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4、困惑

 その日の夜、オーウェンが寝室に入ると、すでに寝台にはステファニーがいた。

 いつものように今日あった出来事を話し始めた彼女だが、オーウェンはお披露目の件をどうするかで頭がいっぱいである。普段から話半分も聞いていないが、今夜はほぼ上の空。


「オーウェン様は今日は何をしていましたか?」


 ステファニーから一日の出来事を問われるのはいつものことだ。

 普段は適当に仕事してた、で済ませるのだが、今夜は考えていたことが口からこぼれてしまった。


「……お披露目をしなければいけないのをどうしたものか考えていて……」

「え?」


 口にして、はっと気付いた。ぼんやりして余計なことを話してしまった。しまったと思ったオーウェンに対し、ステファニーは目を輝かせた。


「お披露目って何ですか?」


 彼女が興味津々といった様子なので、オーウェンは諦めてダンから告げられた内容を説明した。


「ああ、なるほど。着飾って馬車で教会に行き、皆さんにご挨拶するんですね」

「いや、馬車はちょっと……、どうするか考えている」


「オーウェン様は馬車に乗れないんですね?」


 さらりとしたステファニーの言葉に、オーウェンは驚いて彼女を見た。なぜ分かったのだろう。言っていなかったはずだ。


「お迎えに来てくださった時、私だけ馬車だったじゃないですか。普通、二人とも馬車じゃないかなと思ったんです」

「ああ……」


 そうだ、あの時も馬車を回避して馬で行ったのだ。

 もう取り繕うのも無駄な気がして、オーウェンは暗い声で告白した。


「……恥ずかしい話だが、馬車には乗れない」

「馬車だけダメなんですか?」

「いや、狭いところや閉鎖された場所が苦手なんだ」


 苦手なんてものじゃない。パニックになって呼吸ができなくなる。鉱山の崩落事故以来、ずっとだ。


「どのくらい狭いところだとダメなんですか? 庭の温室は?」

「あんなのは大丈夫に決まっているだろう。広いし、透明で外が見えるし」

「地下のワイン蔵は?」


 オーウェンは自分が地下のワイン蔵に降りるところを想像した。真っ暗でひんやりした地下へ足を踏み入れる――。身震いがした。


「絶対無理だ」

「広間は? 式を挙げた」

「広間は……、大丈夫だ」

「でも式の時、手が震えていらしたわ」


 式の時を思い出す。あの時は普段と違って人が多かったので、不安になったのだ。


「何もなければ大丈夫だ。あの時は人が多くて……、苦しかったから入口の扉は開けておいてもらっていた」


 ステファニーはうーん、と首を捻り、続けた。


「執務室は?」


 執務室は大丈夫である。普段からそこで仕事をしているのだから。

 だが改めてそう問われると、心の奥でわずかに不安の根がのそりと広がり始めた。

 執務室の窓は小さく、開けることはできるが人が出入りできない。扉を開けっぱなしにしていたとしても、どうだろう。


「……執務室は問題なかったが、改めて言われるとなんだか不安になるような気がしてきた」

「この部屋は?」


 問われるまま、オーウェンは部屋を見回した。当然、扉は閉まっているし、窓は大きいが開いていない。密閉空間である。

 そのことに気付くと、途端に喉の奥が締まるような気がしてきた。動揺したオーウェンはぐしゃぐしゃと髪をかきむしり、頭を抱えた。


「うわああ、やめてくれ! なにもかも無理になるような気がしてくる!」


 混乱するオーウェンを尻目に、ステファニーは笑い出した。


「あははは! 扉と窓を開けたらいかがですか?」

「し、しかし、寒いかもしれない」

「上に服を着込むから平気ですよ。布団に潜ってしまえば暖かいし」


 その言葉をきっかけに、オーウェンは寝台から勢いよく降りると、扉を全開にし、窓をバタバタと開けた。涼しい風が通り抜ける。

 一気に呼吸が楽になった気がした。深呼吸して肺に新鮮な空気を吸い込んだ後、自分の反応に脱力して寝台に戻る。

 ステファニーは自らが言った通り布団にくるまり、オーウェンが戻ってきてから訳知り顔で頷いた。


「分かりました。何かあったときに外に出られないような空間がお嫌なんですね。温室は閉鎖的ですけど外も見えるしすぐに出られる。部屋も、窓や扉が開いていれば大丈夫」


 言われてみればそうかもしれない。広間は普段は平気だが、人が多いと何だか逃げられないような気がしたのだ。

 オーウェンはステファニーにじとりと視線を向けた。


「そうかもしれないが、今のあなたの話のせいで執務室で仕事ができないかもしれない」

「温室かどこか、外に書類を持って行って仕事をなさったら?」

「は? そんなことできるわけないだろう」


「外で仕事しちゃいけないって、誰が決めたんですか? 外で仕事したって問題ありませんよ」


 初夜の時と同じ言葉が出てきて、オーウェンはまたステファニーを訝しげに見つめた。彼女は棘のあるオーウェンの視線など意に介さず、明るい表情である。


「それから、馬車は上半分を取っ払ってしまったらいいわ。外から見えやすいし、お披露目にもちょうどいいと思いません?」

「ええ?」


 上半分のない馬車を想像する。それはまるで作業用の荷馬車のようではないか。滑稽じゃないだろうか?


