8、過去
鉱山の街はオーウェンが滞在していた頃から大きく変わり、人の往来が増え、宿や飲食店、土産物店が連なってとても賑やかな街になっていた。
採掘一周年の式典のため、大通りは飾り付けられており、式典会場の周りにはあちこち出店も出ている。シンによると、今日は採掘作業を一日休みにしているそうだ。
オーウェンとステファニーは昼前に街に着いた。夕方からの式典に出席し、夜は鉱山関係者と会食、一泊して帰る予定である。
昼食をとるため、オーウェンはステファニーを連れて街をぶらぶらしていた。ステファニーは見るもの全て珍しいようで、きょろきょろして面白そうなものを見つけると、ふらふらと店に入って行こうとする。
「ステファニー、式典の準備まであまり時間がない。昼食を済ませよう」
銀細工の店に入ろうとして止められたステファニーは不満げに反論した。
「せっかく来たのに街の見物も出来ないのですか?」
「いまは時間がない。明日帰る前に少しなら付き合ってやる。さあ、なにを食べたい?」
「そうですね……、オーウェン様が昔、よく召し上がっていたものを食べたいです」
問われたオーウェンの頭には当時よく行っていた店が浮かんだが、労働者層向けの食堂で、量が多くて安いのが売りだ。そんなところに姫を連れていっていいのだろうか。
「さあ、どこですか。早く行きましょう」
結局、ステファニーに急かされてその食堂に行くと、一年前と変わらぬ佇まいで営業していた。
躊躇することなく店に入ったステファニーの後にオーウェンも続く。すると店の中から変わらぬ大きな声が聞こえた。
「いらっしゃいませ!」
店の奥から出てきた女将はオーウェンを見て瞠目した。過去の常連客のことを覚えていたようだ。
「……もしかしてバートン伯爵?」
「……ご無沙汰しています」
女将は「きゃあ」と悲鳴を上げると、二人をテーブル席に案内した。
店内はカウンター席とテーブル席に分かれており、客席から厨房が見えるようになっている。その奥からは鍋を振るって食材を炒める音と、香ばしい香りが漂っていた。
女将は急いで水の入ったグラスを運んできて、二人の前に置いた。
「鉱山で仕事をしていたころならともかく、伯爵になったのにこんな店で食事しちまっていいのかね」
「妻が、当時私が食べていたものを食べたいというもので」
女将はオーウェンの向かいに座ったステファニーをじいっと見つめた。
「……ひょっとしてお姫さまかい?」
「はじめまして、ステファニーです。何がおすすめですか?」
女将は頬を赤らめ、また「きゃあ」と悲鳴を上げた。有名人を見た時のような反応である。そもそも鉱山の街は男ばかりなのでステファニーのような若い女性が来ること自体が少ないのだ。
ステファニーは女将の視線を気にせずメニューをじっくりと眺めていたが、結局、オーウェンが当時よく食べていた料理を二人とも頼んだ。
運ばれてきたのは蒸した野菜の上に揚げた鶏肉が乗ったプレート。鶏肉には甘辛いタレがかかっており、お代わり自由のバケットを付けて食べると美味しいのである。
ステファニーはいつも通り「いただきます!」と元気に挨拶すると、女性には多いのではないかと思われる量をあっという間に平らげた。オーウェンも、少し濃い味付けの料理を懐かしく思って食べた。
満腹になった二人が店を出ようとすると、女将はオーウェンを引き止めた。
「バートン伯爵、伯爵のおかげで鉱山は順調だし、このあたりは繁盛しているよ。ありがとう」
「私はなにも。皆さんの努力の成果ですよ」
女将は労うようにオーウェンの肩を叩いた。それから訝しげな顔でそっと耳に顔を寄せる。
「それにしても、奥さまはなんだか全然お姫さまらしくないね。大口開けてもりもり食べていたよ。美味しそうに食べてくれたから嬉しいけど」
ステファニーに目をやると、彼女はすでに店から出て隣の店先を熱心に眺めている。オーウェンは苦笑して、女将に言った。
「そうなんです。でも素敵な妻ですよ」
♢
式典会場に戻り、オーウェンが式典用の礼服に着替えて待機していると、同様に着替えたステファニーが現れた。しかし、なにやら難しい顔をしている。
「どうした? 具合が悪いのか?」
「食べすぎました。ドレスが苦しいです」
しかめ面で腹の辺りをさする。やはり多かったのか、とオーウェンは苦笑した。
