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5、変化

 馬車に乗れるようになったオーウェンは、それまで控えていた外出を伴う公務や懇親、夜会への出席を少しずつ行うようになった。

 新しい領主となり、オーウェンの元には多数の招待が届いていたが、それまではまだ喪に服しているからと欠席の言い訳をしていたのだ。実際のところは馬車に乗れなかったためである。

 結婚したこともあり、外に出られるようになったらやらなければならないことは山のようにあった。


 馬車は相変わらずあの特注品しか乗れない。さすがに普段は目立ちすぎるため、幌を付けることにした。幌だけであれば圧迫感が弱く、オーウェンの体調としても問題ない。



 ある日、領地の有力者である商人のウィリアムズから夜会の招待を受けた。彼は領地運営、特に鉱山発掘に多大な協力をくれた人物である。

 オーウェンは夫婦で夜会に出席することにした。


 ウィリアムズ家とは昔から家族ぐるみで付き合いがあり、娘のキャシーは兄の婚約者だった。

 キャシーと兄は非常に仲が良く、身分の差はあれど、二人は結婚の約束をしていたのだ。しかし父と兄の葬儀以来、キャシーとは会っていない。


 自分も領主になり忙しかったし、キャシーも兄の死後、塞ぎ込んでいると聞いていた。

 キャシーをそのままオーウェンの結婚相手に、との話もあったが、お互い心の傷が深かった。そうしたら話が本格化する前にステファニーが降嫁してきたのだ。



 その日の夜のステファニーは濃紺のドレスで艶やかだった。

 ステファニーは王家で公務に出ていなかったわりに堂々としており、初対面の相手でも気さくに話すことができていた。自分よりもよっぽど社交的だとオーウェンは感じている。彼女は会った人の名前をすぐに覚えているのだ。


 領主になる前ももともと煌びやかな場に出ることの少なかったオーウェンは、夜会などに慣れていない。

 今回の夜会も、人が多くて会場が密閉状態だったら挨拶だけしてさっさと帰ろうと思っていた。しかし、幸いテラスに続く大きな窓が開いていたため大丈夫そうだ。


 到着したオーウェンは、まずウィリアムズに挨拶をした。


「オーウェン様。本日はお越し頂きありがとうございます」

「こちらこそ、ずっと顔を出せておらず申し訳ありませんでした」


 ウィリアムズは感慨深そうにオーウェンを見つめた。

 オーウェンが大学卒業後に鉱山事業に携わっていたことはよく知っていたし、崩落事故のことももちろん把握している。

 家族を亡くして急激な環境の変化から外に出なくなったオーウェンをずっと心配しており、このように出てこられるようになったことを喜ばしく感じていた。

 なにより、不幸な事故がなければ将来は娘の義弟になるはずだったのだ。


「ご存知の通り結婚しました。ステファニーです」

「ステファニーと申します」

「ご結婚おめでとうございます。ウィリアムズといいます。商社を営んでおりますのでぜひご贔屓ください」


 挨拶を済ませて雑談を交わしながらも、オーウェンは視線だけでキャシーの姿を探していた。だが、いないようである。

 妻のいる場で他の女性の名前を出すのは無粋かもしれないとは思ったが、オーウェンは訊ねた。


「……あの、今日はキャシーは?」


 するとウィリアムズは困ったように眉を下げ、暗い表情で答えた。


「……まだなかなか表に出てくることができません。今日はオーウェン様がいらっしゃるので声はかけたのですが……」

「……そうですか。まだ日も浅いので当然です。くれぐれもお身体だけはお大事にと伝えてください」


 その日、キャシーには会えなかったが、多くの有力者には久々に挨拶ができた。ステファニーを紹介することもできたし、久々の夜会を無事に終え、オーウェンは安堵して帰宅した。

 


 ♢



 外に出るようになって、概ね問題なく帰ってこられるオーウェンだったが、たまに出先で彼なりの危機に陥ることもあった。


 その日は領地の外れにある河川の護岸工事の視察に夫婦で出かけていた。

 今日もいつも通り、特注馬車で移動だ。目的地に着き、そこからは川沿いを歩きながら役人の説明を受ける。

 ステファニーもオーウェンの隣で一緒に話を聞きながら歩いていた。


「大きな川ですね。魚がたくさん泳いでいるわ」


 役人の説明が途切れたところで、ステファニーが興味深そうに川を眺めた。欄干から身を乗り出そうとするものだから、オーウェンはひやひやして自身の腕に残る彼女の手を押さえる。


「あまり乗り出すと落ちるぞ。川が好きなのか?」

「いえ、魚を捕るのが好きなのです」

「え……」


 オーウェンはもう、ステファニーの病弱説は嘘だろうと確信していた。毎日元気だし、具合の悪そうなところなど見たことない。今の発言もそうだ。病気療養していた姫が魚を捕ることはまずないだろう。