「……襲撃を受けやすくならないだろうか?」

「外からは見えやすくなりますけど、こちらからも見つけやすいですよ。それに、周りを優秀な騎士様たちで守って貰えばいいですよ」


 そう言われると、それ以外にないくらいの名案のように思えてきた。

 閉鎖された空間が嫌なのだ。上半分がない馬車なら乗れる気がする。現実的かどうかは別として。


「……考えてみる」

「ぜひそうしてください」


 それからステファニーはまたどうでもいい話をし始めた。

 一方のオーウェンは、お披露目の件がなんとかなるかもしれないという安堵から急激に眠くなってきた。


 風が部屋を通り抜けるので、二人は布団に潜り込んで寝た。




 次の日の朝、執務室に入ろうとしたオーウェンは、やはり何だか不安になるような気がした。昨夜のステファニーの話のせいだ、と舌打ちする。

 部屋の扉の前で立ち尽くしているとダンがやってきた。


「オーウェン様、いかがされました? ご気分でも?」

「……ダン、今日の仕事を外でしてもいいか?」

「え?」


 意味が分からなかったのであろう。目を丸くして問い返してくる老齢の執事に、オーウェンはしどろもどろになりながら繰り返した。


「自分でもおかしいことを言っていると分かっているんだが、その、温室でもどこでもいいから、簡単な机と椅子を外に用意してそこで仕事をしたい」


 ダンは若干の哀れみの色を浮かべた目でオーウェンを見つめると、承知しました、と言った。


「それから、お披露目の馬車の件だが、馬車の上半分を取っ払ってもらえないだろうか」

「ええ?」

「質素な、一番安い馬車でいい。乗っている人間が見えるように上を切ってしまってもらえないか、大工に相談してみてほしい」


 いよいよ頭がおかしくなったのかと思われているのかもしれないが、ダンは「聞いてみます」と、これも了承してくれた。オーウェンはとりあえず少し肩の力が抜けた。



 ダンから話を聞いた侍女たちは、温室の中はかなり暑くなるからと、庭の芝生の端っこに小さな机と椅子、それにパラソルを設置してくれた。

 オーウェンは自分の心身の不調をダンにしか伝えていないが、皆どうも気付いているようである。

 情けないが、なにも言わず配慮してくれているのはとてもありがたい。


 書類を持ち出し、庭で仕事を始めたオーウェンに、何も知らず通りかかった従業員はぎょっとした。ただ、誰も特に笑わなかったし、口を出さなかった。

 オーウェンの方はというと、意外にも外が気持ちよく、仕事をするのにも問題ないなと気分がよかった。

 その日、来客を応接室で出迎える以外は庭で過ごした。


 ステファニーは庭で仕事をしているオーウェンを見て、お茶の時間に勝手に椅子を持ってきて向かいに座り、勝手におやつを食べて、喋って、去って行った。


 一日、庭での仕事を終えて、ダンがオーウェンに訊ねた。


「オーウェン様、明日は少し雲行きが怪しいですが、もし雨になったらいかがいたしますか?」

「そうしたら応接室で仕事をしてもいいだろうか? しばらく執務室から離れたいんだ」

「承知しました」


 執務室で仕事をできなくなったのは痛手だが、意外と他の場所でも仕事をできることに気付いて、オーウェンは安心した。



 ♢



 ダンに話してから二週間ほどして、馬車ができたと連絡を受けた。

 オーウェンが届いた馬車を見に外に出ると、確かに上半分がない状態になっている。可能だったのかと驚きつつも、これなら乗れると、気分が高揚した。


 しかも、切り取られた断面は綺麗に整えられて乗降時に手をかけられるようになっており、繊細な彫刻で装飾が施されている。まるで初めからそのように設計されたかのように自然だ。