待機している間に、大勢の関係者が挨拶に訪れた。オーウェンが鉱山にいた頃からの知り合いもいれば、そうでない人もいる。
ステファニーは腹が苦しいことはおくびにも出さず、にこやかに挨拶していた。
式典が始まって控室から外を見ると、鉱山の前の広場には大勢の人が集まっていた。
オーウェンは久々に鉱山を見て自分がどうなるか不安だったが、パニックに陥ることはなく冷静でいられたので安堵した。しかし、やはり鉱山の中に入るのは難しいように思う。入れと言われたら、きっと足がすくむだろう。
式典進行役のシンに促されて壇上に上がったオーウェンは、鉱山の順調な運営とそれを支える作業者への感謝を述べた。実際、あの崩落事故以降、十分な安全対策がなされており事故は起きていない。
ここに集まった人々は、オーウェンが試掘に携わっていたこと、崩落事故のことを知っている。もちろん、急遽家を継いだことも。
皆が温かい目でオーウェンを見つめ、挨拶が終わったときには大きな拍手が起きた。ステファニーも壇上の隅でそれを眺め、拍手を送った。
式典終了後はシンに案内されて、鉱山関係者との会食に出席した。関係者から運営状況や現状の問題点などの報告を受けて議論を交わす。鉱山関係者とオーウェンの共通認識として、将来的にやはり鉱山閉山後の新たな事業を検討していく必要があるという点を確認した。
会食後、オーウェンはシンに呼び止められた。
「この後、ちょっといいか。会わせたい人がいる」
会食の後は宿に戻って休むつもりだった。だが、シンが会わせたい人がいるというのなら。
ステファニーに視線を向けると、彼女は「私は先に戻っていますから、どうぞ」と言ったので、宿まで送り届けてから指定された店に向かうことにした。
陽は落ちたものの、今夜は記念式典のお祭りのため、大通りはまだまだ明るく賑わっている。立ち並ぶ店の中からは酒を飲む人々の声が漏れていた。
指定された店は、ステファニーと昼食をとったあの馴染みの食堂だった。
オーウェンが扉を開けると、客が皆一斉に振り向いた。貸し切りのようで、十人ほどはいるだろうか。
その面々を見たオーウェンは驚いて言葉を失った。集まっていたのが、あの時崩落事故にあった試掘チームのメンバーだったからだ。
「みんな……」
オーウェンが体調を崩して鉱山を離れて以来、その時のメンバーには会っていなかった。
体調が悪かったのはもちろん、急に家を継ぐことになってしまったし、崩落事故の時の判断が正しかったのかどうか悩んでいた。
そしてなにより、鉱山の仕事から脱落した自分を後ろめたく感じていたのだ。
「オーウェンが来るからってみんな集まったんだ。飲もうぜ」
シンに促されて、オーウェンは重い足取りで席に着いた。少し気まずく思って下を向く。
だが、元同僚たちは全く気にせずオーウェンを質問攻めにした。
「お前、体調どうなの?」
「伯爵ってなにしてるの?」
「今夜はどこ泊ってるんだ?」
それがあまりにも昔と同じで、普通。
過去と変わらず接してくる元同僚たちに、オーウェンは面食らった。
「ええと、体調はわりとよくて、仕事はぼちぼち……」
「お姫さまが嫁に来てどんな感じ?」
「え、えっと……」
しどろもどろになりながら答えると、さらに次の質問が飛んでくる。酒の力もあり、皆、饒舌だ。店の女将もところどころで口を挟んでくる。
「いいなあ、昼ここで一緒に食べたんだろ? 俺も来ればよかった」
「私は会ったよ。健康そうなお姫さまだった」
「女将、それ褒めてるの?」
「褒めてるよ、だってプレート平らげたんだよ」
「すげえな!」
オーウェンは話をしているうちに、なんだか心が温かくなってきた。皆、自分のことを受け入れてくれている。戻ってこられなかったのに、軽蔑されているわけではない。
無駄に気にしていたのは自分だけだったのだ。ここでも、皆、自分のことを心配してくれていた。
「げっ、お前なに泣いてるの」
「な、泣いてない」
目をごしごしと擦ったオーウェンは、近くに置いてあった酒の入ったグラスを呷った。
聞けば、元同僚たちは全員がまだ鉱山に関わる仕事をしてはいるものの、三分の一ほどは現場の仕事から離れているという。
「やっぱりあの事故、怖かったよ。人生変わった」