 しかしステファニーが自身の過去について話さない限りは、オーウェンからは詮索しないようにしていた。



 工事の様子を視察して済むと、予定よりも少し時間が余った。この後は工事関係者と会食の予定だ。

 歩きながら話をしていると、役人がふとなにかを思いついて提案してきた。


「最近、この辺りでは新たな特産を作ろうと検討していまして、近くにキノコ蔵が出来たのです。うまく根付いてくれて、じきに初めての収穫になります」


 この伯爵領は現在は鉱山からの収入が主だが、それまでは農畜産が中心だった。

 鉱山はいずれは枯渇する。将来を見据えて鉱山以外にも新たな収益の源を検討することは、オーウェンにとっての重要な課題だ。


 話を聞きながら頷くオーウェンに、役人はにこやかに続けた。


「それで、時間もありますから良かったらキノコ蔵をご覧になりませんか? 半地下なので涼しいですよ」


 その言葉を聞いて、オーウェンは固まった。


 新規事業の検討。領主として絶対に見ておいた方がいい。

 しかし、半地下。足がすくんだ。

 キノコを育てているくらいなのだから、ジメジメしてひんやりとした窓のない蔵だろう。ひょっとすると、あの鉱山の緊急避難壕のようなところかもしれない。狭くて、暗い。


 ――急激に息が苦しくなってきた、まずい。


「きゃっ」


 パニックに襲われる寸前で、すぐ隣から悲鳴が聞こえ、袖が引っ張られた。

 オーウェンの隣で、ステファニーがしゃがんでいる。


「ごめんなさい、つまづいて靴のヒールが折れてしまいました」


 ステファニーはぽっきりと折れたヒール部分を掲げて見せた。

 はっと我に返ったオーウェンは、息を吐いてステファニーを支える。周りに分からないように呼吸を整え、役人に声をかけた。


「せっかくの機会なのにすまないが、キノコ蔵はまた今度案内してもらえないか? 少し早めに会食場へ行き、休ませてもらえると助かる」

「ええ、もちろんです。会食場にご案内いたしますね」


 周りの皆は特に疑問に思わなかったようだ。冷や汗をかいたオーウェンは、動悸を抑えようと胸に手をやった。


 危なかった。隣に意識が持っていかれてパニックにならずに済んだ。ステファニーのおかげだ。

 当の本人は折れたヒールを持ってひょこひょこと歩いている。周りからはオーウェンが支えているように見えているだろうが、全然もたれかかられていなかった。



 帰りの馬車でオーウェンはステファニーに礼を言った。


「……ありがとう。危うくパニックで倒れるところだった。キノコ蔵に行かないようにわざとつまづいてくれたんだろう」


 ステファニーは飄々と、「上手くいきましたね」と言った。


「倒れられてしまったら私では支えられませんもの。よかったです。お礼してくださるなら、欲しいものがあるのですが」


 神妙に礼を言ったのに即見返りを要求され、オーウェンは大いに呆れた。

 ただ、「気になさらないで」などと言われた方が、申し訳ないと思って気にするかもしれない。何かで返せた方が気が楽だ。


「……今度はなんだ」

「糸が欲しいのです。刺繍糸」

「糸くらい、好きに買えばいい」


 ステファニーは「ありがとうございます」と微笑んだが、そのあと残念そうに自分の靴を見やった。


「でも足を捻ったふりだけしようと勢いよくつまづいたら、ヒールが折れてしまったのは想定外でした。ごめんなさい」

「なんでも新しい靴を買えばいい」


 オーウェンは今まで、自分一人で過去のトラウマを克服しようとしていた。乗り越えなければいけないと焦っていたのだ。

 でも、ステファニーはそのトラウマを克服するのではなく、突拍子もないことで回避しようとしてくれる。見返りは要求してくるものの、恩着せがましくはない。

 オーウェンはそのことをとても心強く感じた。



 ♢



 閉所の苦手なオーウェンには、怖いものがもう一つある。雷だ。


 この地域は大嵐になることは少ないが、それでもたまに大雨と雷がやってくることがある。

 オーウェンは崩落事故を思い出させる雷鳴が恐ろしく、嵐が来ると布団にくるまり、ぶるぶる震えながら一人で耐えるようにしていた。


 その日は朝から空模様が悪く、オーウェンは外ではなく、応接室で仕事をしていた。

 夕方になりいよいよ大雨が降ってきて雷が来るかもしれないと思うと、もう仕事どころではなくなった。


 オーウェンは急いで湯を浴び、食事も取らず布団に潜り込んだ。ごろごろという雷鳴が聞こえないように耳を塞ぐ。それでも塞ぎきれない音に、オーウェンは震える体を小さく丸め、とにかく雷が過ぎるのを待つ。


