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3、初夜

 式が終わり、夕食の席に着いた。オーウェンとステファニーの二人だけで、無言だ。


 食卓に並べられたのは、色鮮やかなサラダと蒸した鶏肉、それに具沢山のスープ。ふわふわの白パンにはとろりとしたバターが添えられている。

 今日は疲れただろうから簡単なものを、と料理人が言っていたが、それでもステファニーにとってはご馳走だった。


 修道院では自分たちで作った野菜を中心に、簡単で栄養が取れれば良いという食事内容だったし、ここに来るまでの道中も簡素な食事と宿だった。父王が最低限の金しか準備してくれなかったのだろう。

 人が作ってくれた、温かくて見た目も美しい料理を頂く。なんて贅沢なんだろうか。


 ステファニーが大きな声で「いただきます!」と言うと、その声に驚いたオーウェンはびくっと肩を震わせた。

 彼は今日一日疲れたようで、ぐったりしているように見える。食も進んでいないようだ。

 しかし人のことを気にしていたら料理が冷める。ステファニーは会話がないことは気にせず、黙々と食べた。



 夕飯を済ませてすぐに、アンナに連れられて浴室に放り込まれ、全身を磨かれた。否が応でもこの後に行う行事を想像してしまう。

 普通の女子のように母から教わったわけではないが、修道院に来る女性たちからいろいろ話は聞いている。大丈夫だ、問題ない。


 ステファニーは薄手の寝衣を着せられ、寝室に送り込まれた。まだ誰もいないものの、すでに整えられていたのか、部屋の中はラベンダーのような良い香りがしている。

 恐る恐る部屋を進むと、急に背後の扉が開いてオーウェンが入ってきた。髪がまだ濡れており、ステファニーと同じ白の寝衣姿だ。


 驚きと緊張で固まったステファニーは、ゆっくりと寝台の前に立った。しかし一方のオーウェンは扉の前から動かず、下を向いたまま口を開いた。


「長旅で疲れているだろうから、ゆっくり休んでくれ」


 この後予定されている行事は行わないのだろうか。

 ステファニーが疑問に思っていると、彼はそのまま扉を開けて出て行こうとする。焦って呼び止めた。


「あ、あの、オーウェン様はここでお休みにならないのですか?」

「……私はいい。眠らないから」


 オーウェンが「眠らない」と言ったことに、ステファニーはぴんときた。

 ひょっとするとこの人は眠れない人なのかもしれない。それでこんなに顔色が悪いのかも。


 修道院に来る女性や子供の中にも、眠れない人たちはいた。それまでの辛い生活や苦しかった過去の出来事、今後の不安から心身に不調を抱えるのは珍しくないことだ。

 特に彼は身内が亡くなって予定外に領主になったばかりだと聞いている。


「眠らないのですか? それとも眠れないのですか?」


 そう訊ねると、オーウェンは驚いたようにステファニーを見て、少し考えて答えた。


「すぐに分かってしまうだろうから先に言うが、眠れないんだ。だから寝台には入らない。白い結婚のまま三年経って帰れるように調整するから、悪いが理解してくれ」


 ステファニーはほっとして肩の力が抜けた。予定行事を行わないのなら、とりあえずいま不安になる必要はない。

 そのまま部屋を出て行こうとするオーウェンの腕を掴む。


「何もしないなら緊張して損しました。私も気持ちが昂って眠れそうにありません。おしゃべりの相手になってくれません?」


 そのままずるずると寝台に連れて行こうとすると、オーウェンは嫌がった。


「オーウェン様は普段はどこでお休みに?」

「……長椅子で」


 ステファニーは長椅子に彼を座らせると、その前に一人がけの椅子をずるずると引っ張ってきて、自分はそこに座った。


「姫はお疲れのはずだ、寝た方がいい」

「ステファニーと呼んでください」


 彼に毛布をかけてやり、自分も別の毛布をかぶる。


「ステファニー、本当に私は眠れないんだ。寝なければいけないと分かってはいるが……、付き合ってくれなくていい」


「寝なければいけないなんて、誰が決めたんですか? 多少寝なくたって死にませんよ」


 オーウェンは瞠目した。見つめられたステファニーの方も目を瞬く。


「えっ、寝なくて死んだ人ってオーウェン様の周りにいます?」


 問われたオーウェンは黙ったまま首を横に振った。


「ですよね。私、今日初めて自分の夫に会って、夫のことをまだ何も知りません。とりあえず今日は私が自分のことを喋るので、聞いていてください。むしろ、話が終わるまで寝ないでくださいね」


