7、どんな人?
仕事を色々な人に任せるようにしたことで、オーウェンの負荷は急激に減った。
オーウェンは始めのうちは人に任せた仕事が心配でそわそわしていたが、一週間もすると自分の仕事に集中できるようになった。
ステファニーは庭仕事の時間を減らし、ダンやアンナら家の者たちと伯爵家に関わる仕事の相談をしている。しかし引き続き昼寝はしているようで、時間の使い方が上手だなとオーウェンは思った。
仕事が落ち着いたことが影響しているのか、オーウェンは閉所への恐怖がほんの少し薄れてきた。執務室で仕事が出来るようになったのだ。
隠居していた祖父母が出てきて屋敷に滞在してくれており、祖父と一緒に執務室で仕事をしている。
祖母はステファニーにいろいろ教えたり、屋敷の仕事の新たなやり方を模索したりしているようだ。
それから、寝室の窓も閉めて寝ることが出来るようになった。扉は開けていないと不安だが、厚着して寝る必要がなくなったのだ。
「今夜は何を弾きましょうか」
相変わらず寝つきは悪いため、寝る前にステファニーのおしゃべりを聞いているオーウェンだが、最近はギターを弾いてもらうことがある。
ステファニーにリクエストすると弾いてくれるのだ。
「あれが聞きたい、少し前に弾いてくれた子守唄」
ステファニーはぽろんぽろんとギターを弾きながら優しい声で歌い始めた。
雷の夜はパンクやロックだったが、実際のところは子どもに聞かせるような優しい曲のレパートリーが多いようだ。オーウェンもそれらを聴くと、穏やかな気持ちになれる。
兄のギターは物置で見つけたという。兄が使わなくなってしまっていたのだろう。昔、兄に何かを弾いてもらっていたような気もするが、もうよく思い出せない。
ギターを演奏した後、寝台に入ったステファニーは鶏の話を始めた。
近くの農場から譲ってもらった鶏は、日中は庭のあちこちをうろうろしている。屋敷の皆に可愛がられているのにステファニーは名前をつけておらず、鶏、鶏と呼ばれている。
「もうじき卵が採れるようになりそうなんですよ。鶏用に採卵の道具を作ってみようかなと」
「あなたはそういった農作業が好きだな」
「そうなんですよね。あ、そうだ」
ステファニーはひらりと寝台から降りると、自室に戻って何かを持ってきた。
「はい、差し上げます」
なんだろう、とオーウェンが受け取ると、非常に美しく刺繍されたハンカチだった。
「……これは素晴らしい。もしかしてステファニーが?」
「ええ。農作業も好きですけど、刺繍も得意なんですよ」
「本当に良い出来だ。ありがとう、大切にする」
ステファニーはにこにこと笑っている。あのキノコ蔵の一件で要求された刺繍糸はこのためだったのか。受け取ったそれは、職人が施したのかと思えるほど美しい出来だ。
自分がもらうだけなんてもったいないと感じたオーウェンは、一つ提案をした。
「相談だが……、修道院や養護施設で刺繍を教えてやってくれないか?」
「え?」
「施設で暮らす女性や子どもたちが手に職をつけるために、そういった場所では色々教室を開いている。昔は母や祖母も行って、マナーや刺繍を教えたりしていた。祖母は今も行っているかも」
オーウェンも昔は慈善事業の一環で勉強を教えに行ったりしていたが、最近は運営の補助や寄付のみで行けていない。
もともと王都から来た姫で新しい伯爵夫人であるステファニーが行ったら、子どもたちも喜ぶのではないかと思った。
しかし先ほどまでにこにこしていたステファニーが、急に思考が止まったかのように固まってしまった。遠いところを見るように視線が浮いている。
なにか失言をしただろうかとオーウェンは慌てた。
「今すぐじゃなくていいんだ、新しく仕事をお願いしたばかりだし……。落ち着いて、気が向いたらで」
するとステファニーはハッと我に返り、困ったように少し眉を下げて微笑んだ。
「……いえ、私も昔、そのような経験があります。私でよければぜひ行きたいです」
「そうか、よかった」
ステファニーが了承してくれてオーウェンはほっとした。
