったがしかし、深い意味はないのだろうと思い、すぐに気持ちを立て直した。


 ここ最近変わったことといえば、ジェーンとの距離が近くなったことだと思う。

 寝る時もそうだし、外を歩くときは手を繋ぐし、ジェーンが赤面して慌てふためく回数もがくんと減った。

 あれはあれで可愛かったので少し残念な気もするが、アシュレイに慣れてきているということだろう。

 最初はがちがちだった固い表情も、最近は柔らかい。


「私のお父様は人が()過ぎました……」

「でも、良いお父様だったと思うよ」

「そうですか?」

「ジェーンを見てればそう思う」

「ありがとうございます……なんだか照れてしまいます」


 若干上ずった声に、肩がくっつきそうな隣のジェーンの顔を覗き込むと案の上、赤い。


「もっと具体的に言おうか?」

「い、いえっ、結構です」


 いつかの仕返しでもしてやろうかとするアシュレイに、ジェーンが小刻みに首を横に振る。


「そ、それよりっ、アシュレイ様のお父様やお母様も良いご両親だったのでしょうねっ!」


 焦ったジェーンが話を変えるつもりで出した話題の種は、アシュレイが触れたくないものだった。


 誤魔化すのは簡単だろう。

 何せ、彼女は素直で善良でアシュレイのことを信用しているのだから。


 家族に疎まれていたことを話せば、きっと彼女は傷付く。それに最悪、アシュレイに良くない感情を抱くかも知れない。

 しかし、いつかは話さねばならないことだし、人づてに誤った情報を聞いてジェーンが傷付くことは避けたい。


「俺の家族は、俺にとっては良い家族ではなかったよ」

「……え?」


「仲は良くなかったんだ、()()()ね。もう死んだ人間を悪く言うのもあれだけど、俺はあまり家族のことが好きじゃなかった」


 アシュレイは、嘘を吐いた。


 あまり好きじゃなかった、なんてものではない。

 心の底から憎んでいた。なぜ自分だけが、と。


 家族が死んだ時には『ざまあみろ』と呟いて、口の端を歪めるほど彼等を嫌っていた。



 そして、そんなことを思う自分が一番嫌いだ。



 シシーが走り回っている光景──正面を見ているからジェーンが今どんな表情をしているのかが分からない。予想だが、彼女はきっと困惑していることだろう。

 こんな男が夫で、がっかりしているかも知れない。


 嫌われてしまうのも、縮まった距離が開くのも、感情がある人間であれば至極当然ではあるが、このことの何と空しいことか。

 そして、この時になってようやく自分が彼女に好意以上の気持ちを抱いていることに気が付いた。


 周りから『鈍感』と言われることはあったが、これほどまでとは思わなかった……。



「私が、」


 数十秒の沈黙の後、ジェーンが口を開き、アシュレイの肩がびくりと反応する。


「アシュレイ様を、幸せにします。きっと、あなたにとっての『良い家族』を作って見せます」


 アシュレイの手に白くて柔らかい手が重なって、思わず隣のジェーンを見ると決意の色を宿した緑の瞳と目が合った。

 普段、この距離で見つめていたら顔を赤くして慌てるジェーンはここにいなかった。


「頼もしいな、俺の奥さんは」

「はい、頼りにしてください。それに、私は今日で成人しました」

「うん、おめでとう」

「で、ですからっ……もう、子供扱いはだめです! 私は大人の女なので!」


 みるみる内に真っ赤になるジェーンは、語尾を跳ねさせた。

 先ほどまでのきりりとした表情はどこへやら。


「うん?」

「もうっ、アシュレイ様は鈍感過ぎます!」


「あ、うん。俺もそう思う。ごめんな、鈍感で……うわっ」

 突然、アシュレイの胸倉がぐいっと引っ張られて、唇に何か柔らかいものがぶちゅっと当たる。少し痛い。


「こっ、こ、これ、これで、許します!」


 自称『大人の女』は首まで真っ赤にして額に汗までかいて、声を裏返させている。


「……痛」

「す、すみませんっ、怪我はしてませんか?」


 一言前の威勢が微塵もないジェーンが、アシュレイの唇が切れていないか確認しようと伸ばす手を引き寄せる。


「大丈夫。だから……とりあえず、もう一回してもいい?」


 か弱い少女、もとい大人の女にやられっぱなしは悔しい。

 アシュレイは、こう見えて負けず嫌いなので。



 あうあう、と語彙力が消滅したジェーンの返事を待たずに、熱い頬に手を添えたその時──



「ししー、のどかわいたです……」


 いつの間にか、戻ってきたシシーにより、『もう一回』は中断されてしまった。


「にいさま、ねえさま、なにしてるですか?」


 そういえば外だったなと、冷静になったアシュレイは「ジェーンの目にゴミが入ってたんだ」と子供騙しの嘘を吐いて、シシーに水筒の果実水を飲ませた。

 その横で、ジェーンは真っ赤な顔のまま硬直していた。




 それから、シシーは駆け回りに行くこともなく、三人でゆっくりと過ごし、夕方までに家に帰ってジェーンの誕生日を祝った。


 用意したプレゼントを渡し、使用人にも参加を許して小規模ながら賑やかな誕生日会になった。ジェーンは感激して泣いたり、初めてのアルコールに饒舌になったり、歌ったりと、終始ご機嫌だった。




 そして、邪魔の入らない待ちに待った夜だったのだが。


 はしゃいで疲れたせいか、予定より早く寝入ってしまった妻を見て、アシュレイは盛大な肩透かしを食らった。


「……大人の女ねえ?」


 アシュレイは、せめてもと思い、すうすう眠る妻を抱きしめて眠ることにした。


 朝、吃驚してしまえばいい。



 が。これは、ただの生殺しだった……。

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