第一話
血。
血が流れている。
私の首からどくどくと止め処なく血が流れ出していく。
自身の身体を濡らす血の温かさを感じると同時に体温は冷めていく。
視界が狭まり意識が薄らいでいく。
死。
死ぬの?
終わる…、死、死ぬ?
死にたくない、嫌だ!死にたくない!
えっ、本当に!?
嘘、死ぬの、やだ、嘘、死にたくない、助けて!
目が覚めて最初に意識が捉えたのはテレビの音。
画面の中の司会者が視聴者の盛り上がりを煽るように熱心に喋っている。
ソファーで横になっているうちに眠ってしまったようだ、私は身体を起こして首に手を当てる、もちろん血は流れていない。
眠っていたというのに身体が強張ってかえって疲れが増したような感触がする、私は深い溜息をついた。
「さぁ、今夜の大会は全てがメイン級と言ってもいい好カードの連発!しかし、直前で堀川・尾崎両選手のカードが変更されるという波乱含みの大会でもあります、そのあたりどう見ますか高野さん」
「はい、カード変更は急なことですが二人とも自分のスタイルを確立しているブレない強さを持つ選手ですから、その辺りはしっかりと対応してくれるでしょう」
テレビの内容をぼんやりと聞き流すうち、私は今日が大晦日だったことを思い出す。
歌合戦、格闘技、お笑い特番、テレビの中はお祭りムードでも私の気分は冷めていた。
「そうですねぇ、ただ尾崎彩音選手は昨年の大晦日に当時16歳だった比良坂秋枝選手に屈辱の失神KOを喫し一年越しのリベンジに燃えていただけに比良坂選手欠場によるカード変更は残念でしょう、比良坂選手に対しては今回の欠場に加え、先日の男子ミドル級王者の鬼怒川選手への対戦要求が売名行為ではないかとファンから非難の声が上がっています」
食卓の椅子の背もたれに掛けたままになっているお父さんのネクタイ、いつからそこにあったっけ。
家にいると長く帰っていない両親の持ち物が嫌でも目に入って一人を強く実感する。
「更にアメリカUFEの現役ライトヘビー級王者であるマイク“ストーム”アーヴィン選手がドーピング違反で出場停止、堀川亮司選手の対戦相手は…」
時計を見ると時刻は16時40分、気付けば今夜の用事まであまり時間の余裕がない、私はテレビを消して身支度を始めた。
私が向かった先は第一区の中心地にある市内最高級グレードのホテル、明星スターライトホテル。
大晦日の夜に東雲さんとホテルのレストランでディナー。
だといいけれど、待ち合わせの相手は夢乃さんだ。
私は自宅近くの停留所で一区方面行きのバスを待つ間、夢乃さんから貰った手紙を風に飛ばされないように気をつけながらバッグから取り出して読み直す。
※ ※ ※
和子ちゃんへ、三日間の特訓お疲れ様です。
明日の特訓はお休みです、明後日の大晦日は労いの意味を込めてディナーに招待します。
楽しい余興もあるのでお楽しみに。
桜庭夢乃。
※ ※ ※
手紙は綺麗な桜のイラストが描かれた便箋に整った字で書かれている。
「……………」
何故だろう、読み返す度『仕事』に臨む時と同じくらいの不安と緊張を感じる。
手紙をバッグにしまって顔を上げると、赤信号の向こうにこちらへ来るバスを見つけた。