 それからステファニーは、長々と自分のことを話し始めた。



 ♢



 オーウェンがいつも通りの悪夢で目が覚めると、いつもの長椅子の上だった。時計を見るともうすぐ朝だ。寝たのは何時なのかが分からない。

 向かい合った一人がけの椅子は空っぽ。ステファニーがどこにいるのかと探すと、ベッドの上で一人でぐーぐー寝ていた。

 それを見たオーウェンは小さく息をついた。



 昨夜は散々だった。


 初夜を拒否したのは悪かったと思うが、ステファニーは寝なくても死なないから寝るなと告げ、本当にどうでもいい、心底興味のないことを延々と話し続けた。

 あんなに長い時間話していたのに、オーウェンはその内容を何一つ覚えていない。


 あまりにつまらなかったため、珍しく睡魔が襲ってきてうつらうつらすると、寝るんじゃない、話を聞けと彼女に肩を揺すられた。


 信じられない。こちらは不眠だと告白したのに、その自分を寝かせようとしないなんて。

 普通、妻なら不眠の夫に、寝ましょうねと優しく告げ、子守唄でも歌ってくれるのではないだろうか。経験はないが。


 その後、どうやって寝たのか覚えていないが、きっと自分が寝落ちしたのでステファニーも諦めたのだろう。



 そっと部屋を出て自室に戻り着替えていると、ダンが入ってきた。


「おはようございます。奥様は……」

「おはよう。まだ寝ている。そっとしておいてやってくれ」


 白い結婚であることは分かるはずだが、別にいい。

 関係がなかったことを三年後に証言してくれる人がいた方が離縁はスムーズだろう。


 少しだけ急ぎの仕事をして、朝食のため食堂へ下りると、すでにステファニーが座っていた。昨夜寝たのが遅かったはずなのに、大丈夫なのだろうか。


「おはよう、気分は?」


 オーウェンが訊ねると、ステファニーは元気いっぱいに挨拶を返した。


「おはようございます、とても元気です。いただきます!」


 そして嬉しそうに朝食を食べ始めたので、オーウェンは訝しげにステファニーを見つめた。

 病弱だと聞いていたが、誤りだったのだろうか?



 朝食後は別れ、オーウェンはいつも通り仕事に取り掛かった。

 昨夜は何時に寝たのか分からないが、いつもより少し長く寝られたらしい。普段よりも少しだけ頭がすっきりしている。

 まだまだ慣れない仕事であるのと同時に来客も多く、昼食も夕食も執務室で軽く済ませたため、ステファニーとは会わなかった。


 全てを済ませて湯を浴び、ぼんやりして寝室に入ると、ステファニーが寝台に寝っ転がって本を読んでいた。

 もう遅い時間なのに待っていてくれたのだろうか。時間を確認しようと目をやったが、いつもの場所に時計がない。


「時計ですか? 外してしまいましたよ。オーウェン様ってば昨夜、時計ばかり見て全然私の話を聞いてくれないのですもの。挙句、先に寝てしまうし」


 ステファニーは本を閉じて布団に潜り込むと、手だけでオーウェンをおいでおいでと招いた。


「昨日、一人がけの椅子は腰が痛くなりました。オーウェン様は寝なくていいですから、とりあえず今夜は寝台でおしゃべりしましょう」

「はあ……」


 嫌だと言っても無理やり連れ込まれそうである。

 オーウェンは渋々布団をまくり、ステファニーの隣に横になった。寝台に入るのは久しぶりだ。


「別にそんなびくびくしなくても、取って食ったりしませんって」


 そう言って快活に笑うステファニーに、オーウェンは半ばげんなりした。彼女から垣間見える、姫にあるまじき俗っぽさは何なのだろう。

 せめて会話の主導権を握ろうと、オーウェンは口を開いた。


「今日は何をして過ごしていた?」

「今日はですね、朝ごはんを食べて、屋敷の中を案内してもらいました。それから庭に出て、いらしていた庭師の方に挨拶を。そしたらちょうど新しい球根を植えると仰ったので見せてもらったんです。あ、球根と種の違いってご存知ですか? 球根は──」


