鶏
両想いになってからのお話です。
ある夏の日。
執務室で仕事をしていたオーウェンは、パタパタと部屋に近付く足音に気付いた。すぐに、バタン、と勢いよく扉が開かれる。
顔を上げると、そこには息を切らせて慌てた様子のステファニーが立っていた。
走ってきたのか、頬が紅潮し、汗もかいている。
「どうした、なにかあったのか」
ステファニーがこんなに動揺しているなんてめったにないことだ。ただでさえ、仕事中にやってくるなんてことはほとんどない。
オーウェンが仕事の手を止めると、ステファニーは大股で近付いてきて、縋るように夫の両腕をがしりと掴んだ。
これは、ただごとではない。
「大変です! オーウェン様! 鶏が分からなくなってしまいました!」
「は?」
予想外の単語が出てきて理解できなかったオーウェンを尻目に、ステファニーは早口でまくしたてる。
「鶏が鶏に紛れてどれが鶏か分からなくなってしまったんです。鶏を見分けようにも他の鶏と区別がつかないし鶏を呼んでも寄ってこなくて」
「待ってくれ。鶏という言葉の乱発で内容が全然分からない」
とりあえずなんらかの凶報というわけではなさそうだったので、ステファニーを落ち着かせて椅子に座らせる。
紅茶を一気飲みしたステファニーによると、食欲不振の鶏を農家に診せにいったところ、目を離したすきに農家の鶏小屋に入ってしまい、どれか分からなくなったという。
「ステファニー、いい加減うちの鶏に名前をつけた方がいいんじゃないか? 鶏をそのまま呼んでいるから説明がよく分からない」
「暗くなる前に識別して連れて帰らないと。一緒に来てください」
話を全く聞かず、ステファニーはオーウェンの腕を引っ張る。オーウェンは一応、抵抗した。
「私には仕事が」
「仕事と鶏、どちらが大事なんですか!」
仕事、と言ったら夫婦仲に亀裂が入るだろうかとぼんやり考えながら、オーウェンはステファニーに手を引かれて馬車に乗った。
♢
農家の鶏小屋では、二十羽ほどの鶏がうろうろとしていた。
この農家は野菜の生産を中心にしており、養鶏は主ではない。そのため以前、鶏を一羽もらえたのだ。
「確かに分からないな……」
雌雄の違いはもちろん分かるのだが、そこに集められていたのは雌鶏だけだった。
同じ雌鶏だと、体の大きさや色の違いはわずかにあるが、どれがバートン家の鶏かまでは分からない。
普段よく見ていたつもりでも、どんな特徴を持っていたか思い出せないのだ。
「ステファニーでも分からないのか? 一番長く接していただろう」
ステファニーは首を横に振った。
「分かりません。だって人間の場合だとしても、もしオーウェン様が同じ服を着た集団に紛れてしまったら、私見つけられないかもしれません」
「ひどい」
本気か冗談か分からないステファニーの言葉に脱力したオーウェンは、鶏小屋に目を戻した。
鶏たちはひょこひょこと自由に地面を啄んでいる。
二人は真剣に見つめるが、鶏からはなんの反応も得られない。
「なんか……、見分けがつかないなら、別にどれでもいいんじゃないだろうか」
「ひどいですね!」
近くにいた農家の主人が笑って二人を見ている。
オーウェンが同意を求めると、「どれを連れて帰られても大丈夫ですよ」と了承した。
「だめですよ、バートン家の大切な鶏なんですよ」
「だが見分けがつかないわけだし、同じ雌鶏だし」
二人がああでもないこうでもないとわーわー話していると、一羽の鶏がコケコケとオーウェンの方に近寄ってきた。
「お?」
「まあ! オーウェン様のことを分かったんだわ」
「ええ……?」
「私には寄ってこなかったのに。きっとオーウェン様の声で分かったんですよ」
そうだろうか、と近寄ってきた鶏をオーウェンがよくよく見てみると、足に小さな足輪が着いている。
「ん? なにか着いてるぞ」
同じように鶏を覗き込んだステファニーは、なにかを思い出したように、はっとして口元に手を当てた。
「……そういえば、うちに来たすぐの頃に足輪を着けたんでした。すっかり忘れてました……」
「なんだ」
「ごめんなさい……」
「いや、分かって良かったな」
気まずげに小さくなるステファニーが可笑しくて、オーウェンは笑ってステファニーの頭をぽんぽんと撫でた。
そうして、バートン家の鶏は無事に家に帰ってきた。
鶏の食欲不振は夏バテのせいだった。
♢
──同じ服を着た集団に紛れてしまったら、見つけられないかもしれない。
鶏事件から少しして、ステファニーのその言葉を確める機会が訪れた。
それは伯爵領で行われた式典後のパーティでのことだ。
化粧室に行くというステファニーと別れたオーウェンは、関係者に囲まれてそのままステファニーとはぐれてしまった。
今夜は正式な式典で、出席者は皆、黒を基調とした服を着ている。まさしく、同じような格好だ。
人々に囲まれて懇談するオーウェンは、鶏小屋のことを思い出していた。
いま、自分は鶏の中に紛れた鶏だ。きっとステファニーは自分を見つけられない。彼女はそう言っていた。
それに、鶏のように識別できる飾りも着けていないのだ。
挨拶が途切れ、「さて、ステファニーを探しに行かなければ」とオーウェンは周りを見回した。
すると、腕にそっと柔らかい手が差し込まれた。
ステファニーだった。
「あっ、ステファニー」
「すみません、遅くなりました」
にっこりと笑ったステファニーは、オーウェンを焦って探した様子はない。
「よくすぐに分かったな。探しに行こうとしていたんだ」
「ええ、見つけられないかもと思っていたのですが、すぐに分かりました」
それから、きらきらした瞳でオーウェンを見上げた。
「だって、オーウェン様が一番素敵ですもの!」
突然の思わぬ告白に、オーウェンは言葉に詰まった。
ステファニーはたまに、こうやって直接的な愛情表現をしてくることがある。
とても、困る。これまでの人生でそんなこと言われることがなかったから、なんて返事すれば良いのか分からない。
緩みかけた口元を手で押さえて固まっていると、ステファニーはにやにやしている。
「……からかったな」
「いいえ、本心ですよ。本当にすぐに見つけられました。オーウェン様、お顔が真っ赤ですよ、ふふふ」
涼しげな表情で笑うステファニーに悔しくなったオーウェンは、添えられた手をぎゅうと強く握った。
《 おしまい 》