「でも全員生きてるんだから良かったさ。オーウェンはよくやったよ」
彼らの言葉を聞き、オーウェンはうつむいたまま正直な気持ちを吐露した。
「……でも、ずっと、あのときの判断が正しかったのか悩んでいたんだ。ひょっとすると避難壕に閉じ込められることなく助かる方法があったかもしれないって」
すると、周りの元同僚達は目を丸くして顔を見合わせた。
「いやあ、あれは無理だったと思うぞ」
「避難壕が最善の方法だった」
元同僚達はもう事故を過去のこととして捉えているようだった。
そのことはオーウェンを少し前向きにさせた。自分も事故の記憶に囚われる必要はないのかもしれない。辛い過去は変えられないし、出来なくなったことはたくさんあるけれども、悲観しすぎることはないのかもしれない。そう思うと、肩の荷が下りたような気がした。
だんだん酒が進むと、皆、声が大きくなりやかましくなってきた。昔と同じだ。男ばかりのチームで仲が良かった。
昔話に花を咲かせ、大笑いし、下戸のシンがお開きにしようかと声をかける頃には、皆、泥酔していた。オーウェンも久しぶりに酒を飲み、ふらふらしながら店を後にして宿に帰った。
ステファニーはすでにすやすやと寝ていた。オーウェンも隣に潜り込むと、すぐに睡魔がやってきた。
彼女のおしゃべりなしで寝るのは久しぶりだ。オーウェンはそのままとろとろと眠りについた。
♢
次の日の朝、オーウェンの気分は最悪だった。久々の二日酔いである。しかしステファニーは元気いっぱいだ。
「おはようございます! 今日は街の散策に付き合ってくださるのですよね!」
「うーん……」
正直なところこのまま寝ていたい。しかし昨日確かに約束をしてしまっていた。
オーウェンは痛む頭を押さえてのろのろと起き、湯を浴びてステファニーと街に出た。
大通りをきょろきょろと見ながら進むステファニーの後ろを、オーウェンはぼんやりとついていった。
鉱山の街なので鉱山作業者向けの一般的な店もあれば、鉱山で取れた鉱石を使った土産物屋もある。ステファニーは昨日入れなかった銀細工の店のショーケースをきらきらした瞳で見つめた。
「少しだけ入ってもいいですか?」
オーウェンが頷くと、店に入ったステファニーは並べられた銀の装飾品や食器類などを眺めた。
その時初めて、オーウェンは結婚してからなにも贈り物をしたことがないことに気付いた。彼女に買ってやったことがあるのは、本人から要求された鶏と刺繍糸だけだ。
「……何か欲しいものがあるなら買ってやるぞ」
ステファニーは驚いたようにオーウェンを振り返ったが、すぐに目を伏せて首を横に振った。
「いえ、いいです。私には過ぎた品ばかりですから」
「領地の鉱山で採れた銀細工も買えないと思ってるのか? 一応領主だぞ。なんでもいいから選べ」
強引に選ばせようとすると、しばらく逡巡したステファニーは恐る恐る耳飾りを選んだ。雫のような形をした、小ぶりのものだ。
購入した耳飾りを、ステファニーは大事そうに手の中で撫でた。
「ありがとうございます」
嬉しそうにはにかんだステファニーを見て、オーウェンはどきりとした。
予定の時間を少し過ぎて、いつもの特注馬車で帰ることにした。
天気も良い。馬車が走り出してすぐ、オーウェンは大欠伸をした。昨夜遅かったので寝足りない。
「オーウェン様、昨夜は楽しかったですか?」
「ああ、昔の仲間に会えたんだ。とても楽しかった。でも飲み過ぎたし、騒ぎ過ぎて疲れた。眠い」
ステファニーは苦笑すると、席の端に寄り、ぽんぽんと自分の太ももを叩いた。
「馬車の揺れが気持ち悪くならないようだったら、少し横になりますか?」
迷ったものの膝枕の誘惑に勝てず、彼女に促されて膝に頭を乗せた。
幼子にするように頭を撫でられて髪を梳かれると一気に眠くなってしまい、オーウェンはそのまままぶたを閉じた。
あの崩落事故から、自分の中では時間が止まってしまっていた。しかし昨夜皆に会えたことで、事故が過去のものになったような気がした。
悩んでいるのは自分だけではなかった。それでも皆、それぞれ過去を受け止めて前向きに生きている。
オーウェンはトラウマを抱えた不甲斐ない自分を少しだけ許すことができたような気がした。
そしてこの日を境に、オーウェンは悪夢を見ることはなくなった。