 すると、丸まる背中を布団の上から撫でられた。


「オーウェン様、オーウェン様。どうされたんですか、具合が悪いんですか」


 夕食に現れないオーウェンを心配したステファニーが、様子を見にきたらしい。


「……そ、そうだ。私は具合が悪い。放っておいてくれ」


 情けないことに声が震えた。

 ステファニーが離れた様子が分かりほっとしたのも束の間、勢いよく布団が剥がされ、オーウェンはひゃあ、と悲鳴を上げた。

 何事かと思い周りを見ると、ベッドのすぐ横でステファニーが仁王立ちで笑って立っている。同時に雷鳴が轟き、オーウェンは、ひゃっと耳を塞いだ。


「オーウェン様、少し前にこれを見つけました。弾いても?」


 半泣きでステファニーを見ると、兄の遺品であるギターを手にしていた。どこで見つけたのだろう。よく理解できないまま頷く。

 すると、ステファニーは「では」と、勢いよくギターを弾き鳴らし始めた。



 それは少し前に若者の間で流行したパンクバンドの代表曲だった。ステファニーは弾きながら大声で歌い出した。

 オーウェンは大学に通っている時にそのパンクバンドを知っていた。だが、とても姫が聴くべきではないような曲だし、歌うべきではないような歌詞だ。卑猥だし俗っぽすぎる。

 しかしステファニーはなにも気にせず歌っている。


 呆気にとられたオーウェンがぽかんとそれを眺めていると、ステファニーは「あ、そうだ」とポケットからカスタネットを出して渡してきた。


「えっ、えっ?」


 叩けということなんだろうか。ステファニーは続きを弾き始めて、オーウェンにカスタネットを叩くよう促した。オーウェンは何がなんだか分からぬまま、カスタネットを叩いた。



 ステファニーの歌を聴きながらカスタネットを叩いているうちに、なんだか楽しくなってきた。

 どうにも笑いが溢れてしまう。彼女のギターも歌も、ものすごく上手いのだ。


 アップテンポで勢いのある曲を弾きながら低俗な歌詞を歌うステファニーに面白くなっていると、曲が終わり、すぐに次の曲が始まった。

 ステファニーはベッドの上に飛び乗り、次はロックを歌い出した。ギターをかき鳴らし、ベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねている。


 いよいよ自分の妻は頭がおかしい――と思うが、面白くてオーウェンはステファニーから目が離せず、大笑いしながらカスタネットを叩いた。



 しばらくすると、扉からダンやアンナらの屋敷の者たちが怪訝な顔で部屋を覗いているのに気付いた。大雨で窓は閉めているが、扉はいつも通り開いている。相当うるさいだろう。


「……おふたりとも、大丈夫ですか……?」


 ダンが恐る恐る訊ねる。するとステファニーがジャンジャンとギターを鳴らして明るい声で返事をした。


「大丈夫です! 夫婦の共同作業ですので邪魔しないでください!」


 皆は顔を見合わせて部屋から離れていった。



 しばらく二人で演奏しながら歌っていると、雷の音がしないことに気付いた。夢中でカスタネットを叩いていたので、いつの間にか気にならなくなっていたようだ。


「ようやく通り過ぎましたね」


 ステファニーははあはあと息が上がり、二人とも汗もかいてしまっている。

 オーウェンは落ち着いたら急に空腹を覚えた。


「なんだか腹が減った」

「なにか食べに行きましょうよ」


 夕食の時間は過ぎてしまっており、皆もう仕事を終えて休もうとしているだろう。

 何かあるだろうか、と二人で調理室に行くと、ステファニーが慣れた手つきで食材を切り始め、スライスしたパンの間に適当に野菜やチーズ、ハムなどを挟んだ。


「どうぞ」


 それをオーウェンに勧めながら、自分の方はもう食べ始めている。


「ありがとう」


 不思議だ。国王の姫である妻が、パンクやロックをギターで弾き、ぱっぱと夜食を作ってくれた。見た目は不格好なそれを口に入れると、瑞々しい野菜がしゃきっと音を立てた。

 誰もいない調理室でこっそり食べる夜食は、ひどく美味しく感じた。


「……今までもこういうことを?」

「ギターですか? 昔から得意で褒められます。特に小さい子たちから……」


 ステファニーは話している途中でハッとし、口を噤んだ。


「小さい子たちって、王家の親族たちか?」

「……ええ、そうですね」


 気まずげなステファニーの様子に、余計なことを聞いてしまったとオーウェンは後悔した。彼女の過去については、本人から話し出されるのを待つようにしているのに。

 ただ、今の王家にはあまり幼少の世代はいない。やはりステファニーは王宮で育ったわけではないのだろう。


「それにしても選曲の分野が幅広いものだ。とても助かった。ありがとう」


 オーウェンが礼を述べると、ステファニーは曖昧に頷いて微笑んだ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 歌で、そしてカスタネット伴奏で元気に。なかなか、他の作者の作品では出てこない描写で、優れていると思います。
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