昔、経験があるということは、姫としての公務も多少行ったことがあるのかもしれない。ただ、彼女がそれ以上話さなかったため、オーウェンもなにも訊ねなかった。
♢
ある日、オーウェンが郵便物を開封していると、差出人に懐かしい名前を見つけた。
慌ててびりびりと手紙を開封して中を読む。見覚えのある雑な字が連なっており、思わず笑みをもらした。
それは鉱山採掘の時の同僚からの手紙で、鉱山の採掘一周年の記念式典を行いたいという打診だった。領主として式典に出席してくれないか、と。
そうか、あの事故からももうじき一年経つんだ、とオーウェンは手紙の字を撫でた。一年経つのにまだまだ立ち直れていないという気持ちと、一年経って少しずつ出来ることが増えてきているという気持ちが混ざる。
鉱山事業の報告はこまめに受けるようにしており、必要な出資や対応も行ってきているものの、実際の視察には行けていなかった。
オーウェンはダンに手紙を見せた。ダンは黙って手紙を読むと、心配そうに顔を上げた。
「いかがいたしますか? 鉱山は……」
「そうだな」
ダンは、オーウェンが鉱山には入れないであろうことを心配している。
鉱山事業はいまや領地の主要産業だし、国からも注目されている。むしろ領主であるオーウェンが主導して記念式典を計画すべきだった。
「なにか今からでも協力できることがないか、この同僚を呼んでみてもいいか?」
「もちろんです」
オーウェンはステファニーにも報告した。記念式典に行くことになったら、伯爵夫人として同伴してもらうことになるだろう。
手紙を読んだステファニーは、うきうきと地図を広げ始めた。伯爵夫人としての仕事を始めた彼女は、最近領地のことを学んでいる。
「鉱山は……、ここですね。そこまで遠くはないですね。何の食べ物が美味しいですか?」
「えっ」
「食べ物ですよ。採掘しているということは、鉱山関係者がたくさんいますよね。それなりに大きな街なのではないですか?」
「え、えーと……」
自分が滞在していた頃を思い出す。農作物の育ちにくい地域だ。その頃は採掘開始前だったので、数少ない食堂で決まったものしか食べられなかったような記憶がある。
「えー……、分からない……」
「えーっ!!」
答えられなかったオーウェンに対し、ステファニーは盛大に文句を垂れた。
「ここにいらしたんですよね? 絶対にすごく大きい街になってるはずですよ。それを知らないなんて!」
「ご、ごめんなさい」
「まあ、いいです。確かめに行けますし」
地図を片付け始めたステファニーに、オーウェンは慌てて本題に入った。
「いや、それが私は鉱山に入れないような気がしていて……」
「記念式典を鉱山の前でおやりになったらどうですか? 中に入らずに」
「それは不自然じゃないだろうか?」
記者も来るだろうし、鉱山内部を視察する様子を見たがらないだろうか。
「大丈夫だと思いますよ。まあ、どうしても入らざるを得なくなったら、キノコ蔵のときみたいに私がヒールを折って差し上げますよ」
ふふふ、とステファニーが怪しげに笑ったので、オーウェンもなんとかなりそうな気がした。
♢
元同僚のシンが屋敷に来たのはそれから一週間後のことだ。
「バートン伯爵、本日は貴重なお時間を頂き、誠にありがとうございます」
「気持ち悪い物言いはよせ、シン。今日呼んだのはこちらの方なんだし」
シンはにやりと笑うと頭を上げ、オーウェンの肩を叩いた。
「久しぶりだな、オーウェン。手紙を読んでくれて嬉しい」
「こっちこそ、ずっと連絡しなくて悪かった。来てくれてありがとう」
シンはオーウェンが試掘リーダーだった時のメンバーの一人だ。あの五時間を共にした。
今は鉱山の見学者や視察、鉱石購入関係者などの対応をする広報部門に携わっているという。
「記念式典の件、連絡をくれてありがとう。本来であれば俺が考えなければいけないことだ。今からでも協力できることはないだろうか」
「大したことをするつもりはないんだ。ちょっとお祭りをするだけだ。お前が来て二、三話してくれるとありがたい」