 制作した大工は、扉の開け方や座席について説明を述べた。


「こんなことをしたのは初めてでしたが、でも出来るだけ華やかに見えるように工夫しました」


 オーウェンはあまりに素晴らしい出来に感激し、大工の手をがしりと取った。


「本当にありがとう。なんと素晴らしい仕事ぶりだろう。頼んで良かった。ありがとう」


 大工は若き領主のあまりの感動ぶりに困惑したものの、出来を褒められて顔を赤くした。


 オーウェンは久しぶりに心が弾んでいた。

 この馬車があればどこでも行ける。早速ダンに、教会への婚姻宣誓書の提出に行く日程を調整するよう告げた。



 その日の夜、寝室でオーウェンは興奮気味にステファニーに馬車のことを話した。

 相変わらず、窓も扉も開いていて夜風が部屋を通り抜けている。


「とにかく素晴らしい出来なんだ。早くあなたにも見せたいものだ。あれであれば馬車で行ける」

「それは本当に良かったですね! それでは、お披露目もするのですね?」

「そうだな。悪いが準備を頼む」


 オーウェンは「どんなドレスを着て行こうかしら」と笑うステファニーを感謝の眼差しで見つめた。

 彼女には困惑することも多いが、今回の馬車の件は間違いなく彼女のおかげだ。


「……ステファニー、ありがとう。あなたのアイデアのおかげで領民にお披露目ができそうだ」

「どういたしまして。お礼して下さるなら欲しいものがあるのですが」


 礼を述べた途端に見返りを要求してくる厚かましさに、オーウェンは力が抜けた。なんという強欲さであろう。


「……なんだ、高額なものは買えないぞ」

「鶏を飼いたいのです」

「鶏……?」

「ええ」


 なぜいきなり鶏なのかは分からないが、その真剣な表情から彼女は本気で鶏が欲しいらしい。まあ庭は広いし、そんなに金もかからないだろうし、とオーウェンは了承した。


「……ほかに迷惑がかからないなら好きにするといい」


 実際のところ、ステファニーは与えられたものだけで満足しているように見えた。

 服も宝石もねだられたことはないし、同席すべき来客がなければ普段は非常に簡素な服を着ている。そもそも、煌びやかなものにあまり興味がなさそうである。


「ありがとうございます! 鶏卵が採れるようになったらお知らせしますね」

「いや、いい」


 鶏が欲しいだなんて、おかしな姫だ。



 ♢



 教会へ行く当日は快晴だった。

 今の時期は雨が少ないが、もしも雨が降ったらどうしようかと思っていたので、オーウェンはほっとした。


 支度をして玄関に向かうと、自室からステファニーが出てきた。

 ウェディングドレスではないが、淡い水色でドレープの長い華やかなドレス。髪を結い上げてキラキラ輝く飾りを全体に散らしている。


 そういえば式の時に彼女がどんなウェディングドレスを着ていたかよく見ていなかった。人混みの広間にパニック寸前だったのだ。全然覚えていない。


「綺麗だな」

「ありがとうございます。オーウェン様も素敵ですよ」


 オーウェンはステファニーの手を取って玄関を出た。

 外にはあの馬車が停められており、馬車を引く馬も飾り付けられている。


「まあ! これが新しい馬車ですね。なんて素敵なのかしら!」


 オーウェンは彼女を促し、二人で慎重に馬車に乗った。侍女たちがステファニーの長いドレスを丁寧にまとめている。

 馬車に乗り込んだオーウェンはゆっくりと息をついた。

 大丈夫だ。気分は変わらないし全然問題ない。久々に馬車に乗れて、オーウェンはとても嬉しく感じた。


 周りを馬に乗った騎士たちが囲み、従者が馬に合図して馬車が動き出すと、ステファニーはきょろきょろと周りを見回し始めた。


 沿道にはすでに大勢の人が集まって手を振っている。

 オーウェンが手を振り返すと、ステファニーもそれを見て手を振った。すると大きな歓声が上がり、驚いたステファニーは笑ってオーウェンを見た。


 教会に入るのは自分たちと神父だけ。

 普段は人の多い教会は苦手で、父と兄の葬儀以来、来ていなかった。今日は入口の扉も開いているので問題ない。

 ステファニーとともにオーウェンは婚姻宣誓書にサインをした。式の時に家に来てくれた神父がにこやかに頷いてそれを受け取った。



 二人で大広場を一望できるテラスへ回り外へ出ると、たくさんの人が集まっており、拍手と歓声で迎えられた。

 ステファニーはその様子に圧倒されているようだったが、おずおずと手を振っている。


 多くの人が自分の結婚を祝福してくれている。

 父と兄を失った悲しみは皆まだ癒えないし、自分は崩落事故のトラウマから立ち直れていないけれども、今日来られて本当に良かったと、オーウェンは心から安堵した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 物語の展開力が高くて、優れていると思います。
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