第二話
『殺し屋』と聞いてどんな人物を思い浮かべるだろう。
冷静沈着な殺人マシーン。
捨て石にされる暴力組織の下っ端。
非日常的でどこか陳腐なイメージさえ伴う『殺し屋』という響き。
私、秋月和子は奇妙な縁に恵まれ市内の高校に通う傍ら殺し屋の助手をしている。
そして、この度私の更なる能力向上のために近接格闘を指導してくれるのが。
「和子ちゃんはね、すごい反射神経を持っててもそれを『避難』にしか使えてないの」
実戦志向武術団体『真武館』から来た桜庭夢乃さんだ。
夢乃さんの黒髪が冬の乾いた風に靡き朝日を浴びてキラキラと輝いている。
「『避難』ですか」
場所はかつて東雲さんと特訓をした第五区の寂れた神社の境内、私は『避難』という言葉の意味を考えながらポツリと呟く。
「そう、例えば」
夢乃さんが一定の間合いを保ちながら私の周りを歩く、ジャリジャリと小石を踏む足音がやけに大きく聞こえた。
一歩、二歩、三歩、四歩。
唐突に歩みを止めた夢乃さんは、私の背後の鳥居の方へ鋭い視線を向ける。
私は後ろを振り向いっ。
「わっ!」
後ろを向くと同時に飛んできた夢乃さんの上段直突きを掌でカバーしつつ後方へ飛び退いてかわす、一旦安全圏まで下がった私は夢乃さんの方へ向き直り身構えてから静かに息を吐いた。
「それ!そうやって間合いを切っちゃう」
「えっ!ダメですか?」
奇襲をかわしてちょっと得意げになっていた私は、夢乃さんに強い口調で非難され面食らってしまう。
「避けたら、即反撃ね」
「咄嗟には難しくて…」
「和子ちゃんは綺麗に反撃できてたよ」
そう言って夢乃さんは自分の左腕を指でなぞる。
そうだ、昨日の攻防で一度だけ夢乃さんに私の反撃が届いたんだ、防刃スーツのせいでダメージはなかったけれど。
「和子ちゃんから『先の先』をとった私の攻撃をかわして、さらに一太刀入れたよね、アレができる和子ちゃんなら『先の先』の『その先』がとれるよ、きっと」
「あの時は無我夢中で、えっとつまりどうゆうことですか?」
夢乃さんが身振りを交えて説明してくれても『先』が多くてよくわからない。
「ん-っとね、じゃあまずは来て」
わざとらしい考える仕草をした後、夢乃さんは事もなげに言って私から間合いを取った。
夢乃さんは相変わらず両手を下げて相手と正対する自然な姿勢で待ち受けている。
穏やかな表情の中にこれ以上の問いかけを許さない雰囲気があった、私は覚悟を決めて夢乃さんと対峙する。
微かな笑みを浮かべる夢乃さんが私の間合いの一歩外にいる。
緊張で全身が強張るのを感じた私は呼吸を意識して無駄な力みを無くすことを試みる。
心身のリラックスに伴って周囲の状況を把握する余裕が生まれる。
遠くに聞こえる自動車の音。
鳥の鳴き声。
風の感触。
地面の感触。
そして目の前の桜庭夢乃。
私は強い風が夢乃さんの髪を靡かせる瞬間に合わせて飛び込んだ。
「シッ」
右ストレートが空を切る。
右拳の外側に体を捌いた夢乃さんの蹴りが私の脇腹を抉った。
「これが『後の先』」
バックステップで間合いの外に出る夢乃さんを私は蹴りの痛みを堪えながら追う。
今度は右のモーションを見せてからの左ストレート。
またも拳は空を切る、左拳の内側に体を捌いた夢乃さんの掌打が私の鼻先を直撃する。
「痛った!」
「これが『対の先』」
顔の中心がジンジンと痛み目に涙が浮かぶ。
またヒット・アンド・アウェイで飛び退く夢乃さんを…。
追って一歩踏み込もうとした瞬間、首筋に冷たい感触が生じて私の動きが止まる。
いつの間にか夢乃さんが逆手に持ったナイフの峰がぴったりと首にあてられていた。
「これが『先の先』」
ナイフの峰で頸動脈の上をなぞりつつ夢乃さんは横へ飛び退く、切られていないとわかっていてもぞくりとする寒気がまとわりつき思わず首を撫でる。
「どう、わかった?」
「反撃のタイミングが早くなってる」
後の先は回避してから反撃。
対の先は回避と同時に反撃。
先の先は攻撃をさせずに反撃。
私がたった今喰らった夢乃さんの攻撃について考えていると、ポーンとナイフが放られた。
「わっ!ととっ」
咄嗟に刃を避けて持ち手をキャッチ、手にしたナイフは妙に慣れ親しんだ感触が…。
「って、これ私のナイフ!」
「ナイスキャッチ」
攻防の最中にホルダーから抜かれた?いつ?
「昨日、和子ちゃんは私が「先の先」で仕掛けた反撃に更に反応して、こう…切ったよね」
私の驚きなんて気にも留めず夢乃さんは朗らかな調子で説明を続ける。
「あれだけの超反応ができる和子ちゃんなら「先の先」よりも早い反撃ができる」
「さっきのよりも早い…」
言っている理屈は解る、でも想像ができない。
さっき私の前進を止めたナイフはこちらが踏み込むより前、動き出そうとする出始めを制するタイミングだった、あれよりも早くなるなんて。
「それって、相手が何も動かないうちに先に仕掛けるのと変わらないんじゃ」
「そう、相手が動く前に仕掛ける、相手の心が動いてから身体が動くまでの隙間に滑り込むの」
「心って、そんな」
「和子ちゃんならできるよ、きっと」
夢乃さんにまっすぐ目を見られ、私はそれ以上何も言えなかった。
「『先の先』よりも更にその先、言うなれば『未発の先』『心の先』うーん、なんか微妙かも」
「その先、は?」
「え?」
「今言った『その先』がいいと思う」
「『その先』か、いいね」
夢乃さんの言う心の動きに反応するカウンターを自分が使いこなすところはまだ全然想像できない。
でも、小さい頃から並外れた反射神経を持つ私が夢乃さんと修行すれば、超反応のカウンターだってもしかしたら。
頭の中で私が東雲さんのピンチを救う場面が浮かんだ、敵が銃を抜こうとしたその瞬間に私の攻撃が決まる。
『強くなったな、今のネコになら背中を任せられる』
なんて囁いて東雲さんは私に熱い視線を…。
私は胸の前で両の拳を握った、その手にまだ知らない『その先』の感触をイメージして。
顔を上げた瞬間、夢乃さんの指先がまつ毛に触れる。
「っとお!」
危なっ!
危うく目つぶしを喰らいそうになった私は咄嗟に後ろへ跳んだ。
「ほら、そうやってただ逃げないの!」
一瞬しか見えなかった目つぶしは、多分中指を中心にして人差し指と薬指で両目を狙ったものだ。
………え、もしかして夢乃さん相手に『その先』を決めなきゃダメ?
「じゃあ『その先』を目指して特訓だね」
夢乃さんが拳を掌に打ち付けてパシンッといい音を出し、その拳をこっちに向けて突き出した。
「よ、よろしくお願いします」
フィストバンプに応じた瞬間、私の背中に一筋の冷たい汗が流れた。