「もちろん、そうさせてもらおう」
もう記念式典に行かないという選択肢はオーウェンにはなかった。ステファニーも一緒に行ってくれるし、大丈夫だろう。
あの頃からどんなふうに変わっただろうかと思いを馳せていると、シンに見つめられていることに気付き、オーウェンは目を瞬いた。
「オーウェン、鉱山を離れた時よりは顔色が良くなったな。体調はどうだ」
崩落事故の後から心身に不調をきたし始めたので、試掘メンバーの皆はそのことを知っている。
「おかげさまで、なんとかようやく落ち着いてきた感じだ。だが、実はまだ鉱山に入れるかどうかは……」
「ああ、心配するな。式典は鉱山の外でやるし、中には入らないようにする」
シンが理解してくれてオーウェンはほっとした。世話になった鉱山関係者の前で醜態を晒さずに済みそうだ。
「もう一年も経つのに……、悪いな、情けない」
ぽつりと弱音をもらして俯くと、シンは力強く否定した。
「情けないなんてあるものか。皆、そうだ。俺がなぜ今、広報なんてやってると思う? お前と同じだよ」
疑問に思って顔を上げる。確かに、広報部門は現場からは離れた仕事ではある。疑問の目を向けたオーウェンに、シンは続けた。
「俺もあの事故から少しして、現場の仕事ができなくなった。怖いんだ。他の連中もそうだ。あの事故にあってから現場に戻れなくなったメンバーが何人かいる」
「そうなのか……」
「でもだからといって皆、仕事を後悔してるわけじゃないぞ。あの時の仕事があったから、今こうして鉱石が採れてるわけだし、なにより誰も死ななかった」
知らなかった。自分だけかと思っていた。あの事故以降、すぐに呼び戻されたので、その後の同僚たちの様子を知らなかった。
呆然とするオーウェンの肩をシンは強く掴んだ。
「生きてるんだからそれでいいんだ。皆、お前に会いたがっている。絶対来てくれ」
「ああ、分かった」
話を終えたとばかりにお茶を一気に飲み干したシンは、椅子にもたれかかった。目的の話を済ませ、気楽な雰囲気でオーウェンを見やる。
「そういや、結婚したんだろ。おめでとう」
「ああ、うん、ありがとう」
「いいな、お姫さまなんて。どんな人?」
どんな人、と聞かれてオーウェンは困惑した。ステファニーをどのように評すべきなのか分からない。
「なんか、ちょっと変」
「ははは、そりゃさ、俺らみたいに山削ってばかりだった男からしたら、王都のお姫さまなんてちょっと変だよ。でも、相手もそう思ってるんじゃないか?」
「そうかもな」
それから二人は昔話を少しと、記念式典の打ち合わせをした。オーウェンは記念式典でのスピーチを引き受け、式典とお祭りの費用を多少負担することにした。
シンは暗くなる前に帰っていった。
夜、オーウェンはステファニーに訊ねた。
「ステファニーは私のことをどんな人間だと思う?」
シンに問われ、ステファニーのことをうまく評せなかったオーウェンだが、ステファニーは自分のことをどのように思っているのか気になったのだ。
彼女は、うーん、と少し考えてから口を開いた。
「初めてお会いした時は健康状態の悪い、くたびれたおおかみのように思いました」
「えっ……」
「でも最近は毛並みが少しぼさぼさのひよこちゃんですかね」
「ええー……」
どんな人間かと聞いたのに動物で例えられて、しかも出会った時から今の方が後退しているように思え、オーウェンはショックを受けた。
「……その、おおかみとひよこの理由を聞いても?」
「初めてお会いした時はすごく具合が悪そうに見えたんです。それからなんでもお一人で頑張っていらっしゃった感じがおおかみかな、と。いまは周りに頼りつつ他の人と力を合わせて頑張っている感じがひよこかな、と思って」
「もっと他に、適した動物いなかったか? ひよこ以外に」
ステファニーはさらに考え込んだが、他に妥当な動物が思い浮かばなかったようだ。
「まあ、オーウェン様は責任感が強くて努力家だと思いますよ」
「始めからそう言ってくれたら良かったのに!」
悲壮感を滲ませたオーウェンに、ステファニーは朗らかに笑った。