 また昨夜と同じように興味のない話が始まった。

 適当に相槌を打つと、ステファニーから「聞いてます?」とダメ出しが入る。


 しばらくすると、昨夜よりも早く睡魔がやってきた。

 睡魔がやってくるなんて貴重だ。逃したくない。

 なのに、ステファニーに肩を揺さぶられる。無茶苦茶だ。寝かせて欲しい──




 同じような日が何日か続いた。


 朝食は共にとり、あとは夜まで会わない。寝台で連日寝たのは久しぶりだ。

 やはり時計がないので何時に寝ているのか分からないが、ひょっとすると毎日四〜五時間くらいは眠れているのかもしれない。

 相変わらずステファニーはよく喋っている。さすがに自分のことで話す話題は減ってきたのか、最近は毎日何をしているかを事細かに話している。


 時計がなくなったのは良かったことかもしれない。

 ステファニーが喋っていることもあり、時計のチクタクという針の音が聞こえなくなった。


 今考えると、あの音がなにかの脅迫に聞こえて、急いで寝なければという意識に繋がっていたように感じる。

 引き続き悪夢で飛び起きることは続いているが、悲鳴を上げて起きた日でも、ステファニーは隣でぐっすりと寝ている。よく起きないものだ。



 王都で暮らしてきた姫は田舎暮らしに苦労するのではないかと心配していたオーウェンだが、それは杞憂だった。

 彼女はあっという間に屋敷に慣れたようだ。始めに屋敷に着いた時の従業員の挨拶で、全員の名前をほとんど覚えたようだとダンが言っていた。


 彼女自身の話によると、午前中は庭にいて、午後は部屋で刺繍などの裁縫をしていることが多いようである。


 ある時など、空いている庭の一部を畑にしたいと言い出してアンナたちが止めていた。なので好きにさせてやれと伝えておいたらステファニーは喜んでいたらしい。

 よく分からないが、野菜なんだか果物なんだかを植えて、それの芽が出たとかどうとか、とにかくよく分からないが、寝室で報告を受ける。


 よく食べてよく体を動かしており、病弱だといっていた情報は嘘だったのだなと思う。しかしそれならなぜ公務に出てなかったのかは謎だ。

 そもそも、姫がこんなに畑仕事に詳しいのも謎だ。



 ♢



 結婚してから二週間が経つ頃、教会へ婚姻宣誓書を提出しに行かなければならないとオーウェンはダンに告げられた。

 今回、姫の降嫁を速やかに済ませるために式自体は神父を呼んで済ませることができたが、書類の提出が必要なのだという。


 本来は夫婦で馬車に乗って教会へ行き、式を挙げ、教会を出たところで領民へのお披露目を行うのが通常だそうだ。

 今回、正式な場がなかったことから、領民からお披露目してほしいと要望が上がっているという。

 悲劇から立ち直りつつある領地の象徴としての若い領主と、その功績から降嫁された姫を見たいと、要望書に書かれていた。


「私自身は全然立ち直れていないけどな」


 ダンに渡された要望書を読み、オーウェンは自嘲した。


「オーウェン様、いかがしましょう」


 心配するダンの言葉に、オーウェンは唸った。

 問題は馬車だ。馬車には乗れない。


「この一連の行事を回避することはできないか?」

「やらない選択肢もあるとは思いますが……、領民は期待しております。オーウェン様はとても慕われていますので」


 確かに皆、自分のことを『辛いことがあったけど頑張っている親戚の子』のような距離感で見ているようなのだ。

 それが慕われていると言っていいのかどうか分からないが、領民の多くが自分を気遣ってくれていることを知っている。できれば期待には応えたい。

 

「ステファニーを迎えに行った時のように私は馬で、彼女は馬車というのは? もしくは、二人とも馬で行く」

「どうでしょう……。二人とも馬で行く方がマシかもしれませんが、お疲れの状態だと危ないかもしれません」


 ダンの言うことは正しい。いつも乗っている馬は穏やかだが、人を乗せて二人で走ったことはない。ステファニーのドレスも煌びやかなものになるだろうし、自信がない。


「少し考えさせてくれ……」


 オーウェンは回答を保留して話を終